激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
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 戦争のできる美しい国へ
2006年08月29日 (火) | 編集 |





左:バフォメット
「サバトの山羊」と呼ばれる悪魔の王。
十字軍へ加わったテンプル騎士団に崇拝されていたといわれるが、これはテンプル騎士団の莫大な財産を奪うために仕組まれた、フランス国王の罠だった。
バフォメットという名前は、イスラム教の開祖モハメット(ムハンマド)が訛ったもの。
イスラムへの悪意があふれている。
他にギリシア語の「五芒星」が由来の名という説もある。


中:岡崎久彦
米英の忠実な下僕。
「アングロサクソンと手を組んでさえいれば大丈夫」という自虐史観のもと、「アングロサクソン崇拝教」を布教し続けている。
この場合のアングロサクソンとは、あくまでも白人のWASPのこと。
最近のビックリ発言は、「小泉総理のイラク攻撃支持表明は近来の快挙であった」。


右:アングロサクソン崇拝教信者たち
教祖に従って、「アメリカ大好き、アジアはクソ。核武装して戦争だい!」と日々お題目を唱えている。
別名、岡崎チルドレン。最近はA坊ちゃんの方が寵愛を受けている。




【参照】 日本の教育改革・有識者懇談会 03年6月
    「今こそ教育基本法の改正を!」緊急集会での提言


後半の、ドーキンス「利己的な遺伝子」をインチキ解釈で援用している点が最も噴飯ものである。

     愛国心―国家的に物事を考えること
    岡崎久彦(博報堂岡崎研究所所長・本会代表委員) 

 結論から申し上げると、今の教育基本法の問題点は結局は一つしかない。それは「愛国心」の問題だろうと思います。今の日本人に欠如しているのは、国家的に物事を考えるということです。本日の各先生方のお話も「日本が国際競争に負ける、日本が滅んでしまう」という見方は、これは全部国家的にものを考えておられるんですね。国家的にものを考えれば、結局優れた人間を作り出さざるを得ないんです。これはどうしてもエリート教育になる。
日本というのは極めて民度の高い国です。背景には徳川二百年間の文治教育がある。これは世界最高の教育だったと言われています。安岡正篤先生から直に私が聞いたお話では、世界で一番教育が進んでいた時代というのは後漢の二百年と、それから江戸時代の二百年と、その二回だというのです。だから後漢のあとの三國時代の『三国志』は面白い。出てくる人間が全部最高の教養人だから面白いんだと。それから明治維新の話というのは面白い。西郷と勝が会うとそれぞれ大変な教養人ですから、お互いに分かり合うんだと。そういうことを言っておられました。この伝統は脈々と生きているんだろうと思うんです。今でも日本人の多くは几帳面ですし、治安もまだまだいい。夜中に女性が一人で歩ける大都会は東京しかないと言われます。それから日本人の衛生観念は高い。おそらくSARSが日本に来なかった要因の一つでしょう。こういう高い民度は、敗戦があって占領があって日教組教育があっても全然崩れていない。それでは一体何が崩れているのかと考えますと、結局「愛国心」ですね。国家的にものを考える、それが欠落している。
 国家的にものを考えるというのは、本来これは言う必要がないことなんですね。これは全部我々のDNAに入っているんです。『利己的な遺伝子』という本があるように、遺伝子というのは極めて利己的で、自分だけ生き残るために全部できている。ところが、自分の属するある団体を守ることが自分の生存に意味があるとなってくると、自己を犠牲にしてもその団体を守るという遺伝子が埋め込まれているらしい。それでは、その団体が何であるかという、その単位が問題なんですけれども、結局は人類数千年の歴史では国家しかないんです。それは一人一人に聞いて見れば分かることで、「おまえ、何のために死ねるか」と。「東京都のために死ねるか」と言っても、おそらく死ねる人はいないですよね。地球人類のために死ねるかというと、口先だけそういうことを言っている人はいるけれども、命を賭けてないですね。やっぱり単位は国であって、これは放っておけば自ずから出てくるものです。ただそれを今までの偏向教育で抑えこんでいた。ですから、教育基本法に「国家的にものを考えること」「国を愛すること」ということを書けば、日本人というのは遵法精神がありますから、自ずから解決するんじゃないかと思います。




