激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 戦国武将・小田原北条氏の足跡をたずねて ~小田原市郷土文化館・小田原城天守閣~
2011年09月30日 (金) | 編集 |

■ふう。ようやく月末になって史跡めぐりもひと段落つくことになる。
思えば今月は、わりと近場だが、多摩や箱根、小田原といろいろ巡ったものだ。
これらを基礎編として、次からは歴史に秘められた謎について、もう少しずつ
くわしく解き明かしていってみたい。

今回は9月8日に湯河原の五郎神社をたずね、その後に再び行った小田原城の記録など。





またまた小田原へ





9月になっても真夏日の、暑く日差しがきつい一日。
ここは小田原城への入り口。「藤棚」という変わった地名だ。







地名の由来である大きな藤棚「御感(ぎょかん)の藤」。
小田原市の天然記念物指定・かながわの名木100選のひとつ。
小田原城二の丸で鉢植えされていた藩主・大久保公の藤で
大正天皇がまだ皇太子のときに、お召し馬が藤棚に駆け込んで
花を散らしてしまった。それを見た皇太子が「見事な花に心なきことよ」
と感嘆したことから「御感の藤」と呼ばれるようになったとか。
樹齢約200年。毎年5月にはみごとな花を咲かせる。




    

お堀のスイレン。
スイレンの他にも、菱(ヒシ)や2千年前に千葉県で発見された
大賀ハスもたくさん生えている。
 





小田原市郷土文化館





ここが小田原市郷土文化館。







文化館前のクスノキの大木と木馬のシュールな風景。




    

左:文化館の入り口で、北条氏が使用した朱印を記念に押す。
多摩の日野が新選組のふるさとなのと同様に
ここ小田原は北条氏のふるさとなのだ。
右:朱印は通称「虎の印判」といわれる。
この印判は北条二代・氏綱によって創始され
村々の百姓から税を徴収する場合、家臣や寺社に領地を与えるなど
する場合、または裁判の判決文など様々な公文書に、代々使用された。
 



  

廊下の壁に貼ってある図。
左:後北条氏の関東攻略と戦国末期の北関東の情勢図。
右:治承4年(1180年)源頼朝挙兵頃の豪族の動向。
 
 






頼朝時代の豪族動向図の一部拡大。
この頃の北条氏は、あの尼将軍・北条政子で有名な元祖北条氏。
紛らわしいなあ(^^;
緑の○で囲んだ豪族・土肥実平というのは…。







はい、この人。
湯河原駅前に銅像がある、土肥(湯河原の古名)の豪族。
源氏の武将で、伊豆で挙兵した頼朝が石橋山の合戦で破れて
湯河原の山中に逃げ隠れた時、土肥実平が敵から守ったと
『源平盛衰記』に記されている。
そのさい、賢い夫人が大活躍したと伝わっている。
ちなみに私の夫の先祖は、この実平の家臣だったそうだ。




   

さてこちらの史料は、元祖の鎌倉北条ではなくて後北条(小田原北条)のもの。
左:北条早雲の肖像画。
中:小田原北条時代の出土品の食器類。
右:秀吉の石垣山一夜城で使われた平瓦(天正19年)。







江戸中期の宿場の旅費。
<本陣・脇本陣(大名・公卿など高貴の人の旅館)>
宿泊料は「泊り代」「座敷代」「心付け」の3種類ある。
大名は全部を現金で支払うが、公卿は「心付け」は自筆の色紙・短冊・
白扇などを用いた。本陣・脇本陣は幕府規定の賃金がないので
支払い具合に差がある。
<旅籠屋(一般人の宿泊する旅館)>
主人一人35文、馬一匹35文、従僕一人17文。
(江戸時代中期の幕府制定賃金)

どれも幕府が代金をきちんと決めていたというのがスゴイ。
日野宿本陣も、こんな具合だったんだろうな。







幕末の小田原宿。本陣・脇本陣の表示もある。
日野宿と比較すると面白い。







幕末の小田原宿の古写真。
撮影者はベアト。
道がけっこう広々としている。
蛍光灯の光が写ってしまった







明治初期の小田原宿の古写真。
1871年に小田原の居留地で発行された英字新聞に掲載された写真。
撮影者はモーゼル。
立っている男性の向こう側の建物が脇本陣虎屋三四郎の店。





   

左:飛脚御用鑑札
飛脚は大名行列よりも優先して走れるので
遠くからでもわかるように、棒の先にこの鑑札をつけていた。
左にあるのは、野宿用の飛脚枕。
中:武士の関所通行手形(右)と町人の通行手形(右)。
右:訴状箱(目安箱)。
江戸幕府では、将軍徳川吉宗によって評定所の門前に目安箱が置かれ
藩によっては、幕府にならってこうした箱を設置した。
小田原藩は、藩主忠真の時代に御用所の前に設置された。
ただし忠真の死後に廃止。













   

ちょっと昔の日本のレトロな品々。
右:西武百貨店が出したツチノコの手配書(^-^;




   

小田原周辺に出没する動物の剥製。
左からニッポンアナグマ、ハクビシン、タヌキ。
うちの庭にも出没してるし。




    

左:左側が遊園地と天守閣。
右:城址公園の中にあるこども遊園地。
昔からずっと50円や80円で楽しめる。
 






小田原城天守閣





天守閣入り口。
内部は甲冑・刀剣・古文書などの資料館になっている。
大人400円。内部は撮影禁止。
北条五代のわかりやすい図もあった。

「小田原の刀工」の説明にこんなことが書いてあった。
室町時代中期までの相州刀は鎌倉が中心だったが、後北条氏によって
城下町小田原は政治・軍事・産業・芸能など各種文化が花開いた。
また武具・刀剣の小田原鍛冶も隆盛をきわめた。
その小田原鍛冶は地方へも影響を与え、山本周重、康重兄弟が八王子に
入って武州下原鍛冶を起こした…と。
戦国時代もこのように、小田原と多摩は深い関係を築いていたのだ。







