激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
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 ネガキャンだらけの米大統領選
2012年10月29日 (月) | 編集 |

朝、BSワールドニュースで米国大統領選の裏側についてやっていた。
それによると昨今では相手候補者に対するネガキャンが盛んになり
エスカレートする一方だという。
そして今回ネガキャンのテレビ広告に費やした全広告費用の割合は
なんとオバマ氏が85%、ロムニー氏が91%というのだから、呆れてしまう。


で、これほどネガキャン用広告費が増えた理由なのだが、今までは候補者
への献金が5000ドルに制限されていたのが、政治団体への献金額が無制限に
なったことから、余った費用をネガキャンへ注ぐようになったんだと。
他にもっと有意義な部分に費やすことは考えないんだろうか?


このあとキャスターが独自に解説した「ネガキャン5つの鉄則」というのが
面白かった。それによると…
  (1)論理より印象
  (2)失言を見逃すな
  (3)ターゲットを絞れ(ヒスパニックや女性へのアピール)
  (4)人気キャラを使え(セサミストリートのビッグバードなど)
  (5)勝負どころでは質より量

地上波のNHKニュースは偏向していてつまらないし、特に夜9時台のキャスターは
最悪だが、BSニュースはなかなか質が高くて面白い。
天気予報でも世界の天気を順序だって解説するので、なぜ日本の天気がこうなるのか
科学的に納得できる。地上波でも、もっとうまく作れると思うのだが。






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 舞台劇『テンペスト』に見る沖縄(琉球)の魂
2012年10月28日 (日) | 編集 |

NHKニュースを見ていたら、琉球王朝絵巻行列の映像が映った。
初めて琉球王朝時代の装束を見たときは、特に男性がかぶっている独特な帽子に
なかなか馴染めなかったことを覚えている。
ま、それ以上に時代劇のちょんまげには未だに違和感を感じるが…(^^;





写真:NHK



   NHK 10月28日
     http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121028/k10013074581000.html

      華やかに「琉球王朝絵巻行列」

琉球王国時代の王族や中国からの使節の行列の様子を再現したパレード、「琉球王朝絵巻行列」が那覇市で行われました。

この行列は、那覇市で開かれている「首里城祭」の最大の呼び物として毎年行われています。
28日はおよそ1000人が琉球王国時代の衣装をまとって、那覇市中心部の国際通りの1キロ余りを練り歩きました。
一般公募で選ばれた国王と王妃が役人たちを従えて、「ウチュー」と呼ばれるみこしに座って登場したほか、琉球の国王が代わるたびに中国から派遣されていた「冊封使(さっぽうし)」と呼ばれる使節団がゆっくりと行進しました。また、女性たちが紅型(びんがた)の衣装と花笠を身に着けてお祝いの席などで踊る古典舞踊、「四つ竹」を披露し、観光客や地元の人たちが華やかなパレードの様子をカメラに収めていました。
東京から観光で来た男性は、「日本の本土とは違う文化を感じました。きれいな衣装をまとって子どもも大人も一生懸命、昔の行列を再現している姿に感動しました」と話していました。
首里城祭は来月4日まで開かれ、3日には首里城の周辺で古式行列が再現されることになっています。





BS時代劇の第2弾は、この琉球王朝末期に孫寧温(そん・ねいおん)という宦官に
身をやつし王府の優秀な役人として働く真鶴と、薩摩藩御仮屋の役人・浅倉雅博の
時代を超えた純愛を描いた池上永一原作の『テンペスト』というドラマで、
私はテレビドラマに先行する形で上演された舞台劇の方を観た。





前列左から、堤幸彦(演出)・山本耕史(薩摩藩士・浅倉雅博)
仲間由紀恵(真鶴と孫寧温の2役)・生瀬勝久(聞得大君)



琉球時代の歴史については、薩摩藩との関係や「琉球処分」など大雑把な流れは
知っていたが、恥ずかしながら詳しい知識は持っていなかった。
今回この『テンペスト』によって、幕末にペリーが日本へ来航する前に琉球に上陸した事実を
知った。沖縄の今を理解するためには、過去の歴史をもっと学ばなければいけないと痛感した
しだいである。







舞台劇の終わり近く、明治維新によって琉球の尚泰王は首里城を明け渡し
新政府軍となったかつての薩摩藩士たちが琉球へ進軍してくる。
そんな帝国軍人たちに向かって、以前は王宮で絶大な権力を振るっていた
王族神で、今は落ちぶれて真牛という老婆になってしまった聞得大君(きこえおおきみ)
が放つセリフが、強く印象に残っている。