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 子猫殺しと死生観 その2
2006年08月28日 (月) | 編集 |
■21世紀、人口爆発によって食糧危機が起こる。
某国では増えすぎた子供たちを減らすために法律が作られた。
それはなんと、くじ引きに当たった子供をロケットに積んで、月の裏側に捨ててしまうという恐るべき法律だった。
そしてその子捨てロケットの船長は「白骨船長」と呼ばれ、母親たちから敵視されていたのだった…。

    手塚治虫『白骨船長』 1957年作品 より



■坂東眞砂子のエッセイ『子猫殺し』を読んで思い出したのが、この『白骨船長』という短編だった。
『白骨船長』の結末は、実は核実験の放射能汚染から子供たちを守るという政府の密命を受けた船長が、月の裏側で子供たちを育てていたというどんでん返しになるのだが、坂東の方はあくまで「死」を解決策に選んでいる。




■彼女に関する批判はたぶんほとんど出尽くしていると思うが、人間の全く介在していない自然と、現在の人間の手が入った自然とを混同して考えているところから様々な矛盾が生まれているのではないだろうか。

<獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ>と言うが、坂東の飼っているジャーマンシェパードはそもそも人間が作り出した犬種であり、ペットとして人と共に生きることを選択した動物はもはや自然の中では生きられない。
それに純血種(血統書つき)を優遇し、雑種の犬猫を冷遇して子も簡単に処分する態度は、優性思想を髣髴させる。
かつてフランスの要人がポリネシア人を指して、「ネズミよりはわれわれに近い」と差別発言をしたことと同一線上にあるのではなかろうか。


また『生と死の実感』では、タヒチの路傍には車に轢かれた動物の死骸が転がっていると書かれているが、これこそ自然ではなく人間の介入が動物を殺している最たる事象ではないのか。
ここでの動物の「死」は自然死ではなく、明らかに人間の手による殺害なのだ。そんな死がなぜ「生」を際立たせ、豊穣性へとつながるのか、私には理解できない。




■さて坂東は今の日本には死の形、すなわち死骸を見ることはほとんどないと言っているが、そうだろうか。
川口敏・著『死物学の観察ノート 身近な哺乳類のプロファイリング』は、主に交通事故で死んだ動物を詳しく観察・解剖した記録である。
著者自身による緻密なイラストが実に素晴らしい。
種類もネズミからイタチ、ウサギ、猫、タヌキと様々だ。


この本によると拾った死骸は圧倒的にタヌキが多く、全国の高速道路で死んだ野生動物の統計文書でも、やはりタヌキが第1位だそうだ。
また動物の生態によって事故に遭いやすい季節や場所が明らかになるので、こうして観察することで具体的な予防措置や保護対策も立てやすくなるという。

このように同じ動物の死骸を前にしても、なぜそれが死に至ったのかという考えがスッポリ抜け落ちた坂東の思考の特異さこそが際立ってくるのだ。




■日本と日本人、または日本的思考から逃れてタヒチに移り住んだ坂東だが、そこはまったき自然の残った、本当の意味での「最後の楽園」だったのだろうか。
タヒチ島を含むフランス領ポリネシアでは、フランスによる核実験が繰り返されてきた。
1966~99年の間に、大気圏内と地下を合わせて、約200回もの核実験を行っているのだ。まさに楽園の裏面史である。

■ポリネシア人を自分たちと同等には見ていなかったフランスは、核実験や放射能の危険性を島民に知らせないまま実験を強行した。当然がんなどの住民被害が多発したが、フランス側は核実験との因果関係をかたくなに否定し、データも公表しなかった。


その因果関係を認める発表があったのは、つい先日のことだ。
以下、新聞記事を転載する。

  仏国立研究所:がんとムルロワ核実験因果関係認める

【パリ福井聡】フランス国立衛生医学研究所(INSERM)のがん研究者、フローラン・デュバテイア氏は7日までに、フランスが66~96年に南太平洋の仏領ポリネシアのムルロア環礁周辺で実施した核実験と、地元住民に甲状腺がんが多発したことに「因果関係がある」と発表した。フランスの公的機関が核実験の影響を認めたのは初めてで、今後被害住民による仏政府への補償要求問題に発展するとみられる。

