激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 「堀江メール」あれこれ
2006年02月25日 (土) | 編集 |
■いわゆる「堀江メール」の真偽を巡って、今度は自民党の平沢勝栄議員が、「同じコピーを入手した。これはいわくつきのライターによる捏造メールだ」と、突如テレビに露出し始めた。

で、これが永田議員の黒塗り前の「堀江メール」
http://tekcat.cool.ne.jp/neko.horiem.html

■テレビを中心に大手新聞もこぞって「堀江メール」を偽物と言い立て、永田議員の進退問題や民主党の責任を声高に求めているが、他方では全く逆のこうした見方もあるのだ。



佐藤立志のマスコミ日記
2006/02/24 (金) 民主党、逆転満塁サヨナラホームラン!!??
民主党が永田の休養入院を発表したが、これはあの堀江メールが本物であったという確証と証言があったようだ。堀江メールの提供者は内部の人間で、出所がわからないように本文以外は作為した。
このメールの内容が本物であると証言する人間が出てきて、来週の週刊誌(週刊現代か週刊ポスト??)に掲載されるようだ。
そのため早まって議員辞職しないように説得したようだ。前原代表が本物だといまだに公言していたのは、確証が得られ、週刊誌が「堀江メールは本物」との記事がでるとの情報が得たためのようだ。
民主党関係者に聞いたら、「何ともいえない」と言っていた。
自民党が平沢議員をマスコミに露出させて、ガセネタという結論で早くこの問題の幕引きを図ろうとしたが、来週は民主党の逆転満塁サヨナラホームランになるかもね。
そうなったらただのピエロの永田が英雄になる??!!
追加・今日の昼のテレ朝のニュースで自民がこのメール問題は深追いしないと報道があったが、これは来週の週刊誌の記事を意識しているのではないか。
武部次男の海外口座は騒動発覚後、閉鎖されたという情報もある。武部が言っていた海外に口座がないというのは、今時点の話のようだ。

メールは「上手な仕掛け」 野中氏、同情的な見方 (共同通信)
野中広務元自民党幹事長は24日のTBS番組収録で、ライブドアの送金指示メール問題に絡み議員辞職の意向を示した民主党の永田寿康衆院議員について「今から思うと、上手な仕掛けに乗ったのではないか」と同情的な見方を示した。
自民党の平沢勝栄議員も同じメールを入手したことを挙げ「同じものが出たということは、出どころはひょっとしたら自民党かもしれない。官邸かも分からない。不思議な事件だ」とも述べた。
民主党の対応では「前原誠司代表の辞職問題とか野田佳彦国対委員長の責任とか内輪で騒いで、横で小沢一郎前副代表がにんまり眺めている姿は良くない。一致して(政府、与党と)戦わなくてはいけない」と指摘した上で、「野党がしっかりしないと日本は良くならない」と強調した。




■ベンジャミン・フルフォード著『さらば小泉 グッバイ・ゾンビーズ』(光文社ペーパーバックス)を購入した。
裏表紙にはこう記されている。

あなたを乗せて、「小泉機関車」は地獄へ向かって突っ走る!
■このままでは、確実にやってくる国家破綻 national bankruptcy。この緊急事態を放置したまま、小泉機関車は、マヤカシ改革 false reform のアクセルを踏み続けている。この機関車が行き着く先は、間違いなく「地獄」hell だ。
■なぜ、あなたは、小泉政権を支持し続けるのか? 国民への愛情もなく、政治家としても無能な傀儡男 puppet に、なぜあなたの未来を預けているのか? 小泉を担ぐ政府の中枢には、「改革という仮面」を被ったゾンビたち zombies が居座っている。このゾンビたちを排除しなければ、日本は再生しない。
■日本再生へのデッドラインは、「2007年問題」がはじまるとき。つまり、日本に残された時間は、もうわずかしかない。
■いまでも私は、来日したときの思いを捨てきれずにいる。当時の私には、この国が地上に出現したユートピアに思えた。だから、日本が世界の舞台で称賛されれば自分のことのように嬉しくなり、他国からバカにされたり無視されたりすれば腹が立つ。とくに、アメリカの言いなりになっているいまの状況は、耐えがたい。
■東洋文明が西洋文明の補完文明ではなく、21世紀の人類に必要な文明だということを、日本人は誇り pride と野心 ambition を持って、いまこそ世界に知らしめてほしい。日本が現在の停滞状況 downturn から脱出できないと諦める理由は1つもない。


スポンサーサイト

 猫にゃんPart2
2006年02月24日 (金) | 編集 |
実家(千葉県)の猫たち


■前回ご紹介したテクタイト(tektite)が神奈川県の西端・湯河原で行方不明になり、その後、彼女に導かれるように私も湯河原の住人となった。
そのテク猫は、今でも「仮想旅行」の真っ最中で、あたかもさまよえるオランダ人のように、世界中を旅して回っている。
以下はテクからほぼ毎日送られてくるメールのうちの1通である。
写真は、生後2ヵ月頃のもの。