「ここは、神に守られし永遠の国。何人にも支配されぬ、誇り高き王国じゃ。
たとえ命をとられようと、わらわはお前たちに屈せぬ。
わらわの魂は、日本には支配されぬ。きさまら、とっととヤマトへ帰れ」

「わらわには見える。何年、いや何十年か先、アメリカーに焼け野原にされる日本じゃ。
ははは。日本はアメリカーに支配され、アメリカーと共に滅びる運命にあるのじゃ。
わらわの心、わらわの体、すべてこの島と共にある。琉球王国バンザイ!」

こう叫び、真牛こと聞得大君は自らの身に刀を突き立て、誇り高く死んでいく。
そして1879年に沖縄県が設置され、琉球王国は滅亡したのである。






 災いは予告なしにやって来る
2012年10月27日 (土) | 編集 |





そ、人生何が起こるかわからない。
平穏な日々の一瞬先に、とんでもない落とし穴が待ち受けているものだ。


昨日の夜10時を回った頃、突然源泉ポンプのネジが吹っ飛んだ。
時間が遅いので、いつも来てもらっている水道屋さんと連絡が取れない。
真っ暗な屋外で、ツレが必死に直そうとしているが、状況もわからないし
専門の工具もないのでなかなかうまくいかない。

源泉を汲み上げることができないので、大浴場も客室のバスもお湯がストップ。
時間がたつにつれて、大浴場や露天風呂のお湯の温度が下がっていく。
うちは加水も加温も循環も一切使っていない完全な源泉掛け流しなので、こうなると
もうまったくお手上げで、じっと事態が悪化していくのを見ているしかない
で、こんな時にかぎって次々予約が入って来るのだ。

もちろん夜は一睡もできず、不安のあまり私の胃は痛み出し、ツレは血圧が上がって
しまった。翌朝にはみごとに水風呂と化し、すべてのお客様に宿泊料を返金した


今朝は早く水道屋さんが来てくれたので、ようやく一件落着かと胸をなで下ろしたが、
「さにあらず!(丹下典膳風言い回し^^;)」。
うまくいかない時はすべての歯車が狂うもので、どう手当しても裏目に出て、お手上げ状態。
違うポンプを繋いでみてもダメ、再び元のポンプに換えてあーたらこーたら。
途中で水道屋さんがさじを投げて逃げ出さないように、ツレがつきっきりで監視しているので
本来の仕事の方はすべて私ひとりでこなさなくてはならない。
大混乱の中でフロント業務をしながら、同時に宴会の準備や案内までやったのだから
われながらアッパレというか呆れてしまう。
あまりに必死だったので、どう行動していたのか記憶が飛んでしまった(^^;

ところが、お昼前には復旧の予定が夕方になっても一向に先が見えないので、またきょうも
全額返金という事態になったらまじで潰れるな…との思いが脳裏をめぐり、吐き気を覚えた。
長引く不況の中で同業者が次々廃業したり大手に買収されたり、自殺する店主も少なくない。
きっとこういう精神状態の中で死を選ぶんだろうなと、本気で考えた。


そんな状況の中で、夜の6時過ぎにようやくポンプが復旧した。
ツレが提案した工法が成功したのだ。早く試してみればよかったのにね、水道屋さん。
とにかく熱い源泉が供給され出して、夜中頃にやっと普段の温度に戻った。
あ~、もう疲れた疲れたっ! ε-(ーдー)
この2日間で1年間分くらいたくさん、頭をさげて謝罪したかも。
でも、これでようやく安堵して眠れる。
当分、またポンプが壊れるんじゃないかというトラウマに悩まされるだろうが。






 「国民の生活が第一」の結党パーティーに4000人超が集結 しかしマスメディアはこれを無視して石原都知事辞職のニュースを垂れ流し続ける
2012年10月26日 (金) | 編集 |



猫のマルです。
猫は不思議な生き物ってよく言われるけど
あたしら猫から見れば、そんな人間の方こそ「不可思議な生き物」。
まともな人間が退けられ、ろくでもない者たちが祀り上げられる。
数々の差別発言と誇大妄想で日本を危機に陥れている石原氏が
都知事をいきなり辞めて国政に復帰するとか…。
勝手なもんだね。いい年してさ。
日中関係はどうするの? オリンピック招致はどうするの?
築地移転はどうするの? 新銀行東京はどうするの?
ところが新聞もテレビも、こんな無責任じいさんをチヤホヤ持ち上げ大騒ぎ。
慎太郎じいさんと立ちくらみ日本が合体して新党を作ったら
とんでもない妖怪が誕生して、日本は確実に終了してしまう。
日本に巣食っているシロアリやら、こうした悪い妖怪やらを退治できるのは
この人たち↓しかいないっていうのにね。







