激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 コタマで~す&体感不況
2006年06月30日 (金) | 編集 |


はじめまして。
コタマっていうの。女の子よ。
少し前までママの実家に出没してたスズキタマオの娘。
タマオの娘だからコタマ。
こんな単純なネーミングをしたのはジーン姉さん。
捕まって家猫の仲間入りしてから、早3日目で湯河原に遊びに来ました。





湯河原の先輩猫さんたちの獣医さんに診てもらったら、なんとシラミがたかってたんだって。
身体中消毒薬をスプレーされちゃった。で、きょうはママにお風呂に入れてもらったの。
推定今年06年の4月7日生まれ(獣医さんによる)。
ジャッキー・チェンと誕生日が一緒! ってゆーか、ママが無理やりこの日に決めちゃったのだ。





なにこれ。
なんでもオモチャにしちゃう年頃なのだ。
顔と体の色合いとシッポの形がキキとよく似てるでしょ。









座椅子の上のスプーンと猫。
シュールなモチーフですニャ。
お風呂に入ったあとで、ミラやプーチン、アーニャの待つ家に帰りました。みなさん、バイバーイ。














これはコタマよりもっと小さかった頃のキキ。まだスポイトでミルクを飲んでいた。
フロントの棚の内部がお気に入り。猫というよりハツカネズミっぽいね。
キキが入っている箱は、タテ6センチ、ヨコ12センチなのだ。ほぼ実物大。



■さて、作られた陰謀の臭いがふんぷんと立ち昇る「体感不安」だが、一方これは本当だといえるのが「体感不況」だ。
きのうは買い物で小田原に行ったのだが、相模湾に面した道路沿いにある食事処や土産物屋はつぶれた店が多く、小田原の商店街はみごとにシャッター通りと化していた。

報道ではしきりに好況だ、バブル時以上の好景気だと言い募っているが、とてもとてもそんな実感はない。たしかに去年はちょっと盛り返していたが、今年に入ってからは明らかに景気は後退している。
湯河原でも駅前は去年に比べて閑散としているし、観光客自体に活気がない。というか、活気が感じられない。
めったに外に出られずフロントに座りっぱなしの私でもこのようにわかるくらいだから、実際はかなりひどいのだろう。

多くの国民がこうして呻吟しているのを尻目に、カナダ・アメリカとお気楽に“卒業旅行”を続ける首相だの、恥ずかしげもなく“ど素人”発言をする日銀総裁だの、宮中祭祀を嫌って海外にまで静養の場を広げる皇太子妃だの、この国のトップの品のなさにはいい加減辟易する。


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 危機を煽る側
2006年06月27日 (火) | 編集 |
■朝目覚めてテレビをつけると、「セレブ」とか「誘拐」とかの文字が躍っていた。
なんでもカリスマ女医を母に持つセレブな女子大生が拉致監禁されたが、無事に救出されたとのこと。身代金の要求は、あっとビックリの3億円。

たくさんのフラッシュが焚かれる中の救出会見に、またもやメディア・スクラムの予感…。飢えているマスコミには極上の燃料投下だもんね。

それにしても、母親がしゃべった内容の中に「警察」の単語が異様に多かった。それも警察への不信と感謝が同時に語られているのだ。
犯人3人のユニットも日中韓と華やかで、人目がある中を平気で拉致するは(すぐ近くにいた目撃者に車のナンバーを記憶された)、娘の携帯で何度も連絡するはと、捕まえてくださいとばかりのお間抜け全開だ。

ふ~ん、ひょっとして警察のマッチポンプ?
って疑いたくなるような事件なのだった。



■で、こんな怪しい本も出てる。
「治安崩壊──凶悪犯罪社会を生き抜くために知るべきこと」

著者は、最近ワイドショーの犯罪コーナーにお呼びが多い北芝健。
目次はこんなかんじだ。

第1章 本当に恐ろしい犯罪大国「日本」の実態
(通勤途中に銃で撃たれる時代がやってきた うごめく二十万丁のヤミ銃 ほか)
第2章 凶悪犯罪の被害者になるということ
(耐え難い苦しみと絶望がつきまとう 衝撃的だった女子高生殺人事件 ほか)
第3章 凶悪犯罪から身を守るために
(レイプから身を守る 拉致・監禁は車に連れ込まれるまでが勝負 ほか)
第4章 治安崩壊から学ぶ「警察改造」計画
(世論が警察を弱体化した 警察官に不可欠な資質について ほか)
第5章 凶悪事件の「罪と罰」を考える
(凶悪犯罪者は更生できるのか 人を殺しても懲役四年とは ほか)



