激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 ジュリー60回目のバースディ and クマノミ・ベビー
2008年06月25日 (水) | 編集 |




きょうはジュリー(沢田研二)の還暦バースディ

12月には東京ドームでコンサート。
60歳以上の日本人が東京ドームでコンサートを開くのは
ジュリーが初めてなんだって~\(^-^)/
いつまでもパワフルでカッコいいジュリーでいてね。













で、そんなナイスな日に半日休みを取って
またまた静岡県の三保半島にある
「東海大学海洋科学博物館」に行ってきた。




   

左:カクレクマノミの赤ちゃんの水槽。何匹いるかわかる?

中:ツバメウオの幼魚。子ども時代は尾びれや背びれ、腹びれが長く
まるでツバメみたいな形をしているのが特徴。
動きが素早いのでうまく写せない(T.T)

右:水族館の魚たちのエサ。展示水槽の裏側も見学できた。





   

左:顕微鏡で観た星砂
星の砂の正体は、バキロジプシナという有孔虫の殻。
炭酸カルシウムでできている。有孔虫はアメーバに近い原始的な生物だ。

中:天女の羽衣伝説で有名な三保の松原
羽衣の松は樹齢が古く、現在ちょっと元気がない。
立ち入れないよう柵で囲ってある。
松によじ登ったりする悪い観光客がいるんだね。

右:三保海岸。砂は黒く重い。大小の石がたくさん落ちていた。






 おコメとジュリー
2007年10月24日 (水) | 編集 |


おコメ
ジュリー
何、このタイトル?
って思うでしょ。

20日のNHK
「日本の、これから
どうしますか? 私たちの主食」を
観ていたら――。








日本人はいつからおコメのご飯を
食べなくなったか…
といったナレーションと共に
過去の映像と音楽が流れ――。

昭和37年には
日本人は1日平均5杯のご飯を
食べていた。
(BGMは「いつでも夢を」)







で…
昭和52年のシーンで
ジュリーの
「勝手にしやがれ」が
突然流れてきた!
この年には日本人の米食は
3杯半まで下がったという。


ジュリー、
日本の農業の衰退は
あんたのせいなのかっ(?_?)







ジュリー:
「ばーか!
勝手にほざきやがれ。
ぼくは生粋のおコメ党だよ。
いつもご飯は
残さず食べてるのさ。
だからお肌つやつや
美声のままの健康体だよ」

こりゃまた失礼しましたっ。
皆さん、おコメを
もっと食べましょう!







■ジュリーのレア情報

NHK教育テレビの「イタリア語講座」のテーマ曲が、イタリア語の「TOKIO」だった。
この歌ってイタリア語がよく似合うんだ〜と、思わず感心してしまった。








 メイクアップ・ジュリー! うふふ
2007年10月22日 (月) | 編集 |





鏡の前でメイクするジュリー
アニメーションにしてみましたぁ(^^;;

端麗な姿を愛でてください。








 …そして10月
2007年10月01日 (月) | 編集 |





空が降下してくる
厚い幕のむこうに無数の星の気配がする

大きな法則が
泣いているのを僕は聞く
月は誹謗され
雲も話さない

空とそして土の匂い
われわれのすべての匂いだ
しかしわれわれは
果たして自分の立場を知っているのだろうか

空が醜くなってくる
樹や蛙は誰かを憎んでいるらしい

神々が人間に疲労して
機械に代わりをさせているのを僕は聞く

時間はガラスの破片だ
そして
空間はもう失われた

今夜 僕は暗い翼をもつ
すべての本質的な問題について知るために




谷川俊太郎「暗い翼」
『二十億光年の孤独』より 








素肌のジュリーを飾ってみたい。
だけど飾るのは絹の服でも宝石でもなく
想いを紡ぐ詩、あるいは歌詞で。

そこで私は、阿久悠の歌詞ではなく、谷川俊太郎の詩を置いてみる。

谷川の名を知ったのは、彼が国産初のテレビアニメ「鉄腕アトム」の作詞をしたときだった。
詩人という存在を知ったのも、彼を通してだった。
そして子供心にひそかに彼にあこがれた。
たぶん感性の幾分かが似ていたせいかもしれない。

