激動する社会の波におぼれずに、自分の頭で考え 行動しようじゃないの。 命令されるのなんか 大嫌い。「群れない、媚びない、とんでもない」の猫の精神でがんばっていきまっしょい。
 友へ
2015年12月06日 (日) | 編集 |




雨の国会議事堂前 2015年9月17日




 年齢を経て、世の中のしくみを知れば知るほど憂いもまた深くなる。
この社会を覆う数々の理不尽と閉塞感に押しつぶされそうになっているあなたに
この詩を届けたい。
今から8年前の8月18日に、当ブログに記した同じ詩を。
あれから何が変わり、何が変わらなかったのかを、思い出すために。










       唄    
 
                ニコライ・ミンスキー (19世紀ロシアの詩人)



   わたしは夜更けに言った、
   全世界は―― 一つの牢獄、
   そこでは独房に
   魂がとじこめられている。

   蒼ざめた囚人が悩み
   彼と並んで――さらに他の者、
   彼等の苦悩は痕をのこさず、
   やすらぎに歓びはない。

   ある者は狂気にたおれ、
   他の者は憂愁がむしばむ、
   だが 愛しうる者もいて、
   愛する者は唄をうたう。

   夜の倦怠の中で
   わたしはうたい得る者、
   自由なく、光なくとも
   その胸に唄の みのる者だ。

   おおわが遙かなる友よ、知れ、
   もしわが唄をきいたなら、
   それはわたし――孤独な囚人が
   囚人たちの為にうたっているのだ。


             (中島とみ子・訳)





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 疲れたときの対処法?
2011年10月28日 (金) | 編集 |

■う~ん、なんか精神的に疲れてしまった。
今月は休みなしだし…
といって、特に仕事が忙しいってわけでもないので、逆に疲れるわけで。
こんなときは気晴らしに、荒涼とした風景写真でも眺めるか…(^。^;)
お、ちょっと元気が出てきたかな。







ウィンドリバー山脈、ワイオミング州
Photograph by Jack Dykinga, National Geographic




白茶けた岩のそばに、曲がりくねった太い樹の幹が、ぽつんと一本立っていた。
申し訳程度に葉をつけた干からびた枝を、宙に向かってうめくように伸ばしている。
羽を生やした少年が、その樹の前で私に向かって手招きをした。
少年の右肩には白い羽が、左肩には黒い羽が生えていた。
「水をください」
息を切らせて、私は頼んだ。
「お願いです。喉が乾いて死にそうです」
少年は無言のまま、両手を前に突き出した。
右の手のひらには黒い水の入った木の椀が
左の手のひらには白い水の入った木の椀が乗っていた。
どうでもよかった、喉の乾きさえ癒されるものなら…。
天使だろうと悪魔だろうと、絶え間なく照りつけるこの太陽から逃れられるものなら…。
私は、白い水に口をつけた。

 
     ずっと昔に書いたファンタジー『海の回廊』より。







 原発事故の悪夢は小説世界を超えた
2011年04月04日 (月) | 編集 |


 地球は、大気も、大地も、水もすべて汚染された。
 地球を、人類は捨てた。自ら自然の摂理を破壊し死に追いやった地球を、人類は見捨てた。
 だが、置き去りにされたのは、地球だけではなかった。人類は、その一部が、他の大部分を置き去りにした。同じ人間でありながら、新しい世界をめざして旅立ったのは、そのごく一部にすぎなかった。
 選別は、密かに進められた。貧しい者、病気にかかっている者、思想的に危険とみなされる者を、真っ先にコンピュータがはじき出した。
 かつてない人類の大移動が、流血の中で開始された。おびただしい犠牲者が出た。選ばれなかった人々は、怒りと絶望と涙とともに、闇のかなたへ葬り去られた。
 そして、人類は旅立った。スペース・コロニーという新天地へ。そこは新世界「パラダイス」と呼ばれた。
 人類は、この新世界で、まったく新しい歴史を創り出そうと決意していた。いまだかつて実現したことのない理想の世界を、今度こそ創り出そうと…。
 だが、その理想の実現のために、あまりにも多くの人々が命を失い、かろうじて生き延びた者たちも、地球とともに希望のない日々を生きていかねばならなかった。
 地球は、旧世界「ピット」と呼ばれた。ピットとは墓穴、または地獄を意味する。