写真:共同通信



   東京新聞 10月25日
     http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012102501001895.html       

      小沢代表、増税凍結と脱原発訴え 生活が結党パーティー

 新党「国民の生活が第一」の小沢一郎代表は25日、都内のホテルで開いた結党記念パーティーであいさつし、次期衆院選に向けて消費税増税の凍結と脱原発を訴えていく考えを示した。「国民に約束していない消費税増税は凍結しなければならない。原発ゼロも実現する」と述べた。

 同時に「あと10カ月以内に衆院選がある。国民の命と暮らしを守り、震災復興ができるのか、大きな節目の選挙だ」と強調した。

 同党によると、パーティーには約4千人が出席。小沢氏は民主、自民両党に対抗する「第三極」勢力の結集を目指しており、新党大地・真民主の鈴木宗男代表らを来賓として招いた。




「国民の生活が第一」の結党パーティーの日にぶつけるように、石原氏が突然
都知事の辞職を表明した。パーティーには定員の3000名を上回る4000人以上が
集まった。それほど多くの人々が小沢氏と生活党に期待しているのだ。
しかしほとんどのマスメディアが、この事実をひた隠しにして伝えない。
東京新聞ですら、共同通信の短い記事を掲載しただけだ。
いまや日本そのものの土台がぐらついて、深層崩壊を起こしかけている。





 古地図と歩く江戸深川 その2 六間堀金兵衛長屋・深川めし・神明宮
2012年10月25日 (木) | 編集 |

時代劇ドラマ『陽炎の辻』と『薄桜記』に出てくる場所をめぐってみようと
ふと思い立ち、東京・江東区へやってきたが、新大橋から萬年橋まで
川沿いのテラスを歩いているうちに、とんでもない勘違いをしていることに
気づいた  子どもの頃から慣れ親しんだ場所だからすぐにわかるだろうと
高をくくっていたら、な、なんと昔と今とでは新大橋の場所が違っていたのである。
というわけで、まずは昔の新大橋の場所を確認してから、改めて江戸深川めぐりに
参ろうぞ(^^;





『陽炎の辻』の舞台を探しに





『陽炎の辻』は07年から3シリーズにわたってNHKでドラマ化された。
原作は佐伯泰英の人気長編シリーズ『居眠り磐音 江戸双紙』で
その第1巻目のタイトルが「陽炎ノ辻」である。

明和9年(1772年)、3年間の江戸勤番を終えた坂崎磐音(いわね)と
朋輩の河出慎之輔、小林琴平は故郷の九州・豊後関前(せきまえ)藩へ帰参するが、
若い彼らの藩政改革への動きを警戒した藩の守旧派の罠にはまり、互いに斬り合う
結果になった。上意討ちの命で、許婚である奈緒の兄・琴平を斬った磐音は故郷も
奈緒も捨て、再び江戸に出て浪人暮らしをはじめるのだった。



    

左:新大橋の上で、故郷の空に向かって手を合わせる磐音。
右:深川育ちで、両国の両替商「今津屋」の奥女中として働くおこん。
ふたりは新大橋の上で偶然出逢う。
 





幕末の古地図。
この地図にある江戸時代の新大橋は、元禄6年(1693)に架けられた。
すでにあった両国橋が大橋と呼ばれていたので、こちらには新がついた。
昔の新大橋は、現在の新大橋の場所より150メートルほど
萬年橋寄りの下流に架かっていた。



    

左:あった、「旧新大橋跡」の石碑。
磐音の物語世界は、この場所が基点になっているのだ。
右:というわけで、昔の新大橋を渡って江戸深川をのぞいてみよう。

小説『居眠り磐音 江戸双紙』の中には、こう記されている。
【坂崎磐音は足を引きずるようにして新大橋を渡った。
明和九年十月の中旬、江戸の町を木枯らしが吹き抜けていた。】

ちょうど今から240年前の、同じ10月の出来事である。
 





実は『陽炎の辻2』の完全ガイドブックに
「磐音が暮らした江戸の町」という、簡単な地図が載っていたのだ。
今回はその中から、金兵衛長屋と鰻処宮戸川、今津屋の場所を
探してみることにした。
小説とTVドラマではストーリーも設定も少なからず異なっているが
お互いに補強しあうということで、あえて一緒にテクストとして
使うことにした。





金兵衛長屋はどこに?