こんにちは~、ロキさん元気ですか~!!
そんなわけでtektiteは今楽しく観光旅行しています。
え、マラソンはどうしたって?
実はマラソンというのは、7日で200kmを走破するという人間の限界に挑む過酷なサハラマラソンだったのです(T_T)。当然0.05秒で出場取り消し、別の競技に出場する事にしました。

そんなわけで今カスバ街道を一路競技場に向かっています。カスバとは壁で囲まれた要塞の事で、この街道沿いにはそういったカスバが沢山残っているそうです。
モロッコという国は国のまん中あたりが山で分断されていて、海側は比較的水が豊富なのですが、内陸側はサハラ砂漠へとつながる乾燥した地域になります。カスバ街道はその内陸側にある街道です。あたりは一面赤茶けた土地が広がっています。サハラ砂漠ほどではありませんが、何か物悲しい風景です。(文と写真:Miho Travel, (c) TEGLET Corporation)





ミラ ♀ 家猫
推定1998年7月7日生まれ(獣医による) 埼玉県の某お寺で保護
ノミだらけのかわいい仔猫だった
このミラとの出会いが、以後の猫たちとの暮らしの原点に当たる
おしゃべりで気難し屋 きれい好き 他の猫との協調性に乏しい
プチ脱走、プチ家出を繰り返すが、空腹になれば帰巣する=^-^=
特技:背後で支え、操り人形のように手足を動かしてやると、動きに合わせていつまでも「ニャニャニャニャニャ~ン」と歌い?続ける。


アーニャ ♀ 家猫
02年4月27日生まれ 「さち動物病院」が生誕地
同病院にはアーニャの祖母、父、母(ダヤン)が暮らしている
生後1ヵ月半で貰い受ける
性格はいまいちつかめない(^^;;
いつまでたっても「お譲ちゃん」というかんじ
美人の母に似てほっそり型だったが、避妊後に急激に肥大化し
歩く座布団と化す 鳴き声は「キキキ」と不可思議
その後、庭で長時間遊ぶようになり(ミラのように逃げないよい子)、次第に野生に目覚めて、ネズミのハンティングにも成功するようになった


プーチン ♂ 家猫
推定03年5月7日生まれ(獣医による) 
家の庭で発見(どーゆー庭じゃ)
名前の由来は、もちろんロシアのプーチン大統領
性格:甘ったれ、人なつこい、ぬいぐるみ状態
特徴:しっぽの形が宮本武蔵の髷みたい あるいは車のハンドル型

以前HPに書いたものを以下に記す



2003年の初夏。
外出から帰って庭を通り抜けるたびに、足元の草むらがササッとすばやく動くことに気づいた。ネズミかな…と思いながらも、はじめはあまり気にかけていなかった。だがしばらくたってから、か細く切ないような子ネコの鳴き声が聞こえるようになりやがて途切れることなく、遠く近くにその鳴き声が続くようになると、もうじっとしていることができなくなったわたしは声の主を探そうと、あちらこちらをさまよい歩いた。
その声は胸を突き刺すように甲高く、しかしながら不思議な甘やかさでもって、わたしを魅了した。
子ネコはなかなか姿を現さなかった。ちょうど記録的な冷夏が訪れ、農作物への被害が心配されだした頃で鳴き声が聞こえない日は、胃のあたりが痛むほどの不安に襲われたものだった。その思いの中には、多分に、失ったままのテクタイトへの思慕があったことも事実である。母を求め激しく呼びかけ続ける子ネコと、愛するネコを失った虚無感を抱き続けるわたし。お互いに引きつけられ合うのは、必然のできごとだったのかもしれない。そしてついにある日、わたしはその姿を目にとらえたのだ。
庭の隅の暗い木立ちの陰に、小さな黒い姿があった。その燃えるような、黄色い両の瞳! 近づくと警戒して、すばやく木立ちの中に走りこむ。この日から、どうしても子ネコをわが手にと、わたしの涙ぐましい奮闘が開始されたのである。そして―――。





発見時のプーチン 
庭で走り回る野生児
たくましい






ほどなく無事に家猫となり(けっこう苦労しました(ノ_-;)
アーニャと仲良しに
というか、アーニャをお母さん代わりに甘えている
ミラにも甘えるが、いつも冷たく拒絶される



いつもエサを食べに通ってくるおなじみさんは、仔猫時代のプーチンをいじめていた「野中広務(通称・ひろむちゃん)」とその息子「亀井静香(通称・しずかちゃん)」



 きょうはネコの日、ニャンニャンニャン
2006年02月22日 (水) | 編集 |
湯河原の猫たち


テクタイト Tektite (愛称:テクちん) ♀
推定2001年7月27日千葉県生まれ
雷の鳴る晩に裏庭にて発見 発見時体重100g
獣医と連携で入退院しながら保育
02年5月1日湯河原にて行方不明に
この痛恨の事故の痛手は未だ癒えることはない
わが最愛の猫