数年前にその詩人と逢った
古風で静謐な彼の家で。
詩人という才能についてたずねると
「才能というのは生まれつきのもの」
そう、さらりとかわされた。
大胆にも彼の作品をパロったものを差し出すと
いやな顔ひとつせずに
「これは面白いね」と笑ってくれた。

詩人が若い頃に書いた詩集『二十億年の孤独』。
ガルシア・マルケスの『百年の孤独』を髣髴させるが、と問えば
「時間のスケールだけはマルケスよりも大きいですし」とお茶目に答える。

理知的でドライで、抑制の効いた詩が好きだ。
クールでクリスタルのような涼やかな輝きを持った言葉が好きだ。
それなのに、狂おしい情熱を秘めたドラマティックな展開が好きだ。

そんな詩で
そんな言葉で織り上げた世界で
素肌のジュリーを飾ってみたい。










 振付師・土居甫氏訃報の記事より
2007年09月22日 (土) | 編集 |

■また一人、ジュリーと深いかかわりを持つ人物が亡くなった。土居甫(どい・はじめ)。過去の歌番組には必ず名前が出た、いわゆる「振付師」である。
9月14日に死去。享年70歳。
新聞の記事には、主にピンク・レディーの振り付けとして有名等々と書かれていた。写真も葬儀での彼女らの沈痛な表情を写したものが掲載されている。


■土居氏は60年代から活躍し、ザ・ピーナッツザ・タイガースの振り付けで脚光を浴びた。他にも森昌子、桜田淳子、山口百恵らも手がける。



■『週刊新潮』9月27日号 コラム「墓碑銘」より一部抜粋


「踊りは言葉のない言葉だ。小手先の踊りは嫌いだ。切羽詰ったギリギリの線で本当の踊りが出てくる」
 これが振付師・土居甫さんの信念だった。歌の添え物のような存在だった振り付けを、歌と並び立つ表現に高めた先駆者である。
 阿久悠さんの詞と都倉俊一さんの曲を活かし、ピンク・レディーの野生的な魅力をミュージカルのごとく描き出してみせた。(略)

 昭和36年、ダンスの第一人者として、『シャボン玉ホリデー』にレギュラー出演。41年に沢田研二のいるザ・タイガースの振り付けを担当して大好評を博した。(略)

 平成6年、体調を崩す。パーキンソン病だった。(略)

 長男の秀充さんは言う。
「父は仕事が生きがいでした。病気の進行が穏やかだったので、8月まで仕事を続けることができました」
「阿久悠先生が亡くなった時には、感じるところが大きすぎたのだと思います。何も口に出しませんでしたが」(妻の久美子さん) (以下略)



■誰かの訃報の際についでにクローズ・アップされるなんて、ちょっと淋しいよ、ジュリー
たくさんのファンのためにも、もう少し表に出てきてほしいもんだよね。







 沢田研二『悪魔のようなあいつ』に関する私的考察 その1
2007年09月16日 (日) | 編集 |
阿久+久世+長谷川『悪魔のようなあいつ



■阿久悠の死去に伴い、関連する記事や懐かしい映像も多く見受けられるようになった。そこで阿久にとっても1つのエポックメイキング的な作品となったテレビドラマ『悪魔のようなあいつ』(1975年)を取り上げてみたい。

■ドラマの元になったのは当時としては珍しいマンガ作品で(今はマンガが原作のドラマばかりだが)、阿久悠の原作を『サチコの幸』などの上村一夫が描いたものが、女性誌の「ヤングレディ」に連載された。
ただし4話程でドラマの方が原作を追い越してしまったので、その後の展開はかなり異なるものとなった。

