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激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 田母神問題は平成の「二.二六事件」である
2008年11月12日 (水) | 編集 |



教科書でおなじみの「二.二六事件」の写真。




■昨日の参院外交防衛委員会参考人質疑での田母神前空幕長の発言は、とても許しがたい由々しきものだった。
特に、「わたしが(応募を)指示したと言われているが、指示したとすれば1000人を超える数が集まる」や、「わたしの書いた論文はいささかも間違っていると思わない」「今は(憲法を)改正すべきだと思っている。国を守ることにこれほど国民の意見が割れるものは直した方がいい」
また集団的自衛権を行使し、武器も堂々と使用したいのかという質問に対して、「そうすべきだ」等の言葉は、平和憲法を戴く民主国家日本において決して看過できない重大な問題をはらんでいる。



■この「田母神論文」の存在を知った瞬間、私の脳裏には昭和11年(1936年)に起きた「二.二六事件」が浮かんだ。それゆえ、11月3日のブログ「田母神氏が突然定年退職に」の終わりの方にもこのように書いたのだった。
http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-date-20081103.html

■またまた出た大甘処分。
政府見解に確信犯的に意義を唱え従わなかったのだから、退職ではなくて懲戒免職が当たり前ではな

いのか。それにいやしくも空自のトップが自ら辞任もできないとはあきれてしまう。
仮に私が国のリーダーだったら、国家反逆罪に問うところだ。

きちんとした処断もできない腑抜けた内閣に、暴走する軍隊。
過去の歴史から学ばない者は何度でも同じ過ちを繰り返すだけだ。





■もちろん今の日本には「国家反逆罪」というものはない。
しかし国家への反逆、内乱に近い言動ではないのか。


田母神氏とその考えに近い人々は、太平洋戦争を記述した歴史を「自虐史観」と呼んで批判するのが常だが、その歴史観(田母神史観)が、「侵略」だの「謝罪」だのをまとった彼らが忌むところの自虐史観と、実のところは同根であり裏表の関係にあるということに気づいていない。

ではどのようなテキストで戦争について学べばよいのだろうか。
その1つのテキストとして、保坂正康氏の『あの戦争は何だったのか 大人のための歴史教科書』(新潮新書)をお勧めしたい。
保坂氏はどちらかというと保守系で、平和教育を目的とした歴史観も大東亜戦争史観も、単なる二元論的な善悪でとらえた歴史の見方を厳しく批判している。

その保坂氏の本に書いてある「二.二六事件」に関する記述部分を、ごく簡単にかいつまんで紹介する。

          

太平洋戦争を検証する際、どの時点から検証していくべきか。
本書はあえて「二.二六事件」から始めたい。
昭和11年2月、陸軍の青年将校たちが「天皇の、君側の奸(くんそくのかん:天皇のそばにいて国民の思いを曲げて伝える者)を討つ」といって決起した。
しかし当時36歳だった昭和天皇は激怒して、「断固、青年将校を討伐せよ」と命じた。
決起した将校のいう「君側の奸」は、天皇にとっては「股肱の臣(ここうのしん:最も頼りにする臣)」だったからだ。

「二.二六事件」の前にも、「血盟団事件」や「五.一五事件」といったテロが日本中を震撼させていた。しかし一般世論はテロの加害者に同情的で、マスコミも「動機が正しければ、道理に反することも仕方ない」とさらに煽り立てた。

当時の日本は第1次大戦後の世界恐慌で国民生活は疲弊していた。
そうした中で満州事変が起こり、関東軍は兵を進めて満州国を建国。国際連盟を脱退した。
また同時期に美濃部達吉による「天皇機関説」問題が起き、天皇自身も美濃部理論を肯定したにもかかわらず、議会は「国体に反する」と決議して、やがて「天皇神授説」の浸透が全国に図られていった。
そしてこうした思想教育を受けた青年将校たちが、「二.二六事件」を起こすに至ったのである。

「二.二六事件」の決起によって岡田首相以下6人の要人が襲われ、機関銃で撃たれた後に滅多切りにされるという血なまぐさい修羅場が繰り広げられた。
こうした残虐なテロはさらなるテロの連鎖を生み、政治家はことごとく軍部の暴力に屈した。
また大臣たちへの襲撃で恐怖に駆られた天皇もその後一切口をつぐむようになって、日本は日中戦争、太平洋戦争へと突入していくのである。


          




■現在は「二.二六事件」が起きたころと社会状況が酷似している。
そうした時に浮かび上がった今回の「田母神論文」事件を、決して軽く扱ってはいけない。
民主政治とは、国民の権力に対する不断の監視が前提になっていることを自戒すべきである。
さもなければ、時代は再び過去の過ちを繰り返すことになるだろう。






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