■最近ワシントン・ポストなどで不当な酷評を受けている鳩山首相。
ところが一転、タイムが高い評価を与えたので、日本のメディアは右往左往だ。
以下は、余計なコメントを加えず比較的淡々と事実を伝えた通信社の記事を2つ。
共同通信 4月30日
http://www.47news.jp/CN/201004/CN2010042901000828.html
最も影響ある100人に鳩山首相 米誌タイムが選出
【ニューヨーク共同】米誌タイムは29日、2010年の「世界で最も影響力のある100人」を発表、「指導者」部門でオバマ米大統領らと並び、昨年の総選挙で党首として民主党を勝利に導き「日本を変えた」として、鳩山由紀夫首相が選ばれた。
同誌は政治家で資産家の一家に生まれた鳩山氏について、自民党時代は「完全に予測可能な政治家」だったと紹介。自らが源流をつくった民主党の「より平等な日米同盟」「政治家主導」「透明性向上」といった政策をすぐ完全に達成することはできないだろうが「日本が事実上の一党支配の国から、機能する民主主義に変わる一助となった」とした。
時事通信 4月30日
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010043000025
「影響力ある100人」に鳩山首相=米誌
【ニューヨーク時事】米誌タイムは29日、「世界で最も影響力のある100人」を発表し、「リーダー部門」で日本の鳩山由紀夫首相を選出した。
同誌は、鳩山首相自身は政治家の家系に生まれ、「革新的には見えない」としながらも、「(自民党による)事実上の一党支配体制を、機能する民主主義に変える手助けをした」と評価。「このことは称賛するに十分な理由」とした。
リーダー部門では25人が選ばれ、ブラジルのルラ大統領やオバマ米大統領らも名を連ねた。
その上で「彼自身は革命家ではないが、一種の革命において指導者となった」とも説明した。
100人はタイムが毎年、政治家や科学者、芸術家、経済人などから独自に選出する。リストは、4月30日発売のタイム5月10日号に掲載。ウェブサイトでも見られる。
■日本人として誇りに思える、素晴らしく高い評価ではないか。
ところがほとんどの日本のメディアはこの記事を無視するか、できるだけ小さな扱いにし、
その後に「まさか」とか「信じられない」といった、揶揄するようなニュアンスを
付け加えることを忘れなかった。
中にはご丁寧にも、米市民にインタビューして「鳩山首相? 知らないわ」といった
コメントを取って、それ見たことかと嬉々として伝えるテレビ局もあった。
米紙が鳩山首相を批判したときは大きく取り上げ、一緒になって攻撃する。
いったいあなたはどちらの国のメディア? と腹立たしく思うこともしばしばだ。
こういう類の人たちは、真摯に歴史に向き合おうと努力している人々に向かって
「自虐史観だ」と冷笑を浴びせるが、たった一度戦争に負けたくらいで米国にひれ伏し
60年間唯々諾々と付き従っている、そんな下僕根性のあなたたちこそ「自虐」そのもの
ではないか。
民主党による政権交代を成し遂げた私たち国民は、誇り高い精神を持って、米国にも
中国にも媚びない、小さくても真の独立国たる日本を作るために努力していきたい。
真鶴城址公園のしだれ桜(4月5日に写す)
■先月、政府によって初めて行われた「幸福度」調査の結果、日本人の幸福度は
10点満点で平均6.5点だった。
2年前にヨーロッパで行われた同じ調査では、NHKのニュースによると、
一番高かったデンマークが8.4点、フィンランド、ノルウェーが8点。
日本に近かったのはポルトガル、ラトビアの6.4点、スロバキアの6.6点だった。
■何をもって幸福と感じるかは個人個人によって違うが、
【政府は、国民の「幸福度」について、これまでは経済規模の拡大などの視点に偏って
いたとしており、仙谷国家戦略担当大臣が、価値観の多様化など今の社会情勢に対応できる
新たな指標の検討を進めている(NHK 4月27日)】そうだ。
■確かに日本ではこれまで、GDPの大きさが幸福に比例するような考え方が主流を占めて
いたし、政治もGDP拡大を指針に行われてきた。
で、上のNHKと同じ内容だが、28日の静岡新聞には次のような短い記事が載っていた。
【政府は昨年末に策定した成長戦略の基本方針に、国内総生産(GDP)の拡大を主要目標とした旧政権時代と一線を画すため「国民の幸福度を表す新たな指標を開発し、その向上に取り組む」と明記。今回の調査などを基に、内閣府が開発を急いでいる。海外では、フランスも幸福度を測る新指標開発を検討中。ヒマラヤの小国ブータンは、国民の心の豊かさを表す独自の指標「国民総幸福量(GNH)」を掲げている。】
