激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 バーニー・フランク米下院議員「沖縄の海兵隊は不要」
2012年01月31日 (火) | 編集 |

■何かあわただしい中で、1月もきょうが最後の日。
ということで、このニュースはしっかり記録しておかねば。

何かといえば日米同盟の支障になるという理由で、米国に逆らわない日本。
だけどいつまでも米国に追随して、ぬるま湯の中にぬくぬくと浸かり、
めんどくさいことは考えたくないし、自分から動きたくないっていうのが
日本の官僚や政治家の本音なんだろうね。
米国が怒るからじゃなくて、日本が奴隷根性まるだしなだけ。

米「いいかげん自分の国は自分で護れ」
日「いや~ん。中国と北朝鮮が怖いから護ってちょ」
米「仕方ないな。そのかわりTPPに参加しろよ」
日「うん。米国製品たくさん買ったげるから、見捨てないでね」



   琉球新報 1月26日
     http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-186719-storytopic-3.html

    「在沖海兵隊は不要」 米与党議員、大統領進言へ

【ワシントン24日松堂秀樹】米民主党の重鎮で、政府にも影響力を持つバーニー・フランク下院議員が、「アメリカへ米軍基地に苦しむ沖縄の声を届ける会」の訪米団長、山内徳信参院議員らと24日午後(日本時間25日午前)面会し、在沖海兵隊は第2次世界大戦の遺物であり不要との認識を示した。フランク氏は本紙の取材に「オバマ大統領にも進言する」と述べ、米政府や議会に在沖海兵隊の撤退を訴える意向を示した。
 フランク氏は米国の財政赤字解消策の一つとして、米メディアなどで在沖海兵隊不要論を展開している。
 フランク氏は普天間飛行場の辺野古移設、嘉手納統合案に反対する山内氏に「第2次世界大戦は67年前に終わったのに、なぜまだ海兵隊が沖縄に駐留しているのか。これ以上駐留すべきでない」と強調。日米両政府が在沖海兵隊の必要性の主要因として挙げる“抑止力”については「中国への懸念はあるが、それに対応するのは空軍や海軍。海兵隊が中国に乗り込むことは決してない」と断言した。







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 地震、原発、地球温暖化 予兆はずっと以前からあった
2012年01月30日 (月) | 編集 |





■先日の富士五湖を震源とする地震のあと、うちの源泉温度が上がった。
ときおり箱根方面から大きな山鳴りが響いてくる。
さらなる巨大地震の発生も警告されているし、地震、原発汚染の脅威との
闘いで、誰もが日々疲労度を高めている。


■これまで比較的やさしく穏やかだった大地も大気も、次第に牙をむいて
災害が多発するようになってきた。
そんな自然の猛威について、私たちはどこまで認識し、正しく対処しようと
務めてきただろうか。
そんなわけで、私の過去のブログの中から関連している内容のものを選んで
並べてみた。ほとんどが新聞記事のコピペ程度の内容だが、つなげて読むと
過去の資料として、ある程度検証には有効ではないかと感じるからだ。


■最初はこれ。地球という星がけっしてやさしい顔だけ持っているわけではない
事実が痛いほどわかる。

 2010年12月09日     
   人類と地球の未来には何が待ち受けているのか 
   「スーパーコンチネント ~2億5千万年後の地球~」
   http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20101209.html
 
    地球はヒビの入った火の玉のようだ。
    表面を約10枚のプレートが覆い、少しずつ移動している。
    このプレートテクトニクスが作用するのは深さ約700キロメートルまでで
    それより深い部分はプルームテクトニクスが作用する世界になる。

    地球は一定の周期でさまざまな変化を繰り返している。
    超大陸・超海洋の形成と分裂もその1つだ。    
    今から2億5千万年前のペルム紀にできた超大陸パンゲア。
    このパンゲアが分裂して、現在の5大陸が誕生した。



■上記のブログを書いた後で、もし地球規模の地殻変動が起きたら、地下に埋めた
核廃棄物や核弾頭はどうなるのだろうと恐ろしくなった。
このことを付け加えようと思いつつほったらかしにしていたら、フクイチの原発事故が
起きた。遠い未来が現実化してしまったのだ。
30代のときに、市民セミナーなどで「未来史」の必要性を言って怪訝がられたことが
あるが、この「スーパーコンチネント」は私のイメージしていた未来史に当たるのでは
ないかと思っている。 


 2010年11月10日
   2013年以降にミニ氷河期が到来か? 日本の農業政策は大丈夫?
   http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20101110.html

   この地球の気候変動、寒冷化→温暖化→寒冷化→温暖化…のサイクルには
   太陽活動や木星や土星の引力の影響による地球の地軸の傾き(ミランコビッチ・
   サイクル)のほかに、大陸の集合(超大陸)と分裂が大きくかかわっている。


 2009年08月25日
   緊急地震速報にドッキリ
   http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20090825.html

   東工大の丸山茂徳教授は太陽黒点が少ない時期は歴史的にも浅発地震が多いと
   指摘する。黒点が少ないと太陽の磁場が弱まり、その結果地球に降り注ぐ宇宙線も
   増えるわけで、この宇宙線の一部は地表の下にまで達して少なからぬ影響を与える
   のである。



