激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 秋日和お江戸散歩 その1  駿河台・明大博物館と太田姫稲荷神社
2012年11月08日 (木) | 編集 |

    

時代劇ドラマ『陽炎の辻』と『薄桜記』に登場する場所を探す、お江戸散歩。
先月は懐かしの下町・深川(江東区・墨田区)周辺をめぐったが
今回は、ちょうどオバマの再選が決まった7日に、再び東京を訪れた。
というか、深川散歩ですっかりホームシックにかかってしまい
今度は都心まで行きたいと、わがまま心が爆発してしまったのだ(^^;
 



そんなわけで、これまた都合よくドラマ(と小説)の舞台が神田や新宿周辺にも散らばっているので喜ばしいこっちゃ。で、先の2作品プラス新選組関連の場所を探すべく、千代田区駿河台の御茶ノ水駅方向へ向かうことにした。
お茶の水といえば私が幼稚園の頃から慣れ親しんだ土地で、月に1回は週末に、父が勤めていた丸の内ビジネス街や日本橋に家族で遊びに出かけ(母も結婚前まで丸の内の旧財閥系会社に勤めていた)、帰りはお茶の水の中華料理店で食事して帰るのがお決まりのコースだった。だから私の中ではお茶の水が第2の故郷、次が両国、最後が現在の場所という順位になるのだ(^o^)ゞ





    

左:前日の激しい雨の影響で霧が発生。
だけどすぐに秋日和のお天気になってよかった。
右:渋谷駅前の渋谷ヒカリエ。
 





千代田区神田駿河台で明治大学博物館を見学    





駿河台下から駅方面へ。中央に見えるのは、明大リバティタワー(元記念館)。
先月は家を出るのが遅くなって渋滞に巻き込まれたので、今回はがんばって
少しだけ早く出た。おかげで予定より早くお茶の水に到着した。ふう。






最初のお目当ては、ドラマの場所とは関係ないけど「明治大学博物館」。
昔は「刑事博物館」といって、小川町交差点の現・紫紺館にあって
次に大学会館に移り、最後にアカデミーコモンへ移転した。






昔とはずいぶん変貌してしまったので、イラストだとわかりやすい。
湯河原に来る前に大学会館内の博物館を訪れたときは
まだアカデミーコモンは建っていなかった。
ツレは新しくなった駿河台キャンパスを知らなかったので
今回来るのを楽しみにしていたらしい(^_^)




   

左:リバティータワー(駿河台校舎)。ここの地下の駐車場に車を置いた。
ちょうどタワーが建ってすぐの頃、ゼミの教授の退任記念講演を聴きにきたっけ。
由緒ある丸ドームの記念館を壊してこんな巨大タワーにするなんて…と
ちょっと憤慨したけど、けっこうSFチックでいいかもね。
近くに来たときの休憩場所にはもってこいだし。
中と右:リバティタワー23階の窓から小石川後楽園方面を眺める。
17階のスカイラウンジ暁(学生食堂)でお茶でも飲もうかと思ったら
時間が早すぎてまだオープンしてなかった。残念。




    

生涯教育の拠点アカデミーコモン。11階建てらしい。
ここに入るのは初めてだ。
 



    

左:ちょっと江ノ島水族館っぽい入り口(^^;
右:阿久悠記念館もここにあるんだ。ふ~ん。
 


  

左:地下1階の大学史展示室。ミュージアムショップもある。
右:地下2階は常設展示室。商品・刑事・考古学の3部門。
ここは商品部門の展示ブース。
漆器、染色品、陶磁器などの伝統的手工業製品の製造工程や
意匠の種別などを見ることができる。
BS時代劇『新選組血風録』や『薄桜記』にも出てくる
武士の着物の模様である江戸小紋の型紙や
数多くのデザインが興味深かった。
 
 





ここからが、お目当ての刑事部門ブース。
引越しのたびに内容が充実していくようだ。
「日本の罪と罰」では、時間軸に沿ってさまざまな法が展示されている。
架かっている板札は、高札場に掲げられた高札(幕府の法令や禁令)。






