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激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 湯河原・城願寺とビャクシンの巨木
2011年11月14日 (月) | 編集 |

■午後から奥湯河原の紅葉の様子を見に行ったが、まだほとんど色づいて
おらず、あと1週間から10日くらいかかるようだ。
また今年は気温が高い日が続き、その合い間に突然寒さが来たりといつになく
変則的な気候だったため、紅葉する前に立ち枯れてしまった木々も多い。


■そんなわけで、山の方はあきらめて、駅の裏手にある城願寺に行ってみた。
800年前に創建された城願寺は湯河原の土豪・土肥(どい)一族の菩提寺で、
うちの先祖は、源頼朝の庇護に力を尽くしたこの土肥実平(どいさねひら)の
一の家臣だったそうだ。
土肥というのは、湯河原の古称でもある。







城願寺の山門。




    

山門脇の仁王像。
 






山門をあがったところにあるビャクシンの大木。
ねじくれた幹がみごとだが、あまりに大きすぎて
全体をうまく写せるポイントがない。
私のお気に入りの巨樹の一つでもある。




    

いつのまにやら説明書きが建っていた(^^;
城願寺のビャクシン(別名イブキ ヒノキ科)は
土肥実平のお手植えの木で、国の天然記念物に指定されており、
「かながわの名木100選」の一つでもある。
樹齢800年、幹まわりは6メートル、高さは20メートル。
 






本堂。
町指定文化財の土肥実平と息子・遠平の木像がある。
土肥一族はその後、安芸(現在の広島)に勢力を移し
小早川の名を名乗るようになったという。







本堂の方角から振り返って見る。







ビャクシンのそばにある「七騎堂」。
伊豆に流された頼朝は小田原の石橋山で源氏再興の旗揚げをしたが
平氏軍と戦って破れ、土肥(湯河原)の山中の洞窟(しとどの窟)に身を隠した。
土肥実平は頼朝をかくまい、共に房州へ逃げ延びた。
このときの主従七騎を「頼朝七騎」と呼ぶ。
なんか、土方家が棟梁だった「三沢十騎衆」みたいね^_^;
そして頼朝七騎の像が、このお堂に安置されているという。




    

左:謡曲「七騎落ち」と城願寺の関係の説明。
右:地元の俳人・力石郷水の句碑
「頼朝の陣立石や飛火落花」
 



    

高貴な方々の足跡も。
 






土肥一族の墓所はこちら。
神奈川県指定史跡。







おおっ、箱根・早雲寺の北条一族の墓所みたいな作りではないか。







説明書きより
「城願寺左方の広さが10坪ほどの土肥氏一族の墓所には、66基の墓石があり
嘉元2年(1304年)7月の銘のある五層の鎌倉様式の重層塔や、永和元年
(1375年)6月の銘のある宝筺印塔(ほうきょいんとう)をはじめ、塔身が
球形をした五輪塔などの各種の墓型が揃っています。
このように一墓所に各種の墓型がそろっているのが見られるのは、
関東地方ではめずらしく貴重なものです。」








城願寺墓地から海を臨む。
左に見えるのは真鶴半島。







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