■09年頃からNHKの緊急地震速報があったんだ。ふうん。
この丸山教授の太陽黒点と地震の関係の資料を末の娘に送って、今後は十分注意する
ようにと警告しておいたのに、親の心子知らずで、すっかり無視されてしまった(ノ_-;)
他の人が注意すれば素直に聞くんだろうけど。


 2008年07月20日
   暑くてたまらない日に観るドラマ――『スーパーボルケーノ』    
   http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20080720.html

   米国西部,カリフォルニアとワイオミングの地下には普通の火山を数十個束ねた
   ようなモンスター級火山「スーパーボルケーノ」が眠っている。
   同様の火山はインドネシアとニュージーランドでもくすぶっている。
   こうした火山が目覚めると,どんなことが起きるのか。



■新燃岳といい富士山といい、日本の火山もだんだん危なくなってきた。
温泉のメンテナンスをしてもらっている水道屋さんが、あさっては箱根の大涌谷で
一日仕事を頼まれているんだそうだ。きっと先日の地震と関係があるんだろうな。
周りが隠そうとしたって、専門家が調べればいろいろヤバい事実がわかっちゃうのだ。


 2008年07月12日
   サミットの温暖化対策に各国が冷たい反応
   http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20080712.html

   グリーンランドで1万年以上前、氷期から温暖な現在の間氷期へ移行している期間に
   2回の急激な温暖化が起きていたことが確認された。


 2008年02月13日
   海底資源も自力で見つける時代に
   http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20080213.html

   海底資源を探査する国の探査船「資源」が12日、運航を開始し、新潟県中越沖地震の
   震源域を調査するため、千葉県から新潟県沖へ向け出航した。東シナ海のガス田開発で
   中国に先を越された日本だが、資源価格が高騰するなか、自前の探査船の導入で、周辺
   海域での資源調査を本格化させる。地震の断層調査にも威力を発揮しそうだ。
   「資源」は3次元物理探査船と呼ばれ、船から人工地震波を海底に発し、海底面や地層の
   境界に当たって返ってきた反射波を解析。立体的な地下構造を調べる。  



■東北大震災のあと、あれは人工地震だったんではないかとのツイートがネット上に
あふれた。こうした探査船が人工地震波で海底の様子を調査しているので、疑惑に
つながったのだろう。
これ以前は、地球温暖化への疑問、そして温暖化問題と原発の関係を書いた内容が続く。


 2008年02月09日
   2020年問題――政治的バイアスを排した本物の環境対策を(2)
   http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20080209.html

   ロシアの天文学者、アブドサマトフ天体観測研究所研究員は6日、太陽活動の
   停滞から、6~7年後に世界の気温が次第に低下し始め、17~18世紀に続く
   「ミニ氷河期」に入る可能性があると予測した。
   「ペンタゴン・レポート」と呼ばれる03年に出された秘密の報告書の中には、
   もしも気候変動が起きたら米国は穀物輸出を停止すると書いてあるそうだ。
   まさに2020年問題そのものではないか。


 2008年01月18日 
   温暖化で加速する「原発受注」   
   http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20080118.html

   外務省所管の研究団体「日本国際問題研究所」(理事長・佐藤行雄元国連大使)は
   九日、七月の北海道洞爺湖サミットに向け、原子力の平和利用を推進し、「ポスト
   京都議定書」の枠組みに原発を地球温暖化対策の手段として位置付けるべきだとする
   提言書を高村正彦外相に提出した。

   川口順子元環境相が九日、青森市文化会館で、地球温暖化とエネルギーをテーマに
   講演し、「原発は温暖化防止には大変プラス。青森県の皆さんには原子力にご理解を
   いただき、非常にありがたい」などと述べた。



■官僚や政治家が、「温暖化防止に原発を推進」すべきとしていた事実がはっきり
記されている。そしてその発端となったのが、この人の言動だった。


 2007年10月13日    
   ゴア氏にノーベル平和賞――その正体は政治プロパガンダ
   http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20071013.html
   
   『不都合な真実』の本が発売された時、いわゆる文化人とか著名人たちがこぞって
   絶賛している姿を何度かテレビで観た。直感でどうも胡散臭いと感じたので、本屋で
   見かけても手に取ることはしなかった。

   ゴア氏の主張は、対ブッシュの、そして温暖化の名を借りた原子力発電推進の意図を
   隠し持った政治プロパガンダなのだ。
   彼の主張は決して地球を救うことはない。
   貧しい国の人々をさらに困窮へと追い込むだけだ。



■以上、年代を遡りながら地震や気候変動、原発の関係について再考してみた。






 環境NGOグリーンピースの「無責任な企業」ランキングで東京電力が第2位に
2012年01月29日 (日) | 編集 |



投票を呼びかけるためにNGOが作った東京電力のイメージ画。
キャッチコピーは「我々が作り出したのは、我々の手に負えないものだった」
=環境NGOグリーンピース提供




   朝日新聞 1月28日
     http://www.asahi.com/national/update/0128/TKY201201280125.html          

      「無責任な企業」2位は東京電力 国際NGOが発表

 スイス東部に政財界のリーダーが集う世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に合わせ、国際NGOが27日発表した「無責任な企業」のランキングで、東京電力が第2位になった。福島第一原発事故をめぐり「情報の公表が遅く、うそもあった。隠蔽(いんぺい)、改ざんの体質がある」とされた。

