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激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 はらわたが煮えくりかえる
2006年06月23日 (金) | 編集 |
■連日の疲労が重なってブログを開く気力もなかった。最近は取材と義母の在宅介護が重なったりして、よけい疲労が蓄積していたせいかもしれない。
夜更けの飛び込み客も続き、さらにDQNな女性客の執拗な電話(室内金庫に入れたアクセサリーがなくなった。しかしチェックアウト前に自分で金庫を確認したら空だった。金庫の合鍵は他にないし、その鍵はずっと持ち歩いていた。宿の誰かが金庫を開けて盗んだ)―という、まったく非論理的でわけのわからない電話が何回もあって、いい加減こちらもキレてしまった。最後は相手が私が盗んだと言い出し、それなら警察に任せますのでお名前と電話番号をと言うと、プチッと電話を切った。
なくなったというアクセサリーの種類も転々と変わるし、こうした自分の思い込みで、悪いのは自分ではなく周囲だと頑なに主張する輩が増えているのを実感する。
ま、私自身も女将という意識が未だに薄いので、はいはいそうでございますかと、何を言われても柳に風という態度はどうしても取れない。それでも以前よりはこうした暴言も聞き流せるようになったのは、ちょっとは進歩した証拠か。以前通っていた心療内科で、非合理的・非論理的な言動に直面すると攻撃的な性格が突出すると指摘された。なるべくグッと抑えて犯罪者にはならないでねと諌められたけど(^^;;
しかし他の場所で互いに一市民同士として合間見えた場合は、こんな暴言は決して許しはしないゾ。一発くらいお見舞いしなきゃ気がすまないもんね。ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ!バカチンガァ!!


■さてさて手術入院していた実家の母が無事に退院したので、ちょっと心がなごんだ。嫌なことは早く忘れよう。いつまでグチグチ言うのは潔くないからね(^ー^* )


といっても世の中、腹の立つことが多すぎるワ!
6月20日の東京新聞によると、

埼玉県戸田市の伊藤良一教育長が今月十三日の市議会で、同市立小中学校の卒業式や入学式の君が代斉唱の際に起立しない来賓や保護者について「はらわたが煮えくりかえる」と答弁、調査する方針を示していたことが分かった。伊藤教育長は十九日、本紙の取材に対しても起立しなかった来賓の氏名や人数を調査する意向をあらためて表明。起立の徹底を図ることを明らかにした。

 
おっとこの場合は、「はらわたが煮えくりかえる」と答弁した伊藤良一教育長に対して、はらわたが煮えくりかえるわけなんだけど。

思えば99年の国旗国歌法の強行採決を契機に急速な右傾化が進んだのでは…と記憶している。
当時政府側はこう述べている。
最終的には個々人の内心にかかわる事柄:野中広務官房長官
強制するものではない:御手洗政府委員
児童生徒に精神的な苦痛を伴うような指導は全く許されないこと:有馬文部大臣
ところがこうした舌の根が乾かないうちに、天皇ですら強制はよくないと発言せざるを得ない状況に陥っているのが現状だ。
第一どういう権限で、上記の埼玉の教育長は起立しなかった来賓の氏名や人数を調査すると言うのか。まさに憲法違反の逸脱行為である。


■このところ思い出すのは「草の根のファシズム」という言葉だ。
これは吉見義明著『草の根のファシズム』(東京大学出版会・87年刊)を読んで記憶していた言葉なのだが、サブタイトルに「日本民衆の戦争体験」とあるように、この本は多くの日本人の戦争体験を通して過去の戦争の意味を問うたものだ。

ことに日露戦争後に芽生えた大正デモクラシー(外に帝国主義、内に社会改造を求める草の根の天皇制デモクラシー)から、いかに日中戦争時の草の根のファシズム(外にアジア・モンロー主義、内に社会国民主義)へ移行して行ったかが具体的な出来事の列挙で述べられている。

例えば1937年に国民精神総動員運動が始まるが、その当時の状況として「戦争の受益者となる機会の相対的に多い都市住民と違い、農村漁村の民衆は、日清戦争以来、戦争のたびに大きな犠牲・矛盾・困難をかかえこんできており、しかも常に戦争を熱心に支えてきた。」
国は生活水準の切下げを提唱してこの農村漁村の人々と摩擦が生じていたが、「国家が民衆に提示しているのは、現在の生活水準を維持するための対外戦争という構図ではなく、まず対外戦争の継続、そのための生活水準の切下げという構図であった。」
「しかし、民衆が戦争に協力する動機は、生活問題に関していえば、現在の低い生活水準の打開、そのための戦争への期待、という点にあるから、戦争指導体制に対する不平・不満は戦争を阻止する方向に向かわなかった。」

これはこのまま、現在の「痛みを伴うコイズミいんちき構造改革」を支持した国民の姿に重なってくる。

日中戦争が泥沼化すると、戦争やそれを支える政権に多くの不満が起きた。しかしながら国民はイタリアやドイツのような独裁政治は求めておらず(賛成は1.3%)、自主外交・協力政治を柱とする「日本独自の」体制を望んでいた。とはいえ、官僚批判・世論尊重が10.1%、政党政治がよい6.9%と、かなりの異論も存在していた。

しかしこうした異論・反論は戦争終結への力にならずに、権力によって抑圧され、天皇制ファシズムへの道を辿っていく。
特にサラリーマン、中小商工業者、職工、日雇い労働者などの、いわゆる小市民層の不満と期待が新体制運動を進め、彼らが中心になって天皇制ファシズムを支えていくのである。また社会や家庭内で抑圧されていた婦人たちが愛国婦人会に参加して戦争を献身的に支えたことも見逃せない。加えて天皇制デモクラシーを知らない若い世代が、易々と天皇制ファシズムに絡めとられていったのである。


■やがて敗戦を迎え、「日本人の民族的優越意識は、欧米人に対しては崩壊し、その結果、欧米のデモクラシーを取り入れ、旧体制の改革を行うべきである、とする立場に立つように」なっていった。
ところがその一方で、「6割強の人が、アジアに対する『帝国』意識を持ち続けており、戦争責任を感じていなかったのである。他方、2割前後の人々のアジアに対する『帝国』意識が崩壊していたことも、忘れてはならない。」
とはいうものの「戦後の日本が、平和・デモクラシー・経済的繁栄の道を歩む中で、動員された沖縄県人、アイヌ、ウィルタ、チャモロ人、朝鮮人、台湾人などの存在は、忘れられていった。」ことも確かなのだ。

戦後もこうして残った「聖戦」観は、今や大手をふるって表に現われ、上記の教育長の発言へと連なっている。
人一倍国を愛し政治や法律を忠実に守っていると任じている人物が、このように他の国民を監視し罰しようとする、つまり進んで国家の陥穽に絡め取られようとする姿をこそ警戒し、それはなぜかを問い続けなければならないのだ。

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