おーい、日本は犯罪大国でも凶悪犯罪多発国でもないよっ!
みんな、だまされないようにね!!


 サイコパス
2006年06月26日 (月) | 編集 |
■今夜はちょこっと一言だけ。

梅雨は来月20日くらいまで続くそうだ。
気が滅入るなぁ。

締め切りで原稿を書いていたので、ひどく眠い。
おまけに最近はチェックアウトの延長をするお客が多くて、それはそれでありがたいのだが、部屋の掃除が次の日に持ち越しになるし、なにより精神的な開放感が少しも得られないのが辛いところだ。


■小泉首相は、どうやら8月15日に靖国参拝を行う腹積もりだそうだ。
また自分の後継者は安倍と匂わせながらも、すでに安倍には興味を失っているとか。
   ↓
  サイコパス  という言葉が、ふと脳裏に浮かんだ。


小泉さん、あんたはレプリカントかい?
今のあんたに一番必要なのは、「エンパシー(共感)ボックス」じゃないのかね。

     アンドロ羊ちゃんより

 「不安」の正体
2006年06月25日 (日) | 編集 |

■昨日書いた酒井隆史『「世間」の膨張…』の内容にも関連するのだが、作家の辺見庸も『不安の世紀から』という著書を出している。

酒井氏が文中で柄谷行人の『倫理21』の「世間」の起源は江戸時代のムラ社会にあるという部分を引用しているように、辺見氏もまた「不安の球根とマスメディアに関する断想」の章で柄谷『日本精神分析再考』から引用している。


この引用部分をさらに簡略すると、日本はもともと「国家と社会の区別が厳密に存在しない」わけで、「逆にいえば、社会に対するものとしての国家も、国家に対するものとしての社会も存在しない。」
ここのところはサッチャーの「社会は存在しない」という言葉と重なるが、ヒトラーが羨ましがった日本のファシズムは、この「国家でも社会でもない協同主義」だった。つまり日本では「あらゆる意志決定(構築)は、『いつのまにかそう成る』(生成)というかたちをとる。」のである。

この柄谷に続く辺見の文の一部を引用する(ややこしいなぁ(^^;;)

この国では、土壌や空気が制度や理念を腐食し、骨抜きにすることがしばしばである。思想や理念を語ることを、誰あろう、空気が冷笑し、土壌があざ笑うのだ。憂鬱のもとも、不安の源泉も、ここにある。(略)
われわれは敗北の因子を予め自らの暗い内面で培養しつつ生きている。敗北のみが最初から約束されている。これも憂鬱のもとであり、そこはかとない不安の苗床なのだ。



■なんだか今の梅雨時期のじめついた中に身を置いて、頭のてっぺんからキノコでも生えてくるような気分になってしまうけれど、最初から敗北してもしょうがないので、もっと前向きにブレークスルーしたいものだ。

で、引用の多かった柄谷行人の
『世界共和国へ ―資本=ネーション=国家を超えて』など。



 「体感治安」煽るテレビ
2006年06月24日 (土) | 編集 |

■いつも朝目覚めて着替える間はテレビをつけておくのだが、スイッチを入れたとたんに、みのもんたの顔が映った。
『サタデーずばッと』か? 手でなにやらフィリップを掲げている。
「ご覧ください。少年犯罪がこんなに増えています」
ええっ?! びっくりして画面を凝視。
なんと最近の一連の少年による事件を羅列したフィリップを見せて、いかに凶悪な少年犯罪が増加しているかを説明していたのだ。

ちょっと待ってよ、少年犯罪が増えていないのはれっきとした事実でしょうが。それなのに、朝っぱらから見え透いたウソを全国にばら撒いたりして!