有名な「生類憐み令 しょうるいあわれみれい」
【江戸幕府5代将軍の徳川綱吉が発令した動物愛護の法令。
違反者は厳しく処罰され、庶民を苦しめた悪法だった。】
   ↓
というのが従来の見方だったが、最近では犬だけでなく
捨て牛馬、鳥殺生、鷹狩りの禁止から捨て子や捨て老人の禁止まで
まさにすべての生類の愛護と福祉に及ぶ複数の法令であったことが
わかってきた。しかし罰則も次第に厳しくなっていったため
綱吉の死後、すぐにこの法令は撤回された。
だが綱吉の愛護精神はその後も生き続け、江戸の人々は犬猫や
その他の動物を大切に育てるようになったという。




   

左:「武家諸法度」
【大名統制法。城の修理制限、参勤交代などを定め、将軍の代替わりに
大名に読み聞かせ、違反者は厳罰に処した。】
中:「甲州法度之次第」 武田信玄が制定した。26条。
右:「御成敗式目」 鎌倉幕府の基本法。51条。



   

左:「憲法義解稿本 けんぽうぎげこうほん」
【明治22年(1889)2月11日発布、翌年11月29日施行の
大日本帝国憲法を解説した「憲法義解」の元になった本。】
中:「大日本帝国憲法(官報)」
【明治22年(1889)2月11日付け官報の号外。
この日に公布された大日本帝国憲法を菊の紋章入りで掲載する。】
右:「刑法草案」
【新律綱領、改定律令にかわる近代的刑法の作成過程で、
司法省に提出された草案の一つ。明治10年(1877)11月。】






こんな具合に陳列展示されている。



    

「江戸の捕者(とりもの)」「牢問と裁き」
江戸時代の牢問とは、苔打(むちうち)、石抱(いしだき)、海老責(えびぜめ)のこと。
釣責(つるしぜめ)を拷問と呼んだ。
こうした牢問や拷問で自白を強要したわけで、冤罪も少なくなかっただろう。
明治12年に拷問は廃止された。しかしながら「拷問は完全消滅したのだろうか」
と説明書きにもあるように、現在もなお自白の強要で冤罪事件はあとを絶たない。
右:江戸の捕り物。御用提灯が架かっている。
 


   

左:時代劇でおなじみの十手。
中:分銅付縄と呼子笛、鉤縄、カラフルな捕縄(とりなわ)。
【江戸時代、人の体に捕縄を打つことは、神意に基づく行為と考えられ
四季に応じ五色の縄を使い分けた。】
右:武器二百図
【戦場で使用した道具、陣の構え方などを図解する。
捕縄、十手、鉄棒、寄棒などの捕者道具が描かれている。】



    

左:石抱。「カムイ伝」によく出てきた牢問の一つ(^^;
右:踏み絵。
 



  

左:手鎖(てじょう)。風俗を乱す本を書いた作家や、密通した女に科した刑。
不義密通を犯した女性は手鎖を科して親元で謹慎させた。庶民に科した刑。
右:鋸引仕置(のこぎりびきしおき)。
主人を殺した者は、日本橋南側の晒し場で
土中に埋めた木箱に入れ、人目に晒した。
 
 





鞍止坂(暗闇坂)刑場の磔写真と、同刑場の獄門写真。
左の旗には、武州多摩郡国分寺村の農民・増吉が酒乱の上暴力を振るうので
妻きくと2人の娘たちが増吉の食事に石見銀山(殺鼠剤)を入れて殺害。
よって3人を梟首(獄門)にしたと書いてある。



   

左:磔刑。これもよく「カムイ伝」に描かれていた。
中:火罪木(かざいき)
【放火犯を柱や竹に縄で縛りつけ、姿が隠れるくらい薪などを積み上げ
火あぶりにした。明治元年(1868)廃止。】
右:絞首台(模型)。死刑囚の苦痛を緩和するため、明治6年(1873)
改定律例で絞首法が定められた。階段のついた絞首台となった。
明治3~6年までは絞罪柱での死刑が行われていたが、苦痛がひどく
問題とされたからだ。