■これは今から25年近くも前に、私が同人誌に載せるために書いた文章だ。 
ちょうどその頃、ある小説の同人に加わり、その後数人の仲間と新しい同人誌を創った。
ほんとうの趣味というか、遊びで書いていたわけだが、私は同じテーマのディストピア
物語を、異なった視点からのバージョンでいくつか文章にした。
上のは『パラダイス』というタイトルのSF小説のプロローグで、ごく最初の部分。
実際には30年程前にノートに書き綴ったものなので、今読み返すと恥ずかしいくらい
へたくそな文章だ(^^; 
今回の大災害と原発事故で、フッとこの古い自分の文章が頭に浮かんだ。


■地球を捨てざるを得なくなったほどの汚染とは、この当時は、核実験とイギリスの
ウインズケール(現在の名前はセラフィールド)核工場事故などの深刻な放射能汚染が頭に
あった。

簡単に解説すると…
スペース・コロニーに建設した新しい地球「パラダイス」に暮らす人間は「パーソン」と
自称し、汚染された旧地球に取り残された人々は「ボディ」と呼ばれた。
恐ろしいほどの差別的な棄民政策なのだが、罪の意識に悩むパーソンたちは、志願者を
募って、ボディたちの生活支援のために、半ば強制的にピットへ送り込んだ。
それが通称「ドクター」と「ポリス」の2つの役職である。
またピットのボディたちも3つのタイプに分けられている。
「クリーンボディ」…まだ汚染によって発病していない健康体。
「ダーティボディ」…発病した汚染体。
「サイレントボディ」…死者。

【ドクターはダーティボディのケアを担当し、彼らが死んでサイレントボディになると、それをポリスに報告する。ポリスはクリーンボディの日常生活の指導と統制を担当するとともに、ドクターから報告を受けたサイレントボディを回収する、というのがその主な任務の内容だった。】

さらにドクターをアシストするために「ヘルパー」と呼ばれるアンドロイド型ロボットが
一方ポリスには、「ガード」と呼ばれるロボットが配されていた。
なんか現在の介護ロボットを髣髴させるようで笑ってしまうが、未来の地球にはさまざまな
ロボットが送り込まれて、さながらロボットの展示場のような様相を呈しているというわけだ。
また書いた当時は、パソコンはおろか携帯電話までまだ出てなかったが、ドクターは超小型
多機能コンピュータ「ミラクルフォン」を、ポリスは「ギガフォン」を携帯していると想定した。
ミラクルフォンなんて安直なネーミングだなと思っていたら、最近はスマートフォンなるものも
出たので、それほどひどいセンスでもなかったなと、妙なところで安堵した(^_^;)


■それからしばらくたって、今から16年前に同じテーマで書いたものも、ついでに掲載する。
タイトルは『スプリング・エフェメラル』。ここでは明確にチェルノブイリ事故を意識した。
ほんとうはこの後も何本か構想していたのだが、同人誌を作るのにお金はかかるし、私の小説
の内容自体もあまりに冷酷かつ残酷すぎると批判が噴出して、この時点で筆を折った。