■製作は多くのドラマを手がけ、阿久より前(06年)に死去した久世光彦。脚本は、ゴジこと若き日の長谷川和彦の手によるものだ。




■…と普通ならここでドラマの内容について書くところだが、今回は2つの新選組作品と比較して考察してみることにする。






結束+河野『新選組血風録』と三谷『新選組!』



■左は1965年放送のテレビドラマ『新選組血風録』。
原作は司馬遼太郎の同名小説。1話完結で、新選組隊士の一人ひとりに焦点を当てた構成になっている。
監督・河野寿一、脚本・結束信二。音楽は渡辺岳夫が担当。
主要キャストの栗塚旭、島田順司、左右田一平は全員新劇出身の若手で、島田にいたってはまだ研究生の身分だった。

視聴率こそよくなかったが反響は大きく、その後の時代劇ドラマに多大な影響を与えた。今も新旧のファンから絶賛されている名作ドラマである。






■右は04年のNHK大河ドラマ『新選組!』
(このDVDは総集編スペシャルだが(^^;;)
原作・脚本はドラマ『やっぱり猫が好き』『古畑任三郎』映画『ラヂオの時間』などの三谷幸喜。音楽は服部隆之が担当。
司馬・新選組と異なり、従来通り近藤勇を主人公に据えた青春群像劇。結束ドラマ『新選組血風録』『燃えよ剣』のオマージュともいえる作りで、栗塚が歳三の兄に、島田が沖田の療養先の植木屋に扮して出演したのも大きな話題となった。
これまた視聴率はいまいちだったが、ファンの強い要望で土方歳三が主人公の箱館五稜郭篇も作られた。
近藤勇に香取慎吾、土方歳三が山本耕史、沖田総司を藤原竜也が好演。






フィルムかビデオか、ロケかスタジオか


■放送された年代もバラバラな3つのドラマだが、主役(準主役)を演じた時点での4人の年齢はほぼ同じである。

『悪魔』で可門良を演じた沢田研二は27歳。
『血風録』で土方歳三を演じた栗塚旭は28歳。沖田総司役の島田順司は27歳。      
『組!』で土方歳三を演じた山本耕史も28歳。


■さて映画といえば現在もフィルム撮影が多いが、テレビ用に作られた65年の『血風録』もフィルムで撮影された作品である。
監督の河野寿一(こうのとしかず 大正10年生まれ)は東映時代劇映画を手がけた後、テレビに転向。脚本家の結束信二(けっそくしんじ)と共に数々の名作時代劇作品を生み出していく。
厳密にいえば、当時はテレビドラマではなくてテレビ映画と呼ばれていた。

テレビ映画『血風録』を語る際に欠かせない定番資料でもある、黒須洋子・著『「新選組血風録」の世界』。
そこでの助監督・松尾正武の証言によると、
「河野監督の撮り方はオーソドックスなんです。けれんみとか、映像でごまかしたりしなかったんです。今井正・内田吐夢・黒澤明、そういう巨匠連と同じタイプの撮り方です。(略)
河野監督の映像表現の一つの特徴は、絵が流れるんです。キャメラが移動する、キャメラが動いてなかったら人間が動いている、とリズムがありました。(略)昔のフランス映画がそうでした。河野監督は昔、フランス映画がお好きだった。結束先生も、僕も好きでした。だから根底は、みな同じなんですね。」

黎明期のテレビドラマに新しいスタイルを確立させるんだといった情熱にあふれた河野、結束、渡辺らの製作スタッフと、舞台出身の若い俳優たちの力が合わさって、50分のドラマの中にまるまる映画1本分のエキスが凝縮され、後世にまで語り継がれる名作が生まれたのだった。

陰影の深い落ち着いたモノクロ画面。松尾証言にもあるように流れるような美しいカメラワークは、画面にはるかな広がりと気品あるたたずまいを与えている。
そして決して過剰に走らない抑えたトーンが、しみじみとした情感と余韻を生んでいる。日本人の心の琴線に触れるような作風なのだ。
ロケ現場での撮影の多さも、自然の風光とリアリティーをより感じさせている。
ドラマというより、まさにテレビ放送用の映画というべきだろう。