デュバテイア氏は「甲状腺がん患者239例の調査結果から、被照射時の年齢にかかわらず核実験との因果関係は明白だ。
際立った数値の例は10症例に限られているが、これらの症例は(因果関係を)明白に示している」とした上で、仏政府による一層の調査への財政支援と当時現地で核実験に従事した仏軍関係者への調査を要請した。

ポリネシア人に甲状腺がんが多い原因について、仏人研究者はこれまで「病的な肥満」などを挙げていたが、同氏は「そうした他の要因を考慮に入れても、調査結果は際立った数値を示している」と述べている。 毎日新聞 2006年8月7日




『世界のヒバクシャ』には、「タヒチの島を取材していて、奇妙な話を耳にした。魚を食べると中毒になるというのだ。」と記されている。
ポリネシアの人々の主食である魚が、食物連鎖によって毒性を帯びたのだ。
もちろん放射能汚染である。

本の文章はこう続いている。
「タヒチの核実験反対グループに知人の多いラフさんが、興味深い話をしてくれた。島の住民は魚中毒から身を守るため、猫に毒味させている、というのだ。
 タヒチ滞在中、注意して見ていると確かに猫が多い。ホテルでも三匹、レストランの中をいつもうろついていた。民族衣装のウエートレスに『どうしてこんなにたくさん猫を飼っているの』と、それとなく尋ねた。『タヒチアンはみんな猫が好きなのよ』と人なつこい笑顔でかわされた。」



■坂東はタヒチが未だにフランスの植民地であることをどう思っているのだろうか。
尋ねてみたい気がする。
そしてもし私が彼女の立場なら、タヒチの抱えているこの裏面史を広く日本の読者に知らしめたいと強く願ったことだろう。



 子猫殺しと死生観
2006年08月26日 (土) | 編集 |
  

■タヒチと聞いて思い浮かぶのが、画家のポール・ゴーギャン。
彼の絵の中でも、特に圧巻なのが上記の絵だ。
タイトルは「われわれは何処から来たのか、われわれとは何か、われわれは何処にいくのか」。

自由と生の充実を求めてフランスからタヒチにやって来たゴーギャンと同様に、日本を捨ててタヒチに移り住んだある女性作家がいる。
坂東眞砂子―いま彼女のエッセイ『子猫殺し』を巡って、抗議や批判が噴出している。


■20日の「きっこの日記」で、日経新聞に載った坂東のエッセイについてを知った。その後瞬く間に多くのブログや掲示板がこの『子猫殺し』を取り上げ、テレビのワイドショーや毎日、朝日などの大手新聞も大きく書き立てるに至って、全国的な話題となった。

20日の時点で自分のブログにも書くつもりだったが、連日の忙しさに取材も重なって、結局ずるずると書きそびれてしまった。


■で、今さら感がある中、私が感じたことを簡単に記してみたい。

まずどうにも理解不能なのが、彼女の思考回路の整合性のなさである。

坂東によれば、日本という現代都市は「死」を隠蔽排除しているがゆえに「生」の充実もない。また個人の自由も犠牲にされている。だからこうした社会には精神的に住み続けられなくなってタヒチに来た。そしてタヒチで暮らす8年の歳月の中で、人と動物双方を含めた「生」と「死」について深く考えるようになった。その線上で生まれたのが、今回話題になった一連のエッセイであり、つまりは生きる意味を見失っている日本人へのメッセージであるという。


なるほど、上記の内容を読む限りは、ごくまっとうな意見である。
私の方も、昨日の取材相手である湘南長寿園病院院長・松川フレディ氏に日本における死のタブー視について話題を振ったくらいだから、考え方としては納得できる。


しかし。


問題になったエッセイの内容を要約してみると―。


『子猫殺し』 日経新聞夕刊コラム「プロムナード」8月18日 赤字は原文のまま。

糾弾や罵倒を承知の上で書くが、私は子猫を殺している。
そしてこの子猫殺しは、深く考えた上での行為なのだ。
私は雌猫を3匹飼っている(話の様子では野良猫らしい)。
私は避妊手術に異は唱えない。
だが獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。
その生を人間の勝手で奪ってよいのか。
避妊で子種を殺すことと生まれた子猫を殺すことは同じであり、よしあしの問題ではない。
獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ。
人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。
生まれた子を殺す権利もない。