天守閣の展望台から下を見たところ。

小田原城は15世紀中頃の大森氏によって築城されたことになっているが
湯河原の郷土史では、頼朝を助けた土肥氏がその武勲によって
早川荘総地頭に命じられ、小田原城を築城したと記されている。
室町時代になると、湯河原は土肥氏に代わって大森氏の支配になり
さらにその後、大森氏を討伐した小田原北条氏の支配下に入ることになる。







こちらが石垣山一夜城の方向。




   

左:真鶴・伊豆半島方面。湯河原もね。
中:三浦半島方面。
右:箱根方面。






箱根方面になにやら白煙が。
これは大涌谷の噴煙。
こんなに出てて大丈夫なの? こわっ。







報徳二宮神社


   

小田原城に隣接している「報徳二宮神社」。




   

二宮金次郎像で知られる二宮尊徳を祀った神社だ。

<二宮金次郎像  昭和3年、昭和天皇の即位御大礼記念として
神戸の中村直吉氏が寄進したもので、製作者は三代目慶寺円長。
材質はブロンズ。その後これと同じ像は全国の小学校などに向けて
約一千体製作されたが、戦時中すべて供出に遭い、現在残っているのは
この一体だけである。なおこの像は当時のメートル法普及の意図を
反映して、丁度一メートルの高さに製作されている。>

右:湯河原の街中に建っている金次郎像。




    

二宮尊徳翁の像。おじいさんになった金次郎だ(^^;;







経済なき道徳は戯言であり
道徳なき経済は犯罪である。

二宮尊徳…江戸時代後期の農政家・思想家。
多くの農村の指導に当たった。

金次郎の質素倹約の道徳観が、昭和初期の軍部に利用され歪曲化されて
国民統制に使われたのは不幸なことだった。







神社内の植え込みで見つけたヤマカガシ。
毒ヘビだ。










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 戦国武将・小田原北条氏の足跡をたずねて ~箱根 早雲寺・正眼寺~
2011年09月29日 (木) | 編集 |

■まだまだ続く北条氏探訪(*^^*)
迫り来る台風15号を感じながら湯河原の瑞応寺をたずねた今月20日。
そのあとすぐに、今度は一路、箱根湯本を目指したのだった。





いざ箱根へ





ここは以前訪れた、小田原城から3キロのところにある
秀吉が築城した石垣山一夜城への入り口。
この前を通り越して…。







目指すは、箱根の早雲寺。




  

左:箱根湯本通り商店街。
右:滝通り温泉郷。
由緒ありそうな古い旅館が建ち並んでいる。
 
 





ここが早雲寺!





早雲寺惣門に到着。
この近くへは何度も来たことがあるが
肝心の早雲寺を訪れるのは今回が初めてだ。






惣門をくぐると白壁が長く続いている。






早雲寺(早雲禅寺)中門。
門には「臨済宗大徳寺派別格地」と書かれている。
早雲寺は京都北区紫野にある大徳寺の末寺で
大永元年(1521年)、父・北条早雲の遺命によって
息子の北条二代・氏綱が建立した。

早雲寺の門をくぐったあたりから、急に雨が降り出した




    

門を入って右側に鐘楼がある。
「県指定重要文化財 梵鐘」
元徳2年(1330年)鋳造、豊太閤
天正18年小田原攻めの時石垣山一夜城で
使用したものです。とある。 
 





本堂。
小田原攻めのさい、秀吉はここ北条家の菩提寺である
早雲寺を奪って本陣を敷いたのだ。
土方家の菩提寺である多摩の高幡不動尊を
官軍に占拠されるようなものだな。ふ~む。
さぞや力を落としたことだろう。






本堂の裏手の「史跡庭園 北条幻庵作 枯山水香炉峯」。
幻庵は早雲の三男で、長きにわたって北条家を裏から支えた人物である。






本堂の左側にある石碑。



   

左:「遊撃隊戦死士墓」。
花が手向けられている。
遊撃隊は幕末の戊辰戦争の時の幕府軍のこと。
「箱根戦争」で官軍に敗れた遊撃隊の人見勝太郎が建てたもの。
人見はその後、榎本、土方らと共に蝦夷へ渡って箱館戦争を戦った。
人見と一緒に箱根で戦った伊庭八郎も、蝦夷の箱館戦争で戦死。
その遺骸は、箱館五稜郭の土方歳三の墓のすぐそばに埋葬されたという。
中:戊辰戦争の事跡を記した顕彰碑。
右:「明治戊辰之難幕府遊撃隊士等…」と書かれている。

ちなみに大政奉還後に王政復古が発せられて
京都見廻組は新遊撃隊と名前を変え、
新選組も新遊撃隊御雇(おやとい)と改称するようにと命じられたが、
隊士たちの猛反対で、そのまま新選組と名乗り続けたという逸話がある。
そりゃ嫌だよね、見廻組に雇われた遊撃隊なんて屈辱的な名前なんか。




    

左:墓地。奥に北条家五代の墓所と連歌師・宗祇の墓碑がある。
右:徳川二代将軍・秀忠公の侍医の墓。
秀忠といえば、いま放送中の大河ドラマ『江』の夫ではないか(^^;
 





