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激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 筑紫哲也氏が死去
2008年11月07日 (金) | 編集 |



写真は07年10月24日の産経新聞
闘病中ながら、ふっくらした顔で元気な姿を見せた筑紫哲也氏
10月8日(TBS「筑紫哲也 NEWS23」より)




■夕方のテレビニュースで筑紫氏が亡くなったことを知って驚いた。
がんの治療をしながら、まだこれからもニュース番組に復帰する機会があると思っていたからだ。
いい意味での正統派の硬派ジャーナリストだった。
ジャーナリズムが爪や牙を抜かれ体制へ絡めとられていく中で、愚直なまでに信念を貫き通した。
朝日新聞的だのサヨクだの老害だのと多くの批判を受けながらも、現場取材を続け、常に鋭い視点と豊かな批判精神を忘れなかった。

今また新しい時代の変革が始まりつつある。
真のジャーナリズムとは何かを各自が問い直し、これからの時代にふさわしい新たなジャーナリズムを模索していかなければならない。



■時事通信 11月7日
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2008110700855

       筑紫哲也氏死去=記者出身の民放キャスター-番組でがん告白

 ジャーナリストでニュースキャスターの筑紫哲也(ちくし・てつや)氏が7日午後、肺がんのため東京都内の病院で死去した。73歳だった。大分県出身。葬儀は近親者のみで行い、後日、お別れの会を開く予定。
 1959年に早稲田大政治経済学部を卒業、同年朝日新聞社に入社し、政治部記者や米軍統治下の沖縄特派員、ワシントン特派員などを歴任。週刊誌「朝日ジャーナル」編集長を務め、「新人類」「元気印」などの流行語を生んだ。
 編集委員に就任後の89年に退社し、同年10月からTBSの報道番組「筑紫哲也NEWS23」キャスターに。日々のニュースを鋭い視点で掘り下げるとともに、イラク戦争直前には同国入りするなど現場取材を続け、民放キャスターの代表的存在となった。2007年5月14日、同番組内で初期肺がんであることを告白していた。






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