
■最近は「経済格差」や「貧困」に関するニュースを聞かない日はないくらいだが、一方で「富裕層」という言葉も小泉政権誕生後から右肩上がりに増えている。
年収200万円以下の家庭が増加しているといった記事と並んで、「富裕層ビジネス」の広告が載っているこの日本の現実。
しかし格差や貧困の対極にあるこうした金持ちの実態について、私たち一般庶民はあまり詳しく知らないのもまた事実である。
■18日の読売新聞に以下の記事が載っていった。
金融資産100万ドル超の日本の富裕層、147万人に
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20071018ib22.htm
米証券大手のメリルリンチなどは18日、100万ドル(約1億1600万円)以上の金融資産を持つ日本国内の富裕層が、147万人に達したとする調査結果を発表した。
日本はアジア全体の富裕層人口の約6割を占めたが、経済成長が著しい中国、インドなどが追い上げている。
アジア全体の富裕層は昨年1年間で約20万人(8・6%)増え、260万人となった。各国の増加率はインド20・5%、中国7・8%で、日本の5・1%を大きく上回った。富裕層の持つ資産総額は計8・4兆ドルで、日本がその4割を超える3・6兆ドルでトップ、中国が20・6%の1・7兆ドルに増えて2位となった。
調査結果について、三菱UFJメリルリンチPB証券は「アジア諸国の高成長と、株式市場の時価総額拡大が富裕層の資産を成長させた」と分析している。
世界全体の富裕層は、新興国の急成長を背景に8・3%増えて950万人。日本の富裕層は、米国に次いで世界2位となっている。
■日本の大金持ち、すなわち「富裕層」が147万人もいるというのには驚くが、なんとその数は世界の富裕層の16%をも占めているのだ。なんという腹立たしい数字だろう。「一億総中流」といっていたあの時代は、いったいどこへ消え去ってしまったのだろうか。
その「富裕層ビジネス」への外資の参入についての、
これは産経新聞9月21日の記事だ。
右の写真は同記事より:個人向け事業参入で会見するHSBCグループのスティーブン・グリーン
HSBC富裕層ビジネス、ブランドを構築・広告に注力
http://www.business-i.jp/news/kinyu-page/news/200709210022a.nwc
英金融大手のHSBCグループのスティーブン・グリーン会長は20日、都内で記者会見し、すでに発表している日本での個人向け金融事業の本格展開を正式に表明した。同会長は「重要な日本市場で個人の顧客基盤を拡充する」と語り、強みである富裕層向けサービスの提供で、市場を開拓する考えを示した。
HSBCがターゲットにしているのが、“マス富裕層”と呼んでいる金融資産1000万円以上を保有する顧客だ。専任の担当者が資産運用などの相談に応じ、外貨預金や投資信託などの金融商品を提供する「HSBCプレミア」サービスを提供する。(略)
米シティグループなど他の外資系銀行と比べ国内での認知度が低いため、広告宣伝に力を入れ「ブランドを構築する」(グループの香港上海銀行のスチュアート・ミルン在日代表)考えだ。すでに成田空港で広告活動を行っている。
スティーブン会長は「日本では向こう5年間で引退する団塊世代が退職金を手にすることで、富裕層が大幅に増加する」と、市場の成長性を指摘。さらに、個人金融資産1500兆円のうち現金と預金が半分を占めているが、「『貯蓄から投資へ』に変化しつつある」と述べ、資産運用サービスへのニーズが一段と高まるとの期待を示した。 (略)
■いわゆるPB(プライベート・バンキング)というビジネスだ。
世界で実績のあるHSBCは強気で、日本での買収や大手銀行との提携は視野に入れず、独自に市場開拓するらしい。
ただ今の日本の現状を考えると、団塊世代の退職で果たして富裕層が大幅に増加するのかは大いに疑問だが。
HSBCといえば、父がかつて働いていた外資系の金融機関でもある。