この階段を上った先に北条家の墓所がある。
と、ここでいきなりの大雨 
もうバケツをひっくりかえしたようなものすごい降り方だ。
ううう、北条のいぢわるっ。






豪雨に逆らいながら階段を上っていったが
雨と暗さで、何がなんだかわからない 
確かにお墓は5つあったけど…。

これらの墓は、小田原北条氏滅亡の82年後の寛文12年(1672年)
狭山北条家5代・氏治によって建てられた。
右から北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直の墓。
秀吉に小田原城を陥落された氏政は、弟・氏照と共に切腹し
その墓は小田原駅のそばにある。
したがってこれらの墓は供養墓ということになる。

どしゃ降りの雨でこれ以上長居はできないので、早々に退散することにした。
宗祇のお墓もちらっと見えたが、パス。


と、早雲寺の門を出たとたんに、ぴたりと雨がやんだ。
げげっ!? 北条の呪いか!?
そーいえば、金山彦神を祀っている湯河原・鍛冶屋の金山堂の
内部写真を写したときも、なかなかフラッシュがたけず
半分は暗くも明るくもない妙にボワッとした変な写真になって
薄気味悪い思いをしたっけ。
とはいえオカルト現象のたぐいはあまり信じない私なので
今回も単なる偶然ということにしておこう(^-^;






正眼寺へも行ってみた





気を取り直して、住職が早雲寺と姻戚関係があって早雲研究をしているという
正眼寺(しょうがんじ)へも行ってみることにした。



    

左:雨上がりの箱根湯本の風景。「はつ花そば」の看板が見える。
右:途中で、駐車場の裏手に古びた鳥居を発見。
ライトブルーの車の後ろ側。
 


    

左:看板に「厄除石垣神社由来」と書いてある。
最近(昭和60年)この社の事跡を調べたところ、天正18年の小田原攻めのさい
秀吉が大軍をもって石垣山に一夜城を築き、早雲寺に本陣を置いたが
そこは鬼門となるため、この石垣神社を新設した。
誰が建てたかは不明だが、当時の名工が作ったと伝えられる
木製の天狗の面一対を現在社宝としている。
また古来から厄除け神社とされてきた伝説のとおり、仲宿に大きな災害は
起きていない…云々と、文字が薄くなってよく読み取れないが
こんなふうに記されてる。

右:上の方までずっと登っていったが、肝心の神社が見当たらない。
ここかなと思われる跡はあったが…。
 





その石垣神社のすぐ隣りに正眼寺があった。
早雲寺からは、徒歩で約8~10分のところだ。






本堂。ここも鎌倉時代に建立された、京都大徳寺派の禅寺。
狩野派の襖絵などが残されている。



    

左:苔むしていてよくわからないが、これが芭蕉の句碑かな?
右:奥の階段を昇っていくと…。
さっきの石垣神社に通じる道もあった。
江戸時代までは、神(神社)と仏(寺院)は
一緒の場所に祀られるのが普通だったからね。
ある意味、おおらかな時代だったと思う。
 





曽我堂。






健久4年(1193年)、見事父親の仇討ちの本懐をとげた
曽我五郎十郎兄弟の菩提供養のために建てられたお堂。
箱根神社にも曽我兄弟を祀った社があった。
元祖「歴女」としては曽我兄弟の仇討ちの話は当然知っているが
中学や高校時代に読んだきりなので、詳しい内容は忘れてしまった(;^_^A
ほんとのことを言うと、日本史ってけっこう苦手
世界史は好きだけどね。



    

明治元年に曽我堂は火事で消失。
その後、大正3年(1914年)に松竹歌舞伎の関係者によって再建された。
中村、市川、尾上など歌舞伎役者の名前がある。
 



    

左:湯本方面へ戻る途中にあった銭湯。
右:古い家並みのところどころに、こうした石塚が置かれている。
 






小田原の造幣局の近くにも「はつ花そば」(自然薯入りの蕎麦)があるので
行ってみたら、火曜日はちょうど定休日だった。残念。
そこで、すぐ近くの大衆食堂的な蕎麦処に入った。
揚げナスのおろしそば 650円。
揚げたゴーやも入っている。デザートはナシ一切れ。
意外な美味しさに満足。
ご馳走さまでした(^o^)








 文部科学省が群馬県のセシウム汚染マップを公表
2011年09月28日 (水) | 編集 |

■見ているだけで憂鬱になるが、しっかりこの現実を受け止めなければ…
すでに調査が終わった周辺県の汚染も予想通りひどく、ため息が出るばかりだ。
原発推進者は、こうした汚染マップを見ても何も感じないのか?
自分らだけは安全な場所に住み、安全で高価な食べ物を食べる余裕があるので
他者の苦しみは関係がないとでもいうのか?







