激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 9月の目標?
2012年09月01日 (土) | 編集 |

ときは早9月。そして久しぶりの雨にホッと心がなごむ。
といっても、これが集中豪雨になれば、今度は早く天気になってほしいと願う
んだから、人間って勝手だ。


さて、その日その日を無事に生き抜くことで必死だった(ーдー)8月が終わり、
買ったはいいが、もうまったくページを開くこともできなかった数冊の本を読み進める
のが、この秋の目標だ。なんかちっぽけな目標だな。

歴史学者の久留島浩氏には、まだ千葉大の助教授の頃、市民セミナー(一応私が代表)で
古代から現代までの天皇制について、詳細に講義していただいた。
久留島氏の本を入手するのはなかなか難しいが、偶然選んだ下記の『支配をささえる人々』
は、帯にもあるように、町人代官・在地代官・庄屋・牧士・代官手代・八王子千人同心・
御用宿といった、支配する側の周縁に位置する人々の研究から、今なお「士農工商」
あるいは「士農工商えた非人」という固定化した通念で語られる近世の身分と身分制を
とらえ直し、新しい近世史の全体像を提示するものである。

私が常々主張している幕末維新史の見直しと同じだ。
特に、とかく「百姓出身」が強調して語られる新選組と、新選組を支えた八王子千人同心、
庄屋(名主)と本陣宿を兼任した土方歳三の義兄・佐藤彦五郎、彦五郎と歳三ともつながりの
深い韮山の江川代官、多摩の野馬(鷹も)の管理とのかかわりがあるのではないかとされる
近藤勇の実家・宮川家→牧士(まきし)?などの真相に大きく迫れるかもしれない。


そんなわけで、少しずつでもページを読み進めていきたい。
右の新書は、土方家ともかかわりの深い戦国時代の小田原北条氏の滝山城と八王子城
について。本文37ページにこういう記述がある。
【氏照の時代にはまだまだ家臣たちの城下への集住が進んでいなかった。たとえば現在の八王子市のとなり、日野市辺りの地侍集団三沢衆は、合戦に備えてわざわざ滝山城下まで定期的に出向き、いざというときのために着倒(出陣準備と武器の点検)の練習を行っていたようだ。天正8年(1580)に、土方与三郎以下の三沢衆が「滝山宿」に陣取るように指示された。この「滝山宿」とは滝山城大手口に近い「ソマジュク」や「ナガジュク」を合わせた総称であって、防御を施した城下であった。】

土方家はもともと日野・三沢の地侍集団の長であり、滝山城や八王子城の攻防に
当たっていた。だから時代劇で連発される「多摩の百姓」「武士になりたい」といった
フレーズを聞くたびに強い違和感を感じてしまう。
しかし、政治も行政もでたらめ、司法もでたらめに加えて歴史もでたらめでは、いったい
この国の何を信じたらよいのやら、まったく困ったもんだわ











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