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激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 湯浅誠さんが内閣府参与を辞任
2010年03月05日 (金) | 編集 |

■毎日新聞 3月5日
  http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100306k0000m010067000c.html

   内閣府参与:湯浅誠氏が辞任 「一区切りがついた」として

 菅直人副総理兼財務相は5日、湯浅誠・内閣府参与が同日付で辞任したことを明らかにした。湯浅氏は08年末から09年初めに日比谷公園に設けられた「年越し派遣村」の村長として知られる。
 菅氏は民主党代表代行時代に派遣村支援に奔走。政権交代後の昨年10月、雇用問題の助言を得るため、湯浅氏を参与にしていた。年末年始の失業者対策として、ハローワークを拠点にした「ワンストップ・サービス」の実現に取り組んだ湯浅氏だが、今年に入り「一区切りがついた」として菅氏に辞意を伝えていた。菅氏は「慰留したが、本人の強い意向があった。トラブルではない」と説明した。【坂口裕彦】




■湯浅さんはなぜ辞任したのか、本当にトラブルはなかったのか。
昨日書いたロシアのように、日本もまた官僚や公的組織という厚い壁が改革のゆくえを
阻み続けている。
湯浅さんの内閣府参与としての活動と辞任に至った経緯については、2月28日に放送
された「NHKスペシャル 権力の懐に飛び込んだ男 100日の記録」の中にいみじくも
描かれている。





   

NHKスペシャルより



番組の解説より

1年前、”年越し派遣村”の村長を務めた湯浅誠氏。NPOとして在野で活動を続けてきた彼が政府に招かれ、昨年秋から内閣府の参与となり、緊急雇用対策本部「貧困・困窮者支援チーム」事務局長として活動を始めた。待ったなしの貧困対策。カメラは、従来の枠組みを超え、官僚や政治家、地方自治体の間を自在に飛び回り、貧困者の対策に乗り出す湯浅に密着。
「誰もが平等に尊厳を大切にされる社会」を理想に掲げ、現場一筋に解決策を見出してきた湯浅は、果たして行政に横たわる様々な障壁を乗り越え、効果的な施策を実現してゆけるのか。困難に直面しながら格闘し、時に挫折する湯浅の100日を通して、政治主導を掲げる新政権、そしてなかなか崩れない縦割りの官僚組織や、疲弊する地方自治体の現実を描いていく。




■番組は、前例にとらわれない湯浅さんの言動にとまどいを示す官僚や政治家の姿を
映し出す。
全部は見られなかったが、番組内容についてわかる範囲内でポイントを書き記したい。



           
 


■10月27日、湯浅さんは内閣府参与として活動を開始する。
貧困問題は草の根の活動だけでは解決できない。そう考える湯浅さんは、あえて権力の
ふところに入ることで大胆な改革を行おうと決意する。
湯浅さんが提案したプランは、ハローワークを拠点にした「ワンストップ・サービス」
の実現である。
ところがこの実現の前に、省庁間の縦割り行政や地方自治体の重い腰といった大きな壁が
立ちふさがった。ことに自治体は「ワンストップ・サービス」による生活保護給付の増大
を恐れ、しかしながら国が自治体の負担を肩代わりすることも難しい現状だった。

湯浅さんは、今やらなければダメだと強く求めるが、手を上げてくれる自治体はなかなか
見つからない。湯浅さんはつぶやく。
「国ってもっと力があると思ってました。国が旗振ってもダメなことはけっこうあるんだ」


■「ワンストップ・サービス」の第1回実施日。
利用者は予想を大きく下回った。原因はPR不足だった。
ハローワークに来る人へ情報が行き渡っていなかったのだ。
ちらしを手渡しするといった一般社会では当たり前の行為さえ、うまく対応できていない。
官僚自身も、湯浅さんの指示はわれわれ行政とは感覚が違うという始末だ。
湯浅さんは次第に官僚や行政に対して苛立ちを覚えていく。


■年の瀬。失業給付が切れた人は23万人にもおよび、政府は再び「年越し派遣村」設営の
必要に迫られる。候補に挙がったのは、1500人収容できる国立オリンピック記念青少年
総合センターだった。
ところがこの施設を管轄している文部科学省が使用に難色を示した。
文部科学省との折衝を行っている厚生労働省の官僚の説明によると、センターには1月4日
から宿泊の予約が入り、厨房は改修工事の予定、そして職員が休暇に入っているので施設に
暖房を入れられない。
もし国の緊急対策として特別手当を出すとかで背中を押してくれれば再考してもよいが…と。

聞いている湯浅さんの顔が次第に険しくゆがんでくる。
官僚同士の交渉もまとまらず、結局菅副大臣が乗り出してきてようやく話は前に進んだが
収容許可が降りた人数は3分の1の500人で、しかも大勢の人が集まると混乱して困る
ので外部への公表を遅らせるのが条件だという。


■「結局、当事者の立場に立ってないんですね」と湯浅さん。
公表を遅らせたことで、12月25日の時点で、申込者はたった74人だった。

湯浅さんの提案で急遽、鳩山首相のメッセージをYouTubeにアップ。
アクセスは2万件を超えた。
そのかいあって、12月28日の初日だけで、センターに集まってきた人は300人になった。
しかしトラブルはこれで終わりではなかった。
センターでの生活相談の内容はおざなりで、館内放送1つするにも縦割りの壁が待っている。
そして期間内で住居や職を得た人は、計画当初の半分以下に過ぎなかった。


■湯浅さんは年明けをめどに政府の仕事をやめて、元のNPOに戻る決意を固めていた。
「今回、自治体とかに接して思うのは、世論が変わらないと無理だと…。
ホームレスに対する偏見とか抵抗感とか、厄介者扱いとかの」

政府の中にいなければできないことがある。
しかし、政府の中にいてもできないこともある。
1月29日、湯浅さんは鳩山首相と菅副総理に辞意を伝える手紙を送った。


■湯浅さんが実践した「ワンストップ・サービス」は、いくつかの自治体が継続して行える
ようになった。しかしながら全国での実施に向けての法律作りには至っていない。

国の力を使って多くの人を支援したいと権力のふところに飛び込んだ湯浅さん。
この3ヶ月を振り返って、
「やる気がないとか悪意があるとかの話ではたぶんない。
それぞれは一生懸命やろうとしていると思いますが、すでに縮こまっちゃっている面も
あるかもしれない。先にできないだろうと思ってしまう。
利害関係者が多くて、いろんな意見も持っている。しかも公平性を担保しないといけない
という。逆にいうと、世論の意向がもう少し固まってこないとこれ以上は無理だという面も
ある」


■菅副総理は、内閣府参与の続投を直接依頼した。
しかし湯浅さんは態度を保留している。







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