図は朝日新聞より。




   朝日新聞 9月27日
     http://www.asahi.com/national/update/0927/TKY201109270600.html

      セシウム飛散、250キロ以遠にも 群馬の汚染地図公表

 文部科学省は27日、航空機を使って測定した放射性セシウムの蓄積量について、群馬県の汚染マップを公表した。東京電力福島第一原発事故によって飛散した汚染の帯が、250キロを超えて広がっていることが分かった。

 8月23日~9月8日、県の防災ヘリコプターで測定した。汚染度の高い地域の帯は、原発から北西60キロ付近まで延びた後、南西に方向を変えて栃木県を越え、群馬県まで続いていた。文科省によると、放射性物質を含んだ雲が山地に沿って風に運ばれ、樹木や雨によって地上に沈着したと推測できるという。

 放射性物質の量が半分になる半減期が30年のセシウム137で最も蓄積が多かったのは県北部。原発から約180キロ離れたみどり市や桐生市などの山間部の一部で、1平方メートルあたり10万~30万ベクレルにのぼった。250キロ離れた長野県境の一部でも3万ベクレルを超えた。チェルノブイリ原発事故では3万7千ベクレル以上が「汚染地域」とされた。








 キリンビール横浜工場見学へ
2011年09月27日 (火) | 編集 |

■久しぶりに、おかみの会に参加。
特にバス旅行については、数年前に車内で体調不良になって
途中の立川駅で降ろしてもらった苦い経験があるので(奥多摩まで電車で
追いかけて合流、帰りの夕食もキャンセル、ひとりで再び電車で帰宅)、
その後もバスを利用する催しには参加して来なかった。
もとより団体行動も苦手だし(^^; 
そんなわけで、今回はわりと近場の横浜ということで、私としては勇気を
奮って一行に混ぜてもらったのだった






海老名で10分間のトイレ休憩。
今回は湯河原町のマイクロバスでGO。






横浜に到着。
中区千代崎町1丁目の電柱に「ビヤザケ通り」と表記されている。
ビヤザケとは、昔のビールの呼び方。
バスの車内から急いで写す






この通りの北方小学校隣りにある「麒麟園」公園。
1870年(明治3年)に米国人のウイリアム・コーポランドが
醸造用に適した水が湧くこの場所に、日本で初めての
「スプリングバレー・ブルワリー(ビール醸造工場)」を建てたそうだ。
その井戸の跡も残っているが、残念ながらバスで通過。






ビール工場周辺マップ。
キリンビールのHPより。
最初の工場が関東大震災で壊れたため
現在の鶴見区生麦の地へ移転した。
生麦といえば、幕末の「生麦事件」(1862年)を思い起こす。
品川宿から生麦村にさしかかった薩摩藩の大名行列の中に
馬に乗ったまま踏み込んでしまった英国人商人一行4人が
怒った藩士に刀で殺傷された事件だ。
当時もこの地は街道沿いに商家が建ち並び、ずいぶん賑わっていたようだ。



    

工場に到着。
 





工場正面。






中に入ると工場の模型があった。
団体行動なので、歩きながら写す。
せわしないなあ
この先の見学コースは撮影禁止だった。



  

見学の後はビールの試飲タイム(^o^)
この写真2つはHPより。
 
 


  

最初に試飲するのは「一番搾り」。
おかわり券が2枚ついているが、20分で3杯飲むのはきつい。
左:これは2杯目の黒ビール。
黒ビールはちょっと苦手だが、これは軽くておいしい。
昼のビールは酔いやすいので、2杯目でストップした。
その昔、PTAのサッポロビール工場見学で10杯くらい飲んで
ベロベロに酔っ払ったことがあった。あはは。
どじょう首相の地元だよん。

右:団体客用のお昼ごはん。
 
 


    

左:昼食後にもビールについてのお勉強(^^;
そもそもビールのはじめは、湿った麦を醗酵させたものを
おかゆとして食べたそうで、ドロドロになったものを
ストローで飲んでいたそうだ。ふ~ん。
ちなみに日本人のビール消費量は世界第5位だって。
1位は中国、2位アメリカ、3位ロシア、4位ドイツ、5位ブラジル。
でもひとりあたりが飲む量は、日本は38位。
1位チェコ、2位アイルランド、3位ドイツ。

右:にごり杏露酒(シンルチュウ)を試飲。
アルコール度はビールの2倍の10%。
一気に飲んだらちょっと酔った
とろりとして香りがよく、普通の杏露酒よりウマッ。
 





レストランから外へ出るとこんなかんじ。






貯蔵タンクが並んでいる風景。
化粧品の瓶みたい(^^;






今はやりの工場群を背景に、じっとたたずむゆがわらバス。
なんちって。






帰りに、メンバーのたっての希望で「横浜赤レンガ倉庫」に寄ることになった。
横浜赤レンガにキリンホールディングスが70%以上出資している。
これは知らなかったな。






横浜赤レンガ倉庫2号館。
新港埠頭の上屋施設として明末期に着工。
89年に廃屋になったが、02年に新たな商業施設としてオープンした。
おしゃれな雑貨やカフェ、レストランがたくさん入っている。
ここもいつでも行けるからと思いつつ、
結局ずっと行きそびれていた場所のひとつだ(^-^;



    

左:30分しか時間がないので、カフェに入ってトイレに行って
ささっとお店を見てまわっておしまい(^^;
創建100周年とかで、ずいぶんと賑わっていた。
その昔には、この建物の横まで列車が乗り入れていた。
またゆっくり訪れたいな。
右:海上保安資料館横浜館。

ということで、どうもお疲れさまでした(*^-^)
 







 石川議員ら3人に「推定有罪」の不当判決!
2011年09月26日 (月) | 編集 |



26日午後、東京地裁に入る石川知裕被告(中央)。
小沢一郎民主党元代表の資金管理団体「陸山会」をめぐる
政治資金規正法違反事件で、登石郁朗裁判長は元秘書の石川被告に
禁錮2年、執行猶予3年を言い渡した 【時事通信社】




■検察調書が採用されなかったのに、その検察もびっくりのこの判決。
石川さんら3人全員が有罪判決を受けた。

■夕方から石川さんは記者会見し、その様子がニコ動で配信された。
ごく短い会見だったが、その中で特に印象的だったのが、
「拘置所の中で検事さんから『事実と裁判の結果は違うものだ』と言われたことが
忘れられません」という言葉だった。

■これまでの事件の経過を知っている者なら、今回は無罪に違いないと確信していた
に違いない。私もそうだ。
それにもかかわらず確たる証拠もないのに、疑わしきは罰するという、まさに法の精神に
反した今回の裁判は、「安政の大獄」ならぬ「平成の大獄」として長く記憶に留められる
だろう。

■また石川さんの記者会見で奇異に感じたことは、大勢詰めかけた記者たちのうち、
積極的に質問をしたのはフリー記者たちで、記者クラブメディアは北海道新聞を除いては
沈黙を守っていた点だ。彼らはこの判決に何の疑問も持たなかったのだろうか?