 環境NGO「グリーンピース」などが主催する「地球に害を与え、人権を侵害した」企業を選ぶ「パブリック・アイ(世間の目)賞」で、総数8万8千票のインターネット投票で約2万4千票を集めた。1位は約2万5千票を獲得したブラジルの資源メジャー、バーレ。アマゾンのダム開発で4万人を補償なしに立ち退きさせようとしている、とされた。

 世界のNGOが指定した40社の中から最終候補6社が選ばれ、投票の対象になった。工場労働者に有害物質と知らせずに扱わせたとされる韓国のサムスン電子が3位、投機的な食糧の先物取引を通じて世界の貧困層を飢餓に追い込んだとされた英金融大手バークレイズが4位だった。




■地球に害を与え、人権を侵害し、人間ならびにあらゆる動植物に危害を加え、
日本と日本人の未来を奪い、事故の収束もできないまま原発再稼動を狙っている
という点で、東京電力は2位どころか史上最悪の犯罪企業として、未来永劫に
その名を地球の歴史に刻むだろう。


■ちなみに5位はスイスの農薬会社シンジェンタ。
禁止された除草剤のパラコートを販売して農民数千人が死亡した。
6位は米国の鉱業会社フリーポート。西パプアの環境を汚染した。


■詳しくはこちらをどうぞ。

  VALE WON THE PUBLIC EYE PEOPLE’S AWARD
  http://www.publiceye.ch/en/ranking/






 福一4号機の謎の物体 これって何?
2012年01月28日 (土) | 編集 |

■きょうは朝っぱらから大きな地震があって驚かされた。
それも震源が山梨県東部の富士五湖とあって、富士山噴火の前触れではないかと
誰もが不安に思ったことだろう。







■富士山といえば、東北大震災直後の3月15日にも周辺で大きな地震があったし
箱根の芦ノ湖付近でもやはり地震が起きているので、今後もどう推移していくのか
注意が必要だ。
うちの地震感知びびり犬のダイも、今朝6時ごろからそわそわと挙動不審だったので
地震直前の地鳴りを感じていたのだろう。地震発生後はヒーヒーと怖がって鳴き、
おまけに黒猫ラッキーの病室のガラス戸をシッポでどんどん叩くので手を焼いた。
余震がおさまった後は、すっかり落ち着いて寝そべり始めたので、いい気なもんだ。


■さらに富士五湖地震の後には岩手沖、茨城沖でも震度4の地震が続けて起きた。
首都圏直下地震も間近に迫っているし、こんな地震の活動期になおも原発を再稼動
させようとする動きがあるなんて、まったくもって正気の沙汰ではない。

さてその福島第一原発だが、去年6月に公開された4号機の写真で、どうしても
気になる部分があるので掲載することにする。


   産経新聞 6月11日 

     吹き飛んだ壁、焦げた機器 4号機の写真公開 

 東京電力は11日、福島第1原発4号機の原子炉建屋内部の写真を公開した。水素が原因とみられる爆発で外壁が吹き飛んで大きな穴が開いた状況や、黒く焦げた機器類などの様子が映し出されている。

 使用済み燃料プールに、循環冷却システムを設置するための事前調査を行った10日に撮影。建屋4階の南側では、崩れ落ちたがれきで床が覆われ、機器類の内部がむき出しになるなど、被害の大きさが分かる。

 冷却システムの配管も大きく曲がっており、同社は「プールの冷却にどう活用するか、今後の検討課題だ」としている。

  


■で、これが問題の写真だ。




機器類が黒く焦げて内部がむき出しになり、
床ががれきなどで覆われた福島第1原発4号機原子炉建屋の
4階=10日(東京電力提供)

私が引いたピンクの矢印の先の不思議な物体。
これはいったい何?






その部分を切り取って横にしてみた。
ミ○イルみたいな形なんだけど…( ̄□ ̄;)
何の部品なんだろう。
考えすぎ?


  
  




 報道の自由度ランキング 日本は大災害の報道規制で大幅ダウン
2012年01月27日 (金) | 編集 |



毎日毎日冷えますねえ(((=_=)))
ふだんは仲の悪い猫たちも
1ヵ所に寄り集まって寒さしのぎ。



■さて小沢氏強制起訴や東日本大震災、原発事故によって、日本社会を牛耳り
食い物にしている連中の顔がはっきり見えるようになった。
そのひとつが、ジャーナリズムの仮面をかぶった「記者クラブメディア」という
不可思議な存在である。
そしてその結果、今回の栄えある報道の自由度ダウンという栄誉を授けられたのであった。
どの面下げて自らそれを報じたのか、2つの記事を転載する。


    産経新聞 1月26日
      http://sankei.jp.msn.com/world/news/120126/erp12012600250002-n1.htm

      報道の自由度 日本、22位に後退

 国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)は25日、世界179カ国・地域を対象にした報道の自由度ランキングを発表した。日本は前年の11位から22位に後退した。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で過剰な報道規制が行われ、「報道の多元性が制限された」としている。
 「アラブの春」の結果、中東諸国ではチュニジアが164位から134位、リビアが160位から154位にそれぞれ上昇した一方、ムバラク政権崩壊後も軍が統治を主導するエジプトは127位から166位に下がった。(ベルリン 宮下日出男)




    時事通信 1月25日
      http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012012500930