フー ♂ 野良猫
年齢不詳
テクが行方不明になってすぐに交番に届けを出したが
巡査が「いましたよ!」と知らせてくれたのがこの猫
当初は痩せこけてゴミ箱をあさっていたが
テクの代わりにエサを与えるようになってからは
常時食事に現われるように
静かで思慮深い、歴戦のつわもの然とした面構え


マル ♀ 野良猫
フーの後に現われた猫
鼻の横に丸い黒丸の模様
フーと連れ立って来ることが多いので(後ろがフー)
初めは母と娘だと思っていたが、その後フーが♂と判明
たぶん出産の経験あり 
オリで捕獲し、動物病院にて避妊済み
人懐こくて愛くるしい顔立ち



チャチャ(茶々) ♀ 野良猫
いつの間にか棲みつくようになった「押しかけ野良猫」
初めはカラスを威嚇したりと気が荒かったが
子供と離れてからは弱気の甘ったれに
毎日ニャーニャーとうるさいくらい鳴いてまとわりつく
露天風呂から館内に入り込むことも
道路でも平気で寝っ転がるので、その度に箒で掃いたり
抱き上げて車から守ってやるこっちの身にもなってヨ  病院で避妊済み


キキ(黄々または嬉々) ♀ 家猫
推定04年8月7日生まれ 
9月2日に3階の屋上で保護 丸々と太っていた
たぶんチャチャが地下室で産んだ子ではないかと推測
もしかしたらフーが父親か?
この夏は大雨が続き、屋上までくわえて避難したのでは
発見時は白い毛が黄色く汚れ、脱水症状になりかかっていた
テクと同様人工哺乳で育てる 
尻尾の形が「バカ殿」の髷にそっくり
筋肉質で、家で飼っている猫たちの中で最も身体能力が高い
別名、筋肉ムキムキの「ムキ」 ギンをいじめるのが趣味 お風呂好き


マヨ 語源:マヨネーズ ♀ 家猫
04年4月10日生まれ 3姉妹の長女
テクの代わりに湯河原で初めて飼った猫
やはり激しい雷雨の中、雨宿りが縁で譲り受けた不思議な縁を持つ
実はその正体は猫を装った宇宙人o(^^o)♪
「ピピピ」という金属音で宇宙と交信し(ほんとなのだ)
「ンニャ~モゴモゴ」と奇声を発しながら行動する
チョー気分屋で、短時間でクルクル機嫌が変わる
嫉妬深く、ギンをかわいがっていないかトイレまで入ってきて
たくろー氏を監視する 
夜はたくろー氏のベッドで同衾(^^;;
身体の模様と顔つき、動作がハチ(特にスズメバチ)にそっくり


ハナ ♀ 家猫
04年4月10日生まれ 3姉妹の二女
「イングリッシュ・ペイシェント」のヒロイン、ハナから名をつける
マヨに友だちをと思って違う家からもらったら
なんとマヨと実の姉妹だったという偶然(8姉妹との噂)
別名:エロ猫ハナ、エロテロリスト 天然ボケ ビニール・フェチ
♂なら誰でも好き ハナに擦り寄られ困惑顔の犬の大(だい♂)
寝ぼけ癖があり、その間は何をされてもボーっとしている 


ギン ♀ 家猫
04年4月10日生まれ 3姉妹の三女
珍しい三毛の長毛猫
ハナの飼い主に頼まれ引き取る
ギズモのギーちゃんからギンちゃんに改名 
が、獣医のカルテはいつのまにか漢字の「銀」になっていた!
子宮蓄膿症の手術後は食欲旺盛になり、肥満街道まっしぐら
大食いのせいか、うんちがすご~く臭く、他の3匹からにらまれる
特にテリトリーを侵害されたキキの恨みは深く、日々攻撃を受けている
性格はおっとり(すぎる!) 食事は必ず1番乗り
人間のおこぼれも欲しくて「お手」をマスター
勝手にお手をして早くくれとせがむ 得意技は私の椅子取り
どこに行くにもくっついてきて、まったくもって「オジャマもん」


 久しぶりの休館日
2006年02月21日 (火) | 編集 |

■本日はわが誕生日。身内は誰もお祝いしてくれないけど(*_ _) 
1628年生まれだから、きょうで378歳か。よく生きたなァ。…って、おまえは水戸黄門か!(水戸光圀1628~1700) 
ボケはさておき、本日の誕生花は「ひがんざくら」で、花言葉は「精神美、優れた美人」。久々のほめ言葉だこと(・∀・)♪ なになに、「うじうじ、ぐずぐずしたことが嫌い。ものごとを曖昧にせず、はっきりさせたい性分です。自分自身うそをつかないし、相手のうそも許しません」だって。うーん、けっこう当たってるかも。この調子でコイズミ自民党の粉飾嘘ワールドを粉砕するゾっ!
誕生日といえば、タレントの井上順も同じ誕生日なのだ。かつて井上順を取材したときにこのことを言ったら、うれしそうに「前田吟さんもそうなんですよ」。けっこう地味なつながりだなあと、わたし的にはいささかガッカリしたのだった。