■これに対して『新選組!』はビデオ撮影されたドラマである。
技術の進歩とコストの軽減で、00年以降は時代劇も含めてほぼ全部のドラマがビデオ撮影されるようになったのだ(もちろん例外もあるが)。
どうしても粒子の荒さがあって扱いにくいフィルムに対して、ビデオ撮影された作品はくっきりと鮮明に映っていて見やすい。すぐそばで演じられているような臨場感というか、ソフトで身近な親しみもより強く感じられる。
その代わりやや平面的というか、ドラマにあまり陰影が感じられないきらいもある。
加えて大河ドラマの場合は、予算の都合上か、最初の頃は迫力ある野外ロケ・シーンも多いのだが、終りに近づくにつれてスタジオ撮影が増えていく(^^;; 
ことに『組!』での鳥羽伏見の戦いはスタジオセットで、そのしょぼさにはかなり萎えた。
この点『血風録』の姉妹編ともいえる『燃えよ剣』での鳥羽伏見と箱館での戦いのシーンは、度肝を抜かれるほどの大迫力だったが。



■そこで悪魔のようなあいつはどうかといえば、ちょうど『血風録』から『組!』への移行の過度期に当たり、いろいろな要素もまた混在しているのだ。

そもそもこの企画は、ジュリーこと沢田研二なる素材の持つ魅力に惹かれ彼を愛してやまない阿久悠(あくゆう)と久世光彦(くぜてるひこ)の妄想を実現するために企てられたのだった_(^^;)ゞ

そしてそこに、彼らの妄想など少しも理解できない現実派の長谷川和彦が加わったのだから、あとは押して知るべきであろう。

『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』などのコメディー・ホームドラマ作りで有名な久世と、今村プロと日活でさまざまな問題作映画の助監督を務め、後に『青春の殺人者』、沢田主演の『太陽を盗んだ男』を監督することになる長谷川。
片やスタジオ撮影に固執するロケ嫌いの久世と、やっぱり迫力あるロケがほしいと切望する長谷川だが、ここは力関係で久世方式が主体となった。          

ストーリーは3億円事件の犯人で、バー「日蝕」でギターの弾き語りをしながら時効を待っている良(ジュリー)と、その3億円をめぐってさまざまに画策する周囲の人間模様を描いたもの。

いかにも久世ドラマらしいお茶の間食事シーンも満載で、ギャグもそこここに散りばめられている。ビデオ撮影+オール・スタジオセットというチープ感がなんともいえない味をかもし出していると表現すべきか。
そのクラクラするような臨場感は、テレビドラマというより、むしろ舞台そのものである。そのように脳内変換して見れば(^^;; バー「日蝕」の階段に続く外の書割みたいな景色(まさしく書割だ!)にも納得がいくだろう。あはは。

ところが前半のちょっと中だるみが一変、長谷川による3億円強奪現場の再現―バリバリの野外シリアス実写ロケ・もちろんフィルム撮影―の挿入によって物語は急転直下の展開を見せ始める。
こうなったらもう止まらない。あとは最終話まで見続けるしかない。
しかしその最後の肝心なシーンが…やっぱり久世テイストに彩られて、ああっ!
まさにこれも後世に語り継がれるべき「ε-(ーдー)ハァ」な迷ラストシーンと相成ったのであった。



■以上、フィルム撮影+ロケで大人のドラマの『血風録』と
ビデオ撮影+ロケ+スタジオセットの青春ドラマ『組!』
そしてビデオ撮影+ほとんどスタジオセット+ちょびっとロケの駄菓子屋風味ドラマ『悪魔』
を比較考察してみた。


いずれも甲乙つけがたい、日本テレビドラマ史に残る名作であることだけは確かである。
なんちゃって。








 ザ・タイガースと60年代ミュージック その3 ピンク・フロイド
2007年09月06日 (木) | 編集 |

■大型台風キタ━━━(゚∀゚)━━━ !!!!!
なあんて言ってる場合じゃない。
テレビのライヴ映像では、伊豆大島に打ち寄せる大波がまるで津波のようだ。湯河原も風雨が次第に強くなってきている。
こんな日にふさわしい曲はこれ!