     日本は22位に後退=「アラブの春」で変動も-報道自由度ランク

【パリ時事】国際ジャーナリスト団体「国境なき記者団」(本部パリ)は25日、世界179カ国・地域を対象とした2011年版の世界の報道自由度ランキングを公表した。日本は前年の11位から22位に後退。同団体は東日本大震災の被災地や東京電力福島第1原発事故で過剰な報道規制が敷かれたことなどを理由として挙げた。
 相次ぐ政変で「アラブの春」と呼ばれた中東・北アフリカ諸国では、ベンアリ政権が倒れたチュニジアが前年の164位から134位に順位を上げ、カダフィ体制が崩壊したリビアも上昇。一方、ムバラク政権崩壊後も軍が暫定統治するエジプトは127位から166位に後退し、反体制派弾圧が続くシリアも順位を下げた。
 このほか、ニューヨークのウォール街(金融街)での抗議行動で報道関係者が逮捕された米国は、20位から47位に下降。スーダンは170位と引き続き下位だったが、同国から独立した南スーダンは111位にランクされた。


     




 幕末の下田を行く ~その3 下田ロープウェイ、初代米国総領事館・玉泉寺~
2012年01月26日 (木) | 編集 |

■雪の日の下田の旅。
今度は海とは逆に、山の方へ行ってみた。




下田ロープウェイで寝姿山へ









土産物売り場に混じって、ロープウェイの駅がある。
天気が悪いので、さすがに乗客は少なかった。






こんなかんじのロープウェイ。「ねすがた」号。
往復1000円。






ロープウェイの中から見た下田の町。
背後の山並みの起伏がすごい。




  

左:あっという間に寝姿山山頂駅へ到着。
島田市内から山を見ると、ちょうど女性が仰向けに横たわって
見えることから、「寝姿山」と呼ばれるようになったとか。
右:寝姿山遊歩道マップ。
山頂には展望台がちょろっとあるだけだろうと想像していたので
意外な広さにびっくり。
 






寝姿展望台。これは絶景だ。
下田湾、そしてはるか先に伊豆七島の島影が見える。



  

左:展望台からの景色の説明板。
右:黒船展望台の錨のオブジェ。
台北まで1991キロ、富士山まで67.3キロ
ニューヨークまで10988キロと記されている。
 



  

左:山腹のあちこちに、お花畑やハーブ園が作られている。
白や黄色の水仙の花がきれいだった。
右:ど根性楠(くすのき)「石割楠」。
どこにでも、ど根性植物があるようで。
一番根性がないのは人間かもしれない。
 






縁結び・愛染明王堂の絵馬。
ハート型をしている。






愛染明王堂
伊豆急行建設に関係した小泉、五島両氏が信仰していた愛染明王像を
安置するため、伊豆急行によって昭和49年に建立されたお堂。
愛染明王像は鎌倉時代の運慶によって作られ、元は鎌倉八幡宮境内の
愛染堂のご本尊だった。



    

お堂の周囲にある「寝姿地蔵」。
これら150余体のお地蔵様は平安時代の作といわれ
京洛や高野の古蹟から集められたものだそうだ。



    

復元された幕末の黒船見張り所。
「下田は古くから江戸(東京)―大阪間の海路の要所にあたり、
海の関所ともいうべき舟番所(下田湾大浦)が置かれ国内船の検問を
行ったところですが、たまたま嘉永2年4月12日(1849年)
英国測量船マリナ号の入港を機に幕府は急いでこの寝姿山山頂に
見張所を設け下田奉行所より数名の役人を派遣し、日夜黒船の警戒に
当たらせたのであります。
この見張所は当時の面影を忍ぶため復元したもので、又この側の台上に
ある大砲はその頃米国船に搭載してあったものです。」

思いのほか山頂が広くて見所もいっぱいだったため、下りのロープウェイに
乗り遅れないよう、最後は走って駅に向かった。ふうふう






初代米国総領事館・玉泉寺








幕末の下田の旅。最後は、ここ玉泉寺。
山門下の左側には「安政年間 日本最初 米国領事館」の石碑が。






そして右側には「露艦ヂアナ号水兵墓所」の石碑。
ここはロシア、米国そして日本の外交交渉の原点の場でもあるのだ。



    

嘉永7年(1854)、ここ玉泉寺は了仙寺と共に米人休息所および埋葬所
に指定された。その2年後の安政3年(1856)、タウンゼント・ハリスが
下田に来航。日本最初の米国総領事館が玉泉寺に開設され、庭に星条旗が翻った。
ハリスはオランダ人通訳ヒュースケンと召使いの中国人と共にここに住んだ。

またペリー来航の半年後にロシアの海軍中将プチャーチンが長崎に来航、
同年12月にディアナ号で下田に来航した。ペリーら米国人は日本を
半未開な野蛮国と見なし、力ずくで開国を迫る「砲艦外交」を展開したのに対し、
ロシアは終始、平和的かつ紳士的な態度で交渉に当たった。
ところが日露和親条約の第1回交渉後、安政の大地震が起こり、下田は大津波に
襲われて、下田港に停泊中のディアナ号も大破した。
ディアナ号の乗組員やプチャーチンは津波に流される日本人たちを救い、日本人は
沈没したディアナ号の代わりに伊豆半島の戸田(へだ)で、日本初の洋船ヘダ号を
建造した。しかしながら日本史ではこうしたロシア版黒船と日本の関係は隅に
追いやられ、黒船や開国といえばペリーとイコールのように記憶されてしまっている。

