激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 7月も終わりにけりな…モゴモゴ
2011年07月31日 (日) | 編集 |








■今月は預かったちびっこギャングに振り回されたりで、疲労が蓄積。
ブログもガタガタになってしまった
ま、多摩に行けただけでよしとするか。
しかし、これまで生きてきた長~い歳月の中で、最もワクワク感のない
夏ではあるな。
この先ずっと何年も、こうしたむなしい気分が続くのだろうか。
…とため息をつきつつ、このむなしさに抗いながらシャキッとしなければ。








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 千葉県柏市でコバルト60が検出された
2011年07月30日 (土) | 編集 |

■私も以前からブログやツイッターで、ふくいち原発3号機は
水素爆発ではなくて「核爆発」だったのではないかと書いてきたが
実際にこうした現実を突きつけられると、やはりショックは大きい。
柏市や松戸市、流山市には知人も多いのだ。


   「放射線ホットスポットになってしまった
        松戸市在住10年目のパパの放射線対策日記」 7月26日
     http://10401.blog.fc2.com/blog-entry-88.html

    柏市内でコバルト60の検出の意味

かなり気になる情報を入手したので紹介する。
柏、松戸、流山等東葛地区に3月21日早朝雨とともに降下した放射性物質は福島第一原発三号機のプルサーマル燃料自体が溶けて飛散したものであることを示唆する結果だ。つまり、セシウムやヨウ素どころじゃなく、ウランやプルトニウムも柏、松戸、流山等に降っている可能性が高い。これらα線核種は検出が困難なので国は調査してないのか、あるいは、検出して隠しているのか。
内部被曝したらセシウムなんか比べものにならないくらい放射線エネルギー量が莫大だぜ。
(以下は同ブログでお読みください)








 米国にデフォルトの危機迫る
2011年07月28日 (木) | 編集 |





■これまでずっと危ぶまれてきた米国の経済危機。
米財務省は財政赤字上限の引き上げ期限を8月2日と定めてきたが
民主党と共和党は期限までに合意できる見通しが立たず、このまま
いけば米国債のデフォルト(債務不履行)や格下げによって、世界経済
にも大きな影響が及ぶのではないかと懸念される。
とりわけ何事も米国追随で過ごしてきた日本は、一緒に沈没してしまわない
よう、まともな政策がわかる政治家(現執行部以外の)にしっかり舵取りを
お願いしたいものだ。


   ロイター通信 7月28日
     http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPnJT895586020110727   

    8月2日以降の借り入れは不可能、
      それ以降すべての支払い履行できる保証ない=米財務省


[ワシントン 27日 ロイター] 米財務省は27日、政府は8月2日以降、借り入れを行うことはできないとあらためて表明するとともに、議会が債務上限を引き上げなければ、2日以降すべての支払い義務を履行できるか保証できないと警告した。
 一部では、税収が予想を上回っており、米政府は8月半ばまでデフォルトに陥ることはないとの見方も出ていたが、財務省は税収は予想と一致していると言明。

 「6月、7月の税収は予想通りだ。8月2日以降、米国が借り入れ権限を失うという事実は変わらず、8月2日以降すべての支払い義務を履行できる保証はない」とした。









 土方歳三考 その4 ~歳三の故郷・多摩をたずねて(4) お土産編~
2011年07月23日 (土) | 編集 |

■というわけで、台風接近中の中、無事に帰還 
今回はなんとも予定調和的な、さしたる新発見とか予測外の驚きは
なかったけれど、どっぷり土方歳三と新選組の母体の地・多摩に
浸れた1日だった。


■で、どーでもいいお土産など…(^^;
お土産自体がほしいというより、単にこういうのがあったと記録したい
だけなのかもしれないが。
同様に旅の記録も、常に人物よりも土地や建物の写真を主体に撮るので
どうしても無機的なかんじになってしまいがちだ。
その昔、趣味で小説を書いていたときも、メンバーらから、文章や内容が
クールであまり人間味が感じられないと批評されたものだった。
ま、これは好き嫌いなのでどうにもいたしかたないが、これからも昆虫採集や
フィールドワーク的なクールで偏屈な視点でものごとを観察していきたい(^。^)