■3月の大震災をはじめ、台風や大雨の度重なる被害で疲弊している日本に、さらなる
追い討ちをかけてズタズタにしようとしている司法や大手メディアの横暴は許しがたい。
いや、決して許してはいけない。







 ロシア・プーチン氏が来年の大統領選出馬へ
2011年09月25日 (日) | 編集 |

■当ブログはもともと国際政治の話題もけっこう多かったのだが、3.11の大災害を
きっかけに、海外へ目を向ける心のゆとりを失って、どうしても興味の先が内向きへと
傾いてしまった。う~ん、ここはちょっと反省しないとヾ(_ _。)
そんなわけで、本日は久々にロシア政治の話題など…。


■さて2012年のロシア連邦大統領選挙には果たしてプーチン氏は出馬するのか、
その場合、メドベージェフ氏との関係はどうなるのか。
これまでも何度か、そのあたりを推測しながら(というより茶化しながら(^^;)書いてきたが
どうやらうまく決着しそうな雲行きになってきた。
つまり、こんな具合に。



みなさん、こんにちは。アナグマのメドちゃんです。
ぼく、24日の「統一ロシア」の党大会で、「来年の大統領選にはプーチン
首相が出馬するよ。だから党員の皆さんも、大統領選の候補者としてプー
にゃんを応援してね」って演説して、大きな拍手をもらったんだ。



こんにちは。猫のプーチンです。
メドちゃんが党大会で、ぼくを大統領選の候補者にするという提案を出した。
だからぼくは、「ぼくにとって大きな名誉だ。その提案を受け入れるよ」
って答えたんだ。




党大会は、全員一致でぼくの提案に賛成してくれた。
プーチン人気は健在だね。




だからぼくも提案したんだ。
「12月の下院議会選で、統一ロシアの候補者リストの筆頭をメドちゃん
にする」ってね。メドちゃんもOKしてくれた。



ぼくらのことを仲が悪い、特にぼくが権力の蜜の味を覚えてプーにゃんと
反目してるって世界中で喧伝されてたけど、残念ながらそれは違うよ。
ぼくらの目的は一緒であり、ぼくらはふたりで選挙に勝ちにいくんだ。
ねえみんな、10年前を思い出してくれ。
壊滅状態だった愛すべきロシアを復興させたのは、このぼくたちだったことを。





■てな調子で、プーさまの大統領選出馬に至ったのだった
ほんまかいな?






写真:RIA Novosti



   The Voice of Russia  9月25日
     http://japanese.ruvr.ru/2011/09/24/56674830.html

       プーチン氏 2012年大統領選に出馬へ

 モスクワで開かれた与党「統一ロシア」の党大会で、ロシアのウラジーミル・プーチン首相は2012年3月に行われる大統領選への出馬の意向を明らかにした。プーチン氏は近い将来、年率6%から7%の経済成長を確保する目標を掲げている。
 プーチン氏は、今後5年間のうちにロシアを世界でも5本の指に入る経済大国とすると共に、20年以内に2500万以上の雇用を創出するとしている。プーチン氏の大統領選出馬については、メドヴェージェフ大統領が提案したもので、メドヴェージェフ氏自身は「統一ロシア」が再び与党となると予想される新しい政府のなかで協力する準備があることを明らかにしている。

 またアメリカ国家安全保障会議のトミー・ヴィトル報道官は、アメリカとロシアの関係のペレザグルースカ(リセット)は、誰がロシアの次期大統領になるかに関わらず継続されるとの声明を発表し、それはロシア、アメリカをはじめとする世界の利益になることだとしている。

 またドイツのステッファン・ザイベルト首相報道官も、ロシアの次期大統領がいかなる人物であれ、ドイツのアンゲラ・メルケル首相はロシアとの協力を続けていくことを明らかにしている。ザイベルト報道官は、ドイツとロシアは戦略的パートナーシップで結ばれており、いかなる大統領との協力も成功するだろうと強調した。








 北条五代シンポジウムと戊辰戦争の慰霊行列
2011年09月24日 (土) | 編集 |

■台風一過でこれまでの猛暑はどこへやら、朝夕は肌寒さを感じるようになった。
伊豆の観光地の一部は、道路が寸断されたりで大きな被害を受けたそうだ。
ただでさえ観光客の減少で疲弊しているところに自然災害が追い討ちをかけた形で
これから先行きがどうなるのか、お互い心配の種はつきない


■そんな中で、明るい話題を2つ。
まずは昨日23日に、小田原で北条氏に関するシンポジウムが開かれたこと。
ちょうど北条氏の足跡を追いかけている最中に、このグッドタイミング。
自慢じゃないけど、私の見立てもなかなかのもんでしょ(^ー^* )
仕事がなければ行きたかったのに。ううう、残念じゃっ。