続いてレポーター(誰だか知らない)が、奈良母子3人焼死事件の犯人とされる長男の情報を現地からレポート。犯行動機として、父親の息子への過剰な期待と期待にそえなかった際の失望と叱責をあげ、サッカーW杯で敗退した日本選手への社会の反応と同じですねとコメントすると、みのもんたがあからさまに嫌な顔をした。
これには笑っちゃったね。レポーターGJ!


■6月7日の私のブログ「犯罪は増えているのか?」やコメントを寄せてくださったpappert氏のご紹介サイト『スタンダード 反社会学講座』の中の「少年の凶悪犯罪は本当に増えているのか」を見れば明らかなように、一般犯罪も少年犯罪も増えてはいないのだ。実際には増えていないのに、ことさら「体感治安」が悪いと煽ったり、今朝のみのもんたのようにそのままズバッと増えてるんですよ!なんて堂々とウソをご開陳しちゃうのはどーして?



■最近はこの「体感治安」に関して優れた論考やブログが多くあるが、『論座』05年9月号にも、なるほどと思う記事が載っている。
その1つが大阪府立大講師・酒井隆史氏の「世間」の膨張によって扇動されるパニックである。

ここではニューヨークを端緒に日本にも導入された「割れ窓(割られた窓)理論」から論考が始まり、犯罪学者の河合幹雄氏が統計調査の結果得られた、犯罪数も増えておらず警察の検挙率も低下していないし、凶悪化はまったくの誤りという結論にもかかわらず、なぜ治安への不安は高まっているのかと問いただしている。
そして筆者の酒井氏は「日常生活への恐怖の偏在が、実態と感情との乖離を生むという点では、日本社会はアメリカ以上に『恐怖の社会』であるといえるかもしれない。」と述べる。

また「モラル・パニック」という言葉があるが、市場経済主義で雇用や生活が不安定になり、そこに外国人とかテロリストといった「不安」の種が投げ込まれると、パニックを伴った恐怖が引き起こされるという。

日本社会はいま、そのパニックの頻繁化というある程度は世界共通の現象が、より深度を増して恒常化していく傾向にあるといえる。いうまでもなく、そこでメディアの果たす役割は多大である。恐怖がひっきりなしに扇動され、その結果としてパニック状態の主体が生産されている。小泉首相に特徴的な、激情的で断定的な短いフレーズを単位とした発言は、それ自体、この恒常的パニック状況を体現している。


以下、内容をかいつまんで紹介すると、
テレビはモラル・パニックの強力な生産装置で、日本ではいたるところでテレビがつけっぱなしの状態である。
ニューヨークも管理・監視社会になっているが、それに対抗する動きもあるし、人間も多様である。
日本はかつての不良性や学生の暴力性も影を潜め、殺菌された社会になってパニックへの耐性を失っている。
80年代以降、日本社会は「伝統的」な「世間」の露呈と膨張に見舞われている。(法学者・佐藤直樹氏の言葉)
日本の各地で「迷惑防止条例」が制定されているが、この迷惑の意味は、日本では「世間」への同調の方に力点が置かれている。
日本社会に充満する「不安」は社会の新システムを支える感情的な核心になりつつあり、この不安が人々を競争への同調へと向かわせている。
イギリスのサッチャーは「社会は存在しない」と言った。
つまり支配の「分断統治」が個人のレベルにまで移行したのであって、不安は労働組合のような「社会」を介して勝手に緩和されてはならないということだ。

さてムラ社会から未だに抜け出せず、「世間」という視線を常に感じながら暮らしているわれわれ日本人だが、筆者はアメリカ一辺倒に同一化を図っている日本に対して、ヨーロッパ諸国の「連帯」を対峙し示唆している。
日本人は果たして「世間」の中での孤立と不安から脱することができるのだろうか。
論考の最後はこう結ばれている。
「事態はまったく楽観できるものではない。」


