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激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 壁と卵
2009年02月26日 (木) | 編集 |



左:15日、イスラエルのエルサレムで開かれたエルサレム賞の授賞式で、
記念講演する村上春樹さん=平田写す(朝日新聞)
右:ハンプティ・ダンプティの絵の表紙の『マザー・グース』




■少し前の話になるが、今月15日に作家の村上春樹氏がイスラエルの文学賞である
エルサレム賞を受賞。
その授賞式の記念講演で、高い壁と卵の比喩をもって、イスラエルのガザ攻撃を批判した。
最初にこのニュースを聞いたとき、ふがいない日本の政治家に比べて、なんて毅然とした
勇気ある行為だろうと感激した。
ただし、多少違和感を感じた部分もあったので、そのことについて記したい。



■村上春樹「エルサレム賞」受賞スピーチより一部抜粋。  (朝日新聞)

 「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。
 そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?
 この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。 
 しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。  





■「壁(塀)と卵」と聞いてすぐに思い浮かぶのは、『マザー・グース』や『鏡の国のアリス』で
おなじみの、卵のハンプティ・ダンプティである。

   ハンプティ・ダンプティ へいにすわった
   ハンプティ・ダンプティ ころがりおちた
     おうさまのおうまをみんな あつめても
     おうさまのけらいをみんな あつめても
   ハンプティを もとにはもどせない
                                (谷川俊太郎・訳)



■一説には、ハンプティ・ダンプティとは塀(壁)の上に置かれた大砲の玉だともいわれる。
どちらも戦争がらみという点で共通しているようだ。

村上氏の作品は『羊をめぐる冒険』と『ねじまき鳥クロニクル』を読んで、まあそれなりに
面白かったが、特に私の好きな作家というわけではない。

で、今回のイスラエルでの勇気ある発言は高く評価するのだが、その中でちょっと
引っ掛かりを感じたのが、「その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、
私は卵サイドに立ちます
」という部分だった。

これは少し安直な見方ではないだろうか。
確かに感情的には多くの人の共感を得るだろう。
しかしながら壁であるシステムを作り出したのも、同じ人間である。
また卵とひとくくりに言っても、新鮮な卵もあれば、腐った卵もある。
半熟卵もあれば、ゆですぎた卵もある。
同じように投げてもすぐにつぶれる卵もあれば、壁の割れ目からうまく中へ飛び込む
固ゆで卵あるかもしれない。
同じように、卵である人間を守る優れたシステム(国家形態や法律)も存在する。

もし正しくない卵でも擁護するというのであれば、ときとしてワイマール憲法を軽視して
ナチスを生んだような苦い歴史を繰り返してしまうことだってあるだろう。
腐った卵は、他の卵も腐らせる新たなシステムを生み出すかもしれないからだ。



■と、ひねくれているかもしれないけれど、私は「壁と卵」の比喩に、こうした思いを
抱いたのだった。お互い、さまざまな批判をしあうのはそれなりに有益だと思ったので…。





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