しかし飼う以上は社会的責任を果たすため、私は子猫が生れ落ちるたびに崖から放り投げて殺しているのだ。

           *

このように要約するといくぶんスッキリ読めるが、論旨は最後まで破綻している。
異を唱えないと言いつつ明らかに異を唱え、殺す権利はないと言いつついとも簡単に殺しているからだ。
思わず、頭の中大丈夫?と問い質したくなる。
しかしながら内容の是非以前に、この人の文章のヘタさ加減にうんざりしてしまう。これが賞まで取ったというプロの作家の文章なのだろうか。



『天の邪鬼タマ』 日経新聞夕刊コラム「プロムナード」7月27日

私は犬も3頭飼っている。
ジャーマンシェパードのミツ(♀)とクマ(♂)、それにミツの娘タマ(雑種)だ。ミツとクマには犬小屋があるが、雑種のタマは放し飼いにしている。
この母娘が同時に子犬を産み、犬も私もどちらの子か混乱するうちに、子犬たちは死んでしまった。
再び母娘は同時に出産し、私は娘のタマの子を「始末」した。
やがてタマはミツの犬小屋を占領するようになった。
タマはミツになりたいのだ。ミツならば、子供がいなくなることもない。立派な犬小屋だってある。犬なりにそれを悟ったのだろう。
日本のお伽話に「瓜子姫」という、美しい瓜子姫をうらやんだ天の邪鬼が姫に成り代わる話があるが、タマはまさしくミツ(瓜子姫)に憧れて成り代わった天の邪鬼なのだ。
人間の社会にもこの天の邪鬼心理がはびこっている。
しかし、天の邪鬼は、瓜子姫ではない。衣装や地位の中にもぐりこんでも、中身が違う。そこで、天の邪鬼の個人性、オリジナリティーが圧殺される。
「右にならえ」のファッションの傾向、「後釜に座る」習慣、モノマネ大会やカラオケの流行など、この会社は、天の邪鬼心理に流されやすい。これを人は文化と呼ぶが、実は犬並みの本能からくる習性に過ぎないのではないか。


           *

ようするに坂東が言いたかったのは、後半の天の邪鬼云々という日本社会批判なのだが、そもそも犬と人間社会を同一に比較論じるのに無理がある。
犬のタマの場合は、雑種というだけで犬小屋はもらえないは子供は始末されるはのいじめを受けながらも、飼い主の愛情をもらいたいと健気に生きているだけなのに、不当に偽物扱いされているのだから。
ブランド好きな天の邪鬼はむしろ坂東の方だろう。
というか、こんな陳腐でヘタレな社会批評は、はじめっから犬も食わんワ。



『生と死の実感』 日経新聞夕刊コラム「プロムナード」7月7日 前半しか入手できず

ドライブの楽しみは、鶏の死骸を発見することだ。死骸が新鮮なら食用にできるからだ。
タヒチの路上には車にはねられた鶏や犬猫、ネズミの死骸がよく転がっている。家の中や庭先にも死骸があるので、今は平気で茂みに放り投げている。

        *

つくずく、なんでも放り投げるのが好きな人だなと感心する。
生きていようが死んでいようがお構いなしだ。
文明社会である日本はこうした動物の死骸にお目にかかれない。
タヒチのあり方のほうが自然なのだ。
って、バカ言ってるんじゃないヨ。
地球上で人間の手の加わっていない自然などもうほとんどないに等しいのに、自然とか文化とかの定義すら不確かな坂東は、支離滅裂な論を展開する。


この「ポイ捨て」については、毎日新聞にも『ゴミのない世界』(04年3月29日)というタイトルで書いている。

つまり、野菜くずでも魚の内臓でもネズミの死体でも茂みに投げ捨てておけば、腐って自然に戻っていく、と。
ある日、ふと思った。自然のサイクルには、ゴミなんかないのだな、と。
そこから自然と切り離された都会生活の中でゴミという概念ができて、人もまたゴミと見る考え方も生まれた等と、またしても文明批判が綴られていく。
ゴミという概念のない昔の村社会には(ほんとかぁ?)浮浪者などいなかったそうだ。そして村社会の役に立たない、もしくは害を与える者は殺された。(もう一度、ほんとかい?)
そしてタヒチの人たちには未だにゴミという概念がないので、缶詰やビニール袋といった人工物もこれまでと同様、ポイ捨てしているのだ。