高幡不動尊で買ったお土産。
絵馬が新選組ブルーだったらよかったのにね。
右端は歳三の一筆箋。







不動尊の前の高幡まんじゅう店で買ったお土産。
派手派手の紙袋がうれしくも恥ずかしい(^^;
こんなん持って街中を歩けるか!




    

その名もずばり「土方歳三まんじゅう」の裏と表。
クリームとこしあんのセットで。




    

中身はうれしいおまけ入り。
しおりとポストカード。




    

ポストカードの裏と表。
まんじゅうの形は、隊士・中島登が描いた
歳三の姿絵を模したもの。




    

誠の文字が入った瓦せんべい。







幕末ビール。土方歳三編。
包み紙も隊士名入りで、泣かせますね。







紙を破ってみたら、こんにゃの出ました。
ライトな喉ごしでうまかったにゃん。byマヨ
















歳三ビールを、これまでの酒瓶コレクションに加えてみた。







これに伊豆・韮山反射炉の江川坦庵(太郎左衛門英龍)ビール(右端)を
さらに加えると、よりいいかんじに(^o^)







土方歳三考 その4 ~歳三の故郷・多摩をたずねて(1) 
http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20110720.html

土方歳三考 その4 ~歳三の故郷・多摩をたずねて(2) 
http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20110721.html

土方歳三考 その4 ~歳三の故郷・多摩をたずねて(3) 
http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20110722.html







 土方歳三考 その4 ~歳三の故郷・多摩をたずねて(3)  向島用水親水路・高幡不動尊~
2011年07月22日 (金) | 編集 |

■ようやく3回目に突入(〃´o`)=3







~新井橋を渡って向島用水親水路を歩く~  






    

左:浅川に架かる新井橋を渡ると、すぐ目の前を多摩モノレールが走っている。
せっかく1日切符を買ったのだが、高幡不動駅へはこのまま進む方が
早いので、ぶらぶら歩いていってみることにした。
右:しばらく歩くと遊歩道に出た。
向島用水親水路だって。
このころから急にまた雨足が強くなった。
 



   

左:緑が濃くなってきた。昔へタイムスリップした気分だ(^-^)
中:小川が流れている。
右:お、水車小屋。




   

左:もう栗がなっている。まだ緑のイガだけど。
中:また「誠」印の標識があった(^^;
左←高幡不動駅  右→ふれあい橋
うしろの茂みにキノコがいっぱい生えている。
右:小学校前を通りガードをくぐると…











~そして高幡不動尊へ~  









そこは高幡不動駅前だった。







シャッターに近藤勇ちゃんの顔が







真言宗智山派別格本山・高幡不動尊金剛寺。
関東三大不動尊(高尾山薬王院・高幡不動尊・深大寺)の一つで
あじさいの名所としても有名だ。







しかし何よりも土方歳三の菩提寺として有名であり(^^;
境内へ入るとすぐに歳三の立像が建っている。
土方の立像としては初めてのもので、平成7年(1995年)に
日野ロータリークラブによって建立された。
立像の高さは2.4メートル、台座部分も加えると4.3メートルになる。







像のアップ。
和装姿の歳三はどんなかんじだったんだろうか。







像の後ろ側。







そのアップ。

現在の高幡不動駅と百草園(もぐさえん)駅の中ほどあたりに
その昔、湯沢、中沢、小沢という3つの沢があったことから
「三沢」という村ができた。
時は戦国時代、この三沢の地に北条氏照に仕える
「三沢十騎衆」という勇猛果敢な地侍集団がいた。
その棟梁が三沢村の名主、土方弥八郎。
彼ら土方一族の使命は、北条氏の滝山城守備にあった。