■暮らしはそれほど豊かでなくても、人と人とのふれあいやつながりといった
精神的な豊かさの中に幸福を見出そうということだ。
少し前の日本では当たり前のことだったのだろうが、そうした当たり前のことを
見直そうと言わざるをえないほど、日本社会の絆はバラバラになってしまった。
そんなことより経済発展の方が大事だという声も相変わらず多いが、ここはブータン
にならって、日本人も本当の幸福とは何かを真剣に考える時期にさしかかったと
思うべきだろう。
■本日は父の誕生日。チャーガ茶を少し送ったら、お礼の電話があった。
元気そうな声で、「さすがに歳が歳だから、あまり暴れないようにするよ」とのこと。
本当はプレゼントに電子ブックリーダーのキンドルでも送ろうかなと考えたのだが
自分用の本やDVDを買って金欠になったので、健康茶でごまかした(^^;
そう、高価な品物でなくても、お誕生日おめでとうの言葉だけでもうれしいもの。
幸福ってのはこんなものさ、とうそぶくのもいいんじゃないかな。えへへ。
■火曜日の朝日ニュースター「ニュースの深層」で、上杉隆氏が警察審議会が小沢氏に対し「起訴相当」を議決することは最初から織り込み済みだし、仮に強制起訴されるようなことになれば、むしろ検察の方が厳しい状況に追い込まれると話していたので、少しホッとした。
で、こうした状況を予期していた上杉氏と元検事の郷原氏の対談が載っている「週刊朝日」GW合併号を購入。左の写真の上の方に、記事タイトルが記されている。
■『暴走検察』緊急出版 特別対談
小沢捜査 検察審査会の“判決”を斬る
ジャーナリスト 上杉隆 元検事 郷原信郎
この記事の中で、検察とメディアの関係に言及している部分を転載したい。
上杉 一方、私自身が一連の報道で注視していたのは、司法記者クラブの役割です。日本では公権力である検察に対するチェック機能がまったく働いていない。むしろ協力して補完作用になっている印象を、ずっと受けていました。
郷原 「検察の正義」を無条件に絶対的なものと信じ込んでしまい、思考が停止してしまっている構造です。それは、まず第一に特捜部という組織自体の問題です。その組織の中では、人が本来持っている「世の中に対しての鋭敏な感受性」が失われてしまう。
少なくとも私が経験した90年代半ばの特捜部の勤務実態は、人間の生活ではありませんでした。休日もほとんどなく、朝から深夜まで、仕事があろうがなかろうが、上司から「解除」の指示が出るまで「身柄拘束」される。来る日も来る日も長時間、庁舎内で待機するだけのときもあった。当時、特捜部内で流行っていたのが「上海」というパズルゲームで、一日中やっている人もいました。日々、とにかく何も頭を使わないで耐え忍ぶ。上官の命令に従うだけの軍隊的体質そのものです。
特捜部ほど人をスポイルする組織はない。だから、本来個々の検事が持っているはずの「良識」が働かなくなってしまうのです。
上杉 そのまま記者クラブの問題に当てはまりますね。
郷原 メディアのほうも本来、権力行使について是々非々で評価し、歯止めにならなくてはいけないのに、そうなっていない。検察とメディアは、思考停止の利益共同体なんです。特捜部が活躍すれば、自分たちの記事の扱いも大きく評価されるわけですから。
上杉 この構造を私は以前から「官報複合体」と呼んでいますが、その象徴が特捜部と司法記者クラブの関係です。社会部で司法記者クラブはエース級ですから、同じエリート意識、共犯意識、利害関係で合致して、結果として世論を洗脳する形になる。本人たちも、洗脳している事実に気付いていないんですけどね。
■検察とメディアの馴れ合いと共犯関係に、なるほどと合点する内容である。
しかし彼らの鼻持ちならないエリート意識はどうにかならないものか。
この中ではエリートといっても、他の仕事や業種に就けば、ただのシロウトに
過ぎないのだから。
それに特捜部は休みもなく、朝から深夜まで待機していなくちゃならない過酷な
仕事っていうけど、同じように大変な仕事は他にもたくさんある。
旅館の仕事だって似たようなものだ。
しかもプライドなんてズタズタになってしまうし(^^;
さらに過酷だわ。
■予想されていたとはいえ、検察審査会によって異例の早さで下された
小沢氏「起訴相当」議決に強い怒りがこみ上げた。
時事通信 4月27日