右:玉泉寺の右奥にはディアナ号乗員の墓がある。






玉泉寺本堂
曹洞宗瑞龍山玉泉寺は420年の歴史を持つ古刹だ。



    

左:絵葉書の玉泉寺。
右:手塚治虫『陽だまりの樹』より。
ハリスと通訳のヒュースケン、玉泉寺が描かれている。
大河ドラマ『新選組!』でもヒュースケンと攘夷運動の浪士たち
とのエピソードが丁寧に描かれていた。
しかし一般的には「唐人お吉」とのからみの中でハリスが語られる
ことが多く、ハリスやヒュースケンの功績はあまり知られていない。






「米国総領事旗掲揚之地」






記念碑ならびに月桂樹植樹者に、渋沢榮一の名がある。



   

左:ここにも1979年のカーター大統領訪問記念碑が建っている。
中:右側にあるのが牛王如来。
右:如来の隣の木は「屠牛木」。
「日本最初の屠殺場の跡
当時、領事館員の食料のため仏手柑樹の幹に牛を繋ぎ屠殺せるもの、
昭和6年4月8日東京牛肉商の手により牛王如来を建立し供養す。
樹は枯れたためハリス記念館に保存す。
後世村人は屠牛木と云う。」






「牛乳の碑」
安政5年、江戸から戻ったハリスは重病になり、回復時に牛乳を欲しがった。
奉行所は手を尽くして、近隣の村々から牛乳を集めた。
当時の日本は牛乳を飲む習慣がなかったので、農耕用の牛から搾ったもの。
調達するには多額の費用がかかった。






ハリス記念館
時間が遅かったので、残念ながらもう閉まっていた。
ここで最後のスタンプを押すことができず、駅前の観光協会で押した。
この奥にロシア・ディアナ号船員のお墓がある。
「ハリスも飲んだ伊豆の牛乳」の看板が(^^;




    

左:ロシア人のお墓は、戸田で死亡したディアナ号仕官ポショーチン
安政の大津波でディアナ号の大砲の下敷きになった水兵ソボレフ
戸田で死亡した水兵バケーエフの3人のもの。
右:絵葉書のディアナ号、プチャーチン、日露交渉を行った勘定奉行の
川路聖謨(かわじとしあきら)。現在に至るまで、意外なことに幕末の
徳川幕府の役人たちの外交手腕が最も有能であったという。




   

左:本堂の横にあった「ストーブの煙突を出した石」。
ハリスが使ったストーブの煙突の穴。
中:その下に掲げられたハリス日記の一部。
1856年(安政3年)10月4日の日記。
午前8時に地震があって家が震動したこと、ストーブを据え付けたが
不良品で部屋の中が煙だらけになったこと、おいしいイノシシの肉を
食べたことなどが記されている。
右:煙突穴わきのウェルカム・カーターの看板。






本堂の左側に「ペルリ艦隊乗組将兵の墓」の石碑が。






「鎮魂  米国海軍を代表し、ここに眠るペリー提督指揮艦隊
乗員の霊に捧ぐ  1987年5月16日
米国海軍横須賀基地司令官 海軍大佐 S・H・ハウエル」










英文が刻まれたお墓。





■以上、計画を立てずにでかけたので、日露和親条約を締結した
長楽寺をはじめ、回るべき史跡をいくつも見逃してしまった
機会があったら、次回はちゃんと調べてから来なくちゃね。
また4月からBS時代劇で『陽だまりの樹』の実写版が放送されるそうで
ハリスやヒュースケンがどう描かれるのかも興味深い。








 幕末の下田を行く ~その2 了仙寺・下田城址・ペリー艦隊上陸記念碑~
2012年01月25日 (水) | 編集 |

■伊豆半島・下田の旅。
下田開国博物館を出て、すぐ近くの了仙寺へ行った。




日米下田条約調印の場・了仙寺




山門






法順山 了仙寺(日蓮宗)
寛永12年(1635)創建

第二代下田奉行今村伝四郎正長が開基大檀那として創建。
初代奉行父彦兵衛重長の跡を継いだ伝四郎は、江戸への
上り下りの廻船の検問を行った御番所の整備、検問の補助に
あたった廻船問屋の創設、下田の街を波浪から守った武ヶ浜
波除の築造等下田繁栄の基礎を築いた名奉行として知られる。

嘉永7年(安政元年・1854)3月、神奈川県において日米和親条約が
締結されて下田が開港場となると、ペリー艦隊は次々と入港してきた。
ここ了仙寺は、上陸したペリー一行の応接所となり、同年5月に
日本側全権林大学頭等とペリーとの間に日米和親条約付録下田条約が
当寺において調印された。これにより、了仙寺は玉泉寺と共に
米人休息所となった。






本堂






「安政元年(1854) ペリー提督黒船陸戦隊調練の図」
黒船従軍画家ハイネ筆
調練終了後、ペリーと林大学頭全権との間で
日米下田条約が締結された。
図中の本堂は現存、庫裏鐘楼は安政の大津波によって消失した。

過去の津波はここまで押し寄せたのだ。



  

左:本堂手前の大きなシャコ貝。
昼食を食べた「昇龍」の店内にもシャコ貝が飾ってあった。
右:了仙寺宝物館。ここの前で3つ目のスタンプを押した。
宝物館には、日本最大の3000点以上の黒船・開国資料が
あるが、団体客が入館したばかりなのでパス(^^;
 