これも有名な「ニュルンベルクの鉄の処女」。
【中世ドイツの拷問・処刑具。内側に針が取りつけられ、
人を閉じ込め扉を閉めると、針が体を刺しつらぬいた。】
小学生のときに学習雑誌に載ったこの鉄の処女を知り
閉まった扉の下から血が染み出していく様子を想像して
夢にまで見た恐怖を覚えている。




    

左:鉄の処女の内部。
右:ギロチン。
鉄の処女とギロチンは、日本で唯一ここだけの展示資料である。
 





ここからは考古部門のブース。






雨滝遺跡(岩手県二戸市)のミニチュア土器。
思わず手に取りたくなるほど精巧で可愛い土器
縄文時代草創期からみられ、中期以降に盛んになった。
用途の推定は難しいが、副葬品や子どもの玩具の可能性も指摘されている。




    

銅鐸
【銅鐸とは何か  弥生時代に近畿地方を中心に製作・使用された
青銅器の一つが銅鐸だ。もとは家畜などにつける鈴(れい)で、
日本列島で独特に発達して祭りで使われる楽器となったが、
やがて音を出す機能を失い儀器化する。
銅鐸には神が宿ると観念されていたらしく、
使用が終了すると地中に埋納された。】
 


    

左:黒曜石の原石と東京で発掘された各種石器。
長野に黒曜石の原産地があり、東京の神田川流域にその原石が
供給されて石器作りがされたらしい。
右:ミュージアムショップの隣りにある「阿久悠記念館」も
ちょっとのぞいてみた。ここは撮影禁止なので、パンフの一部をアップ。
しかしずいぶんと精力的に仕事をした人だったんだなと改めて感心した。
 



    

さすがに疲れたので、1階のダイニングカフェ「カフェパンセ」でお茶した。
学生が運営しているようで、とてもオシャレなカフェ。
一般のお客も多く、メニューも豊富だ。

 












豊後関前藩上屋敷はどこ?    





さてひとしきり学生時代の思い出に浸ったあとで、『陽炎の辻』の
主人公・坂崎磐音の故郷、豊後関前(ぶんごせきまえ 架空の地^^;)の
江戸藩邸の場所を探してみることにした。
ちなみに磐音は、関前藩中老の長子である。
最初はリバティタワーの場所が上屋敷だと思ったのだが、
どうももう1~2ブロック先のようだ。






これがドラマの中の関前藩江戸上屋敷。




    

左:本の街・駿河台には大小の出版社がある。
中央奥左側の白水社は、フランス文学の出版で有名。
私の叔母も以前、ここに勤めていた。
右:紫紺館の前を通ってしばらく歩くと、太田姫稲荷神社があった。
江戸城を築いた太田道灌が創建した神社で、駿河台の鎮守でもある。
 





場所的にも、ここが「豊後関前藩上屋敷」と認定。
あくまで架空設定だけど…ね
江戸の開祖である太田道灌の娘が疱瘡(天然痘)に罹った時に
京都の一口(いもあらい)稲荷神社の神に祈ったところ
全快したので、道灌は江戸城本丸に太田姫稲荷神社を創建。
のちに西丸の鬼門に当たる神田駿河台東側の大坂
(一口坂 いもあらいざか または淡路坂)に移した。
ちょうど現在の御茶ノ水駅の場所にあたり
その後、総武線建設により、昭和6年にここへ移転した。



   

左:境内
中:境内にある金山神社。
湯河原の鍛冶屋にある謎の金山神社と同じ
金山彦命・金山姫命がご祭神だ。
徳川幕府の金座の守護神。
もともとは金属の守護神で、ルーツは同じだ。






おまけ:明大裏にあるレストラン・アミ。
現在はパブレストランになっているが、
当時はゼミやサークルの学生の御用達レストラン。
お皿に盛ったご飯の上に豚のしょうが焼き、もやし、
昆布の佃煮、紅しょうがが乗った一品が有名で
よく昼食に食べていた。


というわけで、その2に続きます





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