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&rel=j7&k=2010042700606
小沢氏「起訴相当」を議決=再議決なら強制起訴
陸山会規正法違反事件・検察審
小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる事件で、政治資金規正法違反罪で告発され、不起訴処分となった小沢氏について、東京第5検察審査会は27日、「小沢氏の供述は不合理で信用できず、共謀共同正犯が成立する」として、起訴すべきだとする「起訴相当」を議決した。今後、東京地検特捜部が再捜査し、改めて処分を決める。
再び不起訴とされても、2回目の審査で、11人の審査員中8人以上が起訴すべきだと判断すれば、小沢氏は裁判所が指定する弁護士によって強制的に起訴されることになる。
検察審は議決書で、「政治資金収支報告書を提出前に確認せず、担当者が真実を記載していると信じて了承した」とする小沢氏の任意聴取での供述について、「極めて不合理、不自然で信用できない」とした。
土地代金の支払い直後に同会が金融機関から受けた4億円の融資については、融資関係書類に小沢氏が署名しており、金利を支払ってまで銀行融資を受けた点を挙げ、「土地代金の原資を隠すための偽装工作」と断定。陸山会の事務担当者だった衆院議員石川知裕被告(36)らが、絶対権力者の小沢氏に無断で工作をする理由はないと指摘した。
その上で、「絶大な指揮命令権限を持つ小沢氏の地位と、石川被告らの立場などを総合考慮すれば、共謀共同正犯が成立すると認定できる」と結論付けた。
さらに、「『秘書に任せていた』と言えば、政治家本人の責任は問われなくていいのか。政治家とカネにまつわる政治不信が高まっている状況下で、市民目線からは許し難い」と言及。「小沢氏を起訴して、裁判で真実と責任の所在を明らかにすることが、善良な市民としての感覚だ」と述べた。
■この議決内容の中で特に気になったのが、上の赤で表示した表現だ。
小沢氏を「絶対権力者」と断じ――そもそも絶対権力者ってなに? 24日の
ブログで、報道の自由はおろか年金や病院やオペラ、サーカスなども禁止して、
国内各所に自分の金の銅像を建てたトルクメニスタンのニヤゾフ前大統領につい
て言及したばかりだが、小沢氏もこんなメチャクチャな独裁者ってこと?
で、絶対権力者(独裁者)ゆえに共謀共同正犯が成立するとの結論に達したという。
まるで、顔や態度が怖いから嫌い→独裁者・権力者→ゆえに犯罪者に決定
といった論理のかけらもない、ヒステリックで感情的な結論でしかない。
■おまけに審査員はそんな結論を出した自らについて、「市民目線」だの「善良な市民」
だのって、よくぬけぬけと言えるもんだ。
おまけに、なんと11人が11人とも、全員一致で起訴相当の判断を下したそうではないか。
下の映画のように、周囲がみな「有罪」と断罪する中、たったひとりであろうと「無罪」と
声をあげて正義を貫く、そんな勇気も持ち合わせていないのか。
だいたい、みんなが同じ方向になびいたら、そのこと自体がおかしいんじゃないかと
疑ってかかるのが、本物の健全な市民感覚ではないのか。
左:古典的な名作『十二人の怒れる男』
右:ロシア製作のリニューアル版『十二人の怒れる男』(お奨め)
■検察審査会の存在自体も疑問だらけだ。近頃JR西日本の3人の社長が全員起訴
相当になったのも、小沢氏の起訴相当を導くために巧妙に仕込まれた伏線だとも
考えられる。
それにも増して奇怪なのが、東京地検特捜部に小沢氏(鳩山首相も)を告発した謎の
市民団体だ。
ネット上の情報によると、この市民団体とは「世論を正す会」「真実を求める会」で、
今回検察審査会へ小沢氏の不起訴不当の審査申し立てをしたのは、この団体に加え、
在特会の桜井誠氏と「博士の独り言」の島津義広氏だという。
未だどのメディアも報じないこれらの団体や個人についてもっと詳しい情報を共有し
今度は私たち本物の市民が立ち上がって真実を追究していかなければならない。
4・25県民大会でガンバロー三唱する参加者
25日午後4時34分、読谷村運動広場(花城太撮影・琉球新報)
琉球新報 4月26日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-161318-storytopic-1.html
「普天間」県内ノー 9万人超決意固