像の側面。

三沢十騎衆の棟梁、土方弥八郎の先祖は高幡氏である。
ゆえに、高幡不動尊が歳三の菩提寺であるという関係が
ここから導き出されるのだ。 たぶん(^^;







台座の文章。
土方歳三が日野石田に生まれ、新選組副長として活躍し、箱館で戦死するまでの
経歴と、現在もなお男の美学として広く語り継がれていること。
そうした彼を顕彰し、出陣姿の歳三像を建立したという経緯が記されている。







土方歳三像の隣りにある「殉節両雄之碑」。
近藤勇・土方歳三顕彰碑である。
高さ3メートル。
明治新政府は明治7年(1874年)、旧幕軍関係者を祀ってもよい
という許可を出したので、明治9年(1876年)に当時の住職が
佐藤彦五郎、近藤勇五郎、小島為政らと碑の建立計画を立てた。
しかしながら近藤・土方は当時の賊軍のトップでもあったため
なかなか実行にはこぎつけず、実際に碑が完成したのは
明治21年(1888年)のことだった。







顕彰碑建立のそうしたいきさつの説明文。







顕彰碑の篆額(篆字:てんじで書かれたタイトル)「殉節両雄之碑」。
最初は最後の将軍・徳川慶喜に書いてくれるよう頼んだのだが
慶喜は近藤・土方の戦いぶりとその死の様子を知って
無言のまま、ただハラハラと涙を落とすだけだった。
そんな慶喜に代わって快く書いてくれたのが、
もと会津藩主であり京都守護職でもあった松平容保だった。







近藤・土方の事績が刻まれている。
文を選んだのは、もと仙台藩の儒者・大槻盤渓、
筆跡はもと幕府典医・松本良順のものである。




    

高幡不動尊のシンボルでもある五重塔は
3.11東日本大震災で被災し、復旧工事中だった。
 



    

お鼻井戸
「建武2年(1335年)8月4日
夜の大風の為、不動堂が倒れた折
不動尊像が落ちて鼻をついた所と
伝へられている」

奥に水がたまっているが、よくわからない 




    

左:新しく建て直された大師堂と聖天堂。
右:鎌倉時代様式の大日堂。
鳴り龍天井や土方歳三の位牌がある。
台風のため参拝中止。
このあたりからまた雨が強くなってきた。







ここでも水琴窟発見!
残念ながら雨音と混じってよく聞こえなかった。










    

左:雨に煙る「奥殿」。
日本一の不動三尊といわれる、両脇に童子像を従えた
丈六不動三尊像(重要文化財)が安置されている。
右:またこの奥殿では、土方歳三書簡をはじめ新選組関連資料も
展示されているが、台風のためここもお休み。しょえ~っ。
ま、どんなものか知ってるからいいけど。







境内側から見た仁王門(重要文化財)。
これもまたよく知られたエピソードだが
幼い頃の歳三がこの仁王門によじ登って、
ここに巣を作っていた鳩のタマゴを盗り
下を通る人に投げつけるといった悪戯をしていたそうだ。




   

左:屋根の内部。  中:正面。  右:説明札。




    

おなかがすいたので、不動尊近くの「開運そば」で
開運わんこそばを食べる。
座ったテーブルも「金運大吉」席だって。
どうか運がつきますように(-∧-)
お店の中もクーラーが効いて涼しかった。







お土産は、やっぱりここで(^^;




   

左:新選組慰霊顕彰句碑だって。
歳三をはじめ新選組隊士たちの詠んだ句が並んでいる。
中:五十音順の隊士名簿。
右:高幡まんじゅうの松盛堂さん隣りの
無料お休処・豊玉亭。椅子は歳さんのひざの上(o^-^o)




   