 


  

了仙寺の裏山にある「了仙寺横穴遺跡」。
「この洞窟は、今から約1300~1400年程前、
古墳時代に墓として利用されていたと考えられており、
洞窟内より人骨とともに勾玉や水晶製の切子玉等の玉類、
金銅製の腕輪や耳飾等の装身具、土師器、須惠器が出土しました。」
 
 




下田城址と開国記念碑(下田公園)


    

次に、下田湾沿いの下田公園へ行った。
右は案内図。
 


    

左:坂道を登っていく途中にあったのが「カーター記念碑」。
「ここ下田で日米両国民の友情が初めて根をおろし花開いた。」
云々と記されている。 1979年 ジミー・カーター元米大統領。
右:開国記念広場。
「日米修好の基礎は下田に於いて築かれた
1960年 5月18日」
 





開国記念広場の開国記念碑。
「嘉永7年(安政元年 1854)日米和親条約の締結により、日本最初の
開港場となったここ下田に、ペリー艦隊が入港し、同3年には米国総領事
ハリスが着任し、日米友好の礎が築かれた。昭和28年(1953)に
開港百年を記念して、開国記念碑が建てられた。この記念碑にはペリーと
ハリスのレリーフ像と二人の言葉が刻まれている。
『余は平和の使節として此の地に来れり』(ペリー)
『私の使命はあらゆる点で友好的なものであった』(ハリス)
ペリーの言葉を選んだのは戦後アメリカの連合軍最高司令官だった
マッカーサー元帥、ハリスの言葉はウィリアム・J・シーボルト。
『開国記念の碑』の揮毫は、戦後の日米時代を切り開いた吉田茂総理。
碑の設計と、ペリー、ハリスのレリーフの製作者は、日展審査員をつとめた
西伊豆町仁科の彫刻家、堤達男氏である。」

…と、たぶんに政治的な匂いが立ち込める広場なのであった。






眼下に広がる下田の町並みと港。
空気があまりに冷たいので、坂道を登ると息苦しい。



    

左:バクチノキ(博打の木)だって(^o^)
「奥に見える赤い幹が特徴的な樹木は、唐突に樹皮が剥がれることから、
突然に金を失うことにからめて「バクチノキ=博打の木」といわれる。
江戸時代には博徒の信仰樹となり、この樹の下で終日博打を打っていた
とも伝えられる。暖かい地方の樹の関東では珍しく、伊豆と房総半島にある。
八丈島では樹皮から黄色の染料をとる。
国内には、この木を含め3本ほど確認されている。」

右:おっ、この木か。
しかし終日博打を打ったらいかんよ、ね。
 


    

左:鵜島城址。下田城のことだ。この上が天守台跡になっている。
右:「下田城(鵜島城)は天正16年(1588)、後北条氏(小田原北条氏のこと)
南伊豆防衛の拠点として築城した山城で、水軍基地でもあった。
下田湾に突き出たほぼ円形(直径800m)の半島上にあり、
最高点は海抜70mである。複雑な地形を利用した空堀などがあり
北、西、南の三方は海に面した断崖になっている頑固な守りであった。
天正18年(1590)3月、秀吉の小田原攻めにより、城主清水康英は
わずか600の城兵で、押し寄せた豊臣の水軍1万4000と戦い、
50日籠城したが、4月下旬ついに降伏した。」

ったく秀吉には、毎回毎回腹が立つわ
 









上に登ってみた。
ここらへんに天守台があったのだろうか。
下に転げ落ちそうだ



    

下る途中にあった「幸福稲荷」。
幸福稲荷は、元は金花(きんか)稲荷と呼ばれていて、
天保14年(1843)に下田奉行・土岐丹波守に再建
されてから幸福稲荷と呼ばれるようになったという。
土岐丹波守はハリスと交渉した日本側代表の一人。
なお土岐丹波守は、安政の東海地震と津波による
犠牲者の霊を弔う市内稲田寺(とうでんじ)の「つなみ塚」の
建立者の一人
でもある。






商業写真の開祖・下岡蓮杖の碑とペリー上陸の碑


    

下岡蓮杖(1823~1914)
少年時代に狩野派の絵を学び、江戸の薩摩藩屋敷で見た
銀板写真の精巧さに驚いて、写真師を志すようになった。
安政3年(1853)、ハリスの通訳・ヒュースケンから
写真の手ほどきを受け、その後横浜で写真術を習得。
幕末の江戸城を写したり、優れた写真を多く残した。






下田に上陸したペリー艦隊一行は、了仙寺までの700メートルを
行進した。現在はこの通りを「ペリーロード」と呼んでいる。
平滑川に沿って桜並木が続き、古民家や蔵を利用した
おしゃれな店がならんでいる。






川のほとりに、無造作に大砲!
1829年製 30ポンドカロネード。






橋の上にこんな絵が描かれたタイルがはめ込まれている。






ペリー上陸の碑



    

左:「嘉永7年(安政元年 1854)再来したペリーと幕府の間でもたれた
日米和親条約の交渉過程で、開港地として下田港が提示されると、ペリーは
調査船を派遣した。下田港が外洋と接近していて安全に容易に近づけること、
船の出入りに便利なことなど要求している目的を完全に満たしている点に
ペリーは満足した。条約締結により即時開港になった下田に、ペリー艦隊が
次々と入港した。そして、ペリー艦隊の乗組員が上陸したのが、下田公園下の
鼻黒の地であった。ここを上陸記念の地として、『ペリー上陸の碑』が建てられた。
この記念碑のペリー像は、故村田徳次郎氏の作品であり、記念碑の前の錨は、
アメリカ海軍から寄贈されたものである。」