 はらわたが煮えくりかえる
2006年06月23日 (金) | 編集 |
■連日の疲労が重なってブログを開く気力もなかった。最近は取材と義母の在宅介護が重なったりして、よけい疲労が蓄積していたせいかもしれない。
夜更けの飛び込み客も続き、さらにDQNな女性客の執拗な電話(室内金庫に入れたアクセサリーがなくなった。しかしチェックアウト前に自分で金庫を確認したら空だった。金庫の合鍵は他にないし、その鍵はずっと持ち歩いていた。宿の誰かが金庫を開けて盗んだ)―という、まったく非論理的でわけのわからない電話が何回もあって、いい加減こちらもキレてしまった。最後は相手が私が盗んだと言い出し、それなら警察に任せますのでお名前と電話番号をと言うと、プチッと電話を切った。
なくなったというアクセサリーの種類も転々と変わるし、こうした自分の思い込みで、悪いのは自分ではなく周囲だと頑なに主張する輩が増えているのを実感する。
ま、私自身も女将という意識が未だに薄いので、はいはいそうでございますかと、何を言われても柳に風という態度はどうしても取れない。それでも以前よりはこうした暴言も聞き流せるようになったのは、ちょっとは進歩した証拠か。以前通っていた心療内科で、非合理的・非論理的な言動に直面すると攻撃的な性格が突出すると指摘された。なるべくグッと抑えて犯罪者にはならないでねと諌められたけど(^^;;
しかし他の場所で互いに一市民同士として合間見えた場合は、こんな暴言は決して許しはしないゾ。一発くらいお見舞いしなきゃ気がすまないもんね。ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ!バカチンガァ!!


■さてさて手術入院していた実家の母が無事に退院したので、ちょっと心がなごんだ。嫌なことは早く忘れよう。いつまでグチグチ言うのは潔くないからね(^ー^* )


といっても世の中、腹の立つことが多すぎるワ!
6月20日の東京新聞によると、

埼玉県戸田市の伊藤良一教育長が今月十三日の市議会で、同市立小中学校の卒業式や入学式の君が代斉唱の際に起立しない来賓や保護者について「はらわたが煮えくりかえる」と答弁、調査する方針を示していたことが分かった。伊藤教育長は十九日、本紙の取材に対しても起立しなかった来賓の氏名や人数を調査する意向をあらためて表明。起立の徹底を図ることを明らかにした。

 
おっとこの場合は、「はらわたが煮えくりかえる」と答弁した伊藤良一教育長に対して、はらわたが煮えくりかえるわけなんだけど。

思えば99年の国旗国歌法の強行採決を契機に急速な右傾化が進んだのでは…と記憶している。
当時政府側はこう述べている。
最終的には個々人の内心にかかわる事柄:野中広務官房長官
強制するものではない:御手洗政府委員
児童生徒に精神的な苦痛を伴うような指導は全く許されないこと:有馬文部大臣
ところがこうした舌の根が乾かないうちに、天皇ですら強制はよくないと発言せざるを得ない状況に陥っているのが現状だ。
第一どういう権限で、上記の埼玉の教育長は起立しなかった来賓の氏名や人数を調査すると言うのか。まさに憲法違反の逸脱行為である。


■このところ思い出すのは「草の根のファシズム」という言葉だ。
これは吉見義明著『草の根のファシズム』(東京大学出版会・87年刊)を読んで記憶していた言葉なのだが、サブタイトルに「日本民衆の戦争体験」とあるように、この本は多くの日本人の戦争体験を通して過去の戦争の意味を問うたものだ。

ことに日露戦争後に芽生えた大正デモクラシー(外に帝国主義、内に社会改造を求める草の根の天皇制デモクラシー)から、いかに日中戦争時の草の根のファシズム(外にアジア・モンロー主義、内に社会国民主義)へ移行して行ったかが具体的な出来事の列挙で述べられている。

