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激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 東京地裁が小沢氏の起訴手続きを停止 今こそ日本の市民は中南米の市民の闘いから学ぶべきだ
2010年10月18日 (月) | 編集 |

■昨日の中央アジアに続けて、きょうはチリを含めた中南米の政情について書く
つもりだったが、ちょうど夕食のときに見ていたテレビ画面に、東京地裁が小沢氏の
申し立てを退けた云々との速報が流れた。

尖閣諸島沖の衝突事件をきっかけに互いに反中、反日デモを行っている日本も中国も
独裁的で非民主国家ということではひけをとらない。

そして小沢、宗男たたきをはじめ、韓国哨戒艦沈没事件や尖閣衝突事件、中国の学生デモ
にいたる一連の出来事のシナリオライターがいることに思いを馳せなければいけない。
日中韓が互いに反目することで誰が得をするのか、しっかり見究めなければだめだ。



■というわけで、日本と同じく対米従属だった南米ベネズエラがチャベス大統領の出現で
どう変わり、国民がそれにどう呼応したか、伊藤千尋・著『反米大陸』からその一部を
紹介したい。



<本の内容紹介より>
中南米の近代史はアメリカによる侵略と支配、収奪の歴史である。アメリカはその政策をまず中南米で実践し、その後中東、アジアなど他の地域で大規模に展開してきた。中南米がたどってきた道を知れば、アメリカがこれから世界で、日本で何をしようとしているのかが分かる。そして今、アメリカが推し進める新自由主義経済政策による格差の拡大から、ブラジル、ベネズエラをはじめとして、中南米のほとんどの国が反米左翼政権となり、反米大陸といわれるほど独自の路線を打ち出している。最新のデータを駆使しながら、アメリカと中南米諸国の歴史と実情、未来に迫る。

■石油大国であるベネズエラは、ウゴ・チャベスが大統領に当選するまで、日本と同じく対米従属の政権が続いていた。国営ベネズエラ石油の役員も労働者も高い給料を手にしていたが、石油と無関係な国民は貧しく、経済格差が著しかったため、「王様と物乞いの国」とまで呼ばれていた。


 それでも、アルゼンチンとブラジルが台頭する第一次世界大戦頃までは、一人当たりの国内総生産(GDP)が、南米でトップクラスだった。ところが、80年代前半から続いた経済の停滞で、中間層が没落し、貧困層は極貧層に転落する。政治を握った親米政権が、アメリカ流の新自由主義の経済政策を採用したからである。緊縮財政、民営化、リストラ、外資導入。日本の小泉政権が導入する10年以上前から、ベネズエラではこうした経済政策が行われ、その結果、貧富の格差は絶望的なまでに深まっていった。
 生きていかなくなった市民は、1989年のガソリンの値上げを機に、首都を揺るがした「カラカソ」と呼ばれる大暴動を起こす。軍の出動で、スラムの住民約1000人が射殺され、鎮圧されえた。しかし、軍人の多くは貧しい層の出身である。92年には、その軍からクーデター事件が起きた。未遂に終わったクーデターの首謀者は、当時陸軍中佐だったチャベスである。彼は投獄されたが、国民の赦免運動で釈放され、98年の大統領選挙に立候補した。
「貧者の救済」を掲げ、チャベスは圧勝した。数の上では圧倒的多数である貧困層のほとんどが、彼に投票したからだ。それまで政権をたらい回しにしていた保守系政党は、束になってもかなわなかった。チャベスは99年に大統領に就任すると、「民主的革命」の開始を宣言する。石油の富を国民平等に分けるために、国家の仕組みを変えようとしたのだ。




■う~ん、どこかの国とよく似ている。
違うのはチャベス氏は実際に大統領になったのに、小沢氏は未だに首相への道を
閉ざされている点だ。
そしてチャベスは大統領になってから、石油の収入で貧しい人々を救済した。
教育や医療の無料化、農地解放、起業支援を成功させて、06年に3選された。


 もちろん、こうした動きが順調に進んだわけではない。石油利権に群がっていた人々は反抗した。石油公社を始め財界はストライキを起こし、2002年には軍の高級将校が経済団体と組んで、クーデターを起こした。チャベスは反乱軍によって、カリブ海にある島の海軍基地に監禁され、経済団体の会長が暫定大統領への就任を宣言した。政治はチャベス以前の体制に戻るか、と思われたが、クーデターはわずか30時間で失敗に終わる。
 流れを逆転させたのは2つの力である。1つは市民の抗議行動だった。クーデター反対を唱える大勢の市民が、大統領府を取り巻いた。監禁した部隊のなかにもチャベスを支持する兵士がいて、彼の居場所を携帯電話で通報し、チャベスは救出される。もう1つの力は、中南米諸国がクーデターを認めなかったことだ。ちょうど国際会議のために集まっていた各国の首脳が共同声明を出し、クーデターを認めないと宣言した。
 それには理由がある。反乱の実行部隊を率いたバスケス陸軍司令官は、アメリカによる中南米軍人の養成機関「米軍アメリカ学校」の出身者だ。かつてパナマにあったこの学校は、「米軍クーデター学校」とも呼ばれ、その卒業生が中南米の各国でクーデターを起こし、市民を虐殺した。チャベスを良く思わなかった各国の首脳でさえ、アメリカの息のかかった軍人によるクーデター、という悪夢の再来を嫌ったのである。
 実際このクーデターに、アメリカは関与していたのだ。クーデターのきっかけとなったのは、首都で行われた反政府デモにチャベス側が発砲したといううわさだったが、デモの人集めや宣伝の資金として、約5億円に相当する巨額の資金がアメリカの財団から出ていた。しかも経済団体の会長らクーデターの首謀者は、数カ月前にアメリカを訪れ、ブッシュ政権の高官と会っているし、クーデター当時、アメリカ軍の大佐と中佐が、クーデターを起こした国軍の司令部にいた。さらにチャベスが拉致された基地には、彼を乗せて亡命させるため、米軍差し回しの飛行機が来ていた。




■もちろん日本とベネズエラでは国の体制も市民社会の状況にも大きな差がある。
しかしながら中南米でまず実験したことを、米国はその後世界各国で実施しているのだ。
日本もその例外ではあり得ない。
だからこそ、中南米で実際に起きたことを知り、彼らがどのように対処して闘ったかを
謙虚に学ぶべきではないだろうか。





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