右:裏側。「日本最初の開港地」
ペリー来航ばかりが有名だが、ペリー艦隊が去った半年後に、ロシアの
プチャーチン提督もディアナ号でここへ来航した。

プチャーチンについては、以下の2010年1月20日のブログをどうぞ。
「日露友好の原点 西伊豆・沼津市戸田を訪ねて その2」
http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20100120.html






その拡大。「ペリー艦隊停泊図」






「日米開港150周年によせて
ジョージ・ブッシュ大統領から下田市へのメッセージ
2004年3月31日」
灯が燃えている。

米国による日本征服の第一歩の地というわけだ。






ペリー艦隊来航記念碑
ペリーの像と錨。






マンホールも黒船。








 幕末の下田を行く ~その1 黒船サスケハナ号と下田開国博物館~
2012年01月24日 (火) | 編集 |



急に休みを取ることになって、とりあえず
伊豆半島の南端にある下田へ向かうことにした。
というのも東京周辺も雪で、箱根方面はもちろん通行止め、
こうなったら南しか行くところがないと思ったからだ。
湯河原の町中は、屋根がうっすら白くなっているだけで
道路にも雪は降り積もっていなかった。
都内よりもいくらか温暖なのだ。

写真は、下田まであと54キロの地点。
伊豆半島は見かけよりも大きいのだ。



    

朝急に行き先を決めたので、またアバウトな旅になりそうな予感。
事前にみっちり計画を立てて、
ポイントを外さないまわり方が好きなんだけどな。
右:稲取付近に雪が積もっていた。
少し標高が高い土地にさしかかると雪が残っている。
驚いたのは、白浜海岸近くの道路が雪に覆われていて
反対側の道路を除雪車が走っていたこと。
路肩でタイヤにチェーンをつけている車もいた。
まさかの雪に、スリップしないかヒヤヒヤだった。
白浜を抜けると雪はすっかりなくなっていた。





下田港・黒船クルーズ






    

左:下田港。寒い彡(-_-;)彡
右:下田は黒船開国の町。
あちこちに黒船ゆかりの観光スポットがある。
ということで、幕末の下田めぐりへゴー。






お、さっそく対岸を走る黒船発見!
けっこうスピードがある。



    

左:「黒船乗船受付処」 表現が昔っぽいね(^^;
右:乗船チケット






絵葉書。下田は吉田松陰ゆかりの観光スポットも多いのだ。






ペリー艦隊の旗艦サスケハナ号を模した遊覧船。
下田港を約20分でクルージングする。






外輪にSUSQUEHANNAと書いてある。
1853年、ペリー艦隊は旗艦のサスケハナ号と
サラトガ号、プリマス号で浦賀沖に来航、
翌年は旗艦をポーハタン号に替えて横浜沖にやってきた。
下田に来航した黒船はポーハタン、ミシシッピー、
マセドニアンなど7隻である。






乗船口に「告ぐ 手形改」と書いてある。



   

左:黒船内部。
中:後部デッキ。寒いけどここに陣取ることにした。
右:カモメのエサ。1袋100円。カッパえびせんだ(^▽^)




    

左:サスケハナ号の説明。
ペリー艦隊のサスケハナ号は1850年にフィラデルフィアで建造された。
長さ78メートル、2450トン、乗組員300名、大砲6門。
「サスケハナはフリゲート艦と称せられ、蒸気船が帆走装置を
備えた機帆船で、機関が両舷の外輪(バドル)を回転して船を推進した。
これらの船は防腐、水洩れ防止のため黒色の塗料を塗装していた
ことから黒船の名がついた。
「黒船」サスケハナ(SUSQUEHANNA)の船名は、
(アメリカ合衆国東部の川)ニューヨーク州のキャッツキル山地に源を発する
長さ714キロの大河サスケハナ川から命名する。」

右:黒船来航時の下田の様子を描いたもの。






赤い鳥居の毘沙子島(みさごじま)。

対岸には弁天島がある。
吉田松陰は金子重輔と一緒に弁天祠に隠れ
小舟で下田に停泊していたポーハタン号に乗り込もうとして失敗。
弁天祠の裏側に造成された弁天島にはふたりの銅像が建っている。
同じ頃に来航したロシア船へは、近隣の若者が密航に成功したのにね。






船から見た下田港。






カモメのエサを投げてみた。
ところがトビの群れが素早く現れてエサを横取り。
カモメたちは近寄れない。
エサがなくなるとトビはあっという間に姿を消して
カモメだけが未練がましくついてきた。









   

左:赤い灯台。
中:犬走島と白い灯台。
右:元の港へ到着。
降りたとたん、冷たい雹(ひょう)がパラパラふってきた。





ひもの横丁と下田開国博物館









記念スタンプを4つ集めて応募するというスタンプラリーをやっていたので
スタンプを押せる場所に近いお店で昼食をとることにした。
下田港に近い「網元 きんめせん 昇龍」。



    

