2006年06月11日 (日) | 編集 |

■何も小難しい本を読まなくても、子供向けのマンガからだって、この世の矛盾について学ぶことは十分可能だ。
毎年恒例のドラえもん映画ももうずいぶんの巻数になったが、劇場版映画としては第6話の『ドラえもん のび太の宇宙小戦争(リトル・スター・ウォーズ)』(1985年上映)は、特に印象に残っているものの1つである。
森の中でドラえもんたちは小さなロケットを発見する。そのロケットに乗っていたのは手のひらサイズの小さな宇宙人パピで、彼はピリカ星の大統領だった。そこにパピを追って反乱軍のギルモア将軍率いるミニ宇宙戦艦が襲ってきて…と、ようするに当時人気のスター・ウォーズのパロディー版なのだが、舞台がピリカ星に移ると、そこは独裁国家というか超監視社会だったのだ。
街中に貼り巡らされたギルモア将軍のポスターの目が全部監視カメラになっていて、パピを救出しようとするドラ一行は苦戦する。最後は監視・密告社会の重圧にあえいでいた市民たちが立ち上がり、独裁者を倒してパピ大統領が勝利するのだが、85年の時点で観た時はいささかワンパターンでアナクロがかってるなくらいに感じていた。
ところが21世紀に入ってからますます時代は逆行して、科学文明が発達したいわゆる未来社会としてのピリカ星に似た社会情勢になってきたではないか。手塚治虫テイストを引き継いだ藤子Fのドラえもんワールドは、マンガといえどもなかなかあなどれないのだ。
共謀罪だ、監視社会だ、右傾化だといったフレーズだけで敬遠してしまう若い世代はまだまだ多いと思う。そんな時は安心して子供と一緒に観られるアニメはいかがだろう。ドラえもんなら誰もが素直に受け入れられる。
幼い心に刻まれた監視社会の不条理さは、必ずそうした不条理を打ち破る力となって未来に甦るに違いない。
2005年09月03日 (土) | 編集 |

湯河原に来てからは、コンビニでマンガ本を買うことが多い。
最近は過去の名作マンガが、コンビニ仕様とでもいうのか、ざら紙綴じで復刊するようになってきたので、これはリーズナブルだし、かなりうれしい企画だ。
小池一夫・作、平野仁・画の「サハラ」も、そうした古典(?_?)マンガの一つである。
「ビッグコミック」で連載。
単行本も全8冊持っている。
しかしこの単行本の収録作品数には、常々疑問を感じていた。雑誌では確かもっと話が続いていたはずなのだが…と。ただだいぶ年数がたってしまったので、自分自身の記憶もまた不確かだった。
そんなおり、復刊ヴァージョンをコンビニで発見したのである。
毎月1冊ずつ楽しみに買って、全5冊。やっぱりまだ話は続いていた!
こうしてついに、単行本未収録分もしっかり手に入れたのだった。
「サハラ」は副題にもあるように、女外人部隊―サハラ・ウィメン・フォーリン・レジオンの物語である。時代は1961〜75年の西南アフリカ。ポルトガルからの独立を図るアンゴラ独立戦争を背景に、さまざまな過去を持った女たちが、隊長のチュチュ・ヒステリーカの鉄の統率のもと、ポルトガル軍の傭兵として非情な任務を遂行していく。
戦う相手は、ゲリラであるMPLA・アンゴラ解放人民運動。
実際にはアンゴラ側は、MPLAとUNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)そしてFNLA(アンゴラ国民解放戦線)の3つの勢力がポルトガルと対峙していたわけだが。
面白いことに、この戦争には実際に白人の傭兵が参戦していたという。これを女の部隊にしたところが、当時としては非常に卓抜な発想だったと思う。
物語はフランス人のヒステリーカ、ドイツ人のボーデンレガー、アメリカ人のスージー、ロシア人のプーキーを中心に展開していく。この中で、特にヒステリーカの人物造詣はずば抜けて素晴らしい。かつてこれほど強く美しく、大胆不敵で冷静沈着な女性像が描かれたことがあっただろうか。

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