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激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 BS時代劇『アテルイ伝』 アテルイら蝦夷(えみし)の中心は胆沢地方
2013年01月10日 (木) | 編集 |





明日11日から、NHK「BS時代劇」で『火怨・北の英雄 アテルイ伝』が始まる。
最初このタイトルを見たときは、アテルイって誰?と思ったが、そういえば東北古代史の
本を持っていたなと本棚を探すと、工藤雅樹・著『蝦夷(えみし)の古代史』が出てきた。
以前、幕末の蝦夷共和国について調べる際に参考文献として購入した1冊で、最初の
部分と後半のアイヌとの関連部分だけ読んで、肝心の真ん中は読み飛ばしたままだった。
でその真ん中部分を見ると、ちゃんと大墓君阿弖流為(おおばかのきみあてるい)や
盤具君母礼(いわぐのきみもれ)、坂上田村麻呂の名前があった。(;^_^A


番組の第1回目の説明は…
【奈良時代末期、東北には「蝦夷」と呼ばれた一族が暮らしていた。日本全土を支配下におさめようとする大和朝廷の手が、東北にも伸びてきた。胆沢(現在の岩手県奥州市)の族長の息子、阿弖流為(大沢たかお)は、ヤマトに連れ去られた妹・阿佐斗(高梨臨)を奪還すべく、元は蝦夷でありながら今はヤマト側についている呰麻呂(大杉漣)や母礼(北村一輝)とともに、ヤマトの拠点である多賀城を襲撃し、火をかける。】


『蝦夷の古代史』のカバーには、こうある。
【古代の東北北部、そこは蝦夷と呼ばれる人びとの天地だった。縄文人の子孫として独自の文化を培っていた彼らはどのような民族だったのか。大和、京都の政権に抵抗を続けた蝦夷たちの歴史を古墳時代から平安末期までたどり、その社会や文化、アイヌとの関わりなどに光を当てる。北の大地に生きた人びとの軌跡を通して、明らかになる日本史の真実。】

現在は蝦夷を「エゾ」と読むが、この本によると平安時代末期近くまでは「エミシ」と
読んだという。そして「エミシ」の古い漢字表記は「毛人」であり、「蝦夷」の字が
当てられたのは7世紀半ば頃だった。
【はじめに「エミシ」という古語があり、それに対してはじめのうちは「毛人」という漢字をあてたのであるが、次の段階になると「蝦夷」と記すようになり、最終的には「蝦夷」の読みが「エミシ」から「エゾ」に変わったということになる。】

【「エミシ」という語のもともとの厳密な意味はもはや知りえない。だが神武紀の歌謡の内容から推し量ると、「エミシ」という語には「強く、恐ろしく、かつ畏敬すべき人たち」というニュアンスがあったと考えられる。「エミシ」を毛人と記すようになった飛鳥時代や奈良時代の中央の有力者のなかにも、蘇我毛人(そがのえみし 蘇我馬子の子、大化の改新で倒された曽我入鹿の父で、舒明・皇極期の大臣)、小野毛人(おののえみし 遣隋使であった小野妹子の子)、佐伯今毛人(さえきのいまえみし 東大寺の造営に活躍)など、多くの「エミシ」という名前の人物が存在することからも、もともとは「エミシ」という語は蔑称ではなく、中央貴族の名前としてもふさわしい語義だったことが推測できる。】



その昔、山岸凉子のマンガ『日出処の天子』を読んで、登場人物の一人の蘇我蝦夷
(毛人)が貴人でありながら、なぜエミシという名前なのか長らく疑問に思っていたが、
ひょんなことから謎が解けた(^-^)

で時代が下って、天皇に対する異族の意味で「蝦夷」という表記が考え出された。
エミ=鰕(エビ、エミ)から、虫へんの「蝦」になったのだ。

話は長くなるが、藤原仲麻呂、道鏡の時代を経て(ここらへんも別のドラマで観たので
次の機会に紹介することにして)、いよいよ桓武天皇の時代に入り、政府軍と蝦夷側の
武力対決も大きなものになっていく。

上のドラマ紹介に「胆沢(現在の岩手県奥州市)の族長の息子、阿弖流為」とあるが、
『蝦夷の古代史』にも「次第に、政府に敵対する蝦夷の中心は胆沢地方であることが
はっきりしてくるのである。」との記述がある。


この胆沢とは、現在の岩手県奥州市水沢区付近のこと。
かつては水沢市といった。
水沢といえば、小沢一郎氏の本籍地でもある。
うーん、なかなかに因縁ぶかいなあ(~_~)
小沢一郎は現代の阿弖流為なのかもしれない。なんちゃって。






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