      *

なんだかなあ…という内容で、生きた子猫をポイ捨てすることも、坂東自身にゴミ概念がないゆえの行為なのか?
茂み(自然)へポイ捨てすれば、自然のリサイクルで死骸は土に還るというわけだが、それが許されるのはあくまで死骸の廃棄の場合であろう。というより、坂東の言ってることはただの詭弁にしか聞こえない。



             その2に続く      


 反対者や辺境はどうなろうとかまわない
2006年08月22日 (火) | 編集 |
   わたしの言う愛国心とは、恐怖です。他者への恐怖です。
   しかもこの表現は、政治的なものであって詩的なものではない、
   憎悪、紛争、侵略。
   この恐怖は日ましにわれわれの体内で成長していきます。
   年ごとに深まっていきます。われわれは、わが道に従いすぎて
   しまったのです。

          アーシュラ・K・ル・グィン『闇の左手』より




■暑い夏が続く中で、日々さまざまな事件が起こり、いや起こりすぎていると言ったほうが正確だが、あまりに目まぐるしくすべてが流れ行くので、少し前の出来事さえも遠くかすかな記憶へと変わってしまう。



■8月15日、「日本遺族会と軍人恩給連盟に対する公約」を果たすため、小泉首相は靖国神社を参拝した。
新聞各紙はこの参拝を批判したが、ネットの住人たちは圧倒的に小泉支持へ回った。


同じ日、首相参拝に反対した加藤紘一氏の実家が右翼の焼き討ちにあった。明らかなテロ行為にもかかわらず、官邸は沈黙し、小泉はお見舞いの電話すらかけなかった。
彼らにとって反対や批判をする者は、テロで殺されようとかまわないのだ。
いやむしろ、その方がありがたいと。


翌16日、北海道根室沖で日本の漁船がロシアに拿捕され、一人が銃弾を受けて死亡した。
しかし首相も官房長官も夏休み中で、何の反応もしない。
彼らにとって北海道や沖縄など、そんな「辺境」の地はどうなってもよいのだ。豊かな大都市だけが守るべき日本であるのだから。



■この国の外交の扉はたった1つしかない。
それは「アメリカへの扉」。
いくつもの他の扉は閉じられたまま、あるものは固く閂が下ろされ、あるものは朽ち果てたままだ。

そして国民への扉も1つしかない。
「金持ちと追従者への扉」。
少し前までいくつかの扉があったのだが、次々と閉じられてしまった。
やがて追従者たちも徐々に締め出されていくだろう。
だがそれに気づいたときは、もう手遅れなのだ。


 第3次世界大戦に向けての靖国参拝
2006年08月18日 (金) | 編集 |

■15日当日、靖国参拝の一大イベントは、朝の7時半から始まった。
ちょうどテレビ朝日の「スパモニ」開始時刻だ。
待ってましたとばかり、テレビ各局のヘリが首相官邸を出た黒塗りの車列を追いかける。
都心は雨。車は神社正面の参道を避けて、横門から本殿へ。モーニング姿の小泉首相は大勢のSPに守られながら参拝した。
群がる一般参拝者というか、小泉ショー見物の観衆たち。いっせいにデジカメやケイタイで写真を撮る。
得意満面のポチ首相。小泉劇場の最後のクライマックスだ。


■以前も書いたが、靖国神社は幕末維新期に誕生した新しい宗教観念を持った特異な神社で、その本質は死者の慰霊や追悼ではなく、「招魂」と「顕彰」である。

倒幕の志士たちは自らを国事殉難者と位置づけ、招魂場を作って戦死者の魂を呼び寄せ、死者の力を借りて敵への大いなる憎悪を掻き立てることで戦いの勝利を祈った。この招魂祭は、幕軍との戦いのたびに執り行われたという。

当時この招魂場(後の招魂社)を設ける習慣があったのは長州藩だけで、これが以後全国に広がって護国神社となった。

日本古来からの神道や神社は敵と味方を区別することなく死者を祀っていたが、長州藩の伝統から広まったこの招魂場は、あくまでも味方の戦死者のみを祀って顕彰するというまったく異質の性格を持っていたのである。