カウンターの中が船の生簀(いけす)になっている。
お刺身定食。さすがに漁港だけあって美味しい。
カウンターの向かいでは中国人観光客が食べていた。






「昇龍」の裏手の「よろず交流館らくら」の裏手。
「土藤(つちとう)商店」。明治20年操業の酒屋だ。
「らくら」でスタンプを押した。



   

地場産品やレトロな品物がいっぱい。



    

左:年代物の冷蔵庫。
右:「らくら」で買った「開国下田紅茶」。
ペリー、プチャーチン、ハリスと3種類あって
これは「ハリス・ティー」というハーブティー。
「安政3年(1856年)日本最初の米国総領事T・ハリスが
江戸幕府に手土産として献上したのが、
わが国はじめての『紅茶』であった。」







なんとも年代物の干物・鮮魚店「石亀水産」。
鉄トタンの外観を保っている。
ここでもスタンプを押した。






天井の「つるし雛」。
昔は、お天気の悪い日には天井裏で魚を干したそうだ。






次に向かったのが「下田開国博物館」。
なまこ壁の建物だ。
なまこ壁とは防火、防湿のため土壁に瓦をはめこみ
継ぎ目に漆喰を盛り上げて固めた土蔵造りで
漆喰がなまこに似ていることから、こう呼ばれている。

館内にはペリー艦隊、ロシア使節プチャーチン、吉田松陰などの
ゆかりの品々や資料が数多く展示されている。
特にプチャーチンやディアナ号のロシア人乗組員たちの品々、
グラスやプチャーチンの布製のカバン、船室に飾られていた馬の絵が
展示されていたのには感銘を受けた。
内部は撮影禁止。



   

左:博物館脇の水桶。
中:吉田松陰が拘禁されていた場所は、
博物館前の駐車場の一角だそうだ。
右:おみやげ。
ペリーやハリスの接待用に出されたのが「保命酒」というお酒。
みりんのような味だそうだが、それを飴にしたもの。
右は「のど飴 十六味保命酒」。まるっきりニッキ飴だわ。
左は「保命玉」。保命酒入りで、甘酒の味がする。








 似てる? 似てない?
2012年01月23日 (月) | 編集 |

  


似てる? 似てない?
初めて猫のマヨの顔を見た瞬間、マティスの絵が頭に浮かんだ。
そうそう、この絵。
左は「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」。
改めて見比べると、ちょっとビミョウだが…。








似てる? 似てない?
深夜に、半分寝ながら『大洗にも星はふるなり』という映画を観た。
どうもストーリーの展開やテンポが『勇者ヨシヒコと魔王の城』に
似てるなあ…などと感じていたら、あらら、監督が同じ福田雄一。
出演者も山田孝之をはじめムロツヨシ、佐藤二朗と共通だった。
だけど『大洗…』は、最初と最後のシーンしか覚えていない。
それ以外のシーンは寝ていて見逃してしまったから(^^;








似てる? 似てない?
金城武(かねしろたけし)の映画が最近ぜんぜん来ないので
金城に似ている要潤(かなめじゅん)のドラマを代わりに観ている。
左が『タイムスクープハンター』の要だよ。
だけど金城の映画『リターナー』をもう一度観返したら、やっぱり似て非なる
ものなんだなって実感した。要が直線なら、金城は立体ってかんじ。
う~ん、早く金城の新作が来ないかな。







 非道! どじょう首相が福島の子の医療費無料化を断念
2012年01月22日 (日) | 編集 |

■消費税増税、八ツ場ダム再開、高速道路無料化なし、天下り黙認
不良戦闘機購入…などなど、利権持ち官僚や経済界にはうんと甘い顔を向けて
いくらでも巨費を投じる一方で、これからの日本を担う大事な子どもたちには
極端に冷たい仕打ちをする野田政権。自らの手で未来を摘み取るつもりか。









■医師の確保だの他県との公平性だの(下線の部分)、理由が聞いて呆れる。
なお、緑色の部分はウェブ記事にはない、紙媒体に掲載された文章を追加した。



  朝日新聞 1月22日
    http://www.asahi.com/politics/update/0121/TKY201201210563.html

         福島の子の医療費無料化を断念 
                 首相、財源困難と判断


 野田佳彦首相は、福島県内の18歳以下の医療費無料化を断念する方針を固めた。福島県からの要請を受けて検討する考えを表明していたが、財源確保が難しいと判断した。近く県側に伝える。

 東京電力福島第一原発事故の影響で子どもの放射線被曝(ひばく)への懸念が強まっており、福島県の佐藤雄平知事が無料化を求めていた。県外への人口流出を防ぐねらいもある。首相は今月8日に福島県を訪れた際、「政府内でしっかり検討したい」と表明していた。

 野田政権は必要な経費を年間100億円弱と試算したが、医療費が膨らむ可能性も指摘されていた。政権内で検討した結果、無料化で増える受診に対応する医師の確保が新たな問題点として浮上。福島県外の住民との公平性からも難しいと判断した。復興対策本部の幹部は「額はそれほど大きくないが、風邪などの医療費も含めて福島だけ無料にする説明がつきにくい」と話す。

 野田政権は東電が19日に福島県に支払った賠償金250億円を活用する案を県側に打診する。県はこの賠償金を昨年9月に設けた健康管理基金に積み立て、全県民の健康管理調査や18歳以下を対象とする甲状腺検査などに充てる方針。県は18歳以下の医療費無料化を別枠で求めており、県側の理解を得るのは難しそうだ。