「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」(実行委員会主催)が25日午後3時から読谷村運動広場で開かれた。日米両政府に県内移設の断念を迫り、国外・県外への移設を求める大会決議と、日米地位協定の抜本的改定を求める大会スローガンを採択した。日米特別行動委員会(SACO)合意から13年余が経過しても返還が実現しない普天間問題をめぐり、初めて超党派で政府に県内移設反対を訴える歴史的な大会となった。
実行委員会は、渋滞で会場に到着できなかった人(試算1万人)を含め、参加者を9万人と発表した。24日の八重山郡民大会(主催者発表700人)、25日の宮古地区大会(同3000人)を含め、計9万3700人が大会に賛同した。
沖縄へのこれ以上の米軍基地の押し付けを認めない県民の民意が両政府に示されたことで、5月末の決着を目指すとした鳩山政権の移設先見直し作業に大きな影響を及ぼす。
あいさつに立った仲井真弘多知事は「1日も早い普天間の危険性除去は言うまでもなく、閣僚によっては固定化もありうるとの発言をちらほら聞くが、絶対許してはならない」と訴え、鳩山政権が衆院選で約束した県外・国外移設の履行を要求した。
大会は、共同代表の1人である翁長雄志那覇市長の開会宣言で幕開けし、高嶺善伸県議会議長が主催者を代表してあいさつした。普天間飛行場を抱える伊波洋一宜野湾市長、県内での移設先として取りざたされる稲嶺進名護市長、島袋俊夫うるま市長らも、受け入れ反対で決意表明した。
漁民を代表して赤嶺博之勝連漁協組合長が、勝連沖案への反対を表明。高校生代表として、普天間高校3年の志喜屋成海さん、岡本かなさんが登壇し、基地のない沖縄の未来に向けたメッセージを読み上げた。
会場を埋め尽くした参加者は、大会のシンボルカラーである「黄色」のTシャツや小物を身に着け、県内移設に傾く政府に「イエローカード」を突き付けた。大会が始まっても会場に向かう道路は渋滞が続いた。
(以下略)
■昨日の沖縄9万人大会の様子を、今朝のテレビ各局が競うように取り上げていた。
といっても基地問題や日米安保について深く切り込むといった報道姿勢ではなく
あくまで9万人もの沖縄県民が、優柔不断な鳩山首相に不信感を抱いて怒っているとの
シナリオに沿った流れであり、いつもの政府バッシングに卑怯にも沖縄を利用している
さまがありありと見て取れて、不快感でいっぱいになった。
■たまたまテレビ朝日の「やじうまプラス」を見ていたら、上記のようにスタジオでの
話の振り方が鳩山首相非難に傾いた。
またか…と思ってテレビの電源を切ろうとしたら、沖縄で現地取材をしているテレビ朝日
コメンテーターの川村晃司氏の顔が映った。
川村氏いわく、これは鳩山首相への不信感をあらわにした集会ではない。その逆であって、
「首相ネバー・ギブアップ!」と後押しする集会だ。首相への期待も満ちている。
人々は決して感情的でない、静かな怒りを共有している。アルジャジーラも取材に来た。
スタジオは一瞬静寂に包まれたが(^^;; なんとその後、女性キャスターが、こうした沖縄県民
の声を政争の具にしてはいけない、とスタジオ内での発言を戒めるかのように言ったので
ふ~ん、少しは流れが変わってきたのかな…と感じた次第だ。
■とはいえメディアが自分たちの立ち位置によって、沖縄報道の内容をくるくる変えてきた
ことは紛れのない事実である。
私の過去のブログをピックアップしてみても、そのことがよくわかる。
たとえば07年に沖縄戦での「集団自決」をめぐって、教科書検定撤回の抗議集会が
開催されたが、このときのメディアの扱いは不当に小さかった。
沖縄で11万人が抗議集会――教科書検定撤回を訴え 07年09月29日
http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20070929.html
【沖縄戦で日本軍が住民に「集団自決」を強制したとの記述が教科書検定で削除された
問題で、検定意見の撤回を求める超党派の沖縄県民大会が29日、宜野湾市の海浜公園
で開かれた。参加者は主催者発表で11万人。
米兵による少女暴行事件を機に8万5000人が基地の整理・縮小などを訴えた95年
10月の大会を大きく上回る「島ぐるみ」の集会となった。
参加者は検定意見の撤回と記述の回復を求める決議を採択した。】
沖縄・教科書検定撤回大会の新聞写真 07年11月09日
http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20071109.html
今回と同じ琉球新報に載った写真である。
【9月30日の「琉球新報」を手に入れた。
2ページ見開きで「9.29集会」の写真が載っている。