■で、本日は大浴場の大掃除も兼ねた休館日。メインは義母の在宅介護の日なのだが、うれしいことにずっと連泊していた工事関係者の集団がようやく新潟の現場に移って(また近々宿泊をお願いしますとの声はこの際無視する)なんと5ヵ月ぶりにお客がまったくいない平穏な夜を過ごせるのだ。ふう。長~く苦難に満ちた5ヵ月の緊張感から解放されて、夫婦ともに急に肩こりと頭痛と風邪の症状に見舞われた。休みといってもいろいろ事務的な仕事もあって相変わらずフロントにいるが、精神的な気楽さは比べようもない。フロントの石床にワックスを塗って、玄関前の松の落ち葉を掃き、ちょっと休憩中である。もう一度ε=( ̄。 ̄;)フゥ。


■去年作った陶器の茶碗が出来上がってきた。湯河原の鉄分を帯びた独特の赤茶けた土とみかんの木の灰の緑が、落ち着いた風合いを醸し出している。わざといびつな形にしたのは、作った本人の心が歪んでいるから(〃^∇^)o 
フラッシュを焚いたので、なんか白くハゲて写ってしまった。


こちらは先日泊まったお客さん(陶芸家)にもらったペンダント。どこか湯河原焼に似て素朴なかんじ。確か岡山の方にお住まいだとか。熱海方面に向かう海岸沿いにある「麦とろ童」という蕎麦屋さんで作品を展示しているそうだ。芸術家もいろいろ営業面での苦労が多いのだね。



■創作ついでに「絵てがみ」。昨日、雨の中、「おかみの会」主催の絵てがみ教室に参加した。講師は湯河原在住の朝倉鶴雲先生(女性)。最近は絵の方で有名な片岡鶴太郎つながりだそうだ。それで名前が「鶴」?
余談だが、鶴太郎も以前取材してやはり絵のことをきいてみたが、特にそれまで絵を習ったということもなく、気がついたら絵筆を握っていたという。好きなモチーフはトンボ。隣りの真鶴にも鶴ちゃんの絵の展示があるし、江の島には専用の美術館があった(今は閉館)。
さて、わたし的には絵てがみは描線や色彩がアバウトなかんじでどうも好きではないが、それでも無心で絵を描く作業はゆったりした気分に浸れる優雅な時間だった。実態は、10人ものグループ客がお昼まで延長になったため時間に遅れて参加し、帰りも会計事務所の人に3時のおやつを出すためコンビニに寄って急ぎ戻ったりで、それほど優雅とはいえなかったけれど、短時間でも集中して楽しめたので、帰ってからも近頃になくすっきりした気分を味わった。そう、確かにストレス解消は大事なものだ。初めて描いたヘタな絵てがみだが、こうして見ると、あまりの不出来具合に却ってストレスがたまったりして(^^;;


 粉飾しても、嘘は嘘
2006年02月20日 (月) | 編集 |
■民主党が投げた小型爆弾「3000万円振り込めメール」の真偽をめぐって、またしても嘘だホントだと喧しい。噂ではこの情報はかなり早い時期に流れたが、真偽が不明瞭で誰も手を出さなかったいわくつきのものとか。コイズミの品のない「ガセネタ」発言や、あまりにも早すぎる懲罰動議の提出は、情報の存在を前もって知った上での余裕ぶりを暗にうかがわせるものだ。また一方、爆弾投下直後の武部のうつろな目は情報の確かさを印象づけるものであり、自民党があくまで調査権発動を拒むのも実にあやしい。さてこの先実際に地雷を踏むことになるのはどっちなのか、しばらく目が離せそうにない。


■昨夜、日本テレビの「歴史ドキュメント」を偶然目にした。
250年前に財政危機に陥った松代藩を立て直した家老・恩田木工(もく)の足跡を伝える内容だった。
財政改革にあたり、まず「隗(かい)より始めよ」ということで、木工は「決して嘘は言わない。飯と汁以外は食べない。木綿以外の衣服は身にまとわない」ことを自身はもとより家族にも誓わせた。さらに賄賂は一切禁止、年貢を月割り分納制にし、期限つきの見直し政策で民意を反映させたという。「己に厳しく民には寛大に」という木工は質素な生活と激務で46歳で生涯を終えたが、まったくコイズミに番組を見せてやりたいものだと大きなため息がでた。

と思ったら、なんと「小泉内閣メールマガジン 第118号」に、近藤剛・日本道路公団総裁のこんな挨拶文が。その一部を引用すると、「(略)公団職員の皆さんへの就任あいさつで、信州・松代藩の財政を建て直した恩田木工(おんだ・もく)について触れました。私は恩田木工のように、滅私奉公に徹します。そして『決して嘘はつかない』という恩田の誓いを、公団と私の誓いと致します。腐敗や不正を許さず、隠し事をせず、正々堂々と改革に邁進します」