江戸で行くあてのない磐音を、おこんは父親で大家を務める
金兵衛の長屋へ案内する。そしてここが磐音の暮らしの場となった。






では磐音が暮らす深川六間堀町の金兵衛長屋は
どこにあった(どこに設定した)のだろうか?


小説にはこうある。

 長さ百十六間の新大橋を渡り切ると御籾蔵にぶつかった。
 磐音は右に曲がり、御籾蔵の塀に沿って左に折れた。蔵の右手は町家で深川元町、六間堀町と続いて、小名木(おなぎ)川と竪(たて)川を結ぶ堀に出た。
 その堀に猿子橋が架かっていて、南六間堀町とを結んでいた。
 磐音は六間堀町の裏長屋、金兵衛の木戸を潜ろうとして、猿子橋の袂にどてらを着た大家の金兵衛が立っているのを認めた。





   

上の小説の中に出てくるいくつかの名称をキーワードに、実際に歩いてみる。
左:旧新大橋跡から萬年橋北交差点を東の方角に進む。
目の前の白い建物が、ちょうど御籾蔵のようだ(^^;
中:写真の方向が違ってわかりづらいが、次の常盤1丁目交差点に来た。
中央の白いビルは、古地図で見ると深川元町のはずれあたりか。
右:同じ交差点の反対側。ここは御籾蔵のはずれあたりか。






この常盤1丁目交差点の場所に「猿子橋」が架かっていた。
ということは、この交差点の左右に六間堀川が流れていて
堀の手前が金兵衛長屋の場所と推測できる。
余談だが、寛政10年(1789)にここ猿子橋で
巡礼の母娘の仇討ち事件が起きたそうだ。






家へ戻ってからいろいろ考えた結果
この付近が金兵衛長屋ではないかという結論に達した。






最初は、交差点の道をはさんだ反対側のここら辺に
違いないと思っていた。
御籾蔵を右折→塀に沿って歩き左折すると、川沿いに出る。
猿子橋のすぐ近くでもある。
しかし問題は、その場所はまだ御籾蔵であって、
その先の北六間堀町まで行くと、今度は「中橋」付近になってしまう。
また【蔵の右手は町家で深川元町、六間堀町と続いて
という文章が、頭の隅に引っかかっていた。


実は小説の中に、こうした箇所もあったのだ。

 猿子橋と中橋の間には御籾蔵があって、その先に六間堀町が北之橋まで広がっていた。金兵衛長屋のある六間堀町は御籾蔵をはさんでの飛地である。


つまり、深川元町の(地図にはないが)川沿いに六間堀町の飛地がある。
   飛地←御籾蔵→六間堀町→北之橋
といった地理関係にあり、
ゆえに第1候補あたりが金兵衛長屋である。と、結論づけたわけだ。
はあ~っ、疲れた  
史実ならともかく、フィクションの舞台を気が滅入りそうになるくらい、
ああだこうだと推測しても実(じつ)のないことかもしれないが、
やはりきっちり自分の中で結論づけておかないと、いつまでもモヤモヤを
引きずってしまうような気がする。
年齢を重ねるごとに、より理詰めに考えないと納得できなくなってきている。
ようするに単に性格が頑固になっただけかもしれないが…(^^;
われながら困ったもんだ


もう一つ引っかかったままなのが「御籾蔵」のことだ。
ある資料では、元禄6年に日本橋浜町から深川籾倉脇に新大橋が架けられたとあり、
また別の資料によると、深川新大橋の向こうに11棟の籾蔵が建てられたのは
寛政10年(1798)8月のことだったという。
これは老中・松平定信の寛政の改革の一つ「七分積金」制度で、飢饉などに備えて
米を備蓄するもので、もしこの寛政の改革で蔵ができたとするならば、
それより26年前の明和9年にはまだ新大橋の袂には御籾蔵はなかったことになり、
金兵衛長屋への道のりや長屋の場所自体の設定も瓦解してしまう  





ここが六間堀だった


    

「御籾蔵」をめぐって逡巡し、なんか波乱含みの展開になってしまったが、
左:私がはじめに金兵衛長屋ではないかと推定した
第2候補の建物から、森下駅方面へ北進すると
右:八名川公園と八名川小学校があった。
 


    

左:小学校の並びの公園のトイレの前に、江戸切絵図の看板があった。
右:六間堀の説明
【六間堀は、深川村開拓当初、小名木川と竪川を結ぶ水路として
開けたようです。名称は、川幅が六間(約10.8m)あったところから
付けられたもので、地元にとって重要な河川でした。
しかし水運利用の減少によって、昭和26年に埋め立てられました。
六間堀の跡は、道路と宅地になっていますが、歩いてみると、
当時掘割であった頃の様子が、よくわかります。】
 