というわけで、第1章のほんのさわりの部分だけ…。ちょっと長いけど_(^^;)ゞ











 「冬眠(トーパー)」解除の陰気なブザー音が、一向に鳴り終える気配もなく、低く細く続いている。こんな場合P・K・ディックなら、「異様にずきずきする頭をかかえて、バーニィ・メイヤスンは目をさました。そこは見なれぬ集合住宅ビルの見なれぬ一室だった」などと書き始めるところだろうが、この時の私もまさに2週間ぶりに、ディック流の唐突な眠りから目覚めたのだった。
 まだ靄(もや)が薄く張りついたようにぼんやりした意識のまま、「冬眠」ルームの低い天井に視線を移動する。次第に明るさを増していく照明が、いくぶん煤けたようなクリーム色の壁に点在する小さなしみの一つ一つを、鮮やかに浮き上がらしていった。
 血液のドクドクという流れがこめかみに伝わってくる。人は、そう簡単には死ねないものらしい。特に変哲のないごく平凡な目覚めにいささかの失望を覚えながらも、サーヴィス・ロボットから手渡された紙コップ入りの熱い野菜スープを一口すすると、腹立たしいほどの安堵感が、私の全身を透明な膜のように包み込んだ。
 じきにカプセルベッドの周囲が、起きだしてくる人々の動きや会話でざわざわと騒がしくなった。その騒がしさはかなり無秩序ではあったが、どことなく活気を欠いたざわめきでもあった。
 1時間後には、私たちはたいして大きくもない手荷物をかかえて、巡航スペースシップ「ピトスⅣ号」から月基地の一角にあるターミナルドームに移り、各目的地行きのルナ・フェリーを待っていた。総勢約60名。この他にも100体近くのロボットたちが同乗する。
 同じスペースシップの1等キャビンに乗っていた連中(互いに顔は知らないが、30名前後だと思う)は、一足早く「ピット」と呼ばれる旧地球(ガイア)に到着ずみのはずであった。彼らは人工冬眠など必要としない。もちろん長期にわたる航行にはすべて冷凍睡眠(コールド・スリープ)が用いられるが、金銭的な余裕のある者にとって、半月程度の旅はむしろ楽しむために存在するといってよい。冬眠(トーパー)は、食費と部屋代をギリギリまで節約する窮余の方策なのだ。たとえば私のような中下層クラスの短期旅行者や、ボランティアの名目でピット各地へ強制派遣される新人のドクターやポリスたちのような者のための。
 後発メンバーの60名の中に、かつてハイスクールで共に学び合った仲でありながら、今では敏腕ジャーナリストとして人気の高い、『リベルタス』紙の谷内哲郎の姿が当然あるはずのないことを目で確認しつつも、私は一種表現しがたい虚無感におそわれていた。
『リベルタス』紙のような一流どころの記者たちは、すでにピットに渡っている。谷内の名もその中にあった。私があえて今回の派遣取材を承諾した理由の一つに、谷内と同行できるというかすかな期待があったことを正直に認めざるを得ない。だが淡い恋心を抱いたこともある過ぎ去った青春時代の旧友とはいえ、私たちの間には、もはや越えることのできない高い壁があった。売れっ子ジャーナリストと、三流誌の名もない臨時雇いライターという…。私の中には、彼に再会できる密かな喜びと同時に、打ち消しがたい大きな恐れも同居していたのである。
 そうした自らの迷いを覆い隠すかのように、私はターミナルドームの外の風景を凝視し続けた。発進を待っている数機のルナ・フェリーの向こう側で、新たな巨大ドームが建造されている最中だった。何ができ上がるのだろうか。この月基地は、私が以前想像していたよりも、はるかに大規模な開発が行われていた。

 私が7名の同乗者と9体のロボットと共に東京スペースポートへ降り立った頃には、あたりはすっかり暮れなずみ、11月の乾いた埃っぽい風が容赦なく目に飛び込んできた。私たちはあわてて用意したアイグラスをかけ、鼻と口を手で覆った。ピットを訪れる者は全員が、紫外線防止と癌予防のための免疫強化カプセル薬を皮膚内に埋め込むことを義務づけられてはいるものの、さすがにみんな緊張の色を隠せない。
 今をさかのぼること1世紀以上も前、ここピットの北方に位置するロシア・エリアのチェルノブイリ原発4号炉で核爆発事故が起きて以来、フランス、北アメリカ、そして再びロシアと、小規模ながら世界各地で放射能放出事故が多発し、日本でも時代の要請に取り残された形の高速増殖炉や再処理工場の相次ぐ故障で、最悪の放射性毒物プルトニウムが飛散した過去があった。
 プルトニウムの半減期は2万4000年である。現在でもプルトニウム239や240といった放射性物質の微粒子(ホットパーティクル)が、あらゆる土壌の中に点在し、風に乗って舞い上がり、呼吸を通して肺の中に入り込む危険性は十分あったのである。それだけではない。ドラム缶等に入れて処分済みの大量の放射性廃棄物も、地下水や地震などの影響を受けて、じわじわと長期にわたって漏れ続けており、新たな汚染を引き起こしていた。
 
