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激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 戦国武将・小田原北条氏の足跡をたずねて ~湯河原 瑞応寺・金山堂~
2011年09月23日 (金) | 編集 |

■今日も今日とて台風の後片づけに追われる
道路も渋滞しているようだ。
うれしいことに、常連の猫たちも徐々に姿を現すようになった。
トラ、チャチャ、ラッキー、マル。
そしてなかなか来ないので心配していた斑目キンちゃんも
お昼過ぎにエサを食べにやってきた。ふう、よかった


■で、昨日の続きなど…。
9月8日に五郎神社へ行って、台風がやって来る前日の20日に再び
五郎神社の近くにある瑞応寺をたずねた。







謎の湯河原・瑞応寺





このお寺の何が謎めいているかというと
まず五郎神社のそばにあること。お寺の場所は「鍛冶屋中央」。
そして黄檗宗(おうばくしゅう)という、禅宗の中でも珍しい宗派であること。
だけど最も怪しいのは、私の連れ合いの祖母の兄弟のお寺だったということ
お寺の名前を書いた「正典」さんという人も、だから親戚だそうで…。わはは。







山門。







本堂。




    

左:怪しいお堂が。
右:お堂の中にはギョロ目の「おびんずるさま」。
十六羅漢の一人の仏様で、病気が治ったり罹らなかったりで
崇高されていると説明書きにある。
 


    

左:瑞応寺から鍛冶屋地区を眺める。
お寺の若いお坊さんに、五郎神社と鍛冶、北条氏の係わりについてたずねてみた。
すると古い歴史は失われてはっきりしたことはわからないし、
北条氏との関係についても諸説あって、どれも真偽を断定できないという。
ただ鍛冶屋と製鉄のつながりについては、五郎神社の他に
この近くの金山堂というお堂に手がかりが残されているそうだ。
そして金山堂の御神体も金山彦命とのこと。
右:瑞応寺から下っていくと、すぐ右手になにやら茂みが。
 





そして金山堂へ





あった、金山堂。
なんか多摩の石田の、土方一族の稲荷がある「とうかん森」を思い出した。
雰囲気が似てるかも。





    

お堂の前の石碑。
施主は柏木氏。「安政」の文字が刻まれている。
安政年間(1854~59)といえば、
前年にペリーの黒船が浦賀に来航した、そんな時代だ。
59年には安政の大獄が起こり、翌年60年は桜田門外の変。
ちなみに文久3年(1863)には、のちに新選組となる浪士組一行が
京に上り、翌年の元治元年(1864)に池田屋事件が起きた。
 



    

石仏や供養塔。
 





上の長押の古い彫り物と、あとから建てた下のバラック造りがちぐはぐな感じだ。
鍵がかかっているから、お寺の人が隙間からのぞいてねって言ってたので…。






のぞいてみた(^^;
これが御神体の金山彦命。






テーブルの裏に「金山講中(かなやまこうじゅう)」の字が見える。
鍛冶屋に住む人々は、江戸時代からこうした講中を作っていたようだ。
デジタル大辞泉によると、講中とは
1.講を作って神仏にもうでたり、祭りに参加したりする信仰者の集まり。
2.頼母子講(たのもしこう)・無尽講などの仲間。

古老の言い伝えでは、湯河原鍛冶屋集落における製鉄は鉄鉱石を原料にしていたとか。
鍛冶屋集落の脇を流れる新崎川の上流、幕山のさらに北にある大石ヶ平あたりが
採掘場だったのではないかと推測される。





■う~ん、鍛冶だの金山つながりで、史実が抹消されてしまったとはいえ
その昔、湯河原で製鉄が行われていたのは確かだろう。
ここに北条氏がどうかかわっていたのか、また刀鍛冶の岡崎五郎正宗は?
と謎は一層深まるばかりだ。
また瑞応寺もこれらと深く関係しているはずで、叩けばもっと何やら出て
くるかもしれない(^-^;

次回は再び小田原城と箱根の早雲寺紀行を記してみたい。





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