

日本瓦解へ向けて、地獄への逆落としが始まる。
16日の衆院選の結果を見て、幕末の戊辰戦争の再来だと思った。
またしても長州新政府にしてやられたわけだ。
そして敗北した日本未来の党も、権力闘争のゴタゴタで分党という
結末を迎えた。

写真:共同通信
記者会見で、分党に踏み切る考えを示す日本未来の党の嘉田代表
=26日午後、滋賀県庁

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012122601001832.html
日本未来、年内にも分党 嘉田氏と小沢系対立激化
日本未来の党の嘉田由紀子代表(滋賀県知事)は26日、県庁で記者会見し、年内にも分党に踏み切る考えを示した。小沢一郎元民主党代表の処遇をめぐって小沢系議員と嘉田氏との対立が激化していたほか、主要メンバーの亀井静香元金融担当相が同日離党を表明するなど混迷を深めており、結党1カ月で分裂する展開となった。
嘉田氏は、自身と社民党政審会長を務めた阿部知子衆院議員を共同代表とする「人事案が認められなかったことが最大の原因」と語った。「阿部氏との共同代表で日本未来は継続させる」と強調。小沢氏側から26日朝、分党の申し出があったと明かした。(共同)

今は存在しないかつての民社党が社会党とくっついて左派と右派に分裂し
社会党本体をも崩壊させた。その連中が社民党と民主党へ散らばって、また内部
から食い荒らし、今度はついに未来の党も壊してしまった。
仙谷―阿部ライン恐るべし。まるで幕末の尊攘激派みたいだな。

鳥羽伏見の戦いで幕府軍は敗退し、江戸城が新政府軍に明け渡された。
捕縛された近藤勇に代わって新選組を率いる土方歳三は、国府台(こうのだい・
現在の千葉県市川市)で旧幕臣の大鳥圭介、会津の秋月登之助、桑名の立見鑑三郎ら
3000人と合流。先鋒隊となった土方軍は宇都宮城を落城させるなどして会津へ向かい
一方大鳥軍は日光での決戦を断念して、これもまた会津へ向かった。
宇都宮戦で負傷した土方に代わり、今度は斎藤一が新選組を率いて白河戦争で奮闘する
が、多勢の新政府軍の攻撃に旧幕府軍と共に敗れ、会津軍は若松城に籠城した。
新選組は斎藤に代わり、島田魁が率いることになった。
一方勢いに乗る新政府軍は、東北の奥羽諸藩に徳川慶喜と会津藩・庄内藩の討伐令を
出した。これに対して奥羽25藩は越後6藩と手を結び、仙台藩を盟主とした「奥羽越
列藩同盟」を結成した。このあたりのことを、歴史学者の大石学氏が著書『新選組』の中で
詳しく検証しているので引用する。
攻守同盟へと性格が変わる閏4月20日前後、仙台藩は総督府擁立、薩長兵追放、江戸奪還などを目的としていた。すなわち、江戸を含む関東・信州を勢力範囲とし、さらに加賀・紀伊と連帯し、西南諸藩の有志とも結んで、新政府を揺さぶろうとした。旧幕臣やフランス・アメリカ・ロシアなど諸外国との協力関係も想定している。新政府に対抗する奥州政権、東日本政権とも呼ぶべき権力組織を構想していた。その後同盟軍側の戦況不利と仙台盟主問題の内紛が起こったため、当時会津滞在中の輪王寺宮を迎え、7月13日の宮の白石移動を契機に新たな体制を整備した。 (略) こうして明らかに京都政権に対抗する、奥羽政権としての意識と実態を持つ同盟が成立したのである。