ほぉ~。「決して嘘はつかない」とな。「嘘はつかない」と嘘をついても、みんなマルッとお見通しだ!
嘘×嘘は単なる大嘘で、決して本物になりはしない。コイズミ内閣がいくら粉飾しようとだまくらかそうと、そうそう国民の目はいつまでも節穴のままではないのだよ。


 ○○で処理してね
2006年02月17日 (金) | 編集 |

■ホリエモンが「シークレット・至急扱いで処理してほしいんだけど、遅くても31日できれば29日までに○○さん(武部二男の名前)に3000万円振り込むよう手配してください。(前回、振り込んだ口座と同じでOK)。項目は選挙コンサルティング費で処理してね」と社内メールで指示した件。本日の衆院予算委員会では民主党の永田議員は裏づけ証拠を提出しなかったが、確実な証拠なのか、本当に大丈夫なのか(リークしたのは永田議員のかつての同僚説)と、テレビを観ている側もドキドキしてしまう。武部の否定コメントも映っていたが、目がおどおどと泳いでいて、疑惑が一層深まった感がある。コイズミ政権が吹っ飛ぶかどうかのこの大スキャンダル、どうか徹底的に追求してほしい。

■一方「自殺ということで処理してね」って傾向がますます強まったのが、野口氏怪死事件である。昨日の朝だったか、確かテレビ朝日の「スパモニ」に野口氏の妻が出ていて、それが家族で沖縄に飛んで夫の足跡を辿ったというのだ。特に腑に落ちなかったのは、同じテレ朝がスクープした那覇空港の監視カメラに映っていたという4人の男の映像で、妻が見て確認したところ、夫の野口氏も合流した4人の男も確認できないほど不鮮明な映像だったという点だ。空港関係者が明確に証言したことがなぜ肝心の妻にはわからないのか、当然「それはおかしいですねえ」と疑問を呈するはずであろう番組の流れもなく、さらに遺体を検死した監察医の話を聞いて「自殺かもしれない」と思うようになったとの妻の言葉に驚愕した。自殺説を深く疑っていた結果の沖縄訪問であったはずだ。それがなぜ…?
このモヤモヤは、きょうの「きっこの日記」のきっこ氏と野口妻とのメールのやりとりで納得できた。ようするに妻も自殺説に傾いたかのように見えたのは、番組の恣意的な編集による「たぶらかし」であり、妻自身は決して自殺に納得したわけではないという。

■さて私の記憶によれば、7日の国会中継での野口氏死因をめぐる質問で、国家公安委員長が確か、「犯人がブザーを押した」とか「ブザーを押して犯人が届けに行った」云々と答えたような気がするのだが。思わず「レレレッ」と驚いてしまった。それとも「犯人」ではなく「本人」と発音したのだろうか。単なる「言いまつがい」? そしてこの日はなんと国会中継のさなかに、あの「紀子妃懐妊」騒動が勃発したのである。おかげで野口氏怪死事件もみごとに吹っ飛ばされてしまった。これに関しては、2ちゃんねるにこんな書き込みを見つけた。



民主党が野口変死について質問
 ↓
NHK第一級警戒態勢 テロップの準備
 ↓
国家公安委員長がしどろもどろ
 ↓
NHK特級警戒態勢 電通・内閣府・創価学会に緊急連絡
 ↓
国家公安委員長が『犯人がブザーを押した』と発言
 ↓
NHK非常事態宣言発動 御懐妊テロップ投入

 

まったくさもありなんとの爆笑ものだ。あやういところで「ご懐妊テロップで処理してね」ってことだったのね。なんちって!


参考:新じねん・日々雑感氏による
「野口チャート図を核としたライブドア還流相関図」
(2月18日)


 鹿砦社松岡社長の復帰挨拶
2006年02月08日 (水) | 編集 |
■「版元ドットコム」に、以下の挨拶文が掲載された。


復帰のご挨拶  鹿砦社 松岡利康

1月20日、第3回公判後、保釈が認められ仕事に復帰いたしました。昨年7月12日の突然の不当逮捕から6カ月余りもの長期勾留でした。大掛かりな家宅捜索と併せ、これは誰が見ても明確な言論弾圧です。
私、および鹿砦社に対する今回の言論弾圧について、「鹿砦社だから仕方がない」「松岡だから仕方がない」という評価、そして“見棄て感”があります。今、これをお読みの版元や読者の皆様方の中にも、それは多分にあるでしょう。
それはそれで結構です。しかし、私が懸念するのは、今回の弾圧が前例となって今後同種の弾圧がなされないとも限らないということです。
私は、弁護団や支援の方々と共に、憲法21条が保障する「表現の自由」「言論・出版の自由」の精神を根拠として、裁判闘争を最後まで闘い抜く決意です。
この半年余りもの間に、不本意ながら会社は混乱状態に陥り、本社も東京支社も一時的店閉まいを余儀なくされ、長年培って来た私たちの出版活動の実績が基盤から大きく揺らぎました。
小社の出版活動を根強く支持していただきました読者の皆様方にも、ご迷惑、ご心配をお掛けすることになりました。本当に申し訳ございません。
私は元気です。幸いにも多くの支援者の方々と共に再スタートすることもできます。ここ1ヵ月の間には新刊も久しぶりに出す予定です。
厳しい再スタートですが、何卒、旧に倍するご支援をお願い申し上げます。
闘う出版社=鹿砦社は必ず復活いたします。