 寒気が足元から昇ってくる。そのまま5分ほど待ったあとで、3台のソーラーカーが迎えにやって来た。1台目には、2名の新人ドクターと2体の医療用ヘルパー・ロボット、それにワークと呼ばれる用途別の形をした作業ロボットが1体乗り込んだ。2台目には、3名の新人ポリスと4体の警護用ガード・ロボット、2体のワーク。そして最後の車に、私たち3名の報道記者(ぽつんと取り残された格好になったので、互いに同業者であることがわかった)が乗り込んだ。3台の車はなめらかに発進すると、それぞれ別の方角に向かって走り出した。
「旅はいかがでしたか?」
 男女どちらともとれるような特徴に乏しい音声で、車が話しかけた。正確にいえば、車に内蔵されたコンピュータが、であるが…。ようするに三流どころの迎客用に、人手どころかロボットの手間さえ省くため、自動運転に切り替えた車を差し向けたというわけだ。












■実はこのあとの本文内で、関東地方の大地震と原発事故の描写を予定していたが、
さすがにこれは不吉すぎると思って、フランスの原発事故に書き換えたという経緯が
ある(ノ_-;) サルコジさん、ごめん。

【広範囲にわたる地域の人々もまた住み慣れた土地を追われ、子々孫々に至るまで痛ましい放射線障害に苦しまなければならなかったのである。
 石油文明による急激な環境破壊によって、それ以前まででも十分に疲弊していた地球は、新たな化学物質や遺伝子組み換え実験、そして原発事故によるほぼ全域の放射能汚染などで自然本来の生態系を狂わされ、もはや末期的な症状を呈していた。加えてエイズ以上の強力な感染症の登場である。世界規模で高まりつつあったエコロジー運動も、恐ろしい勢いで加速する汚染や破壊を食い止めることはできなかった。
 結局人類は、生き延びるために宇宙への移住を選択した。だがその選択と実行がどのようになされたのか、私たちは知らない。歴史としての記述がないからである。ただ事実として、一部の優秀な人類(パーソン)が新地球(テラ)へ移住し、残された人々(ボディ)が今もなお旧地球(ガイア)で細々と生き永らえている、と学んだだけだった。日常的には、新地球のことを「パラダイス」と呼ぶのに対して、旧地球は「ピット」と蔑称される。ピットには、地獄とかゴミ捨て場という意味があるのだ。】


■自分が過去に書いた小説とはいえ、ため息がでるほど暗い内容だわ(-"-;)
これでは嫌がられるはずだ。
しかし、実際の自分自身が同じような世界に生きる羽目になろうとは…。
小説の結末は? ううう、怖くて言えんわ。
でも巡航スペースシップの名前の「ピトス」というのがパンドラがあけた甕(かめ)
(本来は箱ではなく、甕)の名前でもあるように、今回の大災害も、日本や世界の
英知と努力を合わせれば、必ずや希望を見出せると思う。そう思いたい。








 かつて心を震わした詩を再読してみた
2010年09月09日 (木) | 編集 |

■鈴木宗男氏の突然の実刑確定やら、民意や世論だと相変わらず反小沢
キャンペーンに余念がないメディアの浅ましさに、心が重く沈んでいく。
(;-_-) =3 フゥ。


■そんな折、古~いドキュメントの中に残っていた1篇の詩を見つけた。
詩人・村野四郎の『枯草のなかで』という詩である。
私がまだ高校生のとき、学校の図書館で読んだこの詩に激しく心を揺さぶられた。
どこか私の書く文体にも似ている…。
いわば私の魂の原点のような詩でもある。
無限大の孤独と不安、そして硬質な静謐さ――。
まるで稲妻の閃光ように、若い日の私の魂を貫いた詩を再読してみた。
少しでもあの頃のリリシズムを感じたくて…(^^;
(なお太字部分は、原文では「、」で強調されている)






    枯草のなかで     村野四郎



 大方 草もかれたので
 野のみちが はっきり見えてきた
 このみちは もう少し先まで続き
 崖の上で消滅している
 ――墜落が ぬくてのように待ちうけている 明るい空間
 その向こうには もう何も無い
 永遠が 雲の形をしてうかんでいる


 ぼくには まだ解らない
 暗い一つの事がある
 それを考えてみなければならない
 ぼくは このやさしく枯れいそぐ草たちの上に
 身をなげだす
 身元不明の屍体のように


