激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
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 歴史は繰り返すのか ~未来の党の分裂劇~
2012年12月26日 (水) | 編集 |

第2次安倍内閣が発足。変わり映えのしない古い顔が並んでいる。
日本瓦解へ向けて、地獄への逆落としが始まる。
16日の衆院選の結果を見て、幕末の戊辰戦争の再来だと思った。
またしても長州新政府にしてやられたわけだ。
そして敗北した日本未来の党も、権力闘争のゴタゴタで分党という
結末を迎えた。





写真:共同通信
記者会見で、分党に踏み切る考えを示す日本未来の党の嘉田代表
=26日午後、滋賀県庁


  東京 12月26日
    http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012122601001832.html

      日本未来、年内にも分党 嘉田氏と小沢系対立激化

 日本未来の党の嘉田由紀子代表(滋賀県知事)は26日、県庁で記者会見し、年内にも分党に踏み切る考えを示した。小沢一郎元民主党代表の処遇をめぐって小沢系議員と嘉田氏との対立が激化していたほか、主要メンバーの亀井静香元金融担当相が同日離党を表明するなど混迷を深めており、結党1カ月で分裂する展開となった。

 嘉田氏は、自身と社民党政審会長を務めた阿部知子衆院議員を共同代表とする「人事案が認められなかったことが最大の原因」と語った。「阿部氏との共同代表で日本未来は継続させる」と強調。小沢氏側から26日朝、分党の申し出があったと明かした。(共同)




それにしても旧社民の連中は、どこへ所属してもゴタゴタの火種になるもんだ。
今は存在しないかつての民社党が社会党とくっついて左派と右派に分裂し
社会党本体をも崩壊させた。その連中が社民党と民主党へ散らばって、また内部
から食い荒らし、今度はついに未来の党も壊してしまった。
仙谷―阿部ライン恐るべし。まるで幕末の尊攘激派みたいだな。


その幕末といえば、こんな史実が残っている。
鳥羽伏見の戦いで幕府軍は敗退し、江戸城が新政府軍に明け渡された。
捕縛された近藤勇に代わって新選組を率いる土方歳三は、国府台(こうのだい・
現在の千葉県市川市)で旧幕臣の大鳥圭介、会津の秋月登之助、桑名の立見鑑三郎ら
3000人と合流。先鋒隊となった土方軍は宇都宮城を落城させるなどして会津へ向かい
一方大鳥軍は日光での決戦を断念して、これもまた会津へ向かった。
宇都宮戦で負傷した土方に代わり、今度は斎藤一が新選組を率いて白河戦争で奮闘する
が、多勢の新政府軍の攻撃に旧幕府軍と共に敗れ、会津軍は若松城に籠城した。
新選組は斎藤に代わり、島田魁が率いることになった。

一方勢いに乗る新政府軍は、東北の奥羽諸藩に徳川慶喜と会津藩・庄内藩の討伐令を
出した。これに対して奥羽25藩は越後6藩と手を結び、仙台藩を盟主とした「奥羽越
列藩同盟」を結成した。このあたりのことを、歴史学者の大石学氏が著書『新選組』の中で
詳しく検証しているので引用する。

 攻守同盟へと性格が変わる閏4月20日前後、仙台藩は総督府擁立、薩長兵追放、江戸奪還などを目的としていた。すなわち、江戸を含む関東・信州を勢力範囲とし、さらに加賀・紀伊と連帯し、西南諸藩の有志とも結んで、新政府を揺さぶろうとした。旧幕臣やフランス・アメリカ・ロシアなど諸外国との協力関係も想定している。新政府に対抗する奥州政権、東日本政権とも呼ぶべき権力組織を構想していた。その後同盟軍側の戦況不利と仙台盟主問題の内紛が起こったため、当時会津滞在中の輪王寺宮を迎え、7月13日の宮の白石移動を契機に新たな体制を整備した。 (略) こうして明らかに京都政権に対抗する、奥羽政権としての意識と実態を持つ同盟が成立したのである。




