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 新事実 壬生浪士組に実在した谷右京という幹部
2013年05月10日 (金) | 編集 |

新選組に関して、昨今いろいろと新史料が出てきてなかなか興味深い。
以下は東京新聞が報じたもの。
そういえば谷右京について以前聞いたような記憶が…。
いずれにしても、新選組を「剣に生き剣に死んだ」古臭い集団みたいな
間違ったイメージで捉えるのは、もういい加減やめてほしいものだ。
かなり初期の段階から近代的な銃や大砲を訓練に用いてるし、戊辰戦争では
隊士たちも洋装の兵服で戦っていたのだから。





右ページ左下に谷右京との記載がある「文久元治亥子太平録」
(福島県会津若松市立会津図書館所蔵)



   東京新聞 5月8日
     http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013050801001611.html

      新選組前身、浪士組ナンバー3か 砲術に秀でた谷右京

 新選組の前身「壬生浪士組」に谷右京という幹部がいたことを複数の文献から歴史研究家が確認した。局長の芹沢鴨、近藤勇に続いて名前が記載されたものがあり、「ナンバー3だったのではないか」とみている。砲術に秀でており、浪士組離脱後も研究を続け、自作の防弾盾を万国博覧会に出品したとされる。

 山口県文書館が保存する「上京有志姓名録」で、江戸から京都に向かった浪士組隊士200人強の中に谷は5番組の2番目に名前がある。

 京都での会津藩の動静などが書かれた「文久元治亥子太平録」にも、「壬生浪士頭」として芹沢、近藤の次に「丹波産 谷右京」と出ていた。





コトバンクによると、

   谷水石 たに-すいせきとは…

1801-1877 江戸後期-明治時代の武士,発明家。
享和元年生まれ。丹波柏原(かいばら)藩(兵庫県)藩士。安政のころ,独力で外国製の元込(もとごめ)銃とおなじ構造の銃を製作。また羽毛で防弾用の楯(たて)をつくり車楯と名づけ,明治6年ウィーン万国博覧会に出品したという。明治10年死去。77歳。通称は右京。




この新事実発見のエピソードについては、こんな裏話も。


   「無二無三」さんのHP 5月10日

        「谷右京」新聞発表について
        http://funnyara.blog69.fc2.com/blog-entry-892.html




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