例えば1937年に国民精神総動員運動が始まるが、その当時の状況として「戦争の受益者となる機会の相対的に多い都市住民と違い、農村漁村の民衆は、日清戦争以来、戦争のたびに大きな犠牲・矛盾・困難をかかえこんできており、しかも常に戦争を熱心に支えてきた。」
国は生活水準の切下げを提唱してこの農村漁村の人々と摩擦が生じていたが、「国家が民衆に提示しているのは、現在の生活水準を維持するための対外戦争という構図ではなく、まず対外戦争の継続、そのための生活水準の切下げという構図であった。」
「しかし、民衆が戦争に協力する動機は、生活問題に関していえば、現在の低い生活水準の打開、そのための戦争への期待、という点にあるから、戦争指導体制に対する不平・不満は戦争を阻止する方向に向かわなかった。」

これはこのまま、現在の「痛みを伴うコイズミいんちき構造改革」を支持した国民の姿に重なってくる。

日中戦争が泥沼化すると、戦争やそれを支える政権に多くの不満が起きた。しかしながら国民はイタリアやドイツのような独裁政治は求めておらず(賛成は1.3%)、自主外交・協力政治を柱とする「日本独自の」体制を望んでいた。とはいえ、官僚批判・世論尊重が10.1%、政党政治がよい6.9%と、かなりの異論も存在していた。

しかしこうした異論・反論は戦争終結への力にならずに、権力によって抑圧され、天皇制ファシズムへの道を辿っていく。
特にサラリーマン、中小商工業者、職工、日雇い労働者などの、いわゆる小市民層の不満と期待が新体制運動を進め、彼らが中心になって天皇制ファシズムを支えていくのである。また社会や家庭内で抑圧されていた婦人たちが愛国婦人会に参加して戦争を献身的に支えたことも見逃せない。加えて天皇制デモクラシーを知らない若い世代が、易々と天皇制ファシズムに絡めとられていったのである。


■やがて敗戦を迎え、「日本人の民族的優越意識は、欧米人に対しては崩壊し、その結果、欧米のデモクラシーを取り入れ、旧体制の改革を行うべきである、とする立場に立つように」なっていった。
ところがその一方で、「6割強の人が、アジアに対する『帝国』意識を持ち続けており、戦争責任を感じていなかったのである。他方、2割前後の人々のアジアに対する『帝国』意識が崩壊していたことも、忘れてはならない。」
とはいうものの「戦後の日本が、平和・デモクラシー・経済的繁栄の道を歩む中で、動員された沖縄県人、アイヌ、ウィルタ、チャモロ人、朝鮮人、台湾人などの存在は、忘れられていった。」ことも確かなのだ。

戦後もこうして残った「聖戦」観は、今や大手をふるって表に現われ、上記の教育長の発言へと連なっている。
人一倍国を愛し政治や法律を忠実に守っていると任じている人物が、このように他の国民を監視し罰しようとする、つまり進んで国家の陥穽に絡め取られようとする姿をこそ警戒し、それはなぜかを問い続けなければならないのだ。


 ホリスティック医療
2006年06月20日 (火) | 編集 |
■梅雨の晴れ間というのか、とにかくムシムシして暑い。
本日は埼玉県川越市の帯津三敬病院に取材に行き、さっき湯河原駅発22時ちょっと前の最終バスで帰宅した。
帰ってすぐにフロントに座っているわけだが、長距離を往復してきたので腰が痛い。しかしながら行きは小田原から湘南新宿ライン特別快速で池袋に出られたので、なかなか便利になったものだ。東海道線とは別の線かと思っていたら、隣りのホームで乗り換えの同じ列車だった。池袋からの埼京線・南古谷までは時間的には短かったが、次第に田園地帯が広がってきて、新宿ラインの乗車時間よりも長めに感じられた。

■さて帯津三敬病院といえばホリスティック医療で有名な病院で、帯津良一院長の忙しいことといったら、同じ時間帯にダブルならぬトリプル・ブッキングで取材が入っていて、こっちもつられて早口で訊いてしまった。

ホリスティック医療も帯津院長のことも、私はかなり前から知っていて、その当時はニューエイジものが盛んな頃で、いわゆるヒーリングとか波動とかサイババとか…(^^;; ちょっと私もはまって、しかしその後はトンデモの類いと自分の中で切り捨てたのだった。そうした本類はまとめて衣装ケースの中に放り込んでしまったが、なぜか帯津院長の『ホリスティック医学の治癒力』という本だけは本棚の後ろに置いておいた。
それが今回役に立ったわけで、その薄汚れた古い本を持参したら、院長は懐かしがって「ベルギーに行ったときに書いた本ですよ」
先日の湯河原ロハスの時もそうだったが、不思議な繋がりというか、ユングの言うところの「共時性」を感じてしまう。

