激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 昭和の日に思う
2008年04月29日 (火) | 編集 |



■「天皇(昭和天皇)誕生日」が「みどりの日」になり、いつの間にか「昭和の日」に変わった。
いずれにしても国民の祝日。
個人的にはわが父の誕生日である。ついでに亡き義父の誕生日でもあった。
つまり、かつての国父と実父と義父と、3人の父たちのトリプル・バースディーってわけだ(^^;;


■父は昭和生まれで先の大戦では徴兵を免れ、その後の日本の復興期を支えつつ、今は後期高齢者の仲間入りをした
政府の老人いじめに負けずに長生きしてねって書いたバースディー・カードを送っておいた
長年地域ボランティアに邁進してきたので、その点では元気モリモリ、現役バリバリではあるが。
父の父、つまり祖父は明治生まれなのに自由恋愛を貫いた、ユニークな発想のぶっ飛んだ人物であったらしい。しかしながら関東大震災で都内の蔵が全部燃えて、一気に没落(T.T) 
ついでに母の一族も敗戦後の農地改革で土地を丸ごと没収されて、これまた没落(T.T)
そしてついに私の代で働けど働けど…の、さらにしがないワーキング・プアに転落したのだった(^^;;


■上の写真は、父が好きな京成バラ園。昔は谷津遊園の中にあったのだ。
東京ディズニーランドが出来るので谷津遊園は閉鎖され、職員はディズニーランドへ転職。バラ園も八千代市に移った。元の谷津にも少しだけバラ園が残っている。
規模や内容では比べ物にならないけれど、新式のジェットコースターから動物園、菊人形、バラ園、潮干狩り、スケートまでたっぷり楽しめた、ホットで自由な雰囲気の谷津遊園の方が私は好きだったな。
お昼時にはたくさんの家族連れがいっせいに芝生の上で手作りのお弁当を広げた、あののんびりとしたちょっとけだるい午後の風景。
もうあんななごやかでやさしい昭和の風景は、2度と見ることができないんだろうな。






 ロス疑惑の三浦元被告サイパンで逮捕
2008年02月24日 (日) | 編集 |

■今から27年前の1981年に起きた「ロス疑惑」(ロス殴打・銃撃事件)。殺人罪などに問われながらも最高裁で無罪が確定した三浦和義元被告が、22日サイパン島でロス市警に逮捕された。
左の写真は、三浦和義容疑者と妻の一美さんが銃撃された現場を検証するロサンゼルス市警担当官=81年11月(AP=共同)



   共同通信 2月24日
   http://www.47news.jp/CN/200802/CN2008022301000852.html 

      三浦和義容疑者を逮捕 妻の一美さん殺害容疑

【ロサンゼルス23日共同】米ロサンゼルス市警は23日、1981年11月にロサンゼルスで起きた銃撃事件で妻を殺害したとして、殺人と共謀の容疑で会社役員三浦和義容疑者(60)が米国自治領のサイパン島の空港で22日午後、事件から約27年後に逮捕されたと発表した。米紙ロサンゼルス・タイムズ(電子版)は23日、ロサンゼルスで裁判を受ける可能性があると伝えた。日本の政府関係者と捜査当局も逮捕を確認した。

 日本の捜査当局によると、米国の捜査当局は「新証拠が見つかり、逮捕に踏み切った」と話したという。

 米国の法律では殺人罪に時効はない。ロサンゼルス市警によると、長期未解決事件の捜査班は、同容疑者がサイパン島を訪れるとみてサイパン当局と捜査協力していた。(以下略)





■日本では殺人罪にも25年の時効がある。悔し涙を呑んだ遺族がどれだけいることか。
だから『時効警察』なんてドラマも成立するのだ(^^;;
こういう点はぜひ見直してほしい。

また一般紙が気を使って「元被告」と書いてるのに、共同通信はずばり「容疑者」としてるのもスゴイね。



■また毎日新聞によると、

サイパンの土産物店の男性から東京の出版社に入った連絡によると、元被告は「サイパンは米国領ではないから、身柄拘束はないだろう」と話していたという。
サイパン島は47年に国連信託統治領となったが、86年に米国自治領に移行した。




誰もが怪しいと思っていたロス事件。無罪後はメディアへの露出も増えて、「サンジャポ・ファミリー」などとはしゃいでいた三浦サン。
上の記事の出版社とは、あの高須基仁社長の出版社だ。

しかしサイパン≠アメリカって思い込みで行って捕まるとは、うまいオチがついたもんだ(T▽T)