 まだ いくぶんの温もりはあるようだ
 晩秋の黄ろい陽ざしの中にも――
 眼をつむる…
 すると このどさりとした孤独な臓物の上へ
 非常にしばしば 永遠が
 つめたい影をおとしていく









 いつまで続くこの暑さ 
2010年08月25日 (水) | 編集 |



ロシアを訪れているアイルランド出身のロックバンド「U2」のボノは
24日、黒海沿岸のソチにある公邸でメドベージェフ大統領と歓談した。
写真はリアノーボスチ通信より。

大のロック好きのメドちゃん(左)もうれしそう。
このあとU2は雨の中、モスクワでコンサートを開いた。
そういえばその昔、私もU2の音楽のイメージにインスパイアされて
散文詩などを書いたものだった。懐かしいなあ。





■しかし、いったいいつまで続くんだろう、この暑さは
暑いといえば、かつて趣味の同人誌にこんな文章を書いたっけ…。



       


 その年の夏は格別に長く、異常ともいえる暑い日々が続いた。
 街は乾ききった大地から立ち昇る熱気で常にゆらめいて見え、重い湿気を含んだ熱風が高層ビルの谷間を渦を巻いて通り抜けた。頭上には無慈悲なほどに明るくきらめく太陽が鎮座し、容赦ない熱線を地上の隅々にまで降り注いでいた。
 いまだに居住可能なビルのうち、エア・コンディショナーが正常に作動するものは4分の1にも満たなかったから、大部分の住人が苦しい生活を余儀なくされた。日没後も気温は下がる気配すら見せず、そよとも風の動かない日には、息をするたびに、まるで肺の中に燃えたぎる炎のかたまりを飲み込むようだった。
 シベリアでさえ熱波が襲い、ここ東京もまた、3か月近くも日中は室内温度で40度以上という高温が居座っていた。人々はただ悲痛な祈りのつぶやきを口にして、耐えるよりほかに為すすべもなかった。
 連日のように大量の病人や死者が出た。警視総監のヴィアール大佐は非常事態宣言を発し、各配給所を臨時の救護所として24時間住民に開放したが、それでも路上に倒れたまま息を引き取る者があとを絶たず、ドクターやポリスの出動回数も日を追って増えるばかりで、その疲労もすでに限界に達していた。
 しかし、9月も下旬になるとさすがの酷暑もようやく峠を越し、涼しい風を肌に感じるようになった。
 そして10月。
いままでの異常高温の反動でもあるかのように、早々と木枯らしが吹き始めた――。

                  「影の虜囚」より (1990年)


       




■SFものというのは、単に想像で描いた社会が、案外現実となって現れることが
多いのでなかなか侮りがたい。
日本が格差社会になって東京もスラム化し、介護ロボットが老人や病人の介護に
あたるとか、貧しい人々が臓器提供者になるとか…。
こうなってほしくないと思いながら書いたことが、次々現実化していくのは恐ろしい。
せめてこの酷暑だけでも解消してほしいものだが、そうか、9月下旬まで暑いのか。
がっくり…







 日々に倦んで夢は宇宙をかけめぐる
2010年06月16日 (水) | 編集 |



6月14日、宇宙航空研究開発機構は、
小惑星「イトカワ」への往復7年間の旅を終えた
探査機「はやぶさ」のカプセルが地球に帰還したと発表。
写真は13日、大気圏に突入した「はやぶさ」の光跡。
和歌山大宇宙教育研究所提供(2010年 ロイター)







宇宙航空研究開発機構(JAXA)は6月11日、
世界初の宇宙ヨット・ソーラーセイル「イカロス」が
帆の展開に成功したと発表した。
ソーラーセイルとは、超薄膜の帆を広げ
太陽光圧を受けて進む宇宙船のことだ。

またJAXAは本日16日
イカロスが本体から分離カメラを放出し、そのカメラを使って
帆を開いた自分自身の撮影に成功したと発表した。






■まるで財務官僚に操られるかのように金持ち優先の増税路線に舵を切った菅政権。
まずは参院選での勝利をと思いつつ、心は晴れない
そんなときは広大な宇宙に想いをはせて、ちょっとでもリフレッシュしなくちゃ。

その昔、芭蕉が「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る(たびにやんで ゆめはかれのを かけめぐる)」
と詠んだように、うんざりするような日常に押しつぶされそうになったときは、宇宙に夢を
めぐらせよう(^^)


■というわけで、もう20年近く前に書いた古~い詩など。
あの当時はまだ宇宙ヨットはSFの中だけの想像物に過ぎなかった。
時代は確実に夢に近づいているんだなと、わくわくしてしまう。
私の以下の詩では、「月」にかけて、ソーラーセイルを「ムーンセイル」にしてある。
さて、さいごの部分の元歌は誰のでしょう~か?






