激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 沖縄戦から68年目の「慰霊の日」
2013年06月23日 (日) | 編集 |



写真:琉球新報より
壕で亡くなった兄をしのび、供物をして祈る遺族
23日午前9時半すぎ、糸満市摩文仁の師範健児の塔近く



今から68年前の昭和20年6月23日は、沖縄戦の戦闘が終わった日。
それを記念して「慰霊の日」と定められた。
犠牲者は20万人を超え、県民の4人に1人が亡くなった。
しかし沖縄の苦しみは未だ終わってはいない。
県などが主催する追悼式典(国が主催ではない?)には、岸田文雄外相、
小野寺五典防衛相と、初めて外相と防衛相が参加。
また日本維新の会の橋下徹共同代表も出席した。
追悼というより、参院選目当ての参加であることが見え見えだ。


   沖縄タイムス 6月23日
   http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-06-23_50804

      社説 [慰霊の日]平和を守る試練のとき

 沖縄戦から68年。地上戦の傷痕の深さを痛感させるデータが新たに示された。

 沖縄戦を体験した高齢者の4割が、深刻な心の傷(トラウマ)を抱え、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症、あるいは今後発症する可能性がある、との沖縄戦トラウマ研究会の調査結果だ。
 苛烈な体験に加え、戦後も米軍基地から派生する事件・事故や騒音被害などが戦争を想起させ、今なお高齢者の生活を脅かしている。この現実と向き合い、未来をどう切り開いていくか。

 本年度、新たに62人を刻銘した糸満市摩文仁の「平和の礎」。刻銘者の総数は24万1227人となった。衆院議長や自民党総裁を歴任した河野洋平氏は今年、「敵味方、軍民、国籍の区別なく戦没者を刻銘した平和の礎は現在の日本が最も必要とする考え方を具現化している」とあらためて礎の意義を評価した。

 戦後も沖縄は米軍の出撃基地として、朝鮮戦争からイラク戦争に至るまで戦争の影をひきずってきた。しかし現在の局面は、これまでと明らかに異なる。日本は戦争に向けた準備段階に入っている。そう唱えれば、杞憂(きゆう)だと一笑に付されるだろうか。

 歴史には曲がり角がある。日中の海上での攻防が常態化する契機となった尖閣諸島の国有化も、その一つだろう。今後は、憲法改正や集団的自衛権の行使容認が時代の転換点になる可能性もある。
 他国の脅威ばかりが強調される中、戦争に備える動きを肯定するのが当然のようになっていないか。

    ■    ■

 米軍と自衛隊は今月、米カリフォルニア州の沖合の島を舞台に、離島奪還を想定した上陸訓練に入った。米軍の同演習に、日本の陸海空の統合部隊が参加するのは初めてのことだ。
 「専守防衛」を掲げる日本は、これまで離島奪還に必要な装備や訓練を念頭に置いてこなかった。方針転換のきっかけは尖閣問題だ。
 背景には、中国の軍備拡張がある。国防予算削減を図る米国には、アジアの同盟国である日本に、自力で有事対応できる能力をもってもらいたい、との意図もある。

 尖閣諸島をめぐる中国の覇権主義的な動きを許容することはできない。しかし、日中の政府間対話に苦慮する中、軍事的な対抗路線を加速させることには、危うさを指摘しないわけにはいかない。
 万一、紛争に発展すれば沖縄が戦場に巻き込まれる可能性は極めて高い。

    ■    ■

 沖縄をはじめ国内の軍備増強の論理に、「尖閣の危機」や「中国の脅威」が持ち出され、世論やメディアが是認する風潮が定着していないか。
 「沖縄は、沖縄人は片時も戦争の恐怖から解放されてはいないのである」。本紙が1950年に初版発行した沖縄戦記「鉄の暴風」の「五十年後のあとがき」で、牧港篤三氏はそう記している。

 沖縄では今も身近に「戦争の恐怖」がある。世論が揺らぐ状況にあってこそ非戦の決意が試されている。戦争を許さない民意の発信が、今ほど求められているときはない





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