激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 侵食する現実
2008年03月15日 (土) | 編集 |




■日々せわしない時間を過ごしていると、心のひだまで乾ききってしまう。
最近はハッとするような新鮮な驚きと遭遇することもまれになった。
精神的なマンネリ感、飢餓感、それがなにより辛い。
そんな折、過去の思い出がふと頭の片隅をよぎった。
上の絵は、フランスの素朴派と呼ばれるアンリ・ルッソーの「眠れるジプシー女」である。
まだ小学生の時、図工の教科書に小さく載っていたこの絵に私は激しく魅了され、心を深く揺さぶられた。
いわば人生の最も早い時期に出会った、私にとっての絵画の原点ともいえる作品だったわけだ。



■その後私が強く惹かれた画家は、ジョルジョ・デ・キリコ、サルバドール・ダリ、ルネ・マグリット、ジョアン・ミロなどである。特に意識していたわけではないが、こうして名前を並べてみると(ルッソーを除いて)、「シュルレアリスム」という言葉が立ち上がってくる。

このシュルレアリスム(超現実主義)は、よく非現実的とか幻想的とかの意味の誤解を受けているが、この場合の「超」とは、まさに「チョーかわいい」とかの言い方と同様、「すごく」とか「とても」の意味で、「現実を超える」ということではないのだ。

フランス文学者の巖谷國士(いわやくにお)もこう言っている。
「主観的な幻想を描くのがシュルレアリスムだという定義は明らかなまちがいで、ここで頭から消去しないといけない。むしろ人間におとずれる客観的なものたち、つまりオブジェたちが生起し表現されるのがシュルレアリスムですから。いいかえれば、主観にもとづいて幻想を展開するのではなく、むしろ、客観が人間におとずれる瞬間をとらえるのが、シュルレアリスムの文学や芸術のありかただということになるでしょう。」



■シュルレアリスムは、突き詰めていくとアナキズムにまで到達するかもしれない。
日々の絶え間のない喧騒の中で、時にはこうした自分の原点を見つめなおし、周囲に流されることなく、現実を直視しながら、シュルレアリスム的な思考を続けていきたいものだ。






    



    






上段左:キリコ   右:ダリ
中段左:エルンスト  右:マグリット
下段:ミロ