この時、徳川家海軍副総裁の榎本武揚は艦隊を率いて仙台に入り、怪我から回復した土方も
仙台城の列藩同盟軍議に参加した。
榎本武揚は土方を総督に推薦した。列藩諸藩もこれを了承した。(略) そして榎本が土方に、総督就任と福島への出陣を依頼すると、土方は、引き受けるにあたっては、軍令を厳しくすること、これを破るものは大藩の家老であっても土方自らが斬ること、最終的に生殺与奪権を総督が握ることを条件とすると答えたのである。諸藩は、「云うにや及ぶ。生殺与奪の権のごときは従来惣督の二字に附着したるものであります。それゆえ総督を御依頼申さん以上は無論、生殺与奪の権をも与え申すのでござる」と、生殺与奪権は総督が握るのが当然と、土方の条件を認める発言をした。しかし(二本松藩士の)安部井磐根は、「生殺与奪の権は藩主(丹羽)左京太夫に決を取った上でなければ、いかんの御答えに及び兼ねる」と、藩主の裁断がないと返答できないと述べたという。
一方、「二本松藩史」によれば、榎本武揚は、土方を将とすれば敵軍を倒すことは難しいことではないと述べ、土方を招いて着座させた。土方は颯爽として、もし自分に生殺与奪権を与えてくれるならば、将軍の地位に就く覚悟と述べた。みな土方を推薦しようとしたとき、末席の安部井磐根は主君は小臣を会議に参加させており、他人に生殺与奪権を与えると命じたわけではないと述べると、みな黙った。土方は憮然としてその場を去ったという。
この議論の結果、土方の総督(将軍)就任は否定されたのである。しかし、奥羽越列藩同盟が統一軍の指揮権を一元化しようとしたことは注目される。もし、土方の主張が通ったならば、軍事的側面において諸藩の家老までが土方の指揮下に入ることになったのである。そして、この土方の論理は、京都における新選組の組織化・規律化の方針を一気に拡大強化したものといえる。土方は厳しい規律をもって、奥羽越列藩同盟の軍事力を強化しようとしたのであった。
これが奥羽越列藩同盟の分岐点であった。その後秋田藩が仙台藩の使節を殺害して同盟を裏切るなど、同盟から脱落する藩が続出する。仙台藩の藩論も急変し恭順となり、列藩同盟は瓦解していくのである。

わからんちんがイチャモンをつけたおかげで同盟が分裂し、大きなチャンスを逸してしまった。
本当に残念でならない。この後、仙台藩と会津藩は降伏し、榎本・大鳥・土方は艦隊で
蝦夷地(北海道)へ向かい、桑名、備中松山、唐津の藩士たちも新たに新選組に加入して
共に蝦夷地へ渡った。
この地で彼らは、アメリカ合衆国の制度に倣って、選挙で箱館新政府の役職者を選出した。
土方歳三は身分の高い幕臣たちに混じって、6位という得票を得た。
彼は榎本を総裁(大統領)とする箱館政府の、陸軍副大臣兼裁判所長官に就任したのだ。
しかし常勝将軍・土方の奮戦もむなしく、新政府軍の箱館総攻撃で土方は戦死。
ついに戊辰戦争は終結し、箱館政府と新選組の歴史も幕を閉じたのだった。

土方家、そして新選組隊士の子孫たちはやがて多摩の自由民権運動の中心的存在となり、
優れて開明的な憲法草案も作った。現在の日本国憲法の中にもその精神が脈々と流れて
いるのである。
歴史は繰り返すというが、どこでその負の連鎖を断ち切って反転攻勢に出るか、そのためにも
過去の歴史を正しく学び取っていく必要があるだろう。



誰もが使える検出薬なので、できるだけ早く実用化してもらいたいものだ。


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121220/k10014336441000.html
セシウム発光させる検出薬を開発
原発事故で広がった放射性セシウムを光らせ、汚染の状況を目で見て確認できる新たな検出薬を茨城県つくば市の研究機関が開発し、除染作業が効率化できると期待されています。
検出薬を開発したのは、つくば市にある独立行政法人「物質・材料研究機構」の森泰蔵研究員のチームです。開発された検出薬は、セシウムイオンを取り込むと発光する性質があり、セシウムが付着した紙に吹きつけて紫外線ランプを当てると、緑色に光ります。研究チームによりますと、1キログラム当たり1000ベクレル以上の放射性セシウムなら、肉眼で確認できるということです。
目に見えない放射性セシウムを見えるようにするこの検出薬は、各地で進められている除染作業を効率化できると期待されています。
森研究員は「家の屋根や道路のアスファルトなど、光っているところを除染すれば安心につながっていくと考えています」と話しています。


自民党応援団の米国・官僚・財界・マスコミ総がかりのメディアスクラムに
よって焦点ぼかしをされ、リベラル派は分断されたまま敗北という結果に至った。
しかし自らの意思で脱原発へと立ち上がった市民の力は、誰も削ぐことはできない。
そしてこの大きな民意を実現させるためにも、信頼に足る政治家や学者、
ジャーナリストたちとこれからも共闘していくことが必要だ。

東京新聞 12月22日より
毎週金曜日の夜、政府に原発廃止を求める「官邸前デモ」が二十一日、
衆院選後に初めて行われた。民主党に圧勝した自民党の安倍晋三総裁は
この日、早くも原発の新設に前向きな姿勢を表明。デモの参加者からは
「ここで負けるわけにはいかない」と、新政権になっても訴え続ける
決意が聞かれた。 (中山高志)

このコラムも東京新聞より。
民間の知恵と力を結集してがんばろう!