 

 ライブドアと闇社会 ―野口氏は他殺だ―
2006年02月07日 (火) | 編集 |

■立花隆氏がロッキード事件から30年目の昨日、毎日新聞に総括的な内容を寄稿している。それによると、ロッキード裁判決着から数年後に晩年の三木首相に会ったとき、三木氏から「きみィ、あのロッキード事件というのは、いったい何だったのかね?」と開口一番に言われたそうだ。つまり「牛1頭分の疑惑が極上のステーキ1枚(田中角栄のこと)に化けた」ロッキード事件は、丸紅・児玉・全日空ルートのうち解明されたのは丸紅ルートだけで、児玉・小佐野ルートは闇(ブラック)連中の口の固さで突破できなかった。当時丸紅ルートの伊藤専務の供述を取ったのが、今回のライブドア事件を指揮している松尾検事総長だという。かつてロッキードで闇世界の核心を突けなかった分、ライブドアはその轍を踏むなと立花氏は檄を飛ばしている。


■その同じ立花氏が、3日日本外国特派員協会で講演した。立花氏はいまコイズミ内閣のスキャンダルとされているうち、Bは防衛庁の談合、Tは天皇、Lはライブドアであるとし、「BSEと耐震偽造問題は政治的に大きくはならない。しかし、ライブドア問題は違う」と述べた。このうちライブドアは、検事100人体制という10年に1度の大きな規模で捜査に当たっている。ゆえにきわめて大きな事件になるだろうとのこと。
以下、立花氏の話から野口氏関連部分を要約すると

野口氏の死については「文春」「ポスト」が書いているように、自殺ではありえない。これはプロによる手口で、その背後にはブラック社会がある。日本放送やフジテレビ事件の際にも、このブラック問題について書いた。堀江の個人史をひもとくと、若い時期(オン・ザ・エッヂ時代)に5億円をブラックから借金した事実がある。この事実を引用したところ、本屋に置いてある堀江本から新しい版を出すたびにこの部分が削られていった。

野口怪死事件から、現在は犯人を割り出し中だ。ただ海外のプロの可能性もあるが。もしマネーロンダリング装置を使って政財界人を儲けさせることがあったら、今後はリクルート的な事件の展開もありえるだろう。

■わたくしごとだが、先週末は原稿を書いていて、珍しく締め切り時間内に送ることができた。しかも本文の他にコラムを2つも書いたのだ。ほんとは3つ書く予定が、あまりの疲労で「もーいい。やーめた」と強制終了させてしまったのだけど。とにかく予期せぬヤーさん集団の宿泊と平日なのになぜか満室の忙しい日々をこなしながら、原稿資料と何冊もの文献を読み、フロントでこそこそ原稿書きをしていたので、みごとに風邪をひいてしまった。お客の中にもマスクをかけたり咳をしている人たちが多く、自分で気をつけていても、ちょっとした拍子に体調を崩してしまう。そんなわけで、ニュースを見聞きしていても、あとで文章にしてみるとあやふやな点がひどく多い。誰が何を言ったのかな…と考えても記憶が定かではないのだ。きのうの晩は風邪薬を飲んだら、ドリエルよりもよく効いて居眠りしてしまった。とにかくあと2週間我慢すれば、長期滞在のお客がようやく新潟へ移動するので、半年ぶりに1日休暇がとれる(かもしれない)から、それを楽しみにシコシコがんばるとしよう。あっ、その例のお客さんたちのお帰りだ。ただいま夜の10時。明日は義母の在宅介護の日(〃´o`)=3 フゥ


 野口氏変死が“自殺”報道に一変
2006年02月07日 (火) | 編集 |
■1月18日に起きた沖縄でのエイチ・エス証券・野口英昭副社長の死について、『週刊ポスト』や『週刊文春』が自殺はありえないと“他殺”を示唆し殺人疑惑が一挙に広がったが、私の記憶では2月3日朝の「やじうまプラス」あたりから、唐突に“自殺”説が浮上してきた。同番組のコメンテーターである二木啓孝氏と江川紹子氏が野口自殺を断定し、さまざまな風聞や妄想によって間違った他殺説が生まれた云々(目覚めたばかりだったので詳細は忘れたが)としゃべったので、思わず自分の耳を疑ってしまったほどだ。