 東京も雪景色で野宿者が心配
2008年01月23日 (水) | 編集 |
■義母の介護のため、病院に迎えに行く。
先日と違い湯河原は冷たい雨。凍えそうなくらい寒い。
東京や横浜では未明から初雪が降ったが、幸い交通機関の乱れは少しだけだったようだ。

写真は東京・代々木公園(東京新聞より)。

■こんな寒い日は、公園や川岸、路上などで暮らしている野宿者の人々のことが気がかりだ。普通の部屋でもなかなか暖房が効かずに厚着をしてなんとかしのいでいるというのに、日本で3万人近くいるという野宿者の人々は、どんな思いでこの雪景色を眺めているのだろうか。


■家を失った人々が呻吟している一方で、売れ残った高級マンションや空き部屋が多い議員宿舎がある矛盾。
昔同人誌でSFを書いていた頃、未来の難民たちが半ば廃墟と化した都心の高級ホテルや議員宿舎に住み着いたり、路上で行き倒れたりする様子を描写したことがある。当時はまだバブルの余波が続いていた頃で、東京がそんなスラムになるなんてありえないと批判されたものだ。
ところがその後のわずかな歳月で、作り話が現実化してしまった。格差というか、新しい階級社会が生まれることも現実に。
小説では最下層であえぐ人々が、主人公の助けを受けて独自の仕事や文化を生み出していくことになるのだが、今この日本や世界ではどのような方法で貧困を克服していけばよいのだろう。
テレビに映る東京の雪を見ながら、すべての人々がこの冬を無事に乗り切れるよう願わずにはいられない。





 2008年の初めに
2008年01月01日 (火) | 編集 |











世界の平和と貧困の撲滅のために
ブロガーみんなで
今年もがんばりましょう!









 あの人の前世の脳内は?
2007年08月09日 (木) | 編集 |
よく当たると評判の(なぜ当たるのかは不明だが)
「脳内メーカー」の新バージョン
「前世占い」ができたので
さっそくあの方たちを占ってみました_(^^;)ゞ
はたして前世は今生と深くつながっているか。






まずは
民の声を間近にしても
てんで馬耳東風の
安倍首相。


頭の真ん中は「銭」が
占拠。
さすが金持ち優遇。
あとは適当に遊んで
エロも少しね(^^;;









いまや政界一の
腹黒「くの一」
小池防衛相。
チェイニーやライスとの
ご機嫌取り対談で
すっかり大物気取り。

だけど脳内は正直で
この人の本性を
明快に映し出している。
皆のもの
ご用心ご用心…。






芸能界の
元祖「王子さま」。
天性の美貌と美声で
世の婦女子
(腐女子じゃないよ)を
ノックダウン(☆o☆)

還暦を前に
ちょっとお姿は
変化したけれど
さすがジュリー
腐っても鯛(^^;;
前世でも歌手
この世も歌手
来世も
もちろん歌手なのだ。




正式な漢字は聰(あきら)。
偉大なる役者・宇野重吉を
父に持つプレッシャーは?
伝説の歌番組
「ザ・ベストテン」で
大ヒット曲「ルビーの指環」が12週連続1位に。

ほっぺにホクロが2つ。
ジュリーが1つ。
ホクロつながりの(^-^)
現役ミュージシャン。
役者としてもグー。

前世評価は硝子たんに
一任。よろしくぅ(^o^)/







 子猫殺しと死生観 その2
2006年08月28日 (月) | 編集 |
■21世紀、人口爆発によって食糧危機が起こる。
某国では増えすぎた子供たちを減らすために法律が作られた。
それはなんと、くじ引きに当たった子供をロケットに積んで、月の裏側に捨ててしまうという恐るべき法律だった。
そしてその子捨てロケットの船長は「白骨船長」と呼ばれ、母親たちから敵視されていたのだった…。

    手塚治虫『白骨船長』 1957年作品 より



■坂東眞砂子のエッセイ『子猫殺し』を読んで思い出したのが、この『白骨船長』という短編だった。
『白骨船長』の結末は、実は核実験の放射能汚染から子供たちを守るという政府の密命を受けた船長が、月の裏側で子供たちを育てていたというどんでん返しになるのだが、坂東の方はあくまで「死」を解決策に選んでいる。




■彼女に関する批判はたぶんほとんど出尽くしていると思うが、人間の全く介在していない自然と、現在の人間の手が入った自然とを混同して考えているところから様々な矛盾が生まれているのではないだろうか。

<獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ>と言うが、坂東の飼っているジャーマンシェパードはそもそも人間が作り出した犬種であり、ペットとして人と共に生きることを選択した動物はもはや自然の中では生きられない。
それに純血種(血統書つき)を優遇し、雑種の犬猫を冷遇して子も簡単に処分する態度は、優性思想を髣髴させる。
かつてフランスの要人がポリネシア人を指して、「ネズミよりはわれわれに近い」と差別発言をしたことと同一線上にあるのではなかろうか。


また『生と死の実感』では、タヒチの路傍には車に轢かれた動物の死骸が転がっていると書かれているが、これこそ自然ではなく人間の介入が動物を殺している最たる事象ではないのか。
ここでの動物の「死」は自然死ではなく、明らかに人間の手による殺害なのだ。そんな死がなぜ「生」を際立たせ、豊穣性へとつながるのか、私には理解できない。




■さて坂東は今の日本には死の形、すなわち死骸を見ることはほとんどないと言っているが、そうだろうか。
川口敏・著『死物学の観察ノート 身近な哺乳類のプロファイリング』は、主に交通事故で死んだ動物を詳しく観察・解剖した記録である。
著者自身による緻密なイラストが実に素晴らしい。
種類もネズミからイタチ、ウサギ、猫、タヌキと様々だ。


この本によると拾った死骸は圧倒的にタヌキが多く、全国の高速道路で死んだ野生動物の統計文書でも、やはりタヌキが第1位だそうだ。
また動物の生態によって事故に遭いやすい季節や場所が明らかになるので、こうして観察することで具体的な予防措置や保護対策も立てやすくなるという。

このように同じ動物の死骸を前にしても、なぜそれが死に至ったのかという考えがスッポリ抜け落ちた坂東の思考の特異さこそが際立ってくるのだ。




■日本と日本人、または日本的思考から逃れてタヒチに移り住んだ坂東だが、そこはまったき自然の残った、本当の意味での「最後の楽園」だったのだろうか。
タヒチ島を含むフランス領ポリネシアでは、フランスによる核実験が繰り返されてきた。
1966〜99年の間に、大気圏内と地下を合わせて、約200回もの核実験を行っているのだ。まさに楽園の裏面史である。

■ポリネシア人を自分たちと同等には見ていなかったフランスは、核実験や放射能の危険性を島民に知らせないまま実験を強行した。当然がんなどの住民被害が多発したが、フランス側は核実験との因果関係をかたくなに否定し、データも公表しなかった。


その因果関係を認める発表があったのは、つい先日のことだ。
以下、新聞記事を転載する。

  仏国立研究所:がんとムルロワ核実験因果関係認める

【パリ福井聡】フランス国立衛生医学研究所(INSERM)のがん研究者、フローラン・デュバテイア氏は7日までに、フランスが66〜96年に南太平洋の仏領ポリネシアのムルロア環礁周辺で実施した核実験と、地元住民に甲状腺がんが多発したことに「因果関係がある」と発表した。フランスの公的機関が核実験の影響を認めたのは初めてで、今後被害住民による仏政府への補償要求問題に発展するとみられる。

デュバテイア氏は「甲状腺がん患者239例の調査結果から、被照射時の年齢にかかわらず核実験との因果関係は明白だ。
際立った数値の例は10症例に限られているが、これらの症例は(因果関係を)明白に示している」とした上で、仏政府による一層の調査への財政支援と当時現地で核実験に従事した仏軍関係者への調査を要請した。

ポリネシア人に甲状腺がんが多い原因について、仏人研究者はこれまで「病的な肥満」などを挙げていたが、同氏は「そうした他の要因を考慮に入れても、調査結果は際立った数値を示している」と述べている。 毎日新聞 2006年8月7日




『世界のヒバクシャ』には、「タヒチの島を取材していて、奇妙な話を耳にした。魚を食べると中毒になるというのだ。」と記されている。
ポリネシアの人々の主食である魚が、食物連鎖によって毒性を帯びたのだ。
もちろん放射能汚染である。

本の文章はこう続いている。
「タヒチの核実験反対グループに知人の多いラフさんが、興味深い話をしてくれた。島の住民は魚中毒から身を守るため、猫に毒味させている、というのだ。
 タヒチ滞在中、注意して見ていると確かに猫が多い。ホテルでも三匹、レストランの中をいつもうろついていた。民族衣装のウエートレスに『どうしてこんなにたくさん猫を飼っているの』と、それとなく尋ねた。『タヒチアンはみんな猫が好きなのよ』と人なつこい笑顔でかわされた。」