ホリスティックのことは後日また改めて書くことにするが、患者の話をさえぎらないでとことん聞くというこの医療の医師の姿勢は、なにはともあれ全部の医者に見習ってほしいものだ。

 捕鯨支持国1票差で勝つ!
2006年06月19日 (月) | 編集 |
■遅い夕食を取っていたら、TVニュースが上のように報じていた。

☆(*^o^)乂(^-^*)☆ ヤッタネ!!

サッカーの試合はさんざんだが、久しぶりにうれしい話題だ。
朝日新聞によると、

   日本など捕鯨支持国提案の正常化宣言、IWCで採択

 セントクリストファー・ネビスのフリゲートベイで開催中の国際捕鯨委員会(IWC)総会は18日、日本など捕鯨支持国が提案したIWCの正常化を求める宣言を賛成33、反対32(棄権1)で採択した。捕鯨支持国が重要な決議案などの採決で過半数を制したのは、商業捕鯨の一時停止が決まった1982年以来、初めて。ただ、反捕鯨国から宣言の受け入れを事実上拒否する方針が示されるなど、双方の溝の深さも浮き彫りとなった。(時事)



商業捕鯨の再開には4分の3の賛成が必要だが、それでも最初の1歩を踏み出せた感がある。
クジラは日本の伝統的な食文化だからね。単に油を取る目的でちょっと前まで大量捕獲していたアメリカとは訳が違う。
実は入社試験の小論文でも、私しゃこの捕鯨問題について書いたことがあるのだ。特にクジラには深い思い入れはないのだが、他国の食文化へのいらぬ介入と、捕鯨反対の非科学的で感情的な理由が許せないからである。
ちなみに昨日のブログに書いた小泉武夫教授は「クジラ食文化を守る会」の会長で、取材当日もラップに包んだご飯(どんぶりに入れて電子レンジでチンする)と納豆、それにクジラのペッパーステーキをお弁当として持参していた。
教授曰く「(納豆とクジラのおかげで)顔はピカピカ、喧嘩もバンバンですよ」

 ホタルと食糧自給率
2006年06月18日 (日) | 編集 |

■湯河原温泉の初夏の目玉イベント「ほたるの宴」が本日で終了する。
万葉公園内の池で自生して飛び交っているのだが、以前はうちの宿周辺の川や水辺でも普通に見られたという。最近はこの時期になると大雨が続いてエサになるカワニナが流されてしまい、ホタルの数もめっきり減ってしまった。
おとといのニュースで、どこかの企業のロビーに人工の小さな水辺(ビオトープ)を作ってホタルの孵化に成功、とか報じていた。ふ~ん、ビオトープねと思っていたら、偶然にも昨日の新聞に『ホタルをとばそう 自分で作るビオトープ』という本の宣伝があった。

このビオトープだが、「ドイツ環境情報のページ」というサイトによると、

ビオトープ(Biotop)とはもともとギリシャ語で『bio=生き物 + top=住むところ』という意味のドイツの造語です。広い意味で捉えれば森林や海洋などもビオトープと言えますが、一般的には“人間が生活・活動するところで”という但し書きがつきます。ドイツで高等教育を受けた人や環境保全に興味のある人は必ずといっていいほど知っている言葉で、この分野では欠かすことのできないキーワードの一つです。


日本ではビオトープ=水辺の生物環境というイメージが強いが、本来の意味の「地理的、気候的にもっとも適した動物と植物がバランスを保って生きていける空間」にするためには、これはもう地球規模で考えていかなければいけないんじゃないかな。