4日の「TVウワサの眞相」は「日本のタブー・暴力団の世界は今…」というタイトルで野口氏の死について触れていたが、ゲストの元警視庁刑事・北芝健氏と宮崎学氏が自殺説を主張。特に北芝氏がムキになって他殺説を否定していたのが印象に残った。岡留安則・元編集長は、沖縄県警は米軍の統治下で無気力になり捜査に熱が入らない。しかし今回の自殺の断定は早すぎたと語っていた。また確か佐高信氏あたりが、闇の勢力と同様に警察の不祥事も多い。ワルという点ではどちらも同じと批判してたのが、ふ~んという感じで面白かった。

■この事件については、沖縄のカプセルホテルの対応に興味をひかれた。私のところも旅館なので決して他人事ではない。つい最近もそのスジの集団が泊まって疲労を深めたばかりだ(^^;; 普通なら絶対に係わり合いにならない類いの人々とも否応なしにお付き合いしなければならない商売ってのも辛いものだワ。
さてヒューザーのオジャマモンを始め、東横インの社長やらこの沖縄のホテル関係者やら、変わり身の早さには恐れ入るばかりだ。特にホテル関係者(顔にモザイクかかりまくり)の証言や態度は二転三転して、とても「はい、そうですか」と納得できるものではない。警察ににらまれたら商売に差し障るというのには少しは同情できるけど…ね。


きょうのスポーツ報知によると
<このホテルのマネジャーが6日、スポーツ報知の取材に応じ、浮上している他殺説を真っ向から否定した。野口さんの第1発見者であるこのマネジャーは「『絶対に助かりますから』と声をかけたが、目を合わせてくれなかった。覚悟を決めていたような様子だった」と当時の状況を克明に証言した。>
<「誰かが野口さんを殺すことは、ホテルの構造上、不可能。野口さんご自身も覚悟を決めていたように見えた」と証言した。>
<「丁寧な言葉遣いではっきりした受け答えだった。思い詰めた様子もなかった」>
<正午前後に、野口さんは外出。30分から1時間ほどたって戻ってきたが、その際、ビニール袋をぶら下げていたという。「ペットボトルと白い布などが入っているのが見えました。凶器となったナイフは見当たらなかったけど、今から思うと、あの布で覆い隠していたように感じます」と当時を振り返った。>
<不審者が侵入したという見方については「壁が薄くて音が響くから、誰にも気付かれずに人を襲うことは不可能。そもそも、フロントの前を通らないと客室には行けない」。さらに「こちらの手を握りしめたり、何かをしゃべろうともしなかった」と覚悟の上での死であったであろうことを力説した。>


■う~ん、ホテルのマネジャー饒舌すぎ。シナリオライターの素質あり、なんちゃって。
この日のお客が何人いたかは知らないけど、よっぽど特徴があるお客でなければ、ふつうは詳しく記憶してないけどね。「思い詰めた様子もなかった」って、短時間のフロントでのチェックインでは推測はムリ。またいちいちビニール袋の中身まで見てるかね? 仲居さんがお世話する高級旅館ならともかく、お客のプライバシーには関知しないタイプのホテルの話としては怪しすぎる。それとも同業の私が単に無関心・記憶力薄弱なのだろうか。

野口氏は近くの薬局で睡眠導入剤のドリエルを買ったわけだが、私もどうしても眠れないときに数回ドリエルを服用したことがある。医師処方の睡眠薬と違って効き目は遅いし翌朝はボーっとした不快感があって、私にはあまり相性のよい薬ではないが、効き目のある人も多いのだろう。しかし薬を飲んでうとうと状態のときに刃物で自害を試みるだろうか。服毒自殺ならわかるけどね。
その昔、叔母が割腹自殺をしたことがあった。覚悟の自殺で、時代劇の武家の奥方がやる作法のように、身なりを整え正座して、後ろに倒れないように座布団などもあてがっていた。最後に頚動脈を切って、その血しぶきが壁に残っていたが、このように武士の切腹などもきちんと正座してから行うんじゃないだろうか。でないと、力が入らないものね。野口氏は長々とベッドに仰向けに横たわっていたとか。寝ながら割腹? 手術じゃあるまいし。もしドリエル飲んで朦朧としたところを襲われたのなら、声や物音も外部に漏れなかったであろうが。 



