激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


 BS時代劇『薄桜記』第1回を観た
2012年07月16日 (月) | 編集 |




五味康祐(ごみ・やすすけ)の原作本
けっこう厚みがある。本文669ページ。
ポスターにも使われている、はかなげな表情の帯写真がよい。








原作には文芸評論家、故・尾崎秀樹(ほつき)の解説文が載っている。

【『薄桜記』は昭和33年7月21日より、翌34年4月17日まで、
『産経新聞』の夕刊に、岩田専太郎の挿絵と共に掲載されたが、
連載のはじまるまえ作者は次のように書いた。
「吉良の附け人にやむなくさせられた丹下典膳の史料は余り一般に知られていない。
典膳は隻腕の剣客で、義士討入に際して赤穂浪士にもっとも怖れられた人物である。
隻手の遣い手だったことから、名をもじって丹下左膳などと無頼の徒のモデルに
されてしまったが、人間的にももう少し出来た男だったように思う。
典膳はまた、江戸小石川中天神下の堀内道場で中山安兵衛と同門だった。
そんなことから、親友安兵衛のために殉じた剣客の悲劇を赤穂義挙の裏話として
書いてゆきたいと思う」】

【丹下典膳という名前は、チャンバラ小説ファンにはなつかしい姓氏と名前から
合成されている。「姓は丹下、名は左膳」の「丹下」と、剣の自由人『鞍馬天狗』の
本名「倉田典膳」の「典膳」だ。ほうきのようなあかちゃけた毛を大たぶさに結い
あげた片眼片腕の怪剣士は、林不忘の手で大岡政談余聞として登場し、川口松太郎に
よって千葉周作道場のホープとされ、一転して五味康祐のペンの冴えにつれ、
またまた忠臣蔵異説の花をさかせる。享保から嘉永にとび、さらに元禄へさかのぼる
丹下左膳こと典膳の神出鬼没ぶりは、文字どおり超人の名をはずかしめない。】

【それにしてもこの『薄桜記』はニヒル剣士の系譜に重要な一ページをきざむ丹下先生と、
昏い影を片鱗もとどめぬカッタツな安兵衛氏の対照をとおして、大衆文学のヒーローの
タイプを二大別するふたつの流れをロマンのなかに盛りこもうとした野心作で、それだけ
剣のスーパーマンたちを掌中に自在にあやつり得た五味康祐氏の空想力は、彼らふたりを
うわまわるペン豪の意気をそなえたものといわなくてはなるまい。】

とまあ、この解説によって主人公の名前と隻腕の謎がストンと納得できたわけで(^-^;
時代を越えても色あせることのない大衆人気小説の醍醐味の秘密を垣間見た思いがした。









でこちらは、ドラマ・オリジナルのファンサービス・シーン(脚本はジェームス三木)。

知行三百石の旗本・丹下典膳に、吉良上野介のはからいで、上杉家の江戸留守居役
長尾権兵衛の娘・千春との縁談話が持ち上がった。
その話を伝えにきた伯母方の婿で火元御番頭の後藤七左衛門と典膳の会話。

七左衛門:懇ろな女がおるなら、今すぐ別れよ。
典膳:まるでおりません。
七左衛門:(典膳の近くに擦り寄ってきて)すると…。
典膳:は?
七左衛門:(典膳の耳元で)男が好きとか?
典膳:(大爆笑して)ご勘弁を。









上のお笑い会話シーンは、もちろん大河ドラマ『平清盛』で
山本が好演した男色家の貴族・藤原頼長のエピソードをもじったものだ(^^;
さすが視聴者サービス、ばっちりだこと。
ちなみにこの『薄桜記』が始まったのが、2012年7月13日。
保元の乱で頼長の首に流れ矢がささったのが、保元元年(1156年)7月11日。
13日に奈良の父・忠実の館にたどり着くが拒まれ、翌朝死去。
実に856年の時を経て、頼長は典膳に転生したのだった。
って、SF時代劇か?







スポンサーサイト


コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック






上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。