激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 もしかしたら坂本龍馬も新選組に入隊してたかもしれない? (・∀・)
2013年05月02日 (木) | 編集 |

体調のよい日があったり悪い日があったり、仕事が楽しかったりきつかったり
日々こうした繰り返しが続く。04年に湯河原に来て、もう9年目か(-_-)

と、ちょっと感傷的になったところで、『週刊ポスト』5月3日・10日号で
こんなの発見( ´・∀・`)  安田清人氏の「時代劇を斬る!」だって。
その第1話が、NHK大河ドラマ 新選組隊士・坂本龍馬!? 

実際の記事では小さくて読みづらいので(アップできるサイズの関係で)、
活字を添えておく。




 NHK大河ドラマを見たのがきっかけで、歴史が好きになったという人は多い。よくよく聞くと、専門の歴史学者にも、その手の元歴史少年(少女)が少なくない。
 だからこそだろう。大河ドラマは「フィクションを描いてはいけない」という意見をよく目にする。しかし、歴史上の人物のすべての行動、発言、人間関係、思想がわかるはずがないのは、いまさら言うまでもない。あらゆる歴史書や記録に目を通しても、どんな歴史学者に学ぼうと、フィクション抜きにドラマを描くことは不可能なのだ。
 しかし、天下のNHK、天下の「大河ドラマ」なのだから、できるだけウソは描かないで欲しいというのは理解できる。制作者側もそれは十分に理解していて、歴史上の人物が「いつ、どこで、何をしたか」という確定的な事実はできるだけいじらない。
 ただし、どこで何をしていたのか確定できない部分、いわゆる史実の隙間に創作を盛り込んで、ドラマとしての独自性を打ち出したいと、〈篤姫〉や〈新選組!〉を担当したプロデューサーの屋敷陽太郎さんは折に触れ語っている。
 平成16年(2004)に放送の〈新選組!〉は、香取慎吾演じる主人公の近藤勇が、実は京都に上る前から坂本龍馬と親しい友人だったという「設定」だった。これはもちろんフィクションだが、いち早く新聞、雑誌などがこの「設定」に反応し、さまざま識者が「史実と違う」と発言したためか、〈新選組!〉には史実をないがしろにするデタラメなドラマだというイメージがついてしまった。
 確かに近藤と龍馬が友人だったことを示す資料や記録はない。しかし両者に接点はなかったのか、知り合いであった可能性は本当にゼロなのか。
 新選組は、幕府が浪士を集めて作った特殊部隊。その母体となった浪士組の結成に当たり、幕府は江戸の剣術道場などで名を挙げていた志士たちをリストアップし、浪士組への参加を募っていた。
 そのリストには、平野国臣(くにおみ)や真木和泉(まきいずみ)、久坂玄瑞(くさかげんずい)といった尊王攘夷派の志士たちと並び、坂本龍馬の名前も挙がっていた。
 この事実を指摘したのは、〈新選組!〉の時代考証に「資料提供」という形で参加した歴史学者の三野行徳(みのゆきのり)さんだった。
 結論から言えば、龍馬は浪士組には参加せず、独自の路線を歩んだわけだが、ひとつ間違えば浪士組に参加して、近藤勇と同僚になっていたかもしれないのだ。

 龍馬にしても近藤にしても、当時、黒船来航以来の国難によって覚醒した青年たちだった。彼らは剣術で腕をみがき、社会情勢に注目し、最先端の尊王攘夷思想を掲げるオピニオンリーダーでもあった。彼らは互いの交流の中で切磋琢磨し、人脈を築いていった。とすれば、彼らが友人だったという「設定」は、けっして突拍子もないデタラメなどではないのだ。
 従来、龍馬と近藤は「好敵手」として扱われてきた。だから友人だったとする「設定」に違和感が持たれ、「時代考証がなってない」とされたわけだが、より深く歴史を理解するならば、それが「あったかもしれない」可能性が見えてくる。時代考証は、一筋縄ではいかないのだ。





大河ドラマ『新選組!』は私が湯河原に来た04年に放送されたもので
そうした意味でも特に思い入れの深い新選組ものである。
数日のつもりで湯河原に来たものの、その後の状況で不本意にも長く留まらざるを
得なくなった私に毎週慰めと希望を与えてくれたのが、このドラマだった。
記事にも書いてあるように、近藤勇・土方歳三と坂本龍馬が知り合いという設定に
ずいぶんクレームがきたようで、当時の私もう~ん(。-_-。)なんだかなぁと思ったもの
だったが、その後幕末の背景について詳しく知るごとに、この設定もありかなと考えを
変えるようになった。
上にも書いてあるように近藤も坂本も皆同じ尊皇攘夷を掲げて熱く燃えていた若者たちで、
ことに近藤などは水戸天狗党出身の芹沢鴨に同調していたことからもわかるように、龍馬
よりもずっと尊攘激派であって、一時は長州と手を結ぶ動きもあったと多摩・日野にある
佐藤彦五郎(土方の義兄)邸を訪れたときに聞いた。
同じ思想を抱きながら、選んだ立場の動向によって敵味方に分かれてしまった若者たち。
しかし龍馬の骨折りで日本は近代化を受け入れ、近藤や土方の親類や試衛館の弟子たちが
多摩の自由民権運動の担い手になっていくように、結果として彼らが目指したものは再び
同じ思想地点へと収斂していくのだ。
歴史をひもとく驚きと喜びは、こうしたところにこそある。





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