左:天然理心流道場門人募集のポスター。
中:ここにも勇ちゃんの巨大なお姿が。
右:新選組隊士・中島登(のぼり)が描いた歳三絵姿っぽい(^^;壁絵。







そんなこんなで高幡不動駅からモノレールに乗って
帰路についたのだった。
また時間が取れたら、日野宿本陣や周辺のお城めぐりをしてみたいな。







■土方歳三考 その4 ~歳三の故郷・多摩をたずねて(4)に続く


土方歳三考 その4 ~歳三の故郷・多摩をたずねて(1) 
http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20110720.html

土方歳三考 その4 ~歳三の故郷・多摩をたずねて(2) 
http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20110721.html







 土方歳三考 その4 ~歳三の故郷・多摩をたずねて(2) 北川原公園・石田寺・浅川~
2011年07月21日 (木) | 編集 |

■(1)の続き。
モノレールの多摩センター駅周辺ではどしゃ降りだったにもかかわらず
万願寺駅へ降り立ったときはすっかり雨もやんで、大型台風もどこへやら
ちょうどよい散策日和になった。

さて「とうかん森」からすぐ先のT字路に…。









~不思議空間・北川原公園~  






    

左:不思議な階段が。
右:この階段を昇ると北川原公園になってるんだって。
やっぱり不思議だヽ(~~~ )ノ
 






階段の途中で外を見ると「とうかん森」が。
上からだとけっこう葉が茂っているのがわかる。







ここが北川原公園グラウンド。
右側に見えるのが浅川水再生センターの建物で、
実はこの水再生センターの屋上を利用して作られた公園なのだ。
そしてこれはあまり知られていないことなのだが
この公園の今写っている場所あたりが、
おそらく土方歳三が生まれた元の生家の位置ではないかと推測される。
だから、こここそが歳三の本当の生誕地なのだ。
びっくりした? うふふ。




    

左:浅川方面。  右:とうかん森方面。
このあたりは浅川と多摩川の合流地点で、
昔は洪水のたびに大きな被害が出た。
歳三の生家も彼が12歳のときに多摩川の氾濫にあい、
現在の土方歳三資料館がある家へ移築された。
 









~みなみぼり遊歩道を歩く~  







   

左:階段から降りながら下をのぞくと、こんな緑地が広がっている。
中:ここが「東京都多摩川流域下水道 浅川水再生センター」。
私も子どものころは、もっと川崎よりだが、多摩川でよく遊んだので
多摩川という響きにとても郷愁を覚える(*^^*)
右:この水再生センターのわき道が「みなみぼり遊歩道」になっている。




    

左:遊歩道の中にある東屋。
右:こんなミニ滝も。水が流れているだけで涼しく感じられる。
 



    

おっ、水琴窟(すいきんくつ)だ!
水滴が落ちる穴にたまった枯葉を指でのけると、
きれいな音が聞こえた。
 














~歳三の墓所・石田寺へ~  






    

右:画面右側が遊歩道。
左:その隣りの白い塀をぐるりと巡ると…。
 






土方家の墓所がある石田寺(せきでんじ)正面に出る。
正式な名称は「真言宗愛宕山地蔵院石田寺」。
高幡山明王院金剛寺(高幡不動尊)の末寺でもある。
1544年に多摩川が増水したときに、どこからか十一面観音が
ここ石田寺に流れ着き、さびれかけた寺がもう一度盛り返した
という伝承が伝わっている。

この石田寺の門の前で、新選組や多摩メンバーについての薀蓄を
こんなふうに解説したいわァ 
ふっふっふ。







少し引いてみると、境内に大きなカヤの木が。
電線が邪魔なんですけど




    

門の屋根の側面と内側。
 



   

左:門をくぐると、すぐ脇にお稲荷さんがある。
中:6つの菩薩像。
右:「市指定天然記念物 石田寺のカヤ」
この説明書きによると、樹高約26メートル、幹周囲4.2メートル
樹齢400年以上とのこと。