■坂東はタヒチが未だにフランスの植民地であることをどう思っているのだろうか。
尋ねてみたい気がする。
そしてもし私が彼女の立場なら、タヒチの抱えているこの裏面史を広く日本の読者に知らしめたいと強く願ったことだろう。



 子猫殺しと死生観
2006年08月26日 (土) | 編集 |
  

■タヒチと聞いて思い浮かぶのが、画家のポール・ゴーギャン。
彼の絵の中でも、特に圧巻なのが上記の絵だ。
タイトルは「われわれは何処から来たのか、われわれとは何か、われわれは何処にいくのか」。

自由と生の充実を求めてフランスからタヒチにやって来たゴーギャンと同様に、日本を捨ててタヒチに移り住んだある女性作家がいる。
坂東眞砂子―いま彼女のエッセイ『子猫殺し』を巡って、抗議や批判が噴出している。


■20日の「きっこの日記」で、日経新聞に載った坂東のエッセイについてを知った。その後瞬く間に多くのブログや掲示板がこの『子猫殺し』を取り上げ、テレビのワイドショーや毎日、朝日などの大手新聞も大きく書き立てるに至って、全国的な話題となった。

20日の時点で自分のブログにも書くつもりだったが、連日の忙しさに取材も重なって、結局ずるずると書きそびれてしまった。


■で、今さら感がある中、私が感じたことを簡単に記してみたい。

まずどうにも理解不能なのが、彼女の思考回路の整合性のなさである。

坂東によれば、日本という現代都市は「死」を隠蔽排除しているがゆえに「生」の充実もない。また個人の自由も犠牲にされている。だからこうした社会には精神的に住み続けられなくなってタヒチに来た。そしてタヒチで暮らす8年の歳月の中で、人と動物双方を含めた「生」と「死」について深く考えるようになった。その線上で生まれたのが、今回話題になった一連のエッセイであり、つまりは生きる意味を見失っている日本人へのメッセージであるという。


なるほど、上記の内容を読む限りは、ごくまっとうな意見である。
私の方も、昨日の取材相手である湘南長寿園病院院長・松川フレディ氏に日本における死のタブー視について話題を振ったくらいだから、考え方としては納得できる。


しかし。


問題になったエッセイの内容を要約してみると―。


『子猫殺し』 日経新聞夕刊コラム「プロムナード」8月18日 赤字は原文のまま。

糾弾や罵倒を承知の上で書くが、私は子猫を殺している。
そしてこの子猫殺しは、深く考えた上での行為なのだ。
私は雌猫を3匹飼っている(話の様子では野良猫らしい)。
私は避妊手術に異は唱えない。
だが獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。
その生を人間の勝手で奪ってよいのか。
避妊で子種を殺すことと生まれた子猫を殺すことは同じであり、よしあしの問題ではない。
獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ。
人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。
生まれた子を殺す権利もない。

しかし飼う以上は社会的責任を果たすため、私は子猫が生れ落ちるたびに崖から放り投げて殺しているのだ。

           *

このように要約するといくぶんスッキリ読めるが、論旨は最後まで破綻している。
異を唱えないと言いつつ明らかに異を唱え、殺す権利はないと言いつついとも簡単に殺しているからだ。
思わず、頭の中大丈夫?と問い質したくなる。
しかしながら内容の是非以前に、この人の文章のヘタさ加減にうんざりしてしまう。これが賞まで取ったというプロの作家の文章なのだろうか。



『天の邪鬼タマ』 日経新聞夕刊コラム「プロムナード」7月27日

私は犬も3頭飼っている。
ジャーマンシェパードのミツ(♀)とクマ(♂)、それにミツの娘タマ(雑種)だ。ミツとクマには犬小屋があるが、雑種のタマは放し飼いにしている。
この母娘が同時に子犬を産み、犬も私もどちらの子か混乱するうちに、子犬たちは死んでしまった。
再び母娘は同時に出産し、私は娘のタマの子を「始末」した。
やがてタマはミツの犬小屋を占領するようになった。
タマはミツになりたいのだ。ミツならば、子供がいなくなることもない。立派な犬小屋だってある。犬なりにそれを悟ったのだろう。
日本のお伽話に「瓜子姫」という、美しい瓜子姫をうらやんだ天の邪鬼が姫に成り代わる話があるが、タマはまさしくミツ(瓜子姫)に憧れて成り代わった天の邪鬼なのだ。
人間の社会にもこの天の邪鬼心理がはびこっている。
しかし、天の邪鬼は、瓜子姫ではない。衣装や地位の中にもぐりこんでも、中身が違う。そこで、天の邪鬼の個人性、オリジナリティーが圧殺される。
「右にならえ」のファッションの傾向、「後釜に座る」習慣、モノマネ大会やカラオケの流行など、この会社は、天の邪鬼心理に流されやすい。これを人は文化と呼ぶが、実は犬並みの本能からくる習性に過ぎないのではないか。