ピンク・フロイド
「吹けよ風、呼べよ嵐」

 (原題:ONE OF THESE DAYS)





ピンク・フロイドは1966年結成。
ファースト・アルバムは「夜明けの口笛吹き」(67年)。
私が初めてピンク・フロイドを知ったのは「原子心母」
(原題:Atom Heart Mother 70年)からだった。
上野のレコード店にこの曲のレコード・ジャケット(右)
ポスターがぶる下がっていて、そのユニークさに
おもわず目が釘付けになった。
以来、ピンクのアルバムを好んで聴いてきた。





■彼らを一躍世界的なモンスター・バンドに押し上げたのが
「狂気」(原題:The Dark Side Of The Moon)73年である。
以降も「ザ・ウォール」(The Wall)79年など問題作を次々と発表している。
なお詳しい解説については、わざわざ私ごときがしても…(^^;;と思うので書かない。

ちなみに好きな曲は、平凡な選曲ではあるが、「アス・アンド・ゼム」「あなたがここにいてほしい」「クレイジー・ダイアモンド」など。













ザ・タイガースヒューマン・ルネッサンス (68年リリース)

<曲目>
1. 光ある世界
2. 生命のカンタータ
3. 730日目の朝
4. 青い鳥
5. 緑の丘
6. リラの祭り
7. 帆のない小舟
8. 朝に別れのほほえみを
9. 忘れかけた子守唄
10. 雨のレクイエム
11. 割れた地球
12. 廃墟の鳩



■あえて巨星ピンク・フロイドに対置させるようにタイガース(1965〜1971)を持ってきたのは、
ヒューマン・ルネッサンス」がグループ・サウンズとして初めての本格的なトータル・コンセプト・アルバムだったからである。

また「730日目の朝」はトッポこと加橋かつみの、そして「青い鳥」はタローこと森本太郎の作詞・作曲であり、森本をはじめサリーこと岸部修三もヴォーカルを披露している点もユニークだ。

それにも増して特徴的なのが加橋のソロ・ヴォーカル曲の多さ――「730日目の朝」「緑の丘」「帆のない小舟」「廃墟の鳩」――であり、後の手記で「『ヒューマン・ルネッサンス』だけがタイガースの本当の仕事だった」と書くことになる加橋は、この翌年タイガースを脱退したのである。













 


左:DVD「ピンク・フロイド&シド・バレット・ ストーリー」
右:DVD「Dark Side of the Moon (狂気)」ドキュメンタリー








 我々は何者なのか
2007年09月04日 (火) | 編集 |



ポール・ゴーギャン   Paul Gauguin
「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」
油彩・カンヴァス 1897年




■私はなぜ生まれてきたのだろう。
 そして何のために生きるのだろうか。

人は皆、そうした問いを胸に抱きながら人生を歩み、やがて等しく死んでゆく。
それが人という生き方なのだ。



■今回私は、奇しくも「権力とマイノリティ」氏とほぼ同時期に、「沢田研二」という人物に興味を抱いた。気鋭のジャーナリストでもある氏は、沢田を素材に「文化と政治の関係」について独自の視点で論じていくつもりだという。

私も氏からよい刺激を受けて、その論法には遠く及ばずとも、私なりの比較文化論を綴っていきたい。そうした過程で、沢田に惹かれる私とは何かという自問に、少しでも答えが見つかるならば幸いだ。



■リタイアするような年齢になったら、どこぞの大学院に入って文化人類学や歴史学を学んでみたい、というのがかつての望みだった。
運命の皮肉で、リタイアなどという優雅な時間を望むべくもない環境に放り込まれ、友人や仲間との語らいの場からも遮断されてしまった今、制約だらけの中でどれだけ想像力を膨らませて対象に肉薄できるか、試してみるのも悪くはないだろう。