まさしく「オリーブの木」構想ではないか(^-^)
この時、徳川家海軍副総裁の榎本武揚は艦隊を率いて仙台に入り、怪我から回復した土方も
仙台城の列藩同盟軍議に参加した。

 榎本武揚は土方を総督に推薦した。列藩諸藩もこれを了承した。(略) そして榎本が土方に、総督就任と福島への出陣を依頼すると、土方は、引き受けるにあたっては、軍令を厳しくすること、これを破るものは大藩の家老であっても土方自らが斬ること、最終的に生殺与奪権を総督が握ることを条件とすると答えたのである。諸藩は、「云うにや及ぶ。生殺与奪の権のごときは従来惣督の二字に附着したるものであります。それゆえ総督を御依頼申さん以上は無論、生殺与奪の権をも与え申すのでござる」と、生殺与奪権は総督が握るのが当然と、土方の条件を認める発言をした。しかし(二本松藩士の)安部井磐根は、「生殺与奪の権は藩主(丹羽)左京太夫に決を取った上でなければ、いかんの御答えに及び兼ねる」と、藩主の裁断がないと返答できないと述べたという。
 一方、「二本松藩史」によれば、榎本武揚は、土方を将とすれば敵軍を倒すことは難しいことではないと述べ、土方を招いて着座させた。土方は颯爽として、もし自分に生殺与奪権を与えてくれるならば、将軍の地位に就く覚悟と述べた。みな土方を推薦しようとしたとき、末席の安部井磐根は主君は小臣を会議に参加させており、他人に生殺与奪権を与えると命じたわけではないと述べると、みな黙った。土方は憮然としてその場を去ったという。
 この議論の結果、土方の総督(将軍)就任は否定されたのである。しかし、奥羽越列藩同盟が統一軍の指揮権を一元化しようとしたことは注目される。もし、土方の主張が通ったならば、軍事的側面において諸藩の家老までが土方の指揮下に入ることになったのである。そして、この土方の論理は、京都における新選組の組織化・規律化の方針を一気に拡大強化したものといえる。土方は厳しい規律をもって、奥羽越列藩同盟の軍事力を強化しようとしたのであった。
 これが奥羽越列藩同盟の分岐点であった。その後秋田藩が仙台藩の使節を殺害して同盟を裏切るなど、同盟から脱落する藩が続出する。仙台藩の藩論も急変し恭順となり、列藩同盟は瓦解していくのである。



せっかくみんなで統一戦線を組んで反撃しようとしていたところへ、ひとりの頭の固い
わからんちんがイチャモンをつけたおかげで同盟が分裂し、大きなチャンスを逸してしまった。
本当に残念でならない。この後、仙台藩と会津藩は降伏し、榎本・大鳥・土方は艦隊で
蝦夷地(北海道)へ向かい、桑名、備中松山、唐津の藩士たちも新たに新選組に加入して
共に蝦夷地へ渡った。
この地で彼らは、アメリカ合衆国の制度に倣って、選挙で箱館新政府の役職者を選出した。
土方歳三は身分の高い幕臣たちに混じって、6位という得票を得た。
彼は榎本を総裁(大統領)とする箱館政府の、陸軍副大臣兼裁判所長官に就任したのだ。
しかし常勝将軍・土方の奮戦もむなしく、新政府軍の箱館総攻撃で土方は戦死。
ついに戊辰戦争は終結し、箱館政府と新選組の歴史も幕を閉じたのだった。


この話には続きがあって、戊辰戦争で負けて賊軍となった新選組だが、近藤家や
土方家、そして新選組隊士の子孫たちはやがて多摩の自由民権運動の中心的存在となり、
優れて開明的な憲法草案も作った。現在の日本国憲法の中にもその精神が脈々と流れて
いるのである。
歴史は繰り返すというが、どこでその負の連鎖を断ち切って反転攻勢に出るか、そのためにも
過去の歴史を正しく学び取っていく必要があるだろう。






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