現在の靖国神社の前身である東京招魂社は長州藩出身の大村益次郎が、いうなれば独断で作り上げたものだったので(大村は襲撃された傷がもとですでに明治2年に没した)、その概要や性格も未整備で、しばらくは祭事もきちんと決まっていなかったのだ。

万事こんな具合だから、古くからの伝統だの死者を静かに追悼する場だのが、いかに靖国神社の性格から程遠いものかはっきりわかるというものだ。


■尊王攘夷を掲げる長州藩が生み出した靖国神社は、だから天皇のために戦って死んだ兵士だけを祀って顕彰し、生者を鼓舞して戦場に送り込むシステムとしての神社であり、戦死者以外の死者や朝敵は最初からオミットされているのである。

そして現在は、その肝心の天皇が参拝できないという異常事態が続く中、A級戦犯が合祀されていようが富田メモが見つかろうが周辺国が不快に思おうが、いっさいへっちゃら、蛙の面に小便の小泉がメディアを従え、わがもの顔で8月15日に強行参拝を行ったのだ。




なるほど。

世界はすでに第3次世界大戦に突入している。
そして後世の歴史は、小泉を第3次世界大戦に日本を巻き込んだA級戦犯と断罪することだろう。

その未来のために、自らもまたA級戦犯として靖国神社に祀られているであろう未来の幻影に陶酔しながら、小泉は靖国を参拝したのである。


 停電と停戦
2006年08月14日 (月) | 編集 |
■今朝7時半過ぎ、テレビ朝日の「スーパーモーニング」で、停電のため電車が止まっているらしいとの一報が入った。同番組ではその後も引き続き、ヘリからの上空映像で刻々と情報を伝えていった。
一体何事?と他チャンネルも見てみたが、靖国関係の特集ばかりで、停電のニュースはどこもやっていない。途中からやっとフジテレビが取り上げだした。

都内14区と千葉・神奈川の一部を含む広域停電は、発生後3時間後にようやく収拾した。原因は旧江戸川でクレーン船が東京電力の高圧送電線に接触したためらしい。
クレーン船の作業員はそこに高圧送電線があることを知らなかったと言うが、それはいくらなんでも不注意以前の問題ではなかろうか。
東京電力側も想定外の事故だとコメントしていたし、またしても各所のエレベーターで人が閉じ込められ、無人の「ゆりかもめ」は再び立ち往生した。


■靖国参拝をとっかかりに再び戦争のできる国にしようとする策謀する一方、こんなゆるい危機管理のままで、いったい現政権は何を考えているのかと首を傾げてしまう。
先の大戦だって、戦力や国家経済の見通しが大甘な上、作戦はいい加減だし情報は筒抜けだし、まったく無謀そのものだった。
敗戦後も今に至るまで、敗戦原因も責任も自ら総括できぬまま、周りの国が悪いと突っ張り続けている。

結局、小さな事故から大きな戦争まで、対処の仕方がみごとなくらいいつも通りにいい加減ってわけだ。
こんな具合だから、もしも再び戦争を始めることになったら、またあきずに同じ失敗を繰り返して、日本中が焦土と化すだろうことは目に見えている。戦争で得して儲けるのはいつもの連中だけ。
歴史からちっとも学ぼうとしない多くの国民は、またしても騙され、利用されて死んで終わりなのだ。





■イスラエル軍×ヒズボラがようやく停戦に。
しかしこの停戦がいつまで続くのかは予断を許さない状況だ。
これまでの人的被害は、イスラエル1に対してレバノンが8~10.
だがレバノン側の犠牲者はほとんどが民間人なので、戦闘能力は両者ほぼ同等だとか。これはイスラエル-アメリカにとっては誤算だろう。



■で、問題はこれだ。

   


■過去の戦争、クーデター、最近の湾岸戦争、アフガン、イラク戦争、そしてレバノン紛争(本質は戦争だが)、これから起こるであろう対イラン、中国との戦争…。

すべての原点がこれなのだ。

今現在の停戦、これがどう展開するか、そして日本の対応は?
イスラエル-アメリカの企むハルマゲドンは静かに進行しつつある。



 「イスラム教のファシスト」とブッシュ、つい本音がポロリ
2006年08月11日 (金) | 編集 |
■あ~あ、ついに言っちゃったよ、この人。

英国の旅客機同時爆破テロ未遂事件(この事件もかなり怪しい。また自作自演?)についてのコメントで、ブッシュ大統領は「イスラム教のファシスト」と本音むき出しの発言をした。