「世界が滅亡する」と噂されてきたが、またもや期待を裏切って

無事に一日が過ぎ行きそうだ(^^;
どこの新聞かは忘れたが、こんなコメントが載っていた。
【マヤ文明に詳しい茨城大学・青山和夫教授:「マヤ文明のいかなる碑文にも
世界終末というのは記されていない。ちょうど21日で約5126年の(暦が)
一巡して、また新たな時代が始まるということ」】

が発表した「全国地震動予測地図」2012年版である。
こんな国土丸ごと地震の巣窟である日本で、原発再稼動どころか新設まで
考えている自民党政権が圧勝したなんて、まったく悪夢でしかない。
終末を迎えるのは、マヤではなく日本だったという笑えないオチにならぬよう
これからの政治の動きを監視していかなければならない。

地震調査研究推進本部の図より
http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/index.html

http://www.47news.jp/CN/201212/CN2012122101001522.html
関東で大地震の確率上昇 30年以内の震度6弱以上
政府の地震調査委員会は21日、今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率を地図上で示す「全国地震動予測地図」の2012年版を発表した。東日本大震災を受けた最新の研究結果を盛り込み、前回の10年版と比べ、水戸市で31ポイント増となるなど、関東地方で上昇が目立った。
調査委は「茨城沖などでこれまでに知られていない大きな地震の可能性を考慮した」と説明している。
大震災前は「一部地域で震度が大幅な過小評価になっていた」との反省を込め、次回以降、過去に起きた地震の規模にとらわれない想定も検討するなど作成方法の見直しをする方針も示した。


ことについて翌日17日のワールドニュースで報じていたので、オーストラリアと
米国のテレビの反応を以下に記しておく。
オーストラリア
テレビのキャスターはまず、石原に対する懸念を語った。
石原の言動は日本のビジネス界に大きな懸念を巻き起こし、中国関係の悪化を招いた…と。
衆院選の結果に関しては、日本の国民が自民党にお墨付きを与えたのではない。
選択肢がなく、仕方なく自民党を選んだ。中国はオーストラリアにとって第1の貿易国で、
日本は第2だ。日中の関係が悪化するのは問題である。
日本のエネルギー政策、原発についてはオーストラリア人も興味を持っている。
さらに安倍に正しい経済政策ができるのか、自民党が野党という気持ちから脱却できるのか
という点に関しても興味を持って見守っていると語った。
アメリカ
日本が最も信頼できる友好国と位置づけている米国の見方は、さらに辛辣だった。
まずキャスターは、米国で低下する一方の日本の存在について強調した。
米国民は日本の選挙に関しては興味がなく、ニュースでもほとんど触れていない。
興味の中心はエジプト、イスラエル、シリア情勢であり、尖閣諸島がどうなるかの関心は
まったくない。
2009年に民主党が政権交代をするという大きな出来事があったが、それからわずか
3年で元に戻るのはどうかと思う。
反原発運動や大きなデモが起きたのも日本では珍しい出来事だった。
米国ではいつもデモがあるが、日本では珍しいのだ。
この運動は今後どうなっていくのだろうか。
そして米国が最も関心があるのは、日本の経済政策と中国との関係がちゃんとうまく
できるのかという点だ。


夕方から小田原のデパートにあるLoFtと本屋に行き、帰りがけに前から
気になっていた135号線沿いのドライブインに寄った。
表に大きく「まるひの貝汁」と書いた旗が立っていて、いつも「なんじゃ、それ」
と思っていたお店だ。位置的には、JR東海道線の根府川駅と真鶴駅の中間あたり。

こんなかんじ。右が135号線道路。
ガードレールの下には相模湾の海が広がっている。
デジカメを持ってこなかったので、スマホで写した。

怪しい店名のわりに、中は広くてきちんとした和食処だった。
1階が農園直売所、2階が地魚料理「まるひの貝汁」。
防寒用に膝にかける毛布も用意されている。

メニューの表紙。
フラッシュなしで写したので、大ブレになってしまった(^^;
でも、いかにも怪しいかんじでしょ?