カヤの大木の隣りに建立された「土方歳三義豊之碑」。







碑のアップ。
明治百年祭を記念して、昭和43年(1968年)に建てられた。
施主は歳三の兄・喜六のひ孫である土方康氏。







このあたりはみな土方一族のお墓が並んでいる。
石田寺に近づくころには、雲間から日が差すような好天になった。
さすが土方パワー!  台風などなんのそのだ。







あった、土方家と歳さんのお墓!
といっても実際に埋葬されているのは、箱館(現函館)・五稜郭のどこかだけど…。
古いお墓は上の方が欠けてしまったので、平成11年(1999年)に
新しいこのお墓が建てられた。
古いお墓は奥の方に移されたが、きょうは見るのを遠慮した。
その古いお墓には歳三の戒名の右に、1813年に亡くなったおじさんの戒名が
そして左側には長男・為次郎(1883年没)の戒名が刻まれている。





    

土方歳三義豊(よしとよ)。
天保6年(1835年)5月、土方隼人義諄(よしあつ)と恵津の間に末子として生まれる。
近年の調査で、6人ではなく10人兄弟姉妹であったことが明らかになった。
明治2年(1869年)5月11日、箱館にて腹部に銃弾を受け戦死。享年35歳。
 






法号(戒名)は「歳進院殿誠山義豊大居士」
(さいしんいんでんせいざんよしとよだいこじ)







写真と絵もそえられている。







墓石の側面。
「俗名 土方歳三義豊 
明治2年5月11日
箱館一本木関門に於いて戦死
享年三十五才」







この墓所には歳三だけでなく、歳三の家族の墓も周囲に並んでいる。







向かって左側の列。
左から3番目は、歳三の両親の墓である。
右側に父の戒名、義諄居士の文字が見える。
左側には恵光妙馨(?)大姉、母恵津(1840年没)の戒名だ。
また右の側面には16歳で没した歳三の姉・周の戒名も刻まれている。

左隣の少し大きめの墓は歳三の2番目の兄・喜六(40歳で没)のものだ。
土方家では代々当主は隼人の名を継いだ。







墓石の後方を写す。
喜六の墓の側面と後側に文字がびっしり刻まれている。
書いたのは3番目の兄・大作である。
大作は医師・粕谷家の養子になり、粕谷良循という名の蘭方医になった。










~浅川のほとりへ~  




  

左:石田寺の隣りにあるのが都立日野高校。
忌野清志郎や三浦友和がこの高校の卒業生だ。
右:その少し先に浅川が流れている。
 
 



    

左:台風の影響で浅川は増水し、流れも速い。
かつての洪水のときもこんな感じだったんだろうな。
土方家は副業として、多摩川や浅川の河川敷に自生している
タデ科の植物ミゾソバ(溝蕎麦)、別名・牛革草(ぎゅうかくそう)を刈って
黒焼きにし、家伝薬「石田散薬」を作っていた。
歳三が剣術修行のかたわら、この石田散薬を売り歩いていたのは
広く知られた有名なエピソードである。
右:牛革草。ウシノヒタイ(牛の額)とも呼ばれる。
ほんとに牛の顔に似ている(^o^)
写真は「植物園」さんのHPから拝借した。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/BotanicalGarden.html
 



    

左:浅川の上を多摩モノレールが通過中。
右:浅川にかかる新井橋。
 






新井橋から浅川を望む。






■土方歳三考 その4 ~歳三の故郷・多摩をたずねて(3)に続く


土方歳三考 その4 ~歳三の故郷・多摩をたずねて(1) 
http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20110720.html








 土方歳三考 その4 ~歳三の故郷・多摩をたずねて(1) 土方歳三資料館・とうかんの森~
2011年07月20日 (水) | 編集 |

■昨日に引き続いて大型台風6号接近中のため、休館日に。
テレビでは、関東地方も一日暴風雨が予測されるので、外へ出歩かないように
とさかんに注意を呼びかけている。
しかしながらわが家独自の天気予報によると(^^; 台風の影響はそれほどでもない
ということになったので、このさい思い切って多摩へ行ってみることにした。
なんたる無謀! わはは