昼食は深川めしで


    

左:小学校付近を曲がって、もう一つ外側の通りに入った。
古地図によると、カーブした分の建物の列はもともと川だったことになる。
右:食事処発見。出発が遅れたので、もうお昼になってしまった。
 


    

左:深川めし本家 割烹みや古
有名なお店だ。こんなとこにあったのか。
右:本家深川めしの由来
江戸時代の深川では、江戸前のアサリのむき身を
ネギや油揚げと一緒に味噌でさっと煮て、
どんぶり飯に汁ごとぶっかけて食べた。
この深川めしは、池波正太郎の作品
『鬼平犯科帳』にも登場するそうだ。
 


    

店内。
 






深川めしセット1500円。
みや古の深川めしは炊き込みご飯になっている。
熱々の磯の香り、ぬたや漬物も美味しい。
ご馳走さまでした(^人^)  





深川の地名の元になった深川神明宮





割烹みや古からもう1本先の通りに入ると、深川七福神の一つ「寿老人」
として親しまれている深川神明宮がある。
かつては「六間堀神明宮」とも呼ばれていたそうだ。
由来書によると、このあたりは慶長年間(1596~1614)に
摂津国(今の大阪府)の深川八郎右衛門ら6人が開拓した土地で、
八郎右衛門の姓をとって深川村と名づけられた。
つまり深川村発祥の地である。また八郎右衛門は自分の土地の祠に
神明を祀り、これが深川神明宮になった。



    

左:境内。ぎんなんの実の匂いがしている。
小説『居眠り磐音』では、長屋暮らしの磐音がここで剣の練習をする。
右:境内の和合稲荷神社。
 





東六間堀町會の文字が。
宮司さんに六間堀について尋ねたら、以前NHKの「ブラタモリ」が
取材に来たという。そういえば見た記憶があるな(^^;
宮司さんによると、昔は割烹みや古のすぐ前が六間堀川だったそうだ。






割烹みや古でもらった地図。
川があった場所を青く塗ってみた。
こんなかんじだったんスかね?



というわけで、その3では「鰻処宮戸川」を探しに行きますよ(^ー^)ノ









 古地図と歩く江戸深川 その1 新大橋・芭蕉庵
2012年10月24日 (水) | 編集 |

きょうは一日お休みの上、久々の快晴。
最初の予定では、先月の甲州街道めぐりの続きで、甲府から下諏訪まで
足を延ばそうと思っていたが、風邪が長引いて遠出は体力的にきついので
見知っている都内をブラブラすることにした。

といっても、観光コースや名所旧跡を漫然とめぐるのは、いかにも能がない。
いつものように自分なりのテーマに沿ってコースを決めなければ…。
というわけで、お気に入りの時代劇ドラマの舞台をたどってみることにした(^^;




    

『陽炎の辻』と『薄桜記』。
左は明和9年(1772)から始まるお話で、
右は元禄4年(1691)から赤穂浪士討入の15年(1702)まで。
どちらも主な舞台が江戸の本所深川で
というか、時代劇の多くが深川周辺を舞台にしているわけで
しかも『薄桜記』の吉良邸がある両国には、私も昔住んでいたし
母方のルーツは、すべて東京の下町。
砂町、毛利町、大島、小梅にはおじさんおばさんたちがいて
父方の祖父の米蔵も隅田川沿いにあった(関東大震災で焼失)から
私自身の大切な故郷の一つでもあるのだ。
 





しかしなにしろ江戸時代がドラマの舞台ということで
前日に深川の古地図(文久2年・1862年版)を眺めてみた。
後に新選組になる浪士組が京にのぼる前年にできた地図だよ。
う~ん、だけどよくわからん(´ヘ`;)






とりあえず家を出て、東京へゴー!
外猫とアナグマの餌やりやら猫のラッキーの投薬とブラッシングやらで
予想外に時間がかかってしまい、出遅れたせいで事故渋滞にはまった
ようやく前方に六本木ヒルズが見えてきた。





“磐音(いわね)”と“おこん”が出逢った新大橋
 




というわけで、深川散歩のスタートは江東区の「新大橋」から。
『陽炎の辻』の最初のシーンが、ここ新大橋の上から始まるのだ。
赤ちゃんだった娘のベビーカーを押して、この橋を散歩したこともあったっけ。



  

左:橋の中央に安藤広重の「大はしあたけの夕立」のレリーフがある。
右:広重の版画。
 
 


    

