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激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 日本人はなぜロシア人が嫌いか(その1)
2005年11月22日 (火) | 編集 |

露大統領:天皇陛下と会見 毎日新聞
来日中のロシアのプーチン大統領は22日午前、皇居・宮殿「竹の間」で天皇陛下と会見した。プーチン大統領と天皇陛下の会見は00年9月の大統領公式訪問以来2度目。
宮内庁によると、通訳を介して約25分行われた会見では、天皇陛下が「今年は日露修好150周年でいろんな交流が盛んになっていることを喜ばしく思います」と話すと、大統領は「(今回の訪問に)日本の経済界も大変な関心を示してくれ有益な意見交換ができました」と答えた。また、大統領は黒田清子さんのためにお祝いの置物を持参し、「結婚の様子はモスクワでテレビで見ました」と話した。

■さて「今年は日露修好150周年」とは、150年前の1855年2月7日(旧暦・安政元年12月21日)に締結された「日本魯西亜国通好条約」、通称下田条約のことを指す。ロシア側は遣日大使プチャーチン、日本側は川路聖謨(としあきら)。下田条約では、日露間の国境は択捉(えとろふ)島と得撫(うるっぷ)島との間とし、樺太(からふと)はこれまで通り国境を設けず日露混住の地とした。
この条約締結をさかのぼる11月4日、安政の大地震が下田一帯も襲い、停泊していたプチャーチンの軍艦ディアナ号が大津波で大破し沈没した。ロシア人たちは町の負傷者を助けて治療し、日本側は新しい船の建造に力を貸した。このとき初めて日本は西洋式の造船技術を学んだのである。

■下田条約を結んだこの2月7日を日本では「北方領土の日」としているように、アメリカなどの欧米諸国と違って、ロシアに対する日本人の感情は良好なものとは言いがたい。なぜ日本人はロシアやロシア人にあまりよい感情を抱けないのか。かつて政治学者の故・志水速雄氏(1985年没)のソ連国家論という授業を受けたことがあるが、志水氏の著作の中に『日本人はなぜソ連が嫌いか』という本がある。ソ連崩壊後のロシアともさほど関係は変わっていないので、古い記憶をもとに、日本人の対ロ感情をさぐってみたい。
ちなみに志水速雄氏は右翼思想家に分類されているようだが、元「社学同」で、60年安保闘争時に官憲に逮捕された経験を持つ。授業は旧ソ連の地理や歴史から始まる興味深いもので、近い将来ソ連は崩壊し東ドイツも統一されるという「収斂理論」の持ち主だった。実際、ほどなくその言の通りになったわけだが。志水氏は教室のドアが風でパタンパタンと開くのを気にして何回も自分で閉めに行く神経質な面もあったが、卒業後小さな出版社に入ったときエッセイを頼んだら快く引き受けてくれた。そのエッセイの中で、趣味はテレビの料理番組を観ることとあって、気難しいイメージとは裏腹に庶民的で気さくな一面を垣間見た気がしたものだ。

■およそ西洋と東洋のつき合いは、お互い表玄関からのつき合いであった。ところが日本人と朝鮮人そしてロシア人の場合は、表玄関というより、互いに裏口を向け合った仲の悪い家のつき合いに似ている、と志水氏は言う。ロシア人と日本人がつき合い始めて約200年の間、両者が互いに見せ合った顔の多くは漂流民、流民、兵士、捕虜、囚人、犯罪者、漁民、農民であったからだ。そして第二次大戦で日本がポツダム宣言受諾「後」に、満州や樺太、北海道で行ったソ連兵の略奪と暴行は、日本人の記憶に決定的な反ソ感情を刻みつけた。だが大戦前後にソ連が奪ったのは日本の領土の一部だけではない。日本を含めフィンランド、バルト三国、ドイツ、ポーランド、チェコスロバキア、ルーマニア、外モンゴルからも合計67万平方キロの領土を奪った。これはイギリス、イタリア、ギリシャ3国を合わせた面積に匹敵する。2度の大戦の経験で大方の国は固有の領土の併合という古い帝国主義的要求を回避するようになったが、ソ連だけはこの考えを捨てなかったのだ。

■では日本人とロシア人はいつ頃遭遇したのだろうか。17世紀ロシアではボロトニコフの乱とラージンの乱というコサック農民の反乱が起き、これをきっかけに農民やコサックが自由と土地を求めてシベリア方面に東進した。彼らはさらにカムチャツカ半島やアナドゥイリ方面に進んだが、日本人の北上は両者が出会うまでには至っていなかった。やがてロシア人は南下を始める。
その頃、モーリス・ベニョフスキというハンガリー人がいた。エカテリーナ女帝のポーランド干渉に際して、彼はポーランド側について戦い、敗北してカムチャツカに流された。やがてベニョフスキは反乱を起こし、ロシア船聖ピョートル号を乗っ取ってカムチャツカを脱出、千島沿いに南下して四国沖に現われた。日本は江戸時代中期、田沼意次の時代である。このとき初めて、日本人はロシア人と出会ったのだ。ベニョフスキ一行は日本人と接触しながら奄美大島まで進み、ここから長崎のオランダ商館長あてに6通の手紙を書いた。そしてその中の1通が、ロシアの南下を警告したこのような内容だったのだ。
―今年ロシアのガリョット船2隻とフレガット船1隻がカムチャツカを出港し日本沿岸を巡航する。ロシア人は来年北海道を攻撃するための資料を集め終わった。千島列島に要塞が建設され、弾薬や大砲、倉庫なども整備されている。―
この手紙はオランダ語に翻訳されて日本人に渡り、当然のことながら大騒ぎになった。ところが、なんとこの手紙の内容は嘘だったのだ。なぜベニョフスキがオランダ人に嘘の手紙を書いたのか、その動機はわかっていない。おまけに嘘の手紙はオランダ人を通して日本人に広まるまで、いくつもの事実誤認を加えていった。フォン・ベニョフスキの署名をオランダ人は「ファン・ベンゴロ」と誤読し、さらにそれを日本人が「はんべんごろう」と伝えた。またロシアから脱走したハンガリー人が、ロシア人スパイに変わってしまった。
「ここに至ってロシアは巨大な脅威となって日本を圧している。この圧迫感こそ、これ以後日本人の対露意識の根底を流れるものである。それは時には流れの表面に現われ、時には底のほうに沈む。しかし二百年間途切れることなく今日まで続いている」と志水氏は述べている。
 
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