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激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 「体感治安」煽るテレビ
2006年06月24日 (土) | 編集 |

■いつも朝目覚めて着替える間はテレビをつけておくのだが、スイッチを入れたとたんに、みのもんたの顔が映った。
『サタデーずばッと』か? 手でなにやらフィリップを掲げている。
「ご覧ください。少年犯罪がこんなに増えています」
ええっ?! びっくりして画面を凝視。
なんと最近の一連の少年による事件を羅列したフィリップを見せて、いかに凶悪な少年犯罪が増加しているかを説明していたのだ。

ちょっと待ってよ、少年犯罪が増えていないのはれっきとした事実でしょうが。それなのに、朝っぱらから見え透いたウソを全国にばら撒いたりして!

続いてレポーター(誰だか知らない)が、奈良母子3人焼死事件の犯人とされる長男の情報を現地からレポート。犯行動機として、父親の息子への過剰な期待と期待にそえなかった際の失望と叱責をあげ、サッカーW杯で敗退した日本選手への社会の反応と同じですねとコメントすると、みのもんたがあからさまに嫌な顔をした。
これには笑っちゃったね。レポーターGJ!


■6月7日の私のブログ「犯罪は増えているのか?」やコメントを寄せてくださったpappert氏のご紹介サイト『スタンダード 反社会学講座』の中の「少年の凶悪犯罪は本当に増えているのか」を見れば明らかなように、一般犯罪も少年犯罪も増えてはいないのだ。実際には増えていないのに、ことさら「体感治安」が悪いと煽ったり、今朝のみのもんたのようにそのままズバッと増えてるんですよ!なんて堂々とウソをご開陳しちゃうのはどーして?



■最近はこの「体感治安」に関して優れた論考やブログが多くあるが、『論座』05年9月号にも、なるほどと思う記事が載っている。
その1つが大阪府立大講師・酒井隆史氏の「世間」の膨張によって扇動されるパニックである。

ここではニューヨークを端緒に日本にも導入された「割れ窓(割られた窓)理論」から論考が始まり、犯罪学者の河合幹雄氏が統計調査の結果得られた、犯罪数も増えておらず警察の検挙率も低下していないし、凶悪化はまったくの誤りという結論にもかかわらず、なぜ治安への不安は高まっているのかと問いただしている。
そして筆者の酒井氏は「日常生活への恐怖の偏在が、実態と感情との乖離を生むという点では、日本社会はアメリカ以上に『恐怖の社会』であるといえるかもしれない。」と述べる。

また「モラル・パニック」という言葉があるが、市場経済主義で雇用や生活が不安定になり、そこに外国人とかテロリストといった「不安」の種が投げ込まれると、パニックを伴った恐怖が引き起こされるという。

日本社会はいま、そのパニックの頻繁化というある程度は世界共通の現象が、より深度を増して恒常化していく傾向にあるといえる。いうまでもなく、そこでメディアの果たす役割は多大である。恐怖がひっきりなしに扇動され、その結果としてパニック状態の主体が生産されている。小泉首相に特徴的な、激情的で断定的な短いフレーズを単位とした発言は、それ自体、この恒常的パニック状況を体現している。


以下、内容をかいつまんで紹介すると、
テレビはモラル・パニックの強力な生産装置で、日本ではいたるところでテレビがつけっぱなしの状態である。
ニューヨークも管理・監視社会になっているが、それに対抗する動きもあるし、人間も多様である。
日本はかつての不良性や学生の暴力性も影を潜め、殺菌された社会になってパニックへの耐性を失っている。
80年代以降、日本社会は「伝統的」な「世間」の露呈と膨張に見舞われている。(法学者・佐藤直樹氏の言葉)
日本の各地で「迷惑防止条例」が制定されているが、この迷惑の意味は、日本では「世間」への同調の方に力点が置かれている。
日本社会に充満する「不安」は社会の新システムを支える感情的な核心になりつつあり、この不安が人々を競争への同調へと向かわせている。
イギリスのサッチャーは「社会は存在しない」と言った。
つまり支配の「分断統治」が個人のレベルにまで移行したのであって、不安は労働組合のような「社会」を介して勝手に緩和されてはならないということだ。

さてムラ社会から未だに抜け出せず、「世間」という視線を常に感じながら暮らしているわれわれ日本人だが、筆者はアメリカ一辺倒に同一化を図っている日本に対して、ヨーロッパ諸国の「連帯」を対峙し示唆している。
日本人は果たして「世間」の中での孤立と不安から脱することができるのだろうか。
論考の最後はこう結ばれている。
「事態はまったく楽観できるものではない。」

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