       月もかなひぬ



  頭上でまたたくのは 張りぼてチックなハーフムーン
  いつだってシャイでズボラなあなたは
  砂ネズミをきどって キッチンの隅っこで死んだふり

  (今夜はいい気分だ)

  天井に貼ったポスターの彼女の唇を彩るビビッドな濡れた赤
  曰く『聡明な女は、退屈の意味を知らない』
  わたしはといえば、かみ殺したあくびが12回

  (そんなもんだ)

  YMOを聴きながら たまりにたまった手紙をしたためる
  「こんにちはお変わりありませんかではさようなら」
  130通目にしてインク切れ
  カーテンを開けて星空を仰ぎ見れば はや月は満月

  (これを倍速モードの早業という)

  あなたはかさこそと起きだして
  お疲れさままあ一杯どうですとグラスをかざす
  わたしモスコーミュール あなた吟醸ツキノワグマ
  おつまみにサカモトのメロディー

  (無着色・無味無臭)

  夜も更けて 怪物異星人魔女あまたひしめきあう頃
  しずしずと近づいてくるは 92年型中古廃棄物寸前ムーンセイル宇宙船
  さあお嬢さん足もとに気をつけないとすっころびますぜとあなたのエスコート
  ガタピシのコックピットに身を寄せあって
  めざすは森羅万象のはて 星々の向こう側

  (いざ!)

  にぎやかに旅立ちせむと船待てば
  月もかなひぬ
  今は漕ぎ出でな











  

 JAXAのサイトより。
http://www.jspec.jaxa.jp/activity/ikaros.html
 








 去り行く夏に
2007年08月31日 (金) | 編集 |






Summer  Time




みんなが帰ったあとの
ガランとした教会のベンチで
うたたねしていた君
笑いをかみ殺して近づいて
絵筆の先で そっと くすぐる
びっくりしてはね起きた 君の顔
けっさくだね
壁に描かれた聖者たちも あくびしそうな
けだるい夏の日の昼さがり



アイスクリームをなめながら
公園へ続く坂道を
おりてきた君
スケッチ帰りのぼくを見かけて
おどけたしぐさで 投げキッス
照れ笑いでごまかした ぼくの顔
けっさくだね
道端の小さな草さえ いとおしい
明るい夏の日の昼さがり









 夏の暑さのあとには秋の涼風が
2007年08月18日 (土) | 編集 |
  
神奈川県・真鶴半島の南端に位置する三ツ石を望む



■雨の一降り二降りで久しぶりの涼風を感じた今日。
息苦しいほどの灼熱の日々にもいつかはピリオドが打たれるのだと、ごく当たり前の自然の移り変わりにさえ、少なからぬ感動を覚える。

ひとの人生など、10のうち1つか2つの喜びがあれば、それで十分満ち足りたものなのかもしれない。ほんの一陣の涼風に心癒されるように。

そしてそんな人生を吹き抜けるやさしい風のように、幾篇の詩もまた、私の心を支えてくれる。









     
   唄 
   
 
              ニコライ・ミンスキー (19世紀ロシアの詩人)



わたしは夜更けに言った、
全世界は―― 一つの牢獄、
そこでは独房に
魂がとじこめられている。

蒼ざめた囚人が悩み
彼と並んで――さらに他の者、
彼等の苦悩は痕をのこさず、
やすらぎに歓びはない。

ある者は狂気にたおれ、
他の者は憂愁がむしばむ、
だが 愛しうる者もいて、
愛する者は唄をうたう。

夜の倦怠の中で
わたしはうたい得る者、
自由なく、光なくとも
その胸に唄のみのる者だ。

おおわが遙かなる友よ、知れ、
もしわが唄をきいたなら、
それはわたし――孤独な囚人が
囚人たちの為にうたっているのだ。


          (中島とみ子・訳)






