激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 今こそ日本国憲法のルーツを知ろう  ~五日市憲法草案
2015年07月03日 (金) | 編集 |

昨日は日本国憲法成立に深く関わった憲法学者・鈴木安蔵と彼の思想を育んだ
自由民権運動について記した。
自由民権運動(1874年・明治7年~1890年・明治23年)というと土佐の立志社と
その系譜の愛国社が有名だが、近年は東日本での運動が注目を浴びている。

 士族色の強い愛国社系とは違って、東日本の運動は豪農層の指導が目立つ。そして、それは、さまざまな農村結社を基礎とした運動であるため、全体として「在地民権結社の潮流」といった方がよいというのが最近の説である。
 たとえば、自由党が解党した1884年(明治17)10月までに結成された民権結社を調べてみると、これまで判明した分でも、神奈川82社、茨城81社、千葉50社、栃木39社、埼玉30社、群馬21社、関東六県で303社をかぞえ、他地域を圧倒している。
 また東北六県を見ると、宮城県がいちばん多くて57社、山形17社、岩手16社、福島12社、青森11社、秋田7社、小計120社になっているが、これは研究が不十分な現況での数であって、宮城のように史料発掘が進めば、倍増することも期待できる。
                             色川大吉『自由民権』 (岩波新書)より



日本国憲法につながる地下水脈~自由民権運動と五日市憲法

【出演】菅原文太(俳優)、色川大吉(東京経済大学名誉教授)、
樋口陽一(東京大学名誉教授・東北大学名誉教授)









先月6月の休日に八王子城跡へ行った帰り、この五日市憲法草案で有名な
東京都あきる野市にある「五日市郷土館」に立ち寄ってみた。
以前、町田市の自由民権資料館に行ったときに郷土館がちょうど休館日だったので
ようやく訪問できたというかんじだ。



五日市郷土館の正面。






向かって右手に建っている「来住野(きしの)先生碑」。





碑の説明書き。




 拡大。
これによると、来住野先生の諱(いみな)は賀棟で、通称久ニ。武蔵西多摩郡館谷村の人だった。幼い頃から武芸が得意で、天然理心流の開祖・近藤蔵之介に柔術を習ったとある。
新選組局長・近藤勇で有名な天然理新流は、江戸をはじめ多摩や相州・甲州まで広まった剣術の流派であり、地域ごとに多くの師範と新たな流派が生まれていった。そしてこの天然理心流の門人から、数多くの自由民権運動の闘士たちが輩出していったのである。






2階の展示室に飾られた写真。
【天皇皇后両陛下が平成24年1月23日の午後、五日市郷土館をご視察されました。
(中略)特に五日市憲法草案のコーナーでは、草案や関係資料をご熱心にご覧に
なられ、当時の青年たちが議論したテーマを列挙した「討論題目」の前では、
両陛下は資料を指さされながら盛んにお言葉を交わされていました。】



 東京新聞  13年10月20日
   http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013102002000120.html

           明治に人権尊重「五日市憲法」 皇后さま強く感銘 
 
 皇后さまは二十日、七十九歳の誕生日を迎えられた。宮内記者会の質問に寄せた回答文書で、明治憲法の施行に先立って東京・奥多摩地方で起草され、基本的人権尊重や教育の自由などに触れた「五日市憲法草案」について、「世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」と強い感銘を受けたことを明らかにした。

 皇后さまは昨年一月、天皇陛下と東京都あきる野市の五日市郷土館を訪れ、展示されている草案を視察した。

 文書では、今年印象に残ったこととして憲法論議が盛んに行われたことを挙げ、これに関連して、視察時に草案から受けた印象を思い起こしたとしている。

 草案は、小学校の教員や農民たちが話し合いを重ねて書き上げた。皇后さまはこうした経緯に触れるとともに、同様の民間の憲法草案が日本各地で作られていたと郷土館で説明を受けて「長い鎖国を経た十九世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するもの」と印象に残ったと記している。

 五日市憲法草案
 東京・奥多摩地方の五日市町(現あきる野市)で1881(明治14)年に起草された民間憲法草案。204条から成り、基本的人権が詳細に記されているのが特徴。自由権、平等権、教育権などのほか、地方自治や政治犯の死刑禁止を規定。君主制を採用する一方で「民撰(みんせん)議院ハ行政官ヨリ出セル起議ヲ討論シ又国帝(天皇)ノ起議ヲ改竄(かいざん)スルノ権ヲ有ス」と国会の天皇に対する優越を定めている。1968年、色川大吉東京経済大教授(当時)のグループが旧家の土蔵から発見した。


 






五日市憲法草案とは

昭和43年五日市町深沢家土蔵から、私擬憲法草案(民間で自主的につくった憲法草案)
が発見され、発見者色川大吉氏によって五日市憲法草案と名づけられた。
これは明治14年、当時の五日市勧能学校教員千葉卓三郎(宮城県出身)が地元の
深沢権八らの援助を得て起草したものであった。内容はきわめて民主的で、人権尊重の
精神にあふれ、戦後民主主義の原点と評価されている。当時の五日市地方は
深沢権八らを中心に学芸講談会と呼ぶ学習結社が結成され、討論会も盛んに
おこなわれていた。 上段写真:左は深沢権八の墓、右は深沢家土蔵。 
下段写真:左は深沢権八、右は深沢家旧宅。






五日市に来る前の千葉卓三郎の肖像。






五日市憲法草案 国民の権利の一部
五日市憲法草案は204条に及び長大なもので
とくに人権擁護の規定が手厚い。






討論題目のメモ。深沢権八の覚え書き。





参照

    土方歳三考 その5 ~歳三の故郷・多摩をたずねて(5)
                 町田市・自由民権資料館~ 11年9月7日
         http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20110907.html



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