写真は小田原箱根経済新聞より。
「松平定知さん(左)、小和田哲男さん(中)、火坂雅志さん(右)」



   小田原箱根経済新聞 9月23日 
     http://odawara-hakone.keizai.biz/headline/689/

小田原市民会館(小田原市本町)で9月23日、「北条五代シンポジウム~北条氏百年の足跡~」が開催された。主催は小田原市と自治総合センター。

 同シンポジウムを共催した北条五代観光推進協議会は北条氏ゆかり地、8市2町が連携。同日に採択した「北条五代観光推進宣言」では北条氏の思想をまちづくりに活かし、魅力を全国に発信。北条氏ゆかりの地の交流を進め、大河ドラマ化に向けて力を合わせることが宣言された。

 第1部は小和田哲男さん(静岡大学名誉教授・小田原ふるさと大使)の基調講演が行われた。小和田さんは戦国時代史が専門で、NHK大河ドラマの時代考証も担当している。「北条五代100年の繁栄」をテーマに北条早雲の思想が五代に渡って受け継がれ、先駆的な国づくりを生み出した仕組みを解説した。

 第2部では小和田さんと火坂雅志さん(小説「天地人」原作者、「北条五代」連載中)をパネリストに、松平定知さん(元NHKアナウンサー)をコーディネーターに迎え、パネルディスカッションが行われた。
 中では早雲の実像などについて語られた。早雲には「戦国の三梟雄(さんきょうゆう)」の一人とされ悪逆非道なイメージがあるが、実は庶民の税率を下げるなど平定後は優れた領国経営を行っていた。税率を下げた分、商業を行い地方の発達した都市の一つとなった。中国(明)との交易も盛んに行われ活気があったとされる。

 戦国時代、経済・文化が発展していた小田原の魅力や新しい早雲のイメージは大河ドラマになりえる題材であり、そのためには地元の運動で盛り上げることが必要と締めくくった。








写真は神奈川新聞より。



   神奈川新聞 9月23日
     http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1109230036/

   目指せ大河ドラマ化、
      8市2町で「北条五代観光推進協」発足/神奈川


NHKの大河ドラマ化や観光交流を目指すため、小田原や鎌倉など戦国武将・北条氏ゆかりの8市2町は23日、小田原市内の市民会館で総会を開き「北条五代観光推進協議会」を設立した。対象を初代の早雲から一族に広げて組織を拡大、PR活動を強化する。

 会長市になった小田原の加藤憲一市長は「減税など領民に対して慈悲深い政治を行ったことは、地元も含めてあまり知られていない。混迷した現代社会にその思想を広める意義は大きい」とあいさつした。

 2001年10月に発足した前身組織の加盟自治体は、小田原市と井原市(岡山)、沼津市(静岡)、伊豆の国市(同)、箱根町。今回、鎌倉市、八王子市(東京)、伊豆市(静岡)、三島市(同)、寄居町(埼玉)が加わり、8市2町の体制になった。

 世界文化遺産への推薦が決まったばかりの鎌倉市は、8月下旬に急きょ参加を表明。松尾崇市長は「早雲によって築城された玉縄城は来年、築城500年を迎える。市民が祭りを計画するなどまちづくりの中心になっている」と地元の活動を紹介した。

 最後に北条五代の顕彰活動や大河ドラマ化に向けた協力など、4項目の観光推進宣言を採択した。

 この後開催されたシンポジウムには市民ら約千人が参加。小田原ふるさと大使・小和田哲男さんの講演と北条五代をテーマに執筆活動中の小説家・火坂雅志さんらの討論会があり、北条氏の魅力が語られた。




■私が北条氏(と新選組)の足跡をたずねた箱根、伊豆韮山、三島、八王子も協議会に
加わったのが何よりうれしい。
方向性が間違っていなかったことが確認できたし(^o^)
できれば鎌倉北条、小田原北条ともに関係のある、ここ湯河原も加えてくれやっ。



■2つ目の話題は、福島・会津若松で戊辰戦争の慰霊行列が行われたこと。
戊辰戦争の敗北で賊軍として過酷な暮らしを強いられ、今また原発事故で
多大な被害と差別を受けている福島。
この二重の苦しみから一刻も早く立ち直ってほしいと心から願う。
ニュース動画では、ダンダラの隊服を着た新選組ファンたちも大勢参加していて
見ているだけでとても勇気づけられた思いがした。






写真は朝日新聞より。
会津藩公行列に参加した大熊中の生徒たち
=23日午前、福島県会津若松市、金子淳撮影



   朝日新聞 9月23日
     http://www.asahi.com/national/gallery_e/view_photo.html?national-pg/0923/TKY201109230298.jpg

     避難生徒の「白虎隊」も登場 戊辰戦争の慰霊行列 福島

 戊辰戦争の犠牲者を慰霊する「会津藩公行列」が23日、福島県会津若松市であった。馬に乗った歴代会津藩主や武者、姫の格好をした市民ら約500人が市中心部を練り歩いた。

 原発事故で市内に避難している同県大熊町の大熊中の生徒34人もはかまなどを身に着けて出陣。「白虎隊」ののぼりを先頭に、銃ややりを持ってエイエイオーと元気な声をあげた。生徒会長の3年、一ノ瀬まみさん(14)は「会津の伝統ある祭りに参加できて、誇りに思います」と話した。

 出陣式は、震災直前に赤瓦にふき替えられた鶴ケ城(会津若松城)の本丸であった。2発の空砲のあと、のぼりや刀を突き上げて続々と出発。沿道には大勢の観光客が詰めかけた。(池田拓哉)