■荒天のため、箱根は昨日も今日も全山道路封鎖。ひどいねえ。
これじゃ商売あがったりだワ。
中央道も封鎖なので、どこも道路が込み合って予想以上に時間をくってしまった。






  

左:大磯パーキングエリアで不思議なトラック発見。
右:コアラが食べるユーカリの葉を搬送中。
多摩ナンバーのトラックなので、たぶん多摩動物園へ行くのだろう。
 
 



     

左:案内板は早い段階で「渋谷・相模原」方面と出ていたので
何ゆえ、東京ではなく渋谷?と不可解に思っていた。
この「金田」というところで、渋谷と相模原が分かれるのか。ふ~ん。
中:そんなこんなしているうちに、多摩都市モノレール発見。
右:起点の多摩センター駅周辺でようやく駐車場を見つけ
どしゃ降りの雨の中、駅に向かう。
ちょうどモノレールが入ってきたところだ。










~多摩モノレールに乗って、いざ出発!~  





  
 
左:「一日乗車券」を買ってみた。850円。
右:多摩センター駅。
 






万願寺駅に到着。
本当は日野駅に近い甲州街道駅まで行って、万願寺→高幡不動→多摩センターと
戻ってくるつもりだったのだが、道路が込んでたりして時間の余裕がなくなったので
万願寺周辺にしぼることにしたのだ。
車内はほぼ学生たちで満員だった。
午後からの授業に出るのだろう。





  

左:駅構内の柱に「新選組副長 土方歳三生誕の地」と記されている。
右:駅を出たところには「新選組のふるさと日野案内図」が。
 
 






今回はこの案内図の南方面を歩いてみたい。










~土方歳三生家(土方歳三資料館)~  






  

左:遠くからでも目につくド派手な看板が(^^;
右:わき道をぐるっと回って行くと、見慣れたあの白壁が。
 
 






ここが歳三の生家(といっても建て直したので昔の面影はないが)兼資料館。
現在は歳三の兄・喜六のご子孫が住み、
自宅の一角にある資料館を運営、公開している。
資料館の公開は毎月第3日曜日午後1時~4時。





   

左:「土方歳三生家跡
新選組副長土方歳三の生家は、ここより約300m東、石田寺の北方にあった。
1846年(弘化3年)、歳三12歳の6月末、長雨による増水で多摩川、浅川の
堤防が決壊し、万願寺や石田村などは大洪水に見舞われたが、歳三の生家も
土蔵などに被害を受けた。その後、残った母屋や土蔵をこの地に解体移築した。」
右:歳三の刀・和泉守兼定の説明文。








多摩のベートーベンこと(^^; 歳三の胸像。





  

手持ちの雑誌の資料より。
左:洪水後に現在の場所に再建された生家の古写真。
1990年までこの建物が残っていた。
右:写真や間取り図などをもとに再現したCG。
 
 



     

お隣の家。土方技術士樹木医事務所。
周辺の家々もほとんどが土方姓で、土方一族の土地であることがわかる。
右:「幕末の石田村名主 伊十郎屋敷
当家は隣家の先祖源内の分家である。
伊三郎、伊十郎、久蔵は幕末三代村役人を勤めた。
伊三郎は弘化3年(1848)隼人家あわや流亡の折、
名主として陣頭指揮し、現在地に移住させた。
この洪水の7年前、14歳の娘なかを本家喜六(隼人)に嫁がせていた。
時に歳蔵(ママ)は5歳であった。
多摩川の本流はさらに居村に迫り、
安政5年(1858)伊十郎家も此の地に移った。
石田村の歳蔵は在郷の若者に武芸を奨励し、
特に分家の久蔵(貞作)には近藤勇からの稽古の誘いの手紙を、
此の長屋門を通り届けている。
145年の歳月が過ぎ、村の原風景は少なくなった。
近藤や歳蔵の見覚えのあるものは、とうかん森や石田寺の榧(かや)の木、
建物では此の長屋門と母屋くらいになってしまった。