大手新聞の写真はどれも小さく、中には集まった人々の数はせいぜい
1、2万人程度だと故意に過小評価しているものもあった。】
■しかしながら、メディアの姿勢だけ非難してすむものではない。
米軍基地問題は決して沖縄だけの問題ではなく、私たち日本人一人ひとりに鋭く
問いかけられた問題でもあるのだ。
表現が少し大袈裟かもしれないが、これは「民族自決」にかかわる大きな
決断を迫られた問題でもあるのだ。
今までどおり米国の「核の傘」と「抑止力」に守られながら
(そもそもこれらは幻想にすぎないが)
米国従属という安逸な眠りをむさぼり続けるのか、
それとも前途に待ち受けるさまざまな困難に立ち向かう決意で、
誇りある独立国としての地位を勝ち取るのか…。
政府批判をする前に、まず一人ひとりが、自分の胸に
問わなければならないのだ。
■ユダヤ人とは何か?と問われても、日本人である私たちには正直いって
ピンとこないが、現在の世界情勢や政治・経済を考えるうえで、ユダヤ人に
ふれずに理解することは難しい。
そんなわけで、当ブログもこれまで、ほんのわずかではあるがユダヤ人に関する
内容を、以下のようにつづってきた。
イスラエルとパレスチナ、ユダヤの正当性って何? 08年8月26日
http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20080826.html
パレスチナをもっと知るために 09年1月13日
映画『パレスチナ1948 NAKBA(ナクバ)』
http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20090113.html
■で、上の08年のブログでは、ユダヤ人のルーツについての決定的な本が出版されるようだ
ということを書いた。
下の09年のは、DAYSJAPANの広河隆一氏が製作したドキュメンタリー映画の紹介だ。
左の本が、その問題のシュロモー・サンド著
『ユダヤ人の起源 歴史はどのように創作されたのか』
右は、その本と並んで賞賛されているヤコブ・M・ラブキン著
『トーラーの名において シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史』
両方とも値段がかなりお高いので、買おうかどうか迷っている
■本の説明――
『ユダヤ人の起源』
【聖書時代から現代まで、世界の常識を根底から覆す歴史的大作
世界15ヵ国で翻訳され、欧米で衝撃のベストセラー
2008年初めに出版されたとき、本書は「異様な」と評してもいい受けとめ方をされた。
本書は電波メディアから強い関心をもって迎えられた。
私は何度も繰り返し、テレビやラジオの番組に招かれることになった。
活字メディアのほうも、広汎に、むしを積極的に反応してくれた。
これに対し、周囲の歴史学者の世界は、本書に向ってアカデミックな突撃のときの声をあげた。
そしてじきに、ことさら激越なシオニストのブログ上で、私は民族の敵として指弾された。
以上のような振幅の大きい評価を前に、読者の選択は私を甘やかすことだった。
なんと19週にわたって、本書はベストセラーの「ヒットパレード」に数えられたのである。
(「日本語版への序文」より) 】
『トーラーの名において』
【シオニズム運動とイスラエル建国がいかにユダヤの教義トーラーに反すると考えられてきたか
を歴史的に辿る。パレスチナ問題と反ユダヤ主義の歴史の冷静な理解に不可欠の書。】
■そしてこの2冊の本の出版を記念して、イベントやシンポジウムが開催されたのだ。
こうした大作を読むのはかなりしんどいので(^^; まずは映像でチェック。
はじめに『「ユダヤ人の起源 歴史はどのように創作されたのか』の出版記念イベント。
DAYSJAPAN主催。10年4月1日 東京文京シビックホール小ホールにて。
なおシュロモー・サンド氏特別記念講演会は2010年6月11日に
明治大学 駿河台キャンパス リバティータワー1F 1013教室にて開催予定。
次に『トーラーの名において』のヤコブ・ラブキン教授のシンポジウム。
10年4月18日 明治大学(駿河台キャンパス)リバティホールにおいて
「ホロコーストとイスラエルを考える」シンポジウムを開催。
その際のインタビュー。
■地獄の門といっても、ダンテの『新曲』でもホラー映画でもない。
ま、確かに地獄の入り口を髣髴(ほうふつ)させる禍々(まがまが)しさではあるけれど。
しかし、そんな恐ろしい門をどうやって閉めるのやら…(?_?)