店名は?だけど、地元のちゃんとした和食処が経営しているようで
新鮮な地魚メニューがいっぱい。
私が頼んだのは「カサゴから揚げ定食」1900円。
定食を頼むと「かに汁」か「貝汁」500円がついてくる。
かに汁の方をオーダー。
昔、海釣りに行ってカサゴばかりごっそり釣って後始末に
苦労した思い出がある。下ごしらえで手が傷だらけになったのだ。
味は抜群だが、やはりたくさんの骨が…(ーー;)

こちらは「活スペシャル刺身定食」2500円。
で、気になる「貝汁」の中味はアサリだった(^o^)
盛りはキンメやサザエ、イカなど新鮮でプリプリの刺身ばかり。
量も質も一級品だ。貝汁の量も半端じゃない。
この上は「活ウルトラ刺身定食」。
どんなすごいのが出てくるのだろう(*^^*)
お土産に、1階直売所の「ひろそう農園」のオレンジをもらった。
どうもごちそうさまでした。
営業時間…11時~20時 金曜定休


屋上や屋根に堆積した長年の落ち葉を下に落としたら、露天風呂が台風被害の跡の
ようにすごいことになってしまった

去年のノートを紛失したので、2日間の掃除の手順と勤務シフト表を新しく作る。
次回すぐにわかるよう、ちゃんと記録しておかなければ。
毎朝ミーティングして、手順と注意点を徹底しても、無視して勝手に動き余計な手間が
かかったり、同じミスを繰り返す者が必ず出るから嫌になってしまう。
3歩歩けば忘れてしまう、あんたの頭はニワトリ並みか…とイヤミの一つも言いたくなる。

ますます嫌になった。悪夢よ再びってかんじで、悪臭漂う古い連中の顔が映るたびに
うんざりした気分になる。健康にも悪い。
ということで、もっぱらワールドニュースを見ることにしている。
それによると、な、なんとシベリアのオイミャコン(地球で一番寒い村)の気温がマイナス
55度に下がったそうだ。ひえ~っ{{{{(+ω+)}}}}
でモスクワが-20度。住人によると、過去には-25度(03年)や-26度(09年)に
なったことがあるので、-20度というのはこの時期では珍しくないが、こんなに長い期間
続くのは50年ぶりだそうだ。予報ではあと10日はこの寒さが続き、日本でもクリスマス
頃にはまたこの寒波がやってくるという。
寒いのは日本だけじゃない。ヨーロッパも米国も凍えている。
日本周辺の狭い範囲での天気予報を見ていても、なぜ寒波が襲来するのか理由がわからず
不安になる。まったく現代の方が情報鎖国だね。

なんという原発か忘れたが、いわゆる地下原発の廃炉を現在実行中だという。
1997年か99年(これも忘れた^^;)に廃炉が決定し、解体作業が始まったのが2007年。
放射能が除去されるのは2022年頃だって。これほど廃炉には長い年月と莫大な費用が
かかるわけで、原発など作るもんじゃないというのが、まともな国の判断なのだ。


のも小選挙区制という、諸刃の剣になりうる危険な選挙制度によるものだった。

http://mainichi.jp/select/news/20121217k0000e010344000c.html
衆院選:得票率と獲得議席に大きな乖離
右の図:得票数と議席数のギャップ(小選挙区)
今回の衆院選で小選挙区に出馬した自民党候補は、300選挙区の有効投票総数のうち43%の票を得たのに対し、獲得議席数は300議席の79%にあたる237議席と大勝した。一方、民主党は有効投票総数に占める総得票率が22.8%だったが、300議席の9%にすぎない27議席しか獲得できなかった。得票率と獲得議席に大きな乖離(かいり)が生じ、各選挙区で1人しか当選しない現行の小選挙区制の特徴が改めて浮き彫りになった。
今回の衆院選の小選挙区の有効投票総数は約5963万票だった。日本維新の会の得票率は11.6%で、300議席の4.7%の14議席を獲得。今回最多の299選挙区に候補を擁立した共産党は、得票率7.9%に対し獲得議席はゼロだった。
小選挙区は比例復活を除けば1人しか当選しないため、落選候補に投じられた票の多くが民意を議席に反映しない「死票」になる。候補9人が乱立した東京1区は得票率29.3%の自民党候補が当選し、落選候補の得票割合は計7割に達した。
09年衆院選をみると、民主党は得票率47.4%で7割を超える議席を獲得。自民党も「郵政解散」の05年衆院選で、得票率47.8%で同じく7割超の議席を得ており、選挙制度が選挙のたびに結果が大きく振れる一因となっている。【朴鐘珠】