 戦国武将・小田原北条氏の足跡をたずねて ~湯河原 瑞応寺・金山堂~
2011年09月23日 (金) | 編集 |

■今日も今日とて台風の後片づけに追われる
道路も渋滞しているようだ。
うれしいことに、常連の猫たちも徐々に姿を現すようになった。
トラ、チャチャ、ラッキー、マル。
そしてなかなか来ないので心配していた斑目キンちゃんも
お昼過ぎにエサを食べにやってきた。ふう、よかった


■で、昨日の続きなど…。
9月8日に五郎神社へ行って、台風がやって来る前日の20日に再び
五郎神社の近くにある瑞応寺をたずねた。







謎の湯河原・瑞応寺





このお寺の何が謎めいているかというと
まず五郎神社のそばにあること。お寺の場所は「鍛冶屋中央」。
そして黄檗宗(おうばくしゅう)という、禅宗の中でも珍しい宗派であること。
だけど最も怪しいのは、私の連れ合いの祖母の兄弟のお寺だったということ
お寺の名前を書いた「正典」さんという人も、だから親戚だそうで…。わはは。







山門。







本堂。




    

左:怪しいお堂が。
右:お堂の中にはギョロ目の「おびんずるさま」。
十六羅漢の一人の仏様で、病気が治ったり罹らなかったりで
崇高されていると説明書きにある。
 


    

左:瑞応寺から鍛冶屋地区を眺める。
お寺の若いお坊さんに、五郎神社と鍛冶、北条氏の係わりについてたずねてみた。
すると古い歴史は失われてはっきりしたことはわからないし、
北条氏との関係についても諸説あって、どれも真偽を断定できないという。
ただ鍛冶屋と製鉄のつながりについては、五郎神社の他に
この近くの金山堂というお堂に手がかりが残されているそうだ。
そして金山堂の御神体も金山彦命とのこと。
右:瑞応寺から下っていくと、すぐ右手になにやら茂みが。
 





そして金山堂へ





あった、金山堂。
なんか多摩の石田の、土方一族の稲荷がある「とうかん森」を思い出した。
雰囲気が似てるかも。





    

お堂の前の石碑。
施主は柏木氏。「安政」の文字が刻まれている。
安政年間(1854~59)といえば、
前年にペリーの黒船が浦賀に来航した、そんな時代だ。
59年には安政の大獄が起こり、翌年60年は桜田門外の変。
ちなみに文久3年(1863)には、のちに新選組となる浪士組一行が
京に上り、翌年の元治元年(1864)に池田屋事件が起きた。
 



    

石仏や供養塔。
 





上の長押の古い彫り物と、あとから建てた下のバラック造りがちぐはぐな感じだ。
鍵がかかっているから、お寺の人が隙間からのぞいてねって言ってたので…。






のぞいてみた(^^;
これが御神体の金山彦命。






テーブルの裏に「金山講中(かなやまこうじゅう)」の字が見える。
鍛冶屋に住む人々は、江戸時代からこうした講中を作っていたようだ。
デジタル大辞泉によると、講中とは
1.講を作って神仏にもうでたり、祭りに参加したりする信仰者の集まり。
2.頼母子講(たのもしこう)・無尽講などの仲間。

古老の言い伝えでは、湯河原鍛冶屋集落における製鉄は鉄鉱石を原料にしていたとか。
鍛冶屋集落の脇を流れる新崎川の上流、幕山のさらに北にある大石ヶ平あたりが
採掘場だったのではないかと推測される。





■う~ん、鍛冶だの金山つながりで、史実が抹消されてしまったとはいえ
その昔、湯河原で製鉄が行われていたのは確かだろう。
ここに北条氏がどうかかわっていたのか、また刀鍛冶の岡崎五郎正宗は?
と謎は一層深まるばかりだ。
また瑞応寺もこれらと深く関係しているはずで、叩けばもっと何やら出て
くるかもしれない(^-^;

次回は再び小田原城と箱根の早雲寺紀行を記してみたい。







 戦国武将・小田原北条氏の足跡をたずねて ~湯河原 五郎神社~
2011年09月22日 (木) | 編集 |

■昨日は午後から台風15号の影響が徐々に出始め、これまで経験したことが
ないくらいの激しい風雨に翻弄された。
自販機のゴミ箱が倒れてペットボトルや空き缶が散乱し、隣りの宿の置物のタヌキが
道路の真ん中まで吹っ飛んで壊れた。
一番怖かったのが、すぐ隣りを流れている藤木川がみるみるうちに増水して、
茶色い濁流となって川底の大石をゴロゴロ押し流し始めたことだった。


■幸い藤木川が溢れることはなくホッと胸をなでおろしたが、小田原市の酒匂川が
氾濫するおそれがあるということで約10万人に避難勧告が出て、湯河原の駅方面も
停電になったらしい。
一夜明けて、玄関前や露天風呂にたまったげんなりする程の木の葉や折れた枝の山や
鉄扉の隙間から入り込んだ雨水の処理などに追われ、ようやく片付いたのが午後3時
過ぎだった あ~疲れた。


■昨日は台風直撃で何も手がつけられず、おとといの20日は台風が来そうなので
急遽お休みにして、近所のお寺と箱根の早雲寺に出かけた。
そんなわけで、8日に行った五郎神社・小田原城と20日の分をミックスして
性懲りもなく(^^; 記してみたい。












「謎以外に、いったい何を愛せようか?」  ニーチェ





湯河原・五郎神社の謎





湯河原海岸。
鉄を含んだ砂は黒く重い。
戦国時代、湯河原は刀や鉄砲作りの一大拠点でもあったという。





    