左:横から見た新大橋。
右:橋の下。
 





橋の中央から隅田川と両国橋を臨む。
川風が強い。






最近、隅田川に沿って散策できる「隅田川テラス」が整備されて
勝鬨橋から白髭橋まで歩くことができるそうだ。






橋の階段を降りて、川沿いのテラスを
上の地図の左方向に歩くことにした。
前方中央に見えるのは清洲橋。



    

テラスのあちこちに松尾芭蕉の句碑が建っている。
「大川端芭蕉句選」
江戸時代は、隅田川のことを大川と呼んだ。




    







    

右の「芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな」の句は
五味康祐・原作の小説『薄桜記』の中にも出てくる。
深川の庵に芭蕉を植え、
【ちょうど雨が降って芭蕉の大きな葉をそれが打つのを聞いて、
芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな
の一句を吟じ、そこから後ここを芭蕉庵と呼ぶようになったのである。】

ちなみに有名な「古池や…」の句も、この庵で作られた。






地図の方向が横向きだが
新大橋からテラスを歩いてきて「萬年橋」に出た。





萬年橋
 



周辺のテラスは整備工事中。
橋の下を流れるのは小名木川。



    

萬年橋といえば、橋の欄干に亀をつるした広重の浮世絵が有名だ。



  

左:おっと、葛飾北斎の「深川萬年橋下」もあった(^^;
江戸時代には萬年橋の北岸に、小名木川を航行する船を取り締まる
船番所が置かれていた。そして小名木川に架かる橋はみな
船の航行を妨げないように高く架けられていた。
この萬年橋も美しいアーチ型をしていた。

右:川船番所跡
江戸から小名木川を通り利根川水系を結ぶ流通網は
寛永年間(1624~44)には整備されていた。
関東各地から江戸へ運ぶ物資はすべて小名木川を通った。
明暦の大火後は、川番所は中川口へ移転した。





芭蕉稲荷と芭蕉庵史蹟跡展望公園
 




    

左:萬年橋から再び新大橋方面へ少し歩くと
「おできの神様」というのぼりがあった。
正木稲荷大明神とある。もともとは生け垣に使われる「柾木」の
木のことで、その実が腫れ物に効いたらしい。
右:すぐそばに芭蕉稲荷がある。



    

右:芭蕉稲荷の中に建つ「奥の細道旅立参百年記念碑」。
足元に石のカエルが(^o^)






で、この芭蕉稲荷が芭蕉庵があったところなのだ。
【ところが芭蕉没後、この深川芭蕉庵は武家屋敷となり
幕末、明治にかけて滅失してしまった。】
その後大正6年に芭蕉愛好の石造りのカエルが発見されたことで
芭蕉稲荷が祀られ、常盤1丁目を旧跡に指定したそうだ。






川沿いに少し進むと、階段が。






この木戸口を上がっていくと
「芭蕉庵史跡展望公園」がある。






説明書きによると、ここが一番最初の芭蕉庵で、大火で消失する天和2年(1682)まで
住んで、翌年に友人たちの喜謝を得て、「本番所森田惣左衛門御屋敷」の内部に
第2次芭蕉庵が完成。元禄2年(1689)奥の細道紀行に旅立った後は
さきほどの芭蕉稲荷の場所に杉風らの尽力で第3次芭蕉庵が完成した。
そしてこの庵は、元禄12年に森下町の長慶寺門前に移築されたという。
複雑な経緯だなあε-(ーдー)

『薄桜記』の中にもこういう記述がある。
【芭蕉庵の跡は、大正末期まで六間堀の酒店の裏にあったそうだ。】



    

左:芭蕉像。夜になると川の方向を向いてライトアップされる。
右:展望公園から見た清洲橋。
ドイツ・ケルン市に架けられたライン川の吊り橋を
モデルにして造られた。




さてこの後は、『薄桜記』にも出てきた「六間堀」に行ってみることにする。
続きは、その2でね(^o^)







 秋のドラマは、どれ観ようかな(^^;
2012年10月23日 (火) | 編集 |

きょうの午後からと明日はお休み(*^^)v
近場のスーパーで、ペットフードや仕事で使うお掃除用具を購入。
明日はどうかいいお天気になりますように(-m-)

そんなわけで秋も押し詰まり、気温が急に低下したせいで、ちらほらと
木の葉も色づいてきたようだ。去年はなかなか紅葉しないで、どこかの政党名の
ように立ち枯れてしまった木も多かったが(^^;
さてテレビドラマの方も新しいシリーズ物が始まったりで、個人的にはこんなのがお勧め。





    