テレビのニュースでチラッとこの言葉を耳にはさんだ時、キップ帽をかぶって嘆きの壁で自己陶酔していた小泉首相の姿を思い浮かべてしまった。
まったく言わんこっちゃない。こうした事態を恐れていたのだ、われわれ日本国民は。

靖国、靖国ってこだわっているくせに、日本古来の神道だのなんとか言ってるくせに、他国の宗教戦争に自ら巻き込まれてどうする。
21世紀の十字軍に加担するくらい愚かな選択はない。


■しばらくメールやブログどころか、パソコンを開く時間も取れなかった。世界は戦争にまみれているが、温泉旅館にとっても夏場は戦場だ。
幸い先月末の取材原稿は今朝仕上がったので、少し精神的な余裕が生まれた。でもその反動で疲労がドドッと押し寄せ、もうボロボロ状態。あまりに疲れすぎて倒れるかと思った。
とはいえ、夏場の忙しさの本番は今日からなのだ。
ε=( ̄。 ̄;A フゥ…。

とにかく明日には必ずコメントやTBを開いてみることにしよう。


 キキどん2歳に!
2006年08月07日 (月) | 編集 |
猫4姉妹の末っ子キキが本日2歳になった。


キキで~す。
漢字だと「黄々」。
発見時に黄色く汚れていたのでこんな名前になっちまった。
特技は「カーテン・レール走り」。
性格は喧嘩っ早くて怒りんぼ。
野生の猫の血を失っちゃいないのサ。







まだ小さい頃。
長女のマヨにおんぶ。
マヨは4ヶ月だけお姉さんなのだ。








お風呂だ~い好き。
ここは内風呂も源泉掛け流しだから、こたえられんわネ。
身体を洗われるのは嫌いだけど、浴槽につかるのは大好きなんだ。
ちょっと熱めでもOK。
人間のお客が熱いと言う温度でもへっちゃらさ。
だけど肩までつかってって言われても、本物の猫背だから難しいよ。
お風呂の日以外でも、毎日洗い場に入って、「足湯」を楽しんでるんだ。






ママの茶々。
外猫(ノラ)なんだけど、庭に住み着いてしまった。
甘ったれで、今では宿の「看板猫」的存在。






ここんとこ猛暑が続いてるので
ケーキではなく、ビールで乾杯!
ちょっとドスコイ体型で朝青龍に似てきたキキどん
2歳のバースデー、おめでとう!
ビールの名前は、(「ファイト一発」+「1本いっとく?」+「危機一髪」)÷3なのだ。






外猫・新メンバー紹介



マイケル  オス

どこかの飼い猫だったらしい。
人懐こい、というより
ずーずーしい。
ドライの食事ではなく、缶詰を要求。
ハグハグと恐ろしい勢いで食べつくし
他の猫が近づくと威嚇する。





ハナクソ  オス

乱暴な流れ者。
屋根の上を走り回って
他の猫と喧嘩。
池の金魚を手ですくって
殺害。
乱暴狼藉数知れず。
警戒心が強い。
猫本来の気性の持ち主。




 ヤッシー、長野知事選で敗北す
2006年08月06日 (日) | 編集 |

       


■先日の長野県岡谷市の豪雨災害は「脱ダム」行政のツケ、などというネガティブ・キャンペーンの逆風をくらって、康夫ちゃんは知事選に敗北した。

長野県における「ミニ・チリ軍事クーデター」の再現か!?

 ミッシング ―もう1つの9.11 チリの軍事クーデターとアメリカ―
2006年08月05日 (土) | 編集 |
■昨夜、仕事の合い間に部屋に戻った折、5分間だけテレビを観る。
画面に黒い十字架がいくつも映った。
そして「失踪者」という単語。
チリ? と思ったがそのまま就寝。
改めて先程テレビ欄を見たら、NHKスペシャルの「21世紀の潮流 ラテンアメリカの挑戦・格差からの脱出 ~ブラジル・チリ~」とあった。