■全国のホタルが減少しているのは、水田と清流の減少が主な要因だ。かつての青々とした水田は住宅地へと変貌し、残った水田も農家の人手不足で休耕田になっている。

話は飛ぶが、政府与党がてぐすね引いて企んでいる憲法改悪は、そのプロセスにおいて最大の仮想敵国を中国(プラス北朝鮮)に定めている。そして脅威として盛んに煽っているのが、靖国をめぐる歴史認識の違いと軍事力増強である。
確かに中国は脅威だ。しかしその脅威とは政治や軍事ではなく、資源と食糧にあると私は思う。石油を中心にした資源確保は今や中国をライバル国としてヒートアップしているし、本来は日本向けの魚や肉も中国のグルメブームで中国市場の方に出回っている。
これこそ目の前の脅威なのに、日本は相変わらず危機意識が薄い。



■以前、東京農大の研究室へ小泉武夫教授の取材で訪れたことがある。
発酵学とか醸造学の権威、と言うより臭い食べ物の権威と言った方がわかりやすいだろう。この時はBSEや鳥インフルエンザについて尋ねたが、自給率の話も出たので、その部分を引用する。


  日本は最低の自給率

 BSEによる米国産牛肉の輸入停止で牛丼店にはお客が列を作り、牛肉の代替品の鶏肉までも輸入停止になった。こんなことで果たして日本の食は大丈夫だろうか?

――BSEや鳥インフルエンザなどの背景には、もう一つ、「日本の食糧自給率」の問題があります。日本のカロリー換算の食糧自給率は今39%で、これは政府発表ですよ。その他の先進工業国は、オーストラリアが327%、カナダが184%、フランス138%、アメリカ127%、ドイツが104%で、日本がこれでしょ。日本人が食べてるものの6割近くが海外からの輸入で、こういう状態では安心と安全をくださいなんて言えませんよ。
 また水産でも、かつて日本は世界一の水産王国だったのが、今では自給率は47%です。だからBSEなどの問題が起きている今こそ、私たちは非常に重要な転換期に来ている。かえってチャンスなんだと思うべきです。
 とにかく日本の食糧自給率を高めなければならない。そのためにもまず第一に「地産地消」運動を徹底的に推進すること。その土地で作ったものをその土地の人たちが食べれば、農家も活性化して収入も増えます。第二は日本人の食生活の見直し。日本人が肉食を始めたのはたった50~60年前からに過ぎず、それまでのタンパク源のほとんどは魚と大豆なんですね。だから日本人はもっと魚を食べるべきだと。そうすれば漁業関係だって活性化してきますよ。


小泉教授は「21世紀は食糧が戦略兵器だ」と強調し、日本の食糧自給率はなおも下がり続け、「私の予想ではあと15年で食糧危機―飢餓が起きる」と断言した。

アメリカべったりで中国を敵に回し、さらに遠くない未来にアメリカからも見捨てられた時、日本はいったいどうなるのだろうか。
ホタルの小さな光を見ながら、ふとこの国の行く末を案じた次第である。


 にゃんこ別荘争奪戦
2006年06月17日 (土) | 編集 |




梅雨時は猫もイライラ。
部屋の隅に落ちていた新聞を
なにやらガサゴソさせている
四女のキキどん。








おや
なにかいい具合に
「簡易別荘」ができたみたいで。
ちょっと自慢そうに
首など出してみました~ (=^. .^=)







その様子を
テーブルの陰から
じっとうかがっているのは
「ビニール・フェチのエロ猫」こと
二女のハナちゃん。







キキがちょっと離れた隙に
別荘を不法占拠。
しかも
せっかくきれいに作ったのを
つぶしてるし~。






キキ「ちょっと。あんたなにしてんのー!
   そこ、アタシんだから。どいてっ!」

ハナ「そんなの知らんワ。しっしっ」








キキ「にゃろー! これでも食らえっ!」

ハナ「まいった、まいった」

キキの重量攻撃に、ハナあえなく退散。
身体能力はキキが一番なのだ。






一方こちらは長女のマヨぴょん。
狭い場所ならどこでも好き。
紙製の家なんか((( ̄へ ̄井) フンッだ!
「こっちはダンボール箱だぜぃ」







あんたは「猫のエスパー伊東」か?
そのままクロネコ便で送っちゃうぞ!

マヨ「クール便にしてにゃ」