左:好評につき、異例の速さで地上波でも放送を開始した『薄桜記』。
BSで見終わったあと、当ブログですでにネタばらし済み。ごめん(~_~;)
右:『大奥~誕生』 男女逆転大奥もの。原作マンガは2巻まで持っている。
副長と総長のドラマが左右に並んでいるのは、ある意味壮観ですね(^o^)




    

左:『孤独のグルメ2』 
原作マンガを持っていたが、娘にあげてしまった。
失敗したな。食べる側の視点に立ったストーリーが心地よい。
右:勇者ヨシヒコの新シリーズ。むふふふ。
こーゆーオバカものって大好き。
ムロツヨシの隠れファンなのだ(^^;






 スペイン・ロルカの地震は地下水のくみ上げが原因と判明
2012年10月22日 (月) | 編集 |

昨年スペインで起きた地震は地下水のくみ上げが原因、との研究結果が出た。
福島原発事故から1年7ヵ月経ってもまだ脱原発への方向が定まらない日本に対し
なぜチェルノブイリなど過去の原発事故から学んでいないのかといった非難が
ヨーロッパ各国から起こっている。
せめて原発事故の大きな要因である地震については、他国の失敗を教訓としたいものだ。






地震で倒壊したスペイン南東部ロルカのビル=2011年5月(共同)



   東京新聞 10月22日
     http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2012102202000088.html    

       地下水くみ上げで地震 スペイン 昨年発生

【ワシントン=共同】昨年五月にスペイン南東部の地方都市ロルカを中心に大きな被害が出たマグニチュード(M)5・1の地震は、長年の地下水くみ上げに伴う地盤沈下が引き起こした可能性が高いとする研究結果を、カナダやスペインのチームが二十二日付の英科学誌に発表した。

 この地震は深さ二~四キロと非常に浅い場所で断層が動いて被害が拡大した。チームはコンピューター解析で、局地的な地盤沈下によって地殻に異常なゆがみが生じていたことを確かめた。

 高圧の水を地中に送り込む新型天然ガス「シェールガス」の採掘や二酸化炭素(CO2)を地中に貯留する手法など、新たな技術にも警鐘を鳴らす内容。チームは「地震が発生しやすい場所で地中に人為的な変化を与えると予想外の影響が出る」と指摘している。

 チームは、ロルカ南方の盆地の下にある帯水層を中心に、地下水位が一九六〇年代から約二百五十メートルも低下したことに着目。南側の地盤が沈下することで年々ゆがみがたまり、北側の地盤が乗り上がる逆断層型の地震が浅い場所で起きたとみられると結論づけた。

 地震は二〇一一年五月十一日に発生。チームによると、建物が倒壊して百人以上の負傷者が出たほか、九人が死亡した。スペインでは一九五六年以来の被害規模とされる。




現在最も懸念されるのが、上記の記事の赤字部分にあるように、シェールガスや
メタンハイドレートの採掘である。米国でも採掘が原因とされる地震が過去に発生している。
また日本では現在に至るまで次々とダムが造られてきたが、このダムに貯蔵される水の
重さが地形にひずみをもたらし地震を誘発しているという説がある。
さらに温泉ブームに乗って都内のあちこちで温泉の発掘が行われているが、江戸時代に
新しく造成された埋立地をむやみやたらに掘れば、地下水のくみ上げによる地盤沈下や
ガス漏れが起きるのは当然で、実に危険きまわりない。
首都直下の地震のリスクをさらに高める結果になるだろう。







 「原発大国」の韓国でも脱原発の動き
2012年10月21日 (日) | 編集 |

米国の軍事戦略に踊らされて、竹島問題だの嫌韓・嫌日だのと騒いでいる
暇があったら、日本も韓国もお互いに「脱原発」で手をつなげばいいのにね。
日本と韓国の、どっちが早く米国の属国から抜け出て真の独立を勝ち取るのか
この「脱原発」の動きで進捗度で、ある程度占えるかもしれない。


   東京新聞 10月21日
     http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2012102102000107.html

      韓国 脱原発の動き 超党派議員 10法案国会提出へ 

【ソウル=篠ケ瀬祐司】韓国の超党派議員グループが脱原発に向けた法案十本を準備し、来月にも順次国会に提出する。十二月の大統領選の最大野党・民主統合党(民主党)候補も未着工原発の建設計画中断を明言するなど、「原発大国」の政界に脱原発の動きが見え始めた。