ほぼ同じという結果になり、自民党の支持率が高かったわけではないことが
明らかになった。投票率が低かったことや第3極同士が票の食い合いになった
ことで、その分自民に票が流れたのである。

http://mainichi.jp/select/news/20121217k0000e010329000c.html
衆院選:自民、比例57 前回並み
16日投開票された第46回衆院選は、自民党が単独で半数を大きく超える294議席(小選挙区237、比例代表57)を獲得して圧勝し、3年前に失った政権を取り戻した。ただ、同様に296議席を獲得して大勝した05年衆院選の比例は77議席で、比例に限れば今回は20議席も少なく、119議席で大敗した09年の比例55議席をわずかに2議席上回るにとどまった。
全国の比例得票数を集計したところ、自民党は1662万票で、05年の2588万票を大きく下回り、09年の1881万票にも及ばなかった。得票率も27.6%で09年の26.7%とほぼ変わらなかった。投票率が09年より約10ポイント低かったことも影響しているが、全国的に自民党支持が広がったとは言い難い。
自民党の小選挙区候補の得票数を合計すると2564万票で、大敗した09年から165万票減っている。12政党の乱立で民主党と第三極勢力が非自民票を食い合った結果、相対的に自民党候補の当選する小選挙区が増え、自民党の獲得議席を押し上げた形だ。
大敗した民主党の獲得議席は57議席(小選挙区27、比例30)で、現在の民主党が結成された98年以降最低だった05年の113議席(小選挙区52、比例61)の約半数まで落ち込んだ。比例の得票は962万票で、09年の2984万票から約3分の1に激減。旧民主党時代に挑んだ96年衆院選の894万票に近い水準となった。
今回初めて国政選挙に挑戦した日本維新の会は54議席(小選挙区14、比例40)を獲得。比例の得票は1226万票で民主党を大きく上回った。みんなの党は比例で524万票と前回の1.7倍に得票を伸ばした。【堀井恵里子】


花盛りだ。といっても、相変わらず浅野家側中心の作品が多いが。
そんな中で『薄桜記』は珍しく吉良側の視点で描かれており、私も大いに興味を
そそられて吉良邸に行ってみた(両国に住んでいた頃はあまり興味がなくて、
すぐ近くなのに行ったことがなかった(^^;)。
それにしても日本人はなぜ忠臣蔵が好きなのか、後の新選組のダンダラ羽織も
舞台で演じられた忠臣蔵の衣装を真似たものであるし…。

10月に訪れた東京・両国の吉良邸跡(本所松坂町公園)。
ちょうど敷石の改装工事中だった。
実際の吉良邸は広大な屋敷で
現在の跡地公園の86倍もの広さであった。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121214/k10014185801000.html
赤穂浪士討ち入りの日 義士祭
「忠臣蔵」で知られる赤穂浪士討ち入りの日にあたる14日、討ち入りの舞台、吉良邸のあった東京・墨田区では、赤穂浪士と吉良家を悼む義士祭が行われました。
12月14日は、江戸時代に赤穂藩の元藩士が、主君のあだを討つため討ち入りをした日にあたります。
討ち入りから310年になる14日、吉良邸のあった墨田区の本所松坂町公園では義士祭が行われ、地元の人や忠臣蔵ファンなど大勢の人たちが集まりました。
義士祭では神事を行って赤穂浪士と吉良家の両方を悼んだあと、討ち入り前日に四十七士たちが、近くで甘酒を飲みそばを食べたと言い伝えられていることから、参加した人たちに甘酒やそばがふるまわれました。
公園には吉良上野介の像や討ち取った首を洗ったと言われる井戸があり、訪れた人たちは写真を撮ったり手を合わせたりして歴史に思いをはせていました。
埼玉県から訪れた男性は「義理人情など今は忘れられがちな思いが、忠臣蔵の魅力だと思います」と話していました。
地元の両国地区ではこのほか、ゆかりの場所を巡るツアーなどさまざまな催しが開かれていて、市川博保町会長は「地域で長年、吉良邸の跡を守り伝えてきたので、大事にこれからも守っていきたいです」と話していました。
