激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 秋日和お江戸散歩その2 神田神保町さくら通りと新宿区市谷・試衛館跡
2012年11月09日 (金) | 編集 |

ドラマと史蹟の場所を探すお江戸散歩、その2。
その1では駿河台の明大博物館と、『陽炎の辻』の豊後関前藩上屋敷跡と推定される
太田姫稲荷に行ってみたが、今回は同じ『陽炎の辻』で坂崎磐音(いわね)が剣を学び、
後に養子に入る佐々木玲圓(れいえん)の直心影(じきしんかげ)流・佐々木道場があった
(とされる^^;)場所を探すことにした。




磐音が剣を学んだ佐々木玲圓道場


   

原作本より:「これ以上、血を流すこともありますまい。
お引き取り願えませんか」
磐音が種市にあくまでも丁重に誘いかけた。
「流儀は何か」
「神伝一刀流……」
田舎剣法か、種市は思った。
「神田三崎町の佐々木玲圓道場で少々」
(直心影流佐々木道場か)
種市の血相が変わった。

右:佐々木道場にて 左が道場主の玲圓、右が磐音。



    

三崎町というので水道橋の近くかと思ったら、道場は「神保小路」にあるという。
駿河台下の書店街に、幕末まで神保伯耆守の屋敷があって
これが神保町の名前の由来となった。
左の江戸切絵図でライトブルーに塗った場所が神保伯耆守の屋敷。
屋敷前が神保小路。表と裏があるが、ここは素直に表神保小路ということで。
右が現在の書店街MAP。昔の表神保小路は、今の「さくら通り」に当たる。
 






ということで、「さくら通り」にやってきた。
正面奥の細い通りが、さくら通りになる。




   

左:さくら通りの看板。
中:さくら通りに入ったところ。
大きな道路をはさんだ反対側左奥は、すずらん通り。
右:有斐閣。主に法律関係の書籍を扱っている出版社。
学生時代に「ジュリスト」を読んだことがあったっけ。
昔ジュリスト、今ジュリースト(沢田研二ファン)ってか? _(^^;)ゞ



    

で、有斐閣とその隣りの救世軍あたりが佐々木道場と推定。
右:救世軍ビルの前の「社会鍋」。まだやってるんだ、びっくり。
 



   

左:懐かしい書泉ブックマート。マンガ本はいつもここで買ってた。
中:車を取りに明大に戻った。なんか人であふれているな。
右:リバティタワーも見学の高校生でいっぱい。
今は大学にも、ゆるキャラがいる時代になったかε-(ーдー)







新選組のルーツ・牛込甲良屋敷「試衛館」


   

さて今回の第1の目的地は、天然理心流・試衛館道場跡だ。
市谷だからすぐに行けるし…と思い続けてウン十年。
近場だと、却って行くチャンスを失ってしまうのが世の常だな(-"-;)

中:多摩と江戸の新選組関連図。大石学『新選組』より。
緑の枠の「石田」が土方歳三の、「上石原」が近藤勇の生誕地。
赤枠の「牛込試衛場」が天然理心流試衛館道場。
天然理心流の創始者・近藤内蔵之助は多摩と江戸・薬研堀に道場を構え
三代目の近藤周助(勇の養父)が市谷甲良屋敷(新宿区)に試衛館を開いた。
なお道場の名称は「試衛」とだけしか記録にないので、
大石氏の上の地図では、正確を期して「試衛場」と記しているが
私は一般的に知られている「試衛館」で通すことにする。

右:地図を眺めていたら、『薄桜記』に出てくる堀部安兵衛の長屋も
近くにあることに気づいた。試衛館を探した後で行ってみよう(^^)




   

左:明大通りを御茶ノ水駅方面へ進む。
中央に見えるのは東京医科歯科大学。
中:白山通り。後楽園遊園地の観覧車が見える。
子どもの頃乗ったこの観覧車がなかなか地上に着かず
それ以来、観覧車が嫌いになった(^^;
右:外堀通り。もう新宿区だ。






江戸切絵図。ライトブルーに塗ったのが、試衛館があった牛込甲良屋敷。
ここに幕府の作事方棟梁・甲良氏の屋敷があったので
甲良屋敷という町名になった。






現在の地図。それほど地形は変わっていない。
ちょうど江戸切絵図の甲良屋敷の右上角に柳町病院がある。
この病院を目印に行ってみることにした。






地図の右方向から柳町方面へ進む。
下り坂になっているのがわかる。
以前ここらは牛込柳町と呼ばれ、大気汚染とか光化学スモッグで
悪名が高かった ちょうど車の排気ガスがたまるからだ。



    

左:甲良屋敷の角に位置する柳町病院発見。
駐車場を探す関係で病院の前を通過して、甲良屋敷の次の角を左折、
脇道を進んで3つ目の角を左折。
右:ちょうど「市谷」の「市」の字あたり、「近ドウ」「斉トウ」とか
書いてあるあたりが、「茶道具みやした」「ロジェKR」になっている。






その向かいに細い道があって、甲良屋敷の中に延びている。



   

細い路地をずっとたどっていくと…。






あった、試衛館跡の標識!



  

「試衛館(しえいかん)」跡
幕末に新選組局長として知られる近藤勇の道場「試衛館」は
市ヶ谷甲良屋敷内(現市谷柳町25番地)のこのあたりにありました。
この道場で、後に新選組の主力となる土方歳三、沖田総司などが
剣術の腕をみがいていました。
 



  

試衛館跡標識のすぐ左隣りの神社
というか、祠(ほこら)?
鳥居があるから社殿か?
 






標識と社殿のある場所から、ピンクの矢印方向に歩いて
表の道路に出た。およよ、ここも工事中。
実は事前にグーグルアースで調べたら、ちょい過去の映像があって
現在建設中の右の建物は、元は小さなコインパーキングで
試衛館跡の標識は、バイクの前の水色の○印あたりに建っていたのだ。
ということは、この新しい建物の場所こそが試衛館跡ということになる。
作業員さんたちが座っている向かいのマンションは、ハイム柳。







はいっ、こんなかんじだったのかな試衛館 
「天然理心流剣術 試衛館」の看板がかかっている。
奥にちゃんと祠もあるし。
打ち水をしているのは源さん。
後の新選組六番組組長・井上源三郎だ。
写真は、NHK大河ドラマ『新選組!』より。






門弟を指導しているのが、勇の養父・近藤周助。
この周助が天保10年(1839年)に、試衛館道場を設けた。
道場の大きさは100坪程だったという。






試衛館の門人や食客たち。
左から山南敬助(後の新選組総長)、土方歳三(副長)、井上源三郎(六番組組長)
沖田総司(一番組組長)、藤堂平助(八番組組長)




    

左:試衛館跡から道路へ出る。
右:そのすぐ横は、最初の目印の柳町病院だ。
ということは、徒歩で来る場合はわざわざグルッと
遠回りしなくても、この柳町病院の脇道に沿って行くだけで
簡単に試衛館跡へたどり着けるってわけなのね。
(・o+) アチャー。



    

病院の前を通り、牛込柳町交差点の方へ歩いていくと…。



    

左:このゆるやかな坂道が、地図に載っている「焼餅坂」。
昔このあたりで、美味しい焼餅を売っていたそうな。
試衛館ズも、この坂を歩いていたのかな(妄想)
右:午後1時を過ぎたので、近所の中華屋さん
(コーラの自販機があるところ)でラーメンを食べた。
甲良屋敷じゃなくて、コーラ屋敷?
こーらウマかったざんす(^^;
ちゅーか(中華)、まだまだ続くよ。





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