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激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 三国志「曹操」の墓発見
2009年12月28日 (月) | 編集 |



中央日報より




■ニュースで墓発見を知って驚いた(・ロ・)
それにつけても映画『レッドクリフ』のおかげで、
遅ればせながら三国志の世界に参入できて
ほんとによかったワ
三国志の知識があると、いろんなシーンで納得度が深まる。

というわけで、中央日報と東京新聞の2つの記事を転載する。


 中央日報 12月28日
 http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=124429&servcode=A00§code=A00

     「三国志」曹操の本物の墓地を発見  

 中国の長編小説「三国志演義」の主要人物、曹操(155~220年)の墓地が河南省で発掘された。

後漢時代、天下統一をめぐり劉備、孫権と雌雄を争った曹操は、長者の曹丕が魏を建国した後、武帝と追尊された人物だ。曹操は死ぬ前に墓地の盗掘を防ぐため、72の家廟を作るよう遺言を残したものとされる。このため曹操の墓地の所在地に関連し多様な学説が混在していたが、これまで本物の墓地は発見されずにいた。

27日付の中国共産党機関紙・人民日報が報じたところによると、河南省安養県安豊郷西高穴村で、魏の武王、曹操の陵墓を確認した。地下15メートルに位置した同墓地は甲の字の構造で、西方から東方へ傾斜路の墓道を降りていくと6の部屋が現れる。全長60メートルにのぼるこの巨大な墓地は、漢代の王侯らの陵墓と規模が似ている。

発掘チームが本物の墓地と確信できた理由は「魏の武王が使った戟(魏武王常所用格虎大戟)」「委の武王が使った石の枕(魏武王常所用慰頚石)」と刻まれた銘文が見つかったからだ。河南省文物局と中国の考古学者はこの銘文を重要な根拠に、同墓地が曹操の陵墓だと結論付けた。

考古学者らは魏・武王の銘文が見つかったほか、出土した遺物(200点)が文献の記録上、曹操の好みと一致し、墓地の構造も、葬儀の簡素化を命じた曹操の遺言と一致すると強調している。学者らは「三国時代研究への一大転機となる」と興奮を隠せなかった。








27日、中国河南省・安陽県の陵墓で発見された
曹操を示す「魏武王」と刻まれた銘文(左端)と出土品。
(共同通信)



 東京新聞 12月28日
   http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009122802000080.html

     三国志 曹操の陵墓か 中国河南省 遺骨も出土

【北京=朝田憲祐】中国河南省文物局は二十七日、同省安陽市安陽県で発掘調査していた後漢時代の墓について、三国志の英雄として知られ、魏の礎を築いた武将、曹操(一五五~二二〇年)の陵墓「高陵」と確認されたと発表した。最大の根拠は、矛などの副葬品に刻まれていた「魏武王」の銘文。曹操の陵墓の場所については諸説あり、これまで特定されていなかったが、中国メディアは「千年のいにしえの謎がついに解明される」と報じた。

 陵墓は前室と後室、四つの側室がある構造で、面積は約七百四十平方メートル。墓道は長さ約四十メートル、幅約十メートルで、最も深い場所で深さ約十五メートル。

 墓からは曹操とみられる六十歳前後の男性と、二十代と四十代とみられる女性二人の頭蓋(ずがい)骨などが見つかった。専門家の鑑定によると、「三国志」などの歴史文献に記載された曹操の死亡年齢などと符合するという。

 「魏武王」の三文字が刻まれた石碑は、計八点発見され、「魏武王常所用格虎大戟(魏の武王が虎と戦う際に常に使う矛)」などと刻まれていた。また陵墓の規模や埋葬の方法、金、銀など二百五十点以上の副葬品からも、曹操の時代のものと論証できるという。

<曹操> 後漢末期の武将。丞相を務め、魏王となり、中国北部を支配。中国統一を目指し、呉の孫権、蜀の劉備と覇を競った。孫権・劉備の連合軍に「赤壁の戦い」で敗れ、その後「魏・呉・蜀」が鼎立(ていりつ)する時代に入った。息子の曹丕の代に後漢が滅亡し、魏王朝がスタートした。知略や行政手腕、冷酷さなどから歴史小説「三国志演義」では劉備らに対する敵役として描かれる。 (共同)







■墓が発見された場所(図は読売新聞より)。

一口に「三国志」といっても、歴史書である「正史」と小説である「三国志演義」の2種類がある。
日本で普通「三国志」といわれるのは、小説の「三国志演義」である場合が多い。ドラマや映画、マンガで描かれるのは「三国志演義」の方である。内容的にもドラマティックな英雄譚で、NHKの大河ドラマみたいなかんじだ。
「正史」が蜀の陳寿(ちんじゅ)によって西暦3世紀に書かれたのに対して、「演義」の方は16世紀前後に作られた。
映画『レッドクリフ』がそうであるように、「演義」では劉備が善玉、曹操が悪玉として描かれている。
最近では曹操の人気が高まりつつあり、彼を主役にしたドラマも作られている。確かに冷酷な面も多いが、一方で「詩」の原型を作り出した文人でもある。中国のテレビドラマで、曹操が部下たちの前で詩を詠じながら舞うシーンがあって、ほぅ(・0・)と感嘆した覚えがある。

たしかに「演義」も面白いが、本当の時代背景や人となりがわかる「正史」の人物伝の方が私は好きだ。






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