           *

ようするに坂東が言いたかったのは、後半の天の邪鬼云々という日本社会批判なのだが、そもそも犬と人間社会を同一に比較論じるのに無理がある。
犬のタマの場合は、雑種というだけで犬小屋はもらえないは子供は始末されるはのいじめを受けながらも、飼い主の愛情をもらいたいと健気に生きているだけなのに、不当に偽物扱いされているのだから。
ブランド好きな天の邪鬼はむしろ坂東の方だろう。
というか、こんな陳腐でヘタレな社会批評は、はじめっから犬も食わんワ。



『生と死の実感』 日経新聞夕刊コラム「プロムナード」7月7日 前半しか入手できず

ドライブの楽しみは、鶏の死骸を発見することだ。死骸が新鮮なら食用にできるからだ。
タヒチの路上には車にはねられた鶏や犬猫、ネズミの死骸がよく転がっている。家の中や庭先にも死骸があるので、今は平気で茂みに放り投げている。

        *

つくずく、なんでも放り投げるのが好きな人だなと感心する。
生きていようが死んでいようがお構いなしだ。
文明社会である日本はこうした動物の死骸にお目にかかれない。
タヒチのあり方のほうが自然なのだ。
って、バカ言ってるんじゃないヨ。
地球上で人間の手の加わっていない自然などもうほとんどないに等しいのに、自然とか文化とかの定義すら不確かな坂東は、支離滅裂な論を展開する。


この「ポイ捨て」については、毎日新聞にも『ゴミのない世界』(04年3月29日)というタイトルで書いている。

つまり、野菜くずでも魚の内臓でもネズミの死体でも茂みに投げ捨てておけば、腐って自然に戻っていく、と。
ある日、ふと思った。自然のサイクルには、ゴミなんかないのだな、と。
そこから自然と切り離された都会生活の中でゴミという概念ができて、人もまたゴミと見る考え方も生まれた等と、またしても文明批判が綴られていく。
ゴミという概念のない昔の村社会には(ほんとかぁ?)浮浪者などいなかったそうだ。そして村社会の役に立たない、もしくは害を与える者は殺された。(もう一度、ほんとかい?)
そしてタヒチの人たちには未だにゴミという概念がないので、缶詰やビニール袋といった人工物もこれまでと同様、ポイ捨てしているのだ。

      *

なんだかなあ…という内容で、生きた子猫をポイ捨てすることも、坂東自身にゴミ概念がないゆえの行為なのか?
茂み(自然)へポイ捨てすれば、自然のリサイクルで死骸は土に還るというわけだが、それが許されるのはあくまで死骸の廃棄の場合であろう。というより、坂東の言ってることはただの詭弁にしか聞こえない。



             その2に続く      


 日本の地球幸福度指標は95位
2006年07月29日 (土) | 編集 |
これって、もしや人間ではなく地球の幸福度のことかも?


   


  地球上で最も幸せな国はバヌアツ 英シンクタンク公表

 地球上で最も幸せな国は、人口20万人で経済活動も小規模な南太平洋の島国バヌアツ共和国――。英国の独立系シンクタンクが12日公表した「地球幸福度指標」で、このような結果が出た。先進国は軒並み順位が下で、日本は対象178カ国中95位、英国108位、米国150位などとなっている。(06年7月13日 朝日新聞)



■バヌアツはオーストラリアの東に位置する、83の島からなる国だ。
ちょうど新潟県の大きさと同じとか。
またバヌアツのご先祖と日本のご先祖はどうやら同じ系統らしく、日本の縄文式土器の欠片がバヌアツでも発見されたらしい。
首都のポートビラを少し離れると素朴な村々が続き、村長を中心に古くからのしきたりと文化を守りながら自給自足の生活を送っている。
人々は朗らかで、よく笑いよくしゃべる。バンジージャンプの発祥地でもあるのだ。
地理的にも似通っていて、なかなかに親近感が沸く小国である。

上記の調査の結果を見ると、バヌアツについで2位がコロンビア、以下コスタリカ、ドミニカ、パナマ、キューバ、ホンジュラス、グアテマラ、エルサルバドル、セントビンセント及びグレナディーン諸島となっている。なぜに中南米ばかり?