■さてゴーギャンの問いかけに対して、こんな答えもある。

かつてのサヨクのバイブル(^^;; 白土三平「忍者武芸帳・影丸伝」
信長の暴虐に対し農民一揆を率いて長年戦ってきた忍者・影丸は、ついに捕らえられ八つ裂きの刑に処せられることになった。死の直前、影丸は刑の立会人・森蘭丸に忍びの術を使って、自分の心情をこう伝えたのだった。

「われらは遠くからきた。そして遠くまで行くのだ」と。









 ザ・タイガースと60年代ミュージック  その2 ザ・モンキーズ
2007年09月03日 (月) | 編集 |

■前回その1ではザ・タイガースとほぼ同時期に活躍したアメリカのグループ、ザ・ウォーカー・ブラザースについて触れたが、今回その2ではやはり同時期のアメリカのスーパーバンド「ザ・モンキーズ」を取り上げてみたい。

右から
デイヴィー・ジョーンズ
ピーター・トーク
ミッキー・ドレンツ
マイク・ネスミス


■「ザ・モンキーズ」は、イギリスのビートルズ人気に対抗すべく、アメリカのテレビ・ショー番組のために作られたグループである。

ある日、業界紙にこんな求人広告が掲載された。
「ミュージシャンと歌手募集:新しく始まるテレビ番組に出演してもらいます。」

そして山のような応募者の中から選ばれたのが、ミュージシャンのマイクとピーター、俳優のデイヴィーとミッキーの4人だった。
こうして映画「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のテレビ版「ザ・モンキーズ・ショー」が66年に始まり、4人は一躍世界のアイドルスターとなったのだった。


■当時の私にはビートルズはちょっと大人すぎて馴染めなかった。
その分ファニーでかわいいモンキーズにはぞっこんで、レコードも本も買いまくった。
後にこんなことをしてちゃダメだと、コレクションを全部ゴミに出してしまったが、今考えればもったいないことをしたもんだ(T.T)


■時代の流れは速い。
ビートルズは音楽スタイルを変え、世はサイケデリック・ブームに沸き立った。
そしてアメリカ版ビートルズとしてのモンキーズの時代もわずか2年で終焉を迎えてしまったのだ。



タイガースとモンキーズの共通点

名前がトラとサルで動物名(^◇^) ←コラコラ!

お笑いコントができる。 ←おいおい!

解散から10年後、ファンの熱い要望を受けて再結成&新しいアルバムを発売。

デイヴィーとジュリーが一緒に「ミュージック・ライフ」の表紙を飾った。
当時デイヴィー・ファンだった私は、「ちょっと、私のデイヴィーと気安く並ばないでよ(`-´メ) 」と口を尖らせた。ジュリー、ごめん。

ディープなロック・ファンたちから、「引っ込め、商業主義者」「自分たちで曲が作れないくせに」「本物のバンドじゃない」などと冷たくののしられ、その悔しさをばねに本物のアーティストへと成長していった。

タイガースが「モンキーズのテーマ」の“Hey,Hey We're The Monkees”を“The Tigers”と変えて歌って、一躍注目を浴びた。
モンキーズ・ファンだった私は、「これってパクリじゃん(-""-;)」とムッとなった。
ごめん、タイガースの皆さん。





■右はタイガースのCD 
「レア&モア・コレクションI LIVEヒストリー編」

ウォーカー・ブラザースの
「ダンス天国~ラ・ラ・ラ 」と
モンキーズのテーマのアレンジ曲
「タイガースのテーマ」も収録されている。

ついでにチョコレートのCMで流れた
「落ち葉の物語」も入ってるよ。







■「そもそもモンキーズってどこのお笑いグループ?」って程度の認識のあなたに。


  テレビ「ザ・モンキーズ・ショー」(ファースト・シーズン)での「モンキーズのテーマ」と、
  大ヒット曲「デイドリーム・ビリーバー」の映像を2本続けてどうぞ!