ロイター通信 4月21日
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-14926420100421
トルクメニスタンで40年間燃える「地獄の門」、大統領が封鎖指示
[アシガバート 20日 ロイター] 中央アジアのトルクメニスタンは天然ガスの埋蔵量が世界有数として知られるが、同国のカラクム砂漠で約40年前の事故で形成され、以後燃え続けている「地獄の門」と呼ばれるガス穴を封鎖しようという動きが出ている。
この穴は、旧ソ連時代の1971年、地下で行われていた掘削作業中に爆発が起きてできたもので、幅約60メートル、深さ約20メートルの大きさ。ガス漏れを防ぐために火が放たれ、それ以来燃え続けている。
このガス穴を目的に訪れる観光客もいるほか、動画共有サイトの「ユーチューブ」に投稿されたビデオ(here)も人気を集めている。
国営テレビによると、ベルドイムハメドフ大統領が今週現地を訪れ、ガス穴を封鎖するか、周囲のガス田開発の妨げにならないような方策を考えるよう、地元当局に指示したという。
トルクメニスタンは今後20年で、天然ガスの生産量を現在の年750億立方メートルから3倍に増やす計画で、ロシアや中国、イランのほか、西ヨーロッパ、インドなどへの輸出を拡大することにしている。
■で、これが「地獄の門」の動画。
■「地獄の門」も禍々しいが、砂漠の国トルクメニスタンも、なかなか禍々しい過去を
持った国である。
ソ連崩壊後、独立国となってサパルムラト・ニヤゾフが大統領に選出された。
ところがニヤゾフは徹底的な個人崇拝による独裁体制を敷いて、02年には終身大統領と
なった。「中央アジアの北朝鮮」だの「中央アジアの金正日(キム・ジョンイル)」と
呼ばれるように、街角や公共施設にはニヤゾフの肖像画や金ぴかの銅像が飾られ、北朝鮮に
続いて2番目に言論・報道の自由がない国と名指しされた。
06年にニヤゾフが急死し、現在のグルバングル・ベルディムハメドフが第2代大統領に
就任した。ニヤゾフよりはましだが、個人崇拝政策はまだ続いてる。
首相のリーダーシップが欠けてるから支持率急降下と
ワーワーうるさいメディアや気の短い国民向けに
こんなコスプレルックを考えてみました(;^_^A
マトリックスならぬハトリックス!
