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 福島県・浜通りを「廃炉産業」で復興させる計画が持ち上がった
2014年06月09日 (月) | 編集 |

フクイチ原発事故で避難している住民の帰還を半ば強制的に促進している国が
今度は帰還困難区域を含む福島県の浜通り地域を、廃炉産業で復興しようと
目論んでいる。






廃炉産業での復興構想の主な施設(朝日新聞)


     朝日新聞 6月8日
       http://digital.asahi.com/articles/DA3S11179468.html

        福島に「廃炉産業の街」 作業員ら5000人移住構想 内閣府・経産省

 内閣府と経済産業省は、東京電力福島第一原発事故で住民が各地に避難している福島県・浜通り地域で、原発の廃炉作業員ら5千人ほどが暮らす「廃炉産業のまち」構想を打ち出す。廃炉を柱にした復興を進めようという考えだ。しかし、住民の帰還が見通せないのに、帰還を後回しにした復興策には疑問の声もある。

 政府の原子力災害現地対策本部長を務める赤羽一嘉経産副大臣が9日、地元の首長らに「福島・国際研究産業都市構想」の骨子案を示す。そのなかに、廃炉技術を使って浜通りを復興させる構想を盛り込む。

 福島第一原発の廃炉が終わるまでには30~40年かかる。骨子案では、廃炉の技術開発や作業のため、技術者や作業員が4千~5千人、研究者が数百人必要になると試算している。

 いまは多くの作業員が20キロ以上離れた宿舎などから通っている。構想では、原発から約10キロ離れた大熊町の大川原地区を集中的に除染し、2018年までに作業員や研究者ら3千人が暮らせる住宅をつくる。病院や飲食店も建て、この地区を復興の中核にする。

 また、15年春にも避難指示の解除が見込まれる楢葉町には福島第一原発の原子炉と同じ大きさの模型をつくり、大学や企業の廃炉研究に開放する。一方、楢葉町にある東電福島復興本社は15年度にも福島第一原発に近い富岡町などに移す。

 構想では、廃炉関連のほかに、最先端の火力発電所や新エネルギーの開発拠点もつくり、浜通り一帯で約1万5千人分の仕事が生まれると見込む。これらによって、経産省は「浜通り全体で廃炉に必要な約5千人が住む街ができる。それを呼び水に避難者の帰還が進む」(幹部)とみる。

 赤羽副大臣は「廃炉の技術開発を生かし、世界が注目するオンリーワンの拠点をつくることができる」と話す。地元にも「(帰還のめどが立たず)まっさらなところから町づくりを進めていく必要がある」(渡辺利綱・大熊町長)として、期待する声がある。

 ただ、政府が避難指示を出しているのは10市町村あり、人口は約8万1千人に及ぶ。政府の調査では4割以上が「ふるさとに戻らない」と移住を決め、復興の見通しは立っていない。ある首長は「夢のある話に聞こえるが、避難者は作業員ばかりが住む町に帰りたいと思うだろうか。ますます帰還が遠のくおそれもある」と心配する。(編集委員・大月規義)




廃炉作業の拠点が必要なのはわかるが、原発がだめなら廃炉で町興しという発想は
これまでとまったく同じではないか。美しい故郷をめちゃめちゃにされた住民の気持ち
など無関係に、さあ新しい仕事を作ってやるから戻ってこいといった、相変わらずの
上から目線計画である。
上の図を見ると、原発から10キロの大熊町に作業員・研究者の住居を建て、帰還困難
区域をはずれた富岡町に東電福島復興本社を移転となっているが、これは逆ではない
のか。東電の方が大熊町に、住居は富岡町にというのが常識だろう。
また廃炉復興を推進する赤羽一嘉経産副大臣ら関係者も、当然ながら浜通りに居住
して指揮を取るべきだろうし、放射能による健康被害はないという原発再稼働邁進勢力の
自民党本部もぜひこの地に移転いただきたい。
政治家・官僚・東電が身を持って原発事故の収束と地域の復興に汗を流せば、もしかしたら
帰還してもいいかなと思う住民の数も少しは増えるかもしれない。


これも同じ朝日新聞に、避難住民の抱える帰還の困難さを記した記事が掲載されている。
いくら帰還を、復興をと国が掛け声をあげても、現実はこのように厳しいのだ。





写真:都路地区の原発20キロ圏(朝日新聞)



     朝日新聞 5月26日
       http://www.asahi.com/articles/DA3S11155719.html

            プロメテウスの罠  帰還の現実:2 「約束」はどこへ

 昨年10月14日。坪井幸一(65)、秀幸(36)親子ら田村市都路地区の避難住民36世帯の仮設住宅がある「福祉の森公園」の集会場で、国と市、住民の意見交換会があった。
 福島第一原発の20キロ圏に入った都路地区の121世帯380人は事故の直後、国の避難指示で家を離れた。それから2年7カ月がたつ。

 国の担当者が「避難指示解除の要件」を配布資料で示した。
 (1)年間の積算放射線量が20ミリシーベルト以下となることが確実
 (2)電気、ガス、水道のインフラ復旧など▽子どもの生活環境を中心とする除染作業が十分に進展
 (3)自治体、住民との十分な協議

 出席した秀幸はあぜんとした。
「20ミリシーベルト以下だって? そんなの当たり前じゃないか」
 秀幸は原発作業員として、20代のときから配電設備の仕事にかかわってきた。勤務先の被曝(ひばく)管理は法令の定めより厳しく、被曝限度は年15ミリだった。一般人は1ミリだ。
 「原発での作業よりも高い許容値の中で暮らせというのか」

 妻(38)と幼い娘3人がいる。国の説明で何より引っかかったのは「子どもの生活環境の除染」だ。
 国の除染後も、裏山が迫る家の山際周辺には年5ミリシーベルト前後に相当する地点が何カ所もあった。
 ほかの宅地でも、そんなレベルの場所があちこちに残っている。地域を取り囲む山林全体の除染は手つかずのままだ。
 「こんな状態で、子どもたちを外で自由に遊ばせるなんてできない。子どもの生活環境は学校までの一本道だけじゃないんだから」

 国による地域の除染は2012年7月に始まった。目標値は年1ミリシーベルト以下。その「約束」はどこへいったのか――。
 しかし国の見解は「1ミリというのはあくまで長期目標。解除の要件ではない」というものだった。

秀幸は思った。
 「除染をやっても思うように数値が下がらない。だから、うやむやにするつもりだろう」
 国の担当者はいった。
 「子どもへの健康影響があるかというと、今の科学的知見では問題ない、ということなんです」
 そして続けた。
 「避難指示はどこかで解除しないと、前へ進めません」
 ここに住み続ける人間の身になっていない――。秀幸は黙っていられず手を挙げた。 (田井良洋)




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