 ザ・タイガースと60年代ミュージック その1 ウォーカー・ブラザース
2007年09月02日 (日) | 編集 |

■60年代のGS(グループサウンズ)ブームの先頭を常に切って走り、70年1月にその華麗な活動の幕を下ろしたザ・タイガース

サリー(岸辺修三)…ベース
タロー(森本太郎)…ギター
トッポ(加橋かつみ)…ギター
ピー(瞳みのる)…ドラムス
ジュリー(沢田研二)…ヴォーカル

■CD『ザ・タイガース GOLDEN☆BEST』は、デビュー曲「僕のマリー」から期限限定での再結成時の「十年ロマンス」「色つきの女でいてくれよ」まで主要なヒット・ナンバーを20曲まんべんなく網羅した、いわばタイガースの歴史をそのまま辿る構成になっている。

■67年2月にデビューした彼らを一躍トップスターに押し上げた曲が、2番目の「シーサイド・バウンド」と続く「モナリザの微笑」だった。私も彼らの活躍をリアルタイムで見ていたが、はっきり意識したのはやはり「モナリザの微笑」からだ。
タイガースのデビューから解散コンサートまでわずか3年。意外なほどの短い中で、他のグループにはないクラシカルな格調高さと気品を漂わせていた。

しかしながらトップグループとしての人気と重圧、そして多忙な日々は5人の結束に軋みを生じさせた。そしてトッポの脱退とシローこと岸辺シローの参加を経るものの解散に。この解散によって、GSの歴史も事実上の終焉を迎えたのである。






■タイガースもその他のGSも日常的にテレビで観ていた私だが、当時のお気に入りは
タイガースではなくて、アメリカのロック・グループ「ウォーカー・ブラザース」だった(^^;;
ブラザースといっても、3人は本当の兄弟ではない。

左:ゲイリー・ウォーカー
  (本名ゲイリー・リーズ)
中:ジョン・ウォーカー
  (本名ジョン・マウス)
右:スコット・ウォーカー
  (本名スコット・エンゲル)

ジョンとスコットは子役出身。



■1963年にグループを結成。65年にイギリスに渡り「ラヴ・ハー」で初ヒット。そして次のシングル「涙でさようなら」(Make It Easy On Yourself) が全英第1位の大ヒットに輝いた。
66年にも「太陽はもう輝かない」(The Sun Aint Gonna Shine Anymore)で全英1位。母国アメリカでも13位に入った。

この「太陽はもう輝かない」と「孤独の太陽」(In My Room)がウォーカーズの代表的なナンバーと言われる。
日本でも「ダンス天国」「孤独の太陽」が大ヒットした。


■67年に突然の解散。それぞれがソロ活動を始めるが、中でもスコットが成功を収め、「ジャッキー」「ジョアンナ」などのヒットを生んでいく。
こうした点でスコット・ウォーカーと沢田研二の軌跡には類似するものがある。ここらへんの経緯は、改めて後述することにしたい。


タイガースとウォーカーズの共通点

チョコレートのCMに出演
 タイガースは明治製菓
  ♪チョッコレ〜ト チョッコレ〜ト チョコレートはめ・い・じ

 ウォーカーズは不二家
  ♪不二家 ル〜ック・チョコレート

音楽雑誌「ミュージック・ライフ」で、スコットとジュリーが一緒の表紙に
  当時は「なんで私のスコットと並んで写ってるのさ(`×´) 」
  なあんて思ってた。ごめん、ジュリー。

同じ曲を歌う
  タイガースがウォーカーズの「ダンス天国」をカヴァー。



ウォーカー・ブラザースなんて知らないという人のために。

「The Sun Aint Gonna Shine Anymore(太陽はもう輝かない)」を歌ってるレアな映像をどうぞ。