記者会見やぶら下がりでキョトキョトする目をサングラスで隠し
言葉少なに、ニヒルな微笑で質問をはぐらかす。
こんな調子でメディアのネガキャンや閣僚の造反
もっと金出せという米国マフィアの繰り出す弾丸を
バシバシ跳ね返してほしい。
と、ひそかに願っております。
う~ん、ないものねだりかな
■急に暑くなったり寒くなったりと寒暖の差が著しい。
数日ほったらかしにしていた「ぬか床」が、気温の高低のせいか、強い炭酸臭
(炭酸の臭いって表現もちょっと変だが)を発していたので、やむなく廃棄。
また新しく作り直すことにした。
週の半ばに義母の介護が入ると、日常の時間帯がそこだけ違ってくるので
また元のペースに戻るまで数日を要してしまう。
むしろ人間より犬や猫のペットたちの方が心身のリズムを壊してストレスを感じて
いるようで、義母が病院に戻った後は全員がぐったりしている
それにしても介護とは、排泄と洗濯物とのゴールのない格闘ともいえる。
■さて世は3Dブームで、映画もアニメも続々と3D作品に切り替わっている。
そして家庭用のテレビにも3Dの波が押し寄せてきた。
その昔のSFでは立体テレビの名で描かれていたが、いざその立体テレビが現実の
ものになると、さほどの感激が沸いてこないのはなぜだろう(^^;;
毎日新聞 4月21日
http://mainichi.jp/life/electronics/news/20100421dde041020019000c.html
3Dテレビ:発売始まる
ビックカメラやヤマダ電機、エディオン、ヨドバシカメラなど主要家電量販店は21日午前、パナソニックの3D(三次元)映像に対応した薄型テレビ「ビエラ」を先行発売した。パナソニックは発売日を23日としていたが、製品を入荷した量販店が前倒しで販売を始めた。3Dテレビは国内ではソニーが6月、シャープ、東芝が今夏に発売する予定で、「3D元年」の商戦が始まった。
先行発売されたパナソニックの3Dテレビは、専用眼鏡をかけて3D映像を楽しむプラズマテレビで、54インチと50インチの2種類。
ビックカメラは午前10時からテレビを扱う全32店舗(フランチャイズを含む)で、54インチを52万8000円、50インチを42万8000円で先行発売した。
■専用のメガネをかけて観るのでは、やはり本物の立体テレビとはいえないだろう。
以前「立体視」すると飛び出して見える本があって2~3冊買ったことがあるが
コツを思い出すまでなかなかうまくいかず、しかもあんがい疲れるのだ。
そりゃ、きれいに立体視できると、絵や写真の美しさに感激するわけだけど。
■こうした飛び出す絵本や映画はかなり昔からあったけれど、今回映画の『アバター』
でブームに火がついたように、ハリウッドがこのブームの火つけ役となった。
立体を好むか平面を好むかについては、東洋と西洋の絵を見比べるとよくわかる。
もともと遠近法を用いて立体的な描き方をする西洋画に対して、浮世絵に代表される
日本画では近くのものと遠くのものが同じような大きさで描かれている場合も少なくない。
といって絵の素晴らしさや価値に差はないのだが、西洋においては遠近法を無視して描いた
ルッソーは、その作品を評価される前は「日曜画家」として一段低い評価を受けていた。
■この東西の表現の差は、マンガを見比べるとより一層はっきりする。
よく鉄腕アトムや明日のジョーの髪型はどっちを向いても同じ形で、正面や後ろから見た
形がわからないといわれるが、日本人(東洋人)がそうした平面での描き方に違和感を
感じないまま世界を把握できている一方で、西洋人はアニメに描く場合はまず立体的な
登場キャラの姿を作ってからでないと描けない。
■この東西の表現の違いはなにゆえなのかと私は子どもの頃から不思議に思ってきたが
どうやら骨格というか、両眼と鼻の位置関係の違いによるのではないかと、ひそかに考え
至ったのだが…(^^;;
ようするに平面的な東洋人の顔と立体的な西洋人の顔の違いによって、物の見え方にも
微妙な差異があるからではないのだろうか。
両目が顔の正面にある猫と、鼻の両側に目がついている犬とでは、自ずから見え方や
距離感に違いが出る…というように。
最近は日本人でも鼻の高い西洋的な顔立ちの人たちが増えてきたので、より3D志向に
なったのかもしれない。
なあんて、もしぜんぜん違っていたらごめん(^^ゞ
■話が関係ない方向に飛んでしまったが、いろいろ疲れがたまり込んだので、ちょっと
一息つけるような映画をレンタルで借りてきた。
それが大森美香監督の『プール』である。
話題になった『かもめ食堂』と『めがね』の製作スタッフが今回も作品を手がけている。
両作品ともすでに観たが、この『プール』は余韻のぬくもりというか、ほっとする
やさしさでは一番高く評価できるかなと思う。
映画『プール』
左から菊子、さよ、ビー、京子、市尾。
■舞台は、今は混乱が続いているタイのチェンマイ。
自分の気持ちの向くまま4年前に娘を置いてチェンマイへ行き、
そこのゲストハウスで働く母の京子(小林聡美)。
病気で余命宣告を受けたゲストハウスのオーナーの菊子(もたいまさこ)。
京子の仕事を手伝う市尾(加瀬亮)。
京子と暮らすタイ人の少年ビー(シッテイチャイ・コンピラ)。
そして大学の卒業前に母に会いに来た京子の娘さよ(伽奈)。
彼ら5人がプールのあるゲストハウスで一緒に暮らす6日間を、ゆったり過ぎる
時間の流れの中で淡々と描いた作品である。
■中でも特に、京子とさよの母娘関係に心を惹かれた。
娘から見れば自分を捨てて外国で気ままに暮らしている母の生き方には納得できない。
おまけにそのゲストハウスで、知らないタイ人の少年と暮らしている。なぜ?