左:湯河原の地図 駅周辺と北部の山側のみピックアップ。
地図の上(北)に「鍛冶屋」という地名がある。
右:その鍛冶屋に建つ「五郎神社」。村社と記されている。







五郎神社の鳥居。
小田原北条氏(正確には後北条氏)と配下の乱波(らっぱ・忍者のこと)風魔一族の
ことを調べていたら、どうやら湯河原の鍛冶屋集落にも足跡を残していたことが
わかった。三代目・北条氏康の時代である。

このことをごく簡単にだが、以下にも記した。
「ミステリー湯河原・鍛冶屋の謎 8月5日」
http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-entry-1835.html







鳥居をくぐって境内に入る。
ふだんは無人の神社だ。

かつて鍛冶屋には技術集団である鍛冶職人が住んでいて
北条氏康はこの集落を中心に製鉄や鉄砲造りを行った。
これが北条氏100年の繁栄の秘密であり、
この秘密を守っていたのが風魔だという。
ところが北条氏が滅んだあと、江戸幕府は徹底的にこうした
歴史を抹消してしまったため、風土記には土肥鍛冶屋村とだけ
記述され、製鉄のことも鍛冶職人のことも、ましてや北条や
風魔の痕跡もいっさい残っていない。







本殿。室町時代後期の建立とみられる。
五郎神社の名の由来ははっきりわかっていない。
一説には関東平氏五霊を祀るところから、五霊→五郎と変化したとか
鎌倉権五郎景政を祀っているからだとされている。
しかし私は「ミステリー湯河原・鍛冶屋の謎」で記したように、
五郎神社のそばにある木村美術館に展示してあった刀の作者である
岡崎五郎正宗が、何か関係があるのではないかと考えている。
残念ながら木村美術館(個人の美術館)は現在閉館中のようで
そのあたりを聞くことはできなかった。




    

左:彫刻が素晴らしい。
ただの村社にしては手が込んでいると思われるが…。
右:「玉垣奉献」
元亀年間創立以来この郷の鎮守として
郷民の崇敬を集めてきた当社に
この程氏子有志相はかり境内玉垣一構を完遂いたしました。

元亀年間といえば1570年~1573年のこと。
元亀の次が天正で、天正18年に秀吉によって北条氏は滅亡する。
時期的にも北条氏支配の中で建立された神社であることがわかる。







狛犬ならぬ狛猿(^^;




   

左から、本殿の右側、左側の狛猿。
一番右は正面の顔。



   

本殿の後方にある祠。
右:お賽銭は本堂の賽銭箱へ 山の神 と書いてある。

かつて五郎神社は、湯河原駅寄りの五所神社、箱根神社と共に
「三神森」といわれるほど鬱蒼とした木々が茂っていたらしいが
今では写真でもわかるように、スカスカしたかんじになってしまっている。

さて肝心の五郎神社の祭神はというと、金山彦尊(かなやまひこのみこと)である。
名前の通り「鉱山」を司る神様で、やっぱりねってかんじだ(^ー^)ノ
明治44年に面足尊(おもだるのみこと)を合祀したとある。





■そんなわけで、なんかちょっと物足りないな…という思いのまま
五郎神社を後にした。
で家に帰ったあとで、そういえば五郎神社の近くに、やはり謎めいたお寺が
あったことに気がついた。う~ん、またも次回への宿題か。








 脱原発集会に6万人が集結!
2011年09月19日 (月) | 編集 |

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写真:産経新聞
【脱原発で最大規模集会 東京・明治公園に6万人 大江健三郎さんら訴え
反原発を訴えるイベント「さようなら原発1000万人アクション」が
東京都新宿区の明治公園で行われた=19日午後、東京都新宿区(荻窪佳撮影】



■大江氏ら多数の著名人が呼びかけたため、これまで脱原発で1万人、2万人規模の
集会デモすら過小評価、あるいはまったく無視してきた大手メディアも、今回ばかりは
取材・報道せざるを得なかったとみえる。

子連れの一般市民がこのように続々と集結している姿に、胸が熱くなった。
休日は仕事の都合で参加できないが、ここ片田舎からも心からエールを送りたい。


   NHK 9月19日
     http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110919/t10015695281000.html

        大江健三郎さんら 脱原発訴える

 「脱原発」を訴える集会が、19日、東京都内で開かれ、ノーベル賞作家の大江健三郎さんら文化人やジャーナリストも参加して、原発の廃止などを呼びかけました。

 東京・新宿区で開かれた集会には主催者側の発表でおよそ6万人が集まり、呼びかけ人となったノーベル賞作家の大江健三郎さんや、経済評論家の内橋克人さんらが壇上に立ちました。このうち、大江さんは「原子力によるエネルギーは必ず、荒廃と犠牲を伴う。私たちはそれに抵抗する意志を持っていることを、政党の幹部や経団連に、デモで思い知らさねばならない」と呼びかけました。また、内橋さんは「技術が進歩すれば安全な原発が可能であるという『新たな神話』が台頭しつつある。こうした動きを私たちは警戒しなければいけない」などと訴えました。
 このあと、参加者は3つのルートに分かれて都内をデモ行進し、脱原発や、子どもを放射線から守ることを呼びかけるプラカードなどを手に、原発の廃止を呼びかけていました。集会に参加した神奈川県の教員の男性は「自分の勤めている学校でも校庭の放射線を測定していて、原発の問題はひと事ではない。福島県の教員が脱原発に向けて頑張っているので、少しでも力になりたい」と話していました。








何回でも貼りまっせ

「原発いらにゃい! 11匹アクション」