 法案提出を準備しているのは「脱核(脱原発)・エネルギー転換議員の会」。民主党を中心に与党セヌリ党、無所属議員の計三十二人が所属する。
 法案は、新規原発建設の中止や老朽原発閉鎖などを盛り込んだ脱原発基本法案のほか、原発を広報する財団を廃止し、再生可能エネルギーの拡大を目的とした新財団を立ち上げる法案や、廃炉の際の施設解体計画書作成を義務づける原子力安全法改正案など。
 禹元植(ウウォンシク)議員(民主党)は十六日、こうした方針をソウルでの国際シンポジウムで表明。
「国民は廃炉や使用済み核燃料の処理にかかる費用を知らされていない。これらを明らかにするのも国会の役割だ」と、脱原発への意欲を強調した。
 民主党の文在寅(ムンジェイン)候補だけでなく、無所属の安哲秀(アンチョルス)候補も、大統領選のビジョンで「原発に対する不安が深刻になっている。きれいで安全なエネルギーへの根本的な転換が必要だ」と言及している。
 韓国では現在二十三基の原発が稼働し、五基が建設中。二〇三〇年までに四十基体制にし、発電量に占める原子力の割合を約三割から約六割に引き上げる計画だ。







 日米安全保障条約とは?
2012年10月20日 (土) | 編集 |

次第に右傾化を強める日本。
NHKでもなぜかこの時期に、『負けて、勝つ ~戦後を創った男・吉田茂~』という
ドラマを放送した。主演の渡辺謙をはじめ背の高い俳優をそろえたので、GHQの米国人を
逆に威圧するようなイメージになって、こんなのありか?と突っ込みたくなった。
本物の吉田茂がこんなに威風堂々とした人物だったら、屈辱的な安保条約や日米地位協定
など締結しなかっただろう。


さて右傾化が加速するにしたがって、現行憲法を否定する動きも強くなってきた。
米国に強要され押しつけられた憲法だからというのがその理由だが、言ってるのがみな
米国の忠実なポチである似非右翼なのだから笑わせてくれる。
本当に変えるべき、いや破棄すべきは日本国憲法ではなく、安保条約の方だろう。
しかしながら安保条約の内容については知らないことも多いので、1960年の新安保条約
の条文を以下に記しておく。
なおこの条約は10年ごとに日米いずれかの意思表示があれば廃棄できるが、意思表示が
なければ自動延長してしまう。
そして1970年に自動延長した日米安保条約の効力はさらに延長されて、今に至っている
のだ。




     日米安全保障条約


 日本国及びアメリカ合衆国は、両国の間に伝統的に存在する平和及び友好の関係を強化し、並びに民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配を擁護することを希望し、また、両国の間の一層緊密な経済的協力を促進し、並びにそれぞれの国における経済的安定及び福祉の条件を助長することを希望し、国際連合憲章の目的及び原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し、両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、よつて、次のとおり協定する。

第一条
 締約国は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する。

 締約国は、他の平和愛好国と協同して、国際の平和及び安全を維持する国際連合の任務が一層効果的に遂行されるように国際連合を強化することに努力する。

第二条
 締約国は、その自由な諸制度を強化することにより、これらの制度の基礎をなす原則の理解を促進することにより、並びに安定及び福祉の条件を助長することによつて、平和的かつ友好的な国際関係の一層の発展に貢献する。締約国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、両国の間の経済的協力を促進する。

第三条
 締約国は、個別的に及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる。

第四条
 締約国は、この条約の実施に関して随時協議し、また、日本国の安全又は極東における国際の平和及び安全に対する脅威が生じたときはいつでも、いずれか一方の締約国の要請により協議する。

第五条
 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宜言{宜はママ}する。

 前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従つて直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事国が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない。

第六条
 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。

 前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(改正を含む)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。

第七条
 この条約は、国際連合憲章に基づく締約国の権利及び義務又は国際の平和及び安全を維持する国際連合の責任に対しては、どのような影響も及ぼすものではなく、また、及ぼすものと解釈してはならない。

第八条
 この条約は、日本国及びアメリカ合衆国により各自の憲法上の手続きに従つて批准されなければならない。この条約は、両国が東京で批准書を交換した日に効力を生ずる。

第九条
 千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約は、この条約の効力発生の時に効力を失う。

第十条
 この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本国政府及びアメリカ合衆国政府が認める時まで効力を有する。

 もつとも、この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する。

 以上の証拠として、下名の全権委員は、この条約に署名した。

 千九百六十年一月十九日にワシントンで、ひとしく正文である日本語及び英語により本書二通を作成した。

日本国のために
岸信介
藤山愛一郎
石井光次郎
足立正
朝海浩一郎

アメリカ合衆国のために
クリスチャン・A・ハーター
ダグラス・マックアーサー二世
J・グレイアム・パースンズ












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