子供のころ、その銀行の支店長の家のパーティーに行って、英国貴族の暮らしぶりを垣間見たことがあった。去年友人の誘いで池袋の執事喫茶に遊びに行ったが、本物の貴族の邸宅やメイド・執事の類いとはまったく似て非なるものだった(当たり前だけど(^^;;)。
イギリスは純然とした階級社会でもある。
日本がこのまま同じような階級社会に移行することが絶対に起きないよう、貧困の撲滅と平等な社会へ向けて声を上げていかなければならない。

■さて、『ル・モンド・ディプロマティーク』06年5月号に、ちょっと身につまされるような記事が載っていたので、その一部を転載。
フランス「下流インテリ」たちの現実
モナ・ショレ(ジャーナリスト) 訳・阿部幸
「私は下流のインテリ。ニューロンをショートさせながら、本、雑誌、ウェブページ、ビラ、請願書、といった何ギガバイトもの情報に目を通すけれど、そこから何かを生み出すこともない、そんなインテリのひとりです。ボディを熱するためだけにめいっぱいの石油を消費する機械のように、知力をめいっぱいに消費する下流のインテリ・・・全くの浪費そのもの」。セヴリーヌのブログ(1)には、こうした苦い認識が掲げられている。彼女は28歳。パリで学位を取った後、企業での研修と、求職者に支給される最低限の生活手当と、臨時雇い、そして失業の間を行ったり来たりしている。この侘びしい気持ちは、アレクサンドル(2)にも痛いほどよくわかる。彼は27歳のフリーライター(3)、環境問題に関する学位論文は大手出版社から刊行されている。アレクサンドルが自分のアイデアを業績に結びつけられずにいるうちに、ときに誰かがご親切にも彼の代わりを務めてくれたりする。「電話で記事のテーマをもちかけると、編集長たちは『おもしろい。もっと聞かせてくれないか』と応じてくる。それから2週間後、そこの社員の記者が同じテーマで書いた記事が新聞に載っているというわけさ」
続きは http://www.diplo.jp/articles06/0605.html で。

上の図は「飢餓マップ」 青→黄→橙→赤の順に飢餓の度合いが強くなる。
■ほんの少し前まで「1億総中流時代」を謳歌していた日本にとって、「貧困」や「飢餓」は遠い国の出来事のように思えたものだったが、ことに小泉政権以降の露骨な新自由主義政策の推進によって、日本のGDP(国内総生産)額ではまだアメリカに次ぐ第2位を維持しているものの、国民1人当たりの名目GDPはついに14位まで下落してしまった。(05年度国民経済計算による)
また貯蓄率も過去最低で、国民の4人に1人は貯金額がゼロという結果が出ている。
■毎日毎日「格差」という単語を聞かない日がないくらいだが、実態は単なる「格差」ではなく、ずばり「貧困」なのだ。
「貧困率」というものがある。国民のうち何%が貧困であるかを示す割合だ。
そして日本の貧困率は、OECD(経済協力開発機構)の05年の調査で15・3%と報告された。国民の6〜7人に1人が貧困であるという驚くべき結果だ。この数字はOECD加盟国の30カ国中、メキシコ、アメリカ、トルコ、アイルランドに次いで5番目に高い。
日本は貧困率だけでなく、90年後半からの貧困拡大のペースでも群を抜いて高いのだ。
かつて総中流だった暮らしは一転し、今や人口の4分の1の金持ち層が日本の富を所有している。
そしてこれまでは考えられなかった「飢餓」や「餓死」も、身近な問題として迫ってきている。
■「ル・モンド・ディプロマティーク」1998年11月号に、イニャシオ・ラモネ氏(ル・モンド・ディプロマティーク編集総長)による『戦略としての飢餓』という記事がある。
http://www.diplo.jp/articles98/9811.html
明日の日本を考える上でも、もはや他人事ではない。記事の一部を転載する。
次の算数を御存知だろうか。世界の3大富豪が、国家総数の4分の1にあたる最貧国48ヵ国の国内総生産(GDP)総額を上回る資産を所有していることを。