■映画『ミッシング』は特に印象に残った作品の1つだ。
原作はトーマス・ハウザー。
彼の実体験に基づいた内容の映画である。主演はジャック・レモン。

南米チリで突如軍事クーデターが起こり、作家志望のアメリカ人青年チャーリーが失踪した。知らせを受けた父親が本国から駆けつけ、息子の妻ベスと捜索するうちに、この失踪とクーデターにアメリカ政府が関わっていることを知る。


■右の本はガルシア=マルケスの『戒厳令下チリ潜入記 ―ある映画監督の冒険―』(岩波新書)。
マルケスの序文の始めの部分はこうだ―。
「1985年の初めごろ、チリの映画監督ミゲル・リティンは、祖国に帰ることを全面的に禁止された亡命者の一人でありながら、六週間にわたってチリに潜入し、軍政12年目の祖国の現状を7000メートル以上のフィルムに収めた。顔も変え、服装も話し方も変え、偽の書類を携え、地下で活動を続ける民主団体の援助と保護を受けながら、リティンは、合法的装いのもとに入国したヨーロッパの三つの映画チームと国内のレジスタンスの六つの青年映画チームの総監督として、チリの国土を広く、また深く(モネーダ宮殿[大統領府]の内部も含めて)撮影した。(以下略)」


■チリの軍事クーデターとその後については、02年9月18日の「日刊ベリタ」が書いているので、そのタイトルとリード文を転記する。

  もうひとつの9・11 チリでの軍事クーデターの日 
  社会の痛手は癒えたのか?
 

9月11日は、世界史上初めて選挙で成立したアジェンデ社会主義政権が、1973年に軍事クーデターで打倒され、大統領が殺された日でもある。グランドゼロで死者3千人を追悼する式典が行われたこの日、チリの首都サンチャゴでも追悼集会が開かれた。3万人が殺害された軍事クーデターへの米国政府の関与が機密文書解除で明らかにされて2年が経つ。一方の出来事が黙殺されるという報道姿勢のなかで、アジェンデ政権下の司法省で局長を務めたイシドロ・ブストス氏へのインタビューをドイツ紙「ユンゲ・ベルト」が掲載した。かっての当事者の立場から、民政移管後のチリ社会が抱える問題点を指摘している。(戸坂志明)


     本文は、http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200209182326063


■少し前後するが、『戒厳令下~』の訳者解説にはクーデターを起こしたピノチェト軍事政権の施策が述べられていて、それが現在の日本の状況となかなかによく似ているのだ。

つまり、まず左翼勢力を根こそぎするため「1980年憲法」を制定した。
この憲法前文には、チリの国体にはマルクス主義は相容れない。そのためアジェンデ政権とは異なる“防衛された民主主義”を採用する、と書かれている。
そしてこの憲法の下では基本的人権や自由が制限され、軍の政治介入が不可欠となった。

そしてまたピノチェト政権は、ほとんどの国有企業を民間に移管したり、社会保険まで民営化するといった完璧なまでの経済自由化政策を推進したのだ。
その結果は国内企業の倒産を生み、失業率は20%以上、国民の2分の1から3分の1が飢餓線上でさまよったのだ。



■アメリカ人ジャーナリストのグレッグ・パラスト著『金で買えるアメリカ民主主義』(角川文庫)にも、チリの軍事クーデターにおけるアメリカの陰謀やピノチェトの政策について書かれている。

内容をかいつまんで紹介すると―




<ふたりのフリードマン、ピノチェト、そしてチリのおとぎ話のような奇跡について>の章 
なんかマルケス的なタイトルだね(^^;;

著者のパラスト氏はシカゴ大学のゼミでミルトン・フリードマン教授に学んだが、後にこのフリードマン率いる「シカゴ・ボーイズ」と呼ばれるエリート政策集団がピノチェトの経済政策を支えることになった。
以下、本文の引用は【】で記す。


【ピノチェトは「チリの奇跡」の立役者として広く認められている。これはチリをひとつの実験場として、自由市場、自由貿易、産業の民営化、規制緩和、組合不在での経済発展を試みたもので、大きな成功を収めた。実験の計画はシカゴ・ボーイズが行ない、彼らがまいた自由競争主義の種はサンチャゴからイギリスのサリー州へ、そしてバルパライソからバージニア州へと広がって行った。】


しかし、この「チリの奇跡」は単なるおとぎ話に過ぎなかったのだ。




         この項つづく(^^;









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