 東京初のミュージアム「遊就館」
2006年02月03日 (金) | 編集 |

■コイズミ蹴落としの「4点セット」よりもさらに強力なキックになりそうなのが女帝・女系天皇と靖国問題だが、日刊ゲンダイに面白い記事が載っていたので転記する。



靖国神社「遊就館」に行ってみた
小泉首相の靖国参拝に中韓両国だけでなく、米国まで難色を示しているという。靖国神社本殿の脇にある戦争博物館「遊就館」には、先の大戦は米国が日本を資源禁輸で追い詰めたのが原因。白人優越打破の戦いだったと説明しているからだ。
そういえば、読売のドンの渡辺恒雄氏(79)も「軍国主義をあおり、礼賛する展示品を並べた博物館を、靖国神社が経営しているわけだ。そんなところに首相が参拝するのはおかしい」と吠えていた。
よっぽどヤバイ施設なのか。記者がじっくりと見てきた。
とにかく、デカい。02年7月に大増築された施設は総面積1万1200平方メートル。新館入り口には、復元された「ゼロ戦」が。玄関ホールにはカノン砲が置いてある。ナマの兵器を初めて見る記者は、圧倒されるばかりだ。
大人800円の入館券を購入して展示コーナーへ。20部屋に仕切られた展示室は、古墳時代から第2次大戦までの日本の戦史をたどる仕掛けだ。映像、音響、パネルと工夫がこらされ、軍服や兵器がガラスケースに並ぶ。なぜか中国から持ち帰った戦利品も堂々と展示されている。
圧巻は「日露戦争パノラマ館」。3面スクリーンが戦闘風景を映し出し、勇ましいナレーションが流れる。兵士の雄叫び、轟く大砲の効果音にまじり「軍艦マーチ」が鳴り響く。「プロジェクトX」ばりの演出で、当時の陸海軍の戦績を称えるのだ。
大きなスペースを割いているのは、やはり「大東亜戦争」のコーナー。勇敢に散った“軍神”のエピソードや遺品は豊富だが、戦争に苦しんだ庶民生活や戦争指導者の責任には一切、触れていない。展示室の最後には、壁が戦没者の遺影で埋め尽くされ、東条英機の写真もしっかり飾ってある。
約2時間で展示室を回りきると、最後は大型兵器がズラリと並ぶ大展示室がお出迎えだ。戦車や戦闘機のほか、ロケット特攻機「桜花11型」や、人間魚雷「回天」が当時のままの姿で展示されていた。小泉首相は「はからずも戦争の犠牲になった人を追悼する」というが、遊就館を見る限り、兵隊さんは喜び勇んで戦地に行ったとしか思えない。
【2006年1月31日掲載】


■最後の「はからずも戦争の犠牲になった人を追悼する」というが、遊就館を見る限り、兵隊さんは喜び勇んで戦地に行ったとしか思えない。という部分が、本質を言い表していて秀逸である。
さて村上重良氏の『慰霊と招魂』によると、
<遊就館の名称は、古代中国の『荀子』の「勧学篇」にある「君子の居は必ず郷を択び、遊は必ず士に就く」とのことばに拠っており、よい人について交わるという意味であった。(略)戦争のたびに展示品が拡充された。こうして遊就館は、その名称とはあまり縁のない日本唯一の公開軍事博物館として発展し、日本最大の刀剣陳列場も兼ねて、靖国神社に参拝する国民のあいだに軍国主義を普及するうえで大きな役割を果たすことになった>とある。やっぱり「よい人について交わるという」なんて柄にもない名前をつけなきゃよかったのだ(^◇^)

■さらに木下直之氏の『遊就館』によると、明治の始めに高橋由一という画家が招魂社境内に「展額館」(いまでいう美術館)を建てよと提言し、また同じ頃に文部省の関係者が、イギリスのロンドン塔にある武器博物館を引き合いに出し、名古屋城を武器博物館にして保存せよと提言したそうだ。
<これら靖国神社の中に一種の美術館をつくるべきだという提案と、無用の長物とみなされ壊されようとする城郭の中に武器を集め、その歴史を見せる博物館をつくったらどうかという提案が、結果として結実したのが遊就館というミュージアムではないかと思います。>
<それから、遊就館の重要なことは、それが東京に出現した最初のミュージアムだということです。当時の東京には、ほかに上野の博物館しかありません。しかも、この二館は明治15年にほぼ同時に開館します。(略)方や日本軍の栄光を、方や日本文化の栄光を見せるという意味で、私には車の両輪のように見えます。>
関東大震災によって遊就館と上野の博物館は建て替えられる。二代目のデザインはこれまた日本風ではない東洋風のもので、木下氏は<日本が大陸に侵攻していた時期の公共建築を彷彿させるようなデザイン>と述べている。そして昭和4年の遊就館の観覧者数は、上野動物園に次ぐ30万人(博物館は20万人)で、いかに教育用に利用されていたかがこの数字からもわかる。戦後遊就館は閉館を余儀なくされるが、昭和61年に復活。それと同時に展示も大きく様変わりする。これは近年のミュージアムの顕著な傾向なのだが、遊就館においても、物質的な「遺品」から非物質的な「遺影」や「遺言」に移ってきたと木下氏は分析する。
<つまり、言葉と写真は、どちらも非物質的なものですから、流通しやすいのです。(略)遺品の写真展示はほとんど意味を持ちません。何ら訴える力を発揮しません。これに対し、同じ死者が遺したものとはいえ、遺影や遺言はメディアを変えてかなり自由自在に流通するのではないでしょうか。>
しかしながら、<人間の歴史とは武器を開発し続けてきた歴史なのだろうと思いますが、残念ながら、そのような人間性について深く考える場所にはなっていません。距離を置いて戦争を振り返る場所は遊就館にもないし、むろん昭和館にもない。いや、どこにもありません。>