グッと下がって31位が中国。イタリアが66位で、ドイツは81位、日本95位、イギリス108位、フランス129位。げげ? アメリカが150位で、ロシアは172位、そして最下位がジンバブエだ。
日本が英仏米より幸福度が高いってことにもちょっと疑問を感じる。


■時事通信の違う記事を見ると、国内総生産(GDP)などの経済統計でなく、各国の平均寿命や消費レベル、生活の満足度などを調査して指数化し、ランクを付けた」と書いてある。

また「地球幸福度指標 the Happy Planet Index」とは、「人間の幸福 human well-being」と「生態学的効率 ecological efficiency」との関係を表す尺度と書いているサイトもある。


■以上のことから考えると、どうやらバヌアツは人間にとって最も幸福な国というよりも、バヌアツ自体が地球上で最も幸福な地域、言い換えれば自然と人間とが最もバランスよく共存している、地球にとって幸福な関係といえる場所ということではないだろうか。

地球の側から見て星5つがバヌアツ、星2つが日本、星1つがロシアってとこか。
こうした指標ならわからなくはない。
自然を敵と見なし常に征服してきたヨーロッパと比べ、日本は古来から自然と上手に共存してきた。それも最近はかなり怪しくなってきたが、それでもかろうじて欧米よりはまだましである。



そしてバヌアツ。
日本人とルーツを同じくするこの国は、日本が捨ててしまった過去であり、同時に再び取り戻さなければならない未来でもあるのだ。




 この国の行政は死者が出ないと動かない
2006年07月26日 (水) | 編集 |

■と言ったのは、かつてPTA会長をしていたある市議会議員である。

小学校のすぐそばの無人踏切は、ちょっとした小さな事故が絶えなかった。かねてからその危険性を多くの住民が訴えていたにもかかわらず、市の行政はなかなか腰を上げてくれない。PTA会議でも改めてこの問題を話し合ったのだが、その時会長がぼそりと、上記の言葉をつぶやいた。

以来、道幅の狭い道路をはじめ様々な危険箇所を目にするたびに、この言葉が耳元で聞こえるようになった。
もうずいぶん昔のことだ。



■秋田市の福祉事務所前の駐車場で24日、37歳の男性が自ら命を絶った。彼は睡眠障害のため5年も定職に就けず、車上生活を2年間続けていた。治療を受けて仕事をしたい、そして自分の部屋で寝たいと望んでいた彼は、しかしながら生活保護の申請を2度却下された。
友人には「おれみたいな人間はいっぱいいる。おれの犠牲で福祉が良くなってほしい」と話していたという。

彼は国民健康保険証を持っていなかった。
相談を受けていた市民団体「秋田生活と健康を守る会」と「秋田生存権裁判を支える会」は抗議声明を発表。
しかし市は生活保護の却下は適正だったとしている。


■もはや人間の覚悟の死すら行政を動かさない、そんな時代の中に日本は足を踏み入れてしまったのか。


絵は、キリコの「街の神秘と不安」。



 ポチのおやじギャグに日本沈没
2006年07月25日 (火) | 編集 |

課長クラスの宴会芸ならいい。
だけどアンタは一国の首相だよ!



■昨日24日の毎日新聞から転記

小泉首相:テディベア…英語で
ジョーク大うけ? サミット


 小泉純一郎首相がロシアのサンクトペテルブルクで行われた主要国首脳会議(サミット)で、居並ぶ首脳の前で意表を突く“ジョーク”を英語で口にし、首脳らの笑いを誘っていたことが分かった。24日発売の米誌ニューズウィークが伝えた。

 同誌によると、会議でドイツのメルケル首相が珍種の野生のクマ(英語で「ベア」)が最近同国で射殺された話を披露したところ、首相は突然「テディベア(ぬいぐるみのクマ)」と言い出した。

 さらに首相は「われわれは批判を『ベア(耐える)』しなければいけない」「アンベアラブル(耐えられない)」と語ったという。

 同誌は首相が知っている英語の語彙(ごい)の中で「ベア」のような言葉を全部並べたのだろう、と推測している。(ニューヨーク共同)




■写真は、うちの宿のテディベア。
クリスマスのサンタの衣装の「伊東クマ太郎」。