 YOU・う・つ・な時代
2007年08月07日 (火) | 編集 |
■「週刊朝日」の連載コラム「テレビガイド液晶未満」。
心理学者の小倉千加子さんは8月10日号のその欄で<「うつ」語るNPOの自信が恐い>と題して、30代のうつを特集したNHKの討論番組に書いている。

30代という年代はちょうど大人への過度期にあたり、仕事への自負心と真面目さゆえに最もうつ病にかかりやすいそうだ。
番組に事前に届いたメールも4割が30代からで、しかしながら番組のコメンテーターも司会者も職場の現状やうつ病そのものの認識に薄い人ばかりだったと、小倉さんは指摘する。
さらに精神科医はスタジオに集まった人々を何らかのカテゴリーに分類し、職場復帰のプログラムを教えるNPO法人代表は職場ではこうあるべきと話し、それらは実際のうつ病の人々の実存の前ではひどく空疎なものに聞こえたと辛らつに述べている。


■今や多くの人々が悩み苦しんでいるとされるうつ病。
だが病名だけが先行して、肝心のうつ病自体の正しい認識がまだまだなされていないのが実情だ。
…と、かつてこの病気で呻吟していた私は思う。

そんな過去に書いた詩をひとつ。
今読むと、過剰な単語の羅列とぎくしゃくした文体で、これはひどいなと苦笑いする代物だが。
過剰といえば、数年前にインタビューした詩人のねじめ正一氏の昔の詩を「言葉が過剰に思えますが」と評したことがある。
大人のねじめ氏は、「ああ、そうかもしれませんね」とうなずいてくれたけれど。
今度は私自身に対して「過剰」という言葉を返すことにしよう。
過剰さは、自己防衛の1つなのかもしれない。












    都会の波、あるいは「怠惰る」ウェーヴ



深夜の音のない世界の片隅で
ぼくは独り 蒼ざめた憂愁と共に眼を凝らしている

喉に貼りついた しおれた舌と
微熱で震える けだるい手足のまま
日没を恋い焦がれる小動物のように
ひたすら暗闇をたどり歩く
真昼の太陽から この身をかばいつつ

虚無を宿した灰色の視線で
終日 群集の背中を眺め続けるぼくに
怠惰な時間を浪費できる贅沢者と
揶揄を含んだ ささくれ立ったジェラシーが
渦を巻いて とめどもなく押し寄せる

ああ だけどぼくは溺れかけているんだ
都会に逆巻く高波に翻弄されながら

そして いつか人々は見るだろう
引き潮に気づかず 逃げ遅れたクラゲのように
熱く灼けた瓦礫の真ん中で 
干からびた魂を展示している
悲鳴に似た ぼくの屍体を










 記憶を紡ぎながら
2007年05月09日 (水) | 編集 |




   星の記憶
      
   ――はるか未来の、地球のモノローグ――








ひんやりとした小さな太陽のもとでは
時間さえもうつむきかげんに流れていく
それでも木々は芽吹き
雷鳴は金色の紋様を刻印し
雨上がりの空にひそやかな虹を置くのだろうか
だが わたしの視神経が唯一受容するのは
最も明るい黒と最も暗い白だけ
かつて太陽フレアが放出した巨大な熱エネルギーを
畏れることなく
じっと視つめたものだったが
恒星が徐々に光を失うにつれて
わたしの記憶も大理石のように風化していった



いつからここにたたずんでいるのか
いつまでここにたたずんでいるのか



時は不可逆だと
生あるものはやがて滅びるのだと
専制的な法則の前では
すべての意味が空しく砕け散る
そして 訪れるのは虚空
沈黙と悔恨と忘却が支配する
外部とつなぐ答えを遮断し
あるいは見失い
静謐の中に眼差しは固定化する
だが 時として闇を貫き駆ける彗星のきらめきは
熱く脈打つ拍動を
しばし わたしの指先によみがえらせる



それは新しい記憶を引き継いてゆくもの
再生は消滅と共にあるのか
遥かな眠りのかなたにあるのか