(註)歳蔵は、宗門人別書上帳に記されている土方歳三の名である。
平成16年1月」




     

左:手持ちの雑誌より。土方家の庭に現存する歳三手植えの矢竹。
中:少し離れたご近所にも似たような矢竹が植わっていた(^-^
右:ところどころに道案内が立っているので便利だ。
「←石田寺(土方歳三の墓)」
写真ではわかりづらいが、頭の部分に「誠」の文字が記されている。










~とうかん森~  







生家から10分ほど浅川よりの方向に歩いていくと
「とうかん森」が見えてくる。
この森の近くが歳三生誕の家があった場所だ。
森といわれているように、当時はうっそうと木々が生い茂り
幼い歳三も大木に登って遊んだことだろう。
その後森は縮小し、さらに老木が倒れる恐れがあるので
保護のために最近かなり伐採されて、なおさら小さくなってしまった
鳥居の左側、伐採された跡が黒いビニールシートで覆われている。







「市指定天然記念物  とうかん森
後方の稲荷は、古くから地元の土方一族(十家余)が祀ってきたもので
宝永5年(1708年)の記録にもそのことが書かれている。
「とうかん」の呼称は稲荷、あるいは十家の音読みにも由来するとも伝えられる。
森はムクノキ5本、カヤ2本の計7本の大木を主体に、フジ、ヒイラギ等が
加わって形成されている。ムクノキはいずれも大木で、高さ20mを越すものもある。
カヤは2本とも雌株で、内祠に近い1本は数本の合体木となり、非常に太くなっている。
これらの大木のうち数本は、樹齢250年と推定されている。
昭和50年(1975年)10月1日指定  日野市教育委員会」







後方の稲荷。




     

わずかに残った木々たち。
ねじくれた幹が、長い風雪の時代を静かに物語っている。
ここは巨木マニアの私には、はずせない場所でもある(^^;




  
 
伐採された幹の周りにはキクラゲ?が生えている。
 






セミの抜け殻発見!







少し引いてみると、こんなかんじ。







■土方歳三考 その4 ~歳三の故郷・多摩をたずねて(2)に続く


土方歳三考 その1 ~豊玉発句集~
http://tekcat.blog21.fc2.com/te-20110616.html

土方歳三考 その2 ~新選組と日の丸~
http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20110621.html

土方歳三考 その3 ~局長・近藤勇が幕府を見限った日~
http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20110625.html








 小田原は節電で暑かった…(;´Д`A
2011年07月19日 (火) | 編集 |









■大型の台風6号が接近中のため、急遽休みにして、午後から小田原に行った。
郊外のショッピングモールへ行ったのだが、どの店も入り口を締め切ったまま
エアコンがたぶん28度以上の設定のため、暖房が入っているのかと思うくらい
暑い! ε-(´o`;A


■時おりどしゃ降りの雨が降る外の方が、まだ風が吹いているぶん涼しいのだから
何のための冷房かとため息が出る。
クーラーを止めて入り口を開ければいいのにね。
どの店もどの店も、判で押したように同じように蒸し暑い。
まるで横並びで互いに監視しあっているかのように…(ーー;)


■これではじっくり品物を選んで買うという気持ちになれない。
オフィスの節電ならまあわからないでもないが、客商売でも同じように考えるのは
ちょっとおかど違いではないだろうか。
服の試着を1回しただけでドッと汗が出て、きょうはもういいやと思ってしまったし
本屋でもじっくりいろんな本を手に取って見比べる前にもう外へ出たいという気分に
なって、適当に選んだ本だけ1冊買ってそうそうに引き上げた。
もう何のための節電なんだか、買い物に行っても暑いなら、家でのんびり出前でも
取って出かけずにすまそう…って逆効果になってしまう。