映画は、それまでのいきさつやら人間関係の説明なしに淡々と流れるように進んでいく。
だからさよの感じる戸惑いや違和感を、映画を観る側も同時に感じるのだ。
■それでいて、あっさりとした(というよりあっさりしすぎる)母・京子と娘・さよの
会話や態度が受け入れがたいと思う人もいるかもしれない。
しかし私には京子とさよが、まるで私と末の娘の姿を投影しているように思えて
ならなかった。
さよは言う。「私のお母さんは変わっているんです」
娘たちもよく言ったものだ。
「うちのママは変わってる。普通のお母さんたちと違う」
ベタベタした人間関係が好きじゃないってことか。
醒めたものの見方をするからか。
子どもにあまり執着しないからか…?
■映画の解説にこういう箇所がある。
「人と場所との関係は、人と人との関係に似ているのかもしれない。
人は好きな場所にいるだけが幸せなのか、人と人はいつも一緒にいることだけが
幸せなのか…」
ある日突然娘たちとの穏やかな暮らしを断ち切られ、ここ湯河原に来てから
もうすぐ6年が経とうとしている。
「なぜ?」と末の娘は私に問いかける。「なぜ私を置いたまま…」
お互いが、それぞれ孤独との葛藤の中で、この先どう生きていけばいいのだろう。
映画の中にその答えの一端が、かすかに見えたような気がする。
お互いの生き方を束縛することなく、自由な心を尊重しあい、たとえ遠く離れていても
思いはいつもあなたの元へ…。
ゆったりとたゆたう時の流れの中に身をゆだねるような、そんなやさしい思いのこもった
映画『プール』は、だから起伏の少ないフラットな画面で観るのが何よりもふさわしいと、
そう私には思えるのである。
■パクリ疑惑で問題が国家レベルまで拡大した上海万博のテーマソング。
NHKまでが問題の映像部分を流しているから、ジャッキーファンの私としては
まったくもってアイタタな出来事だ。
おまけにテーマソングだけでなく、キャラクターや建物のパクリ疑惑まで噴出して
この騒ぎははたして鎮火できるのか、はなはだ疑問な展開になってきた。
■「酔拳」や「蛇拳」の頃からのコアなジャッキーファンである私は
このジャッキー・チェンという人物によって、香港という土地の特異性に惹かれた。
それまでは英国の貧しい植民地という印象しかなかったが、ジャッキーを知ることに
よって、その後の香港の急速な発展と香港映画の台頭とを目の当たりにした。
そして香港の返還と中国本土への編入。
返還への不安と葛藤を、この頃の香港映画の中に多数うかがうことができる。
その後ジャッキー映画に中国大陸ロケが徐々に増え出し、山東省出身の父親の回想を
知ることで、自らのルーツを中国本土に見出したジャッキーは事務所も上海に移し
香港に代わって中国の観光大使を務めるようになった。
これを変節と見る人々も少なくないが、新たな土地で新たな映画人生を展開するのも
人生の選択のひとつだ。何よりもこれから発展していく場所を誰よりも早くかぎ分ける
ジャッキーの臭覚はいつもながら秀逸である。
彼の映画を通じて、もう一度中国本土の発展を眺めていくのも悪くはない。
■思えばちょっと前の日本も、パクリだ、著作権無視だ、人権蹂躙だ、公害大国だ…
などと欧米先進国にさんざんイヤミを言われ叩かれてきたものだ。
そんな「遅れた」国がオリンピックや万国博といった世界的なイベントを経て
ようやく先進国の仲間入りを果たしたわけである。
現在中国を同じような言質で非難している若い層は、過去の日本がどうやって這い上がって
きたのか、その過程をきちんと把握していないのだろう。
ここは遅れてやってきた国に対し鷹揚な姿勢で臨み、間違っている点は諭し戒めながら
正しい方向へ指導していくのが、成熟した先進国としての日本の度量だろう。
ただ中国憎しで非難の声を上げているだけでは、5年10年先にその非難の矛先が自らに
向かってこないともかぎらないのだから。