ここ20年(1979〜98)の超自由主義的潮流の中で、貧富の格差が拡大してきたことは知られていたとしても、これほどまでとは誰が思うだろうか。さらに言えば、「上位20%(人口換算)の最富裕国と下位20%の最貧国の所得格差は、60年には30倍だったが、95年には82倍にまで拡大した」そうなのだ。70以上の国で、1人当たり所得は20年前よりも減少し、地球全体で見ると人類の半数にあたる30億近い人々が、1日10フラン[≒200円]以下で生計を立てざるを得ない状況にある。(略)
どうしようもないと言うのだろうか。いや、決してそんなことはない。国連によれば、最低限必要なもの(食べ物、飲み水、教育、医療)を地球上のすべての人に行き渡らせるためには、世界の大富豪225人に蓄積した富の4%も出させれば十分なのだ。衛生面や栄養面での必要を満たすためだけなら130億ドル、つまり米国と欧州連合(EU)で年間に消費する香水の金額があれば足りるのだ。(略)
食べる権利を例に取れば、食べ物が不足しているわけではない。食料品がこれほど豊富にあったことはなかったし、地球上の60億すべての人が1日最低2700カロリーを摂取できるだけの量はあるはずだ。しかし、生産すればよいというものではない。なおかつ、食べ物を必要とする人々がそれを買い、口にできるようになっていなければならない。現実はまったく違う。毎年3000万人が餓死し、8億人が慢性的な栄養失調に苦しんでいる。
どうしようもない、ということなど決してない。天候による不作は予測できることも多い。「飢餓反対行動」のような人道援助組織が介入することができれば、発生しかけた飢餓は数週間でくい止められる。
では、多くの住民が餓死するのは何故なのだろうか? それは飢餓が政治的武器と化しているからである。今や飢餓はただでは発生しない。冷戦の終焉によって金づるを失った支配者層や諸機関が、あろうことか、飢餓を戦略として活用しているのだ。シルヴィー・ブリュネルは次のように述べている。「飢えさせる対象が、征服すべき敵方の住民から自国民へと代わった。紛争は恵みの雨、使おうと思えばいくらでも使える。メディアの映像、そして映像が必然的に引き起こす国際的な同情の嵐。金と食料が降り注ぎ、政治演説の場も提供される」(略)
食料が豊富にあるにもかかわらず、政府の政策によっては飢餓が引き起こされることを解明した著作で知られ、今年度のノーベル経済学賞を受賞したアマーティヤ・セン博士は、次のことを述べた。「飢餓の悲惨な歴史の中で最も注目すべき事実の一つは、民主制と比較的自由なジャーナリズムが存在する国では、かつて一度も大飢饉が起きていないということだ」。セン博士は新自由主義的主張に反対し、社会福祉の増進のためには、市場ではなく国家にもっと責任を与えるべきだと主張する。国家のあるべき姿とは、自国民が何を求めているかを敏感にとらえ、地球規模で全人類の発展を考える、そのようなものであるはずだ。

■湯浅誠・著『貧困襲来』(山吹書店)を読み終えた。
読み進むごとに怒りがこみ上げてくる内容だ。
時間がないので、本の内容についてはまた明日にも書くつもりでいる。
湯浅氏はNPO法人自立生活サポートセンター・もやいの事務局長で、野宿者(ホームレス)の支援に携わっている。
■『論座』07年1月号の特集「現代の貧困」にも湯浅氏は寄稿しており、ここから貧困者の貧困それ自体をターゲットにするビジネス、すなわち「貧困ビジネス」の存在が広く知られるようになった。
■ここ最近、「格差」という言葉がひんぱんに使われるようになった。
現在行われている総裁選でも、耳にタコができるくらい「格差」という言葉が飛びかっている。
しかしちょっと待ってほしい、と湯浅氏は言う。
私たちが今問題にしているのは「格差」ではなく「貧困」なのだ、と。
そう、「改革」という言葉と同じく、私たちは「格差」というまやかしの言葉でまたもやはぐらかされ、だまされているのだ。