■そもそもむやみやたらに節電を競う前に、本当に電気が足りないのか、仮に不足する
場合でもどの時間帯にどれだけ足りないのか、自分でちゃんと調べたほうがいいんじゃ
ないの?
土日だとか、平日の夜とか、電力使用予測75%とか、節電の必要がないときも悲壮な
覚悟でクーラーを止めたり、道路脇の街灯を消して、熱中症になったり事故や事件を
誘発する結果を招いてしまっては、それこそ本末転倒でしょーが。







 東電の社長が電気足りてるってバラしちゃいました
2011年07月16日 (土) | 編集 |





■これが報道ステーションの動画。







■報道ステーションの、この日のホームページより。

放射能を浴びて、故郷を追われ、節電に協力して熱中症になったあげく
電機足りてるって言われちゃったヨ。
騙すほうが悪いのか、騙されるほうがバカなのか…(;д;)=3=3=3



   7月13日 電力不足どこへ?東電社長「西へ融通検討

 東京電力の西澤社長が13日、就任後初めて単独インタビューに応じ、意外な実態が明らかになった。現在、電力不足だとして、企業や個人に電力の使用制限を求めているが、東電管内では、供給が需要を上回っている。一方、関西電力だが、現在11基ある原発のうち、すでに4基が停止。さらに来年2月まで6基が定期検査に入る。これらがすべて再稼働できなければ、10基が止まることになる。このことに対し、西澤社長は「需給の安定を図る形で、そのときの状況をみて、余力があって西の地域が厳しいのであれば、相互に調整しあって、日本全体の安定供給に寄与できれば」と語った。融通する余力があるならば節電を和らげることはできないのかとの問いに対し、「協力いただいている皆さんのご期待にこたえて、きちんと計画停電なしにしっかり果たしたい」と答えた。東電は、7月末には供給力が事故直後の1.8倍の5680万キロワットまで回復する見通しだ。被災した火力発電所の復旧などが主な要因だが、そのなかには自家発電からの供給、いわゆる“埋蔵電力”がある。埋蔵電力は、全国各地に点在している。自家発電は東電管内だけで1600万キロワットあるというが、東電が実際に購入しているのは、約160万キロワットに留まる。東電が埋蔵電力の購入に消極的という見方もあるという指摘について、西澤社長は「そこは交渉して確保していきたいと思っている。現場があたっているが、目いっぱいのところにきている」と述べた。埋蔵電力については政府も注目している。経済産業省は、さらに期待できる埋蔵電力を聞き取り調査の結果、約120万キロワットと試算したが、菅総理は、その結果に納得せず、再調査を命じている。








 地震感知犬ダイ U^ェ^U
2011年07月15日 (金) | 編集 |





犬のダイと猫のギン




■今夜9時過ぎに、茨城県南部を震源とする大き目の地震が起こった。
その20分前から犬のダイが落ち着きをなくしてソワソワし始めたので
おしっこかなと思って外へ出したが、部屋に戻るとすぐにまた出たがるので
4回目にはさすがに腹が立った。
しかしいつもと違って庭へは降りずに、ドアの隙間から暗い外をじっと眺めて
いるので変だなと思っていたら、地震が発生!


■さすが地震や雷などが大嫌いなビビリ犬。
気象庁よりも予知が正確だわ。

それにしても、昨日はインドネシアのスラウェシ島でロコン山が噴火したし
(場所的に日本の噴火や地震につながる懸念あり)、日本の猛暑とは反対に
中国の四川省では季節はずれの雪が降ったというし、気の休まる暇がない( -.-) =з